可愛くて、強くて、優しくて。

待ちに待った週末、もう新品の肌触りがなくなったHMDを頭につける。

アプリを開くと、もうすでにログインしていたヨルノさんから招待が届いていた。

寝室のミラーでちゃんとアバターに自分とトラッキングしているかとよく使う表情の指を確認してから、通知のチェックマークからヨルノさんのもとへ飛んだ。

PCのころと変わらないロードを挟んで、ワールドに行くと、そこは駅だった。改札にスポーンしたようで、地下にあるような雰囲気だ。目の前の階段を歩くとそこには小さな広場のようなものと、地方都市の一角のような風景が広がっていた。実際に車が走っていたり、結構な人数が集まっている。招待されたから気づかなかったが、パブリックインスタンスみたいだ。

「やっほ~」

広場の鏡の前にいるヨルノさんがこちらに向けて挨拶をした。隣にいるパンさんが気づいて手を振ってくれた。

「一週間ぶりですね」

表情を笑顔に変え、自分も軽く手を振って、二人がいる方向に近づいていった。

たった一週間なのに二人と話すのはどこか久しぶりに感じた。

「このワールドね~、パンさんが紹介してくれたんだ~」

「僕も、こういう地方都市みたいな雰囲気好きですね」

パンさんが恥ずかしがる表情になってから、笑顔に変えて頭を掻くジェスチャーをしている。実際、僕も言った通りこのワールドが好きだ。動いている感覚というか、生きている感じがするのだ。遠くに見える電車も、少し遠く聞こえる話し声も、光の当たり方や街並みが全部好きだ。

すると、ヨルノさんが驚いた表情で言った。

「あれ?イトウさん、VRゴーグル買ったの?」

「はい!」

軽く手を伸ばしてみせる。

「先週にワールド回った後に買いました」

と誇り高い感じで言った。

「これで全員VR勢か~!」

ヨルノさんが嬉しそうに言う。

「じゃああれができるじゃん!ね、パンさん」

とヨルノさんが目をジト目にしてパンさんと目を見合わせる。パンさんもジト目顔の表情をした後に、こちらを二人が見つめる。

次の瞬間、二人の腕がこちらに伸びてきた。頭の上辺りを触られている。

状況が飲み込めなかったが、撫でられてるとわかると、ふと急に頭の上がむず痒くなってきた。

このアプリを始める前に調べたときに見たことがある。この仮想空間では撫であったりする文化があるのは知っていた。だが、自分がされると思わず、ミラーの前でポーズをとっていたときと同じ、変な気持ちになってしまった。

ふつふつと湧き上がる感情は恥ずかしさだと思う。

二人が僕を撫で終わると、ヨルノさんが笑顔の表情に戻して、

「じゃあ次はイトウさんの番だね」

と言って距離を詰めてきた。言わずともすることはわかる。

心臓の鼓動が喉元から感じる。覚悟を決めてこわばった手を伸ばす。

ヨルノさんの前髪をさらりと触れる。黒い髪は少し揺れて、なんだか触ってる手がこそばゆかった。ヨルノさんは撫でられている間、目を閉じているのを見て、自分の中の何かが渦巻いたように感じた。

更にそのままの勢いで、パンさんも撫でる。かなりデフォルメしたアバターのため、ヨルノさんの時のような心が縮こまるような感覚はなかった。

撫で終わった後、ヨルノさんが言った。

「これでお互い様だね~」

前々から知っていたが、またしたくなるような、この感覚に多くの仮想世界の住人がハマるわけだ。

「だいぶ恥ずかしかったです…」

むず痒いこの気持ちを言葉にするのは難しかった。恥ずかしさも正しくない気がする。

そんなこともありながら、僕は楽しみにしていたこのときを思いっきり楽しんだ。

三人でする会話は好きな音楽のことや、好きなアバターの話など、なんだか二人という人間を知れて、自分の中で飢えていた本能のようなものが満たされる気がする。

そのあと、パンさんが用事で抜けて、今度はパブリックインスタンスで二人きりになった。

すると、ヨルノさんが先週みたいに話しかけてきた。

「ああそう、イトウさんって趣味とかあったりするんですか?」

「あ~、映画ですかね?」

いままで話す友人がいなかった僕にとって、唯一の趣味だった。

「え?ほんとですか!」

ヨルノさんが驚いたような声を出して続けた。

「僕も映画好きなんすよ~!」

話題合わせでは無かった。

ジャンルだったり、監督の名前を聞いたら、自分も知らないような名前の監督まで出てきて驚いた。ジャンルは戦争映画などが好みらしい。僕は普段はアクションや洋画が好きなので、意外と話が合った。

「じゃあ今度二人でこのイベント行きません?」

SNSの通知にある投稿がURL付きで送られてくる。

見てみると、仮想空間上での映画の上映会みたいだ。しかも上映する映像は今プレイしてる仮想空間で撮ったものらしい。

「このゲーム始めるきっかけの一つでずっと行きたかったんですけど、一人だとやっぱ勇気無くて、よかったら行きません?」

断る理由もなく、むしろ自分もワクワクしてきた。そんなものがあるならもっと早く知りたかった。

「僕でよければ…」

「やった~!」

ヨルノさんは腕を上げて喜んでいた。

「じゃあ来週の日曜だからログインしてね!」

「わかりました~」

忘れるわけがない。

そんな会話をして、しばらく熱く個人製作の映画について語り合った後、夜遅くまで好きな映画などを共有していた。

「そろそろ寝るから、またね〜!」

彼が小さく手を振る。この街の喧騒にかき消されなかった言葉は、前より言葉の距離が近く感じた。仮想空間上での距離は前と変わらないのに。

僕は手を振って彼が落ちるまで見送った。

彼がいなくなってからは、頭につけていたHMDの電源を切って、机に置いてから倒れるように寝床についた。スマホで紹介された映画の予告編を少し見ると、ヨルノさんとの会話がフラッシュバックして、どこか幸せだった。


また週末まで、大学に行き、働き、スマホでSNSにいいねを押し、パブリックインスタンスで色んな人と交流していた。でも、先週よりも楽しくない。

パブリックインスタンスで関わっていたフレンドは、他のワールドで他の人と話していて、挨拶はできるが、会話の輪には入れない。

結局、僕は一人で集会の時のようにワールドの隅っこでおとなしくしていたことが多かった。

たまに、同期会で会ったちーくさんが僕のインスタンスに入ってきて、他人の愚痴だけをこぼして帰っていく。メニューで見ると彼女は、酒を飲むための横丁みたいなワールドにいつも入り浸っている。そのワールドはパブリックインスタンスで会った人達が口をそろえて、やばいと言っているワールドで…なんだか怖そうだ。

ちーくさんは、僕が愚痴に対して相槌をうっているだけで嬉しそうで、なんだか不思議だった。なんというか、現実味がない、バーチャルなのはともかく。

なんだかんだで、そんなくだらない一週間は終わった。

日曜日の夜。僕は楽しみにしていたこの時へとたどり着くことができた。できるだけ待つ時間を少なくしたかったので、昼まで寝て、夜まではスマホで気を紛らわしていた。昔から何か物事を待つときに、直前になってそわそわして耐えられなくなりそうな気持ちが不快だった。

HMDの電源を入れて、コントローラーを握る。いつものホームワールドから、メニューを開きヨルノさんへジョインする。

ドキドキしながらロードを待っていると、読み込み終わって、僕と同じホームワールドの玄関が現れて、廊下でヨルノさんが出迎えてくれた。

白い廊下に黒い髪が際立つ。その目ははっきりとこちらを見てから、笑顔になって、

「じゃあいこっか~」

「はい!」

そう言うと、ヨルノさんがメニューを開いているような動きをしていた。どうやらもう行くみたいだ。自分も、あらかじめフレンドになった上映会の主催者にジョインする。人数が多いイベントだと、ここで競争が起こるらしく、心配だったが向こうのワールドにつくと、横にはヨルノさんの姿が見えた。安心しながら辺りを見渡すと、そこはリアルなシアターみたいな質感の黒いに壁に、天井には薄暗い照明が控えめに光っている。通路のような部分を通ると、大きいシアターが印象的な広い空間に出た。席の前には色々なアバターの人達が話し込んでいて、ステージでは主催者が他の人と喋っていた。

ヨルノさんが

「どこの席座るー?」

いつも一人で映画館に足を運ぶので、気ままに決めていたので悩む。

「やっぱり前らへんかな、首あんまり痛くならないから僕はいつも前に座るタイプなんだけど…」

「僕どこでもいいからな~、イトウさんに合わせるよ」

と、二人でシアターの前まで歩く。大体見定めをして、なるべく空いていそうな前の三列目を選んだ。僕とヨルノさんの席は隣だった。

主催者がワールド内のマイクで、着席を呼びかける。数分経って全員が座り終わると、アナウンスを読み上げ始めた。アナウンスを聞きながらちらっとメニューを開くと、このインスタンスには上限まで人が入ってるらしい。後ろのほうの席を見ると、描画が追い付かなくてHMDが少しカクつく。

アナウンスが終わり、上映が始まる、ヨルノさんが

「楽しみだね」

と小さな声で言われて、僕は頭を縦に振って答えた。自分が持っているマイクは性能が悪く、小声だと音を拾えないのだ。


開演ブザーの音と共に、映像が流れ始める。

その内容は、記憶が一部ない主人公が、このVRCAHTを満喫しながら、リアルと現実と交差しながら、自分の記憶を思い出していくストーリーだ。

ありがちだが、王道ともいえる。音質や細部はプロの映画には敵わないが、それでも雰囲気や感情を届けようとする姿勢が伝わってきた。

とりあえず面白かった。この仮想世界にログインしている人にとっては別の面白さがある作品だったと思う。

小ネタが最後まで詰まったエンドロールが終わり、主催者がステージの上で喋り始めて、感謝の言葉を述べて、次の映画の予告をしてお開きになった。

他の席の人達が話し始めたので、僕もヨルノさんに話しかけた。

「面白かったですね!」

「ね~」

と返事が返ってきた。ヨルノさんが座席を立って、

「ホーム戻って話そうか~」

と言ったので、ホームワールドに帰った。

二人でこたつを囲む。

ヨルノさんが語る。

「面白かったね~、特に僕はあの映画の仮想世界の描き方が好きだったな~」

「リアルだったよね」

「そう、なんかね~商業映画みたいなクジラが飛んでて何千人ものアバターが~って感じじゃない、あの現実感がいいよね~」

ヨルノさんの言葉がしっくりきた。リアルではなくリアリティーだ。

「僕はやっぱりラストが特に好きだったかな、主人公の演技が良かったかな」

「後半に連れて主人公の演技力が上がっていくのも面白かったね、個人製作って感じがした!」

そんな風に感想を交換して、自分なりの解釈を言ったりした。

僕が欲しかったものだ。こうやって映画を一緒にみて、感想を共有する。基礎のコミュニケーション能力がなくて出来なかった、この理想を叶えられたなんて信じられない。

楽しくて楽しくて、時間が過ぎていくのが惜しかった。

今、小学校のとき、やたら友達と遊ぶときに時計を確認する人の気持ちをわかった気がする。あれは、時間を確認しているというわけではなく、時間が過ぎていくのが惜しくて惜しくて仕方なくて、残りの時間で楽しむために、時計を見ていたのだ。

夢心地で、僕はヨルノさんとの会話をする。彼の言葉がHMDを通して自分の鼓膜を震わせるのが幸せだった。

「いや~、いい意見交換ができたね~」

「ですね」

一呼吸置いて、ヨルノさんのマイクから、息を吸う音が聞こえた。

「次の上映会も一緒に行かない?」

「行きましょう!」

背中を伝う喜びの感情が湧き出るあまり、食い気味に答えてしまった。

ヨルノさんはそんな僕に引きもせず、さらに言葉をつづけた。

「まあ、次の上映時期は未定らしいけどね~」

「そうなんです?」

「映画の最後に言ってたよ」

「余韻に浸って聞いてませんでした…」

ヨルノさんが優しくフォローする。

「まあ、気持ちはわかるな~」

笑顔に表情を変えて、こちらを見る。

「明日の月曜日って空いてる?」

唐突だった。普段は週末しか遊ばないので少し意表を突かれた気分だったが、その気持ちはあとから喜びで上書きされた。

「空いてますよ、大学生なんで」

「じゃあ明日も話そ〜」

自分の中で週末を迎えるための余分な時間だった平日が、その言葉によって一転した。

ヨルノがまた微笑む。

「またね~」

そう言って、彼はこの空間からはいなくなった。現実のように、残り香が鼻を刺激するわけでもなく、ここではただ僕の脳みそが網膜の裏で彼との会話を反芻するだけだった。

別にどうでもよかった、そんな些細なことなんて。

こんな僕にまたね、と言ってくれたのだ。

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