第10話白菜(小説公募と書きもの系課題に向けて指ならし)

あー、本日は晴天なり。本日は晴天なり。いささかやりすぎではあるもののアルプス山脈がばっちり雨雲を押し留めて乾ききった真っ青な空は見上げると爽快なり。ようようくらくなりゆく地平線もまた趣深きことなり。白い息を吐きつつ自転車をかっ飛ばし、真っ赤な耳で帰って食べる鍋はまた格別なり。肉はいわずもがな、白菜や茸の類も美味なり。ところで私の推しはにじさんじKRのヤン──


......いよいよ指ならし以外の何者でもないほど味のうっすい文章が出来上がった。いやまあ、端からそれ目的ではあるのだが、どうも生産性を気にかけてしまう節がある。そんなものはこのばで文章を書く際には一切不要である。邪魔である。私は浪漫と娯楽に生き、理想と快楽に死ぬ、孤高の吟遊詩人である。


いや、実際のところそれはただの理想像である。現実の私の小説づくり及びに日常生活は理屈っぽい我が性格に寄り添わねばならない。小説はまず落ちを決め、そこまでに至る手順とその行動を起こすに相応しい性格の登場人物を設定し、間を持ち前の回りくどい文章で埋める。天啓というやつが下りてきたことはない。降りてくる人は心底すごいと思うが、それは彼あるいは彼女が神から授かったとしか思えない素晴らしい作品を書いている場合で、例えばそのように語る私のネット上の小説仲間のうち何人が本当にを考えると、首を傾げざるを得ない。言い訳じみているが、作品が未熟ならば己の実力不足だと認めたほうが、潔く見えることだろうし、何より反省・改善するに易しい。私は気合いだの根性だのという言葉は好きではないが、運鈍根とはよく言ったもので、詰まるところ手が届かない運を除いた成功の源とは地道な継続であるらしい。夢はないが夢物語でもない。理屈っぽい私に丁度いい考え方である。


古代ギリシアの哲学者から新興カルト教団まで、人間は自分に都合がいい意見に賛同する。意見とは言い難いただのぐだぐだと垂れ流した私の思考であろうとも、悩める若き新米精神労働者の心の琴線の一本にでも触れるやもしれない。理屈を並べ立てたうえでではあるがせめてそんな妄想を抱きつつ、帯に短し襷に長しな作文は、ここいらで切り上げようと思う。

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赤茄子草子 鳩原 @hi-jack

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