ちーく

一限目の授業が終わり、レポートを提出した。そのあとの講義は後ろのほうでスマホをいじっていた。大学の勉強は特に興味はない、だからといって講義中一緒に話してくれる同学年はいない、もう1、2年である程度グループは固まっているのだ。

退屈な時間に拘束されるのが終わると、すぐ帰宅した。

パソコンを開き、ネットショッピングサイトの通知を確認する。着いているらしい。

玄関を開けると、置き配で普段より大きめの段ボール箱が置いてあった。

ワクワクしながら段ボールの封を切りパッケージをあけると、注文した白い流線型のデザインをしたHMDと、二つのコントローラーが姿を現した。

コントローラーは、持つタイプのトラックボールマウスのような見た目をしていて、握り心地が良かった。急かす気持ちのままPCに早速ケーブルを本体と繋ぐ。

一呼吸置いて、ついにHMDを被る。

黒いクッションが頭を少し締め付ける。眼鏡より少し締め付けが強いぐらいで意外ときつくはなかった。木目の床とその向こうには一面の中華風の景色が広がり、視界に合わせて動くその光景に僕は感動しながら、説明書を思い出してsteamとHMDを連携させた。

そして今度はVR空間上で、コントローラーから出すレーザーでアプリをクリックし、仮想空間へログインした。

いつもの玄関がとてもモニターで見るよりもリアルに思えた。今にも靴の土臭い匂いをかげそうなリアリティがある。そのあとは三人のホームワールドをVRでじっくり見て回った。ゲーム画面ではなく、どちらかというと映画の中を歩き回っている気分だった。

リビングと扉を挟んだ位置にある寝室にミラーがあることを思い出したので、そこへ向かうと目の前には、青い髪の毛の美少女アバターの自分が映っていた。

試しに腕を動かしてみると、鏡の前の美少女も動く。なんだか妙な気分だ。

右の指を動かすと、様々な表情に変わる。なるほど、ヨルノさんとかはこうやって表情を変えていたのか。物がなく殺風景な部屋はVRをするには好都合だった。表情を決めて、それに合うような動きをしてみる。

本当に妙な気分になる。自分が可愛くなっていくという感覚が好きという人間では僕はないようだ。数日この世界にどっぷり漬かったはずなのに慣れない。

そして、今日は同期会の集会があるが、夜に開催されるらしいのでまだ暇だ。僕はせっかくHMDを買ったので、一人でワールドを巡ることにした。

VRで見るなら景色がきれいなワールドがいいので、SNSやブラウザで検索をかけ、良さそうなワールドを厳選した。

一つ目の実在する日本の駅を再現したワールドは、実際見たことがあり、視点に違和感を抱いた。そしてアバターの身長が現実の基準でかなり低いことがわかった。140㎝あるかないかくらいだろうか。

他には列車の中がくつろげるスペースになっていて、外からは景色が見れるようなワールドもあった。他には初心者案内の時よりもこじんまりした普通の水族館のようなワールドや、広告で見る高級ホテルのような内装の小さな部屋のワールドや、コンビニを忠実に再現したワールドまで、目に映るすべてが輝いて見えた。

その中で、特に自分が好きだったのは夜空のワールドだった。

黒い丘の中で、空には満天の星空がラメをこぼしたみたいに広がっていて、それがバーチャルだとは思えないほどにきれいだった。

僕だけで楽しんでるのがもったいないと思った。

あの二人に見せて、この喜びを共有できたらどれほどうれしいだろうか。そんな勇気は今はない、僕はこのワールドにお気に入りリストの星のマークを押して、あの二人にいつか見せると小さく決心した。

そして、ワールドをめぐっていたらそろそろ集会の時間が近づいてきたので、一旦HMDを外してから一口水を飲んで、僕は同期会のグループサーバーの今日参加する人はリアクション!というコメントに皆がつけているgoodマークのリアクションを押した。

もう一度HMDを装着してから、指定の時間をメニューから確認し、事前にフレンド申請した主催のインスタンスに移動する。

ワールドに移動すると、海外のナイトプールのような空間が現れた。

しかし、それよりも際立っていたのは人混みだった。かなり数のアバターが密になって団子のようになっている。初めて行った休日のチュートリアルもここほどではなかった。

そこかしこにライトがあり、若干眩しかった。一段高くなったステージの上には数人がマイクを持って何かを呼び掛けている。団子のほうに行ってみるとこれまたすごい量の人の声が聴こえてきた。もうひとつ驚いたのは時々女性の声も混じっていることだ。

同期会と言ってもここ一か月間に始めた人が該当するのでとても多い。

ここまで人がいると話しにいく勇気がない。数分の間ワールドのすみっこで人混みを見ていても、あまり楽しくないので黙ってこのインスタンスを抜けようか迷った。合わないと割り切った方がいいと感じた。

そんなことを考えていると、後ろから声をかけられた。振り向いたら自分と同じアバターの人が目の前に立っていた。

「こんばんは~、このアバターかわいいですよね~」

と手を小さく動かしている。

動揺した。女性の声だった。少し低めの声で、とても怖かった。怖いというよりも、未知だった。学校でも、大学でも、女性とは関わってこなかったのだ。

重い口を動かす。

「わかります、僕は一目惚れで買いました…」

嘘ではない。なんでもよかったのが本音だが、会話を続けるためにそう言った。

「ですよね~私もそうなんですよ~!」

「あんまり最近は使ってる人見ないから、久しぶりに見れて嬉しい~」

「しかも、無改変とは、かなり愛がありますね!」

勢いが凄い。畳みかけるような言葉で、すこし引いてしまった。

「いや、無改変なのは最近始めたばっかなんで…」

目の前の彼女が笑顔に表情を変える。よく見たら脚まで動いている、どうやらフルトラッキング勢らしい。

「勘違いしてすいません、いつ頃始めたんです?」

「数日前ぐらいですかね?」

「へ~、初心者さんか~」

「なら、フレンド申請してもいいですか?初心者ならフレンドも多いほうがいいですし」

断る理由はない、だが、少し不気味なところがあった。その奇妙さというか、怪奇な雰囲気を感じていても、断る理由には軽すぎた。

「全然大丈夫です、イトウって読んでください」

「イトウさん、よろしくね~」

ネームプレートにはちーくと平仮名で書いてある。

そのあとは同期会の人混みを横目に、このアバターの服まで含めて好きだよねとか、このアバターのどこが好きかという話題で話した。

意外と話してみるとまともな人みたいで、さっきまでの違和感は杞憂だったのかもしれないと思った。

一時間話していると、ぽつぽつインスタンスから抜ける人が出てきて、あまり肌の合わなかった自分も抜けようと思った。ずっとHMDを着けているからか、車酔いみたいな気持ち悪さも出てきた。

「僕ちょっと、気持ち悪くなってきたんで落ちますね」

「あ~初心者さんはよく酔いやすいですからね~」

彼女は笑顔で手を振る。

「お疲れ様です~」

僕は左手でメニューを出して、アプリを閉じた。

HMDを外すと、今まで体験したことないような吐き気に襲われた。

スマホで検索すると、いわゆるVR酔いというやつらしい。たしかに常に被って体に負担をかけてる上に、慣れない女性とのコミュニケーションをしたから疲れてしまったのかもしれない。

HMDを外し、布団に潜り込む。今思えば、今までの人生の中で女性と会話をするなんてハードルはとても高かったのに、今となっては話しかけてくれるまでになったのは、なんだかあまり現実味がない。当然仮想世界には男もいるなら女もいるはずで当たり前なのに、なんだか心に引っ掛かりができるようだった。

ここでなぜと考えてしまうから、いままで女性おろか同性にもまともに話しかけられなかったのかもしれない。それも今はもう過去の話だ。仮想空間であれば僕は人並みにコミュニケーションがとれるのだ。そう思うと自信がつく。

あっという間に時間は流れる。聴く音楽も仮想空間で活動してるアーティストばかりになったし、SNSに流れてくる情報がニュースのような情報よりも新しいアバターの発売情報や、仮想空間がテーマの漫画や、ヨルノさんから送られてきたようなワールド紹介の動画で上書きされていた。大学から帰ってバイトをして、帰ってきたらHMDを被って、毎日VRCHATにログインする。

公開されてる日本人向けのインスタンスに行って、雑談をしたりもした。版権キャラクターが謎のダンスを踊っていたり、通りすがりの無言勢と映画の話題で意気投合して、その前に無言勢と話していたグループと丸ごとフレンドになったりした。

他にも、FUJIYAMAでカラオケしてる酔っぱらいに絡まれて、とても怖い思いをしたが、話してみると意外と気が合い夜を語り過ごしていた。

自分の中に眠っていた潜在意識のようなものが引き出されるみたいに、この世界では灰色だった現実に、HMD越しに色を与えてくれる。そんな一週間だった。

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