初心者案内

その他もろもろを確認し終わって、ついにチュートリアルワールドへと向かう準備を始める。つまりここでやっと人間と関わるのだ。

マイクの設定を見直したり、主に使いそうな表情キーを頭に叩き込んだら、アプリ内のワールド検索から、チュートリアルワールドへの画面を開く。

ほんの少し動悸がする。マウスを握る手が更にこわばる。変な汗が二の腕に溜まる。

何故か無性に泣きたくなる。震える指で、インスタンスへjoinボタンをクリックした。

深い水色のロード画面上のワールドのサムネイル画像が少し歪んで見えた。

最初に聞いたはずの柔らかい電子音がなぜだか、鼓膜を引き裂くように聴こえる。

そしてロードが終わると、黒を基調とした壁に白い床の空間が現れた。

空間は奥に続いていて曲がり角がある。黒い壁にはネットで調べたときに出てきたアバター達が何かしらの宣伝をしているポスターが貼ってある。一枚一枚がかなり大きい。

曲がり角の先まで歩くと、そこには扉があった。

息を呑む。Wキーを押して進むと、簡単な日本語クイズがあった。緊張しながらもも矢印の方向に進んでいき、そして何回かクイズをクリアしたときに別の空間に転送された。


色んな男性の声が聞こえる。体感、田舎の駐車場ぐらいの大きさの空間には、壁の前に集まって壁に向かって談笑する人、少しは端に集まって小さくグループを作って喋っている人がいる。皆、アニメキャラのようなアバターを使っていて、自分自身もそうで身構えていたはずなのに、やはり少し異様に感じてしまう。それと同時になぜか安堵で緊張していた体がほぐれていった。

震えなくなったマウスを小さく動かし、あたりを見回してみる。グループを避けるように少し歩くと、すこし大人びた男性の声で呼び止められた。

「あれ?初心者さんですか?」

声をかけてきたのは青みがかった黒い髪のロングヘアーの少し幼いアバターで、ファンタジー作品に出てきそうなローブを着ている。同じような顔のアバターをネットで調べた時に見つけたので、多分改変をしているのだろう。いきなり声をかけられてすこし肩がすくんだが、勇気を出して久しぶりの、バイトの定型文以外の声を出す。

「そ、そうです。今日始めました」

目の前の話しかけてきた彼女がふわっと笑顔になって、

「そうなんすか~よければ初心者案内しましょうか?」

その笑顔を見るのがやけに恥ずかしくて、パッと彼の上に表示されたネームプレートを見るとそこには、その人の名前のほかに車などで見る初心者マークの横に初心者案内屋という表示がされていた。どうやらそういう専門の人らしい。

「あ、じゃあぜひ…」

少し語気が弱くなる。脳では理解しているが、まだどこか怖くなる。

「おっけーです!自分あやめって言います。あーじゃあまずこっちのほうから…」

「あ、移動方法ってわかります?」

「大丈夫です」

キーボードを叩いて仮想の中の自分を歩かせる。

「おっけーそうですね、じゃあまず最初に音量の設定を開いてもらって」

彼女の説明はよほど手練れたものだった。そこからの流れは初めて聞いた僕でもわかりやすく、順序立てて、この世界を渡り歩くための設定やネット記事では書いてなかったような常識や暗黙の了解、ワールドの初心者のために書かれた文章を事細かに教えてもらった。

勇気を振り絞って疑問を声に出してみる。マイクを自分に少し近づけて、

「あの、壁の前に集まってる人たちって何ですか?ずっと壁のほうを向いているんですけど」

あやめさんは笑顔のまますぐに答えを返してきた。

「あれはね、こっちに来ればわかりますよ」

そうするとあやめさんが歩き出したので、急いでついていく。彼女は多分VRゴーグルをつけているのか、手と頭は動くものの、その他の歩くなどの動きはデスクトップでプレイしている自分と同じなのがすこし意外だった。

ついていった先には水色の長方形が端に張り付いてる壁があるだけで、何の変哲もないこのワールドの一部だった。

「この水色のやつ触ってもらえばわかると思います」

と言われたので、近づいてクリックしてみる。

すると目の前の黒い壁に水色の髪の毛をした女の子が映し出された。そう、僕だ。

「これは、鏡ですか?」

「そう、大体この世界の人は鏡の前に集まる習性があるので、覚えておいてください」

せっかく自分が映ったので表情を変えてみる。ずっと真顔だったアバターが口角を上げて優しく微笑む。可愛い。これが自分というのはどこかまだ変な感じがする。

「あとメニューのミラーのところ触ってもらって…」

あやめさんに教えてもらうと自分のアバターの顔が画面の下側に小さく半透明で表示されている。これで自分の表情を確認するらしい。

「次は自己防衛のとこいきますねー」

「わかりましたー」

人生で初めて、他人にうすら笑いではない笑顔で言葉を返したかもしれない。

そして、ついていく途中で思ったのは、昔テレビで見たカルガモの子供の気分だ。

案内された先には「じこぼうえい」と大きく書いてある、黒い壁の細かい文章を読んでいると、こちらのもとに全体的に白いデフォルメされたアバターと、ワイシャツに白いジャケットを羽織って、色の濃いスカートの青の差し色が入っている黒髪のショートの美少女アバターが近づいてきた。

彼女が近づいてきた二人の方向を向いて笑顔を向ける。

「こんばんは~」

「こんばんはーあやめさん!、今日もログインしましたよー!」

少しハスキーな優しい男の声だ。

白いアバターは無言のままブンブン手を振っている。

あやめさんが今度はこちらに向かって話しかけてくる。

「あ~、イトウさん。この二人は昨日俺が案内した初心者さんで…」

黒髪ショートの彼が会話に割り込んでくる。

「え!君も初心者なの?」

「あ…はい」

咄嗟に声が出ない。声を出すことに慣れてないからだ。

黒髪ショートの彼は、横にいた小柄の白いアバターに喜びながら話しかけた。

「よかったー!パンさん!僕たち以外にも最近始めた人いるみたいじゃん!」

白いアバターは無言のまま笑顔を見せてうんうんと首を振っている。

そしたら、さらに話を進めてくる。

「せっかくだし、フレンドになったら?初心者同士でフレンドなったほうがこの先楽だと思うし」

「いいね~、じゃあイトウさんで合ってるのかな?」

自分の上を黒髪ショートの彼が見てくる。ネームプレートを確認しているのだろう。

「イトウさん、フレンド送ってもいいですか?」

「あ、」

言葉が詰まる。彼がきゅっとこちらを見てくる視線には、明らかにモニター越しで伝わらない期待の感情がこもっているような気がした。

「全然大丈夫です…」

記憶を頼りに笑顔の表情のキーを押す。

すると黒髪ショートの彼は、

「やったー!」

と少なくとも演技ではなさそうな声色で喜びを表現して、腕をあげた。

こちらも相手の名前を呼ぼうと彼の上を見る。ネームプレートには白い文字のローマ字でyorunoと書いてあった。

「よろしくお願いしますね…ヨルノさん?」

「ヨルノで合ってますよ~、こちらこそよろしくお願いしますね!」

彼の右手の指が動き、その顔は漫画でよく見る、底辺が抜けた三角形のような目をした笑顔になった。

ベルマークの通知欄にフレンド申請と書かれたチェックマークがあり、僕はそれをクリックした。そして彼のネームプレートの文字がフレンドを表す黄色に変化した。


それがヨルノさんと僕の出会いだった。

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