第3.5話 幕あい『小瓶』

 我々学生の宿敵は何か、貴方はわかるか。人間関係?違う。宿敵というのは避けられないが許し難い存在を言い表す言葉である。避けようと思えば避けられる人間関係を宿敵と表現するのは、私から言わせればとんと見当違いな行為である。甘酸っぱい青春真っただ中の学生生活には悩みこそあれど敵などいない?馬鹿を言え。ならば加えて一つ問うが、こんな駄文を垂れ流す野郎が貴方の想定する青春に包まれていると思うか。

 埒が明かない。宿敵とはずばり、試験のことである。余程の天才かお気楽者でもない限り、誰もが一度は恨んだ制度ではなかろうか。老いれば老いるほど時間経過の感覚が短くなっていくという理屈に則ればまだまだ濃い一年を過ごせるであろう我々でもひっくり返るような俊敏さで、奴等は詰めてくる。もちろん数字がものを言う現代社会では大切なことだろう。理解している。ああ、理解しているとも。その上で罵っている。ふざけんな滅べ。


 さんざん言ったが冗談半分、いや冗談三割だ。本題はそこではない。3話で触れた、オムライス屋での出来事だ。明けたんだか、そもそもなかったのか今ではわからない梅雨に、それは起こった。


  その日は期末試験最終日の放課後だった。私は寝不足と詰込み学習で冷却装置がぶっ壊れた機械みたいな頭を何とか首の上に乗せ、オムライス屋の席で注文をした。友人からお勧めされた店で、とろけるようなオムレツと、満足感のある量のチキンライスが最高らしい。お得なセットメニューやらドリンクの割引やらに戸惑いつつも何とか注文をする。鞄から、最後に開いたのが三日前の本を取り出すが、如何せん眠気で集中しきれない。おとなしく、試験から解放された喜びを噛みしめながら窓の外を眺めて待つことにする。少し曇っていたが立地のため辺り一帯を鳥瞰できて気分がいい。


 居眠りに落ちる寸前で、料理が提供された。だいぶ迷った挙句に選んだワンプレートセット。大きな白い皿の中央にどっしり構えたオムライス。その奥にサラダと小さなパンケーキがちょこんと横並びになっていた。その間に、白い小瓶に入った、おそらくパンケーキにかけるであろう、これまた真っ白い液体が注がれている。ただ食品を並べただけではこうはならないだろう。一皿に小綺麗にまとまっていて、調和のとれた、上品なワンプレートだ。続いてアイスティーとこれまたパンケーキにかける用のシロップが置かれ、注文はそろった。

 さて、その正面を張るオムライスだが、たまに家で作る私のそれと目の前の料理を、同じ名前で呼ぶのもおこがましいと感じるほどに美しい。柄にもなく写真を撮る。アイスティーでいびきをかきかけた喉を潤し、フォークをつかむ。いきなりメインにいきたい気持ちもないことはないが、やはりお楽しみは最後にとっておくほうが性に合っている。いつもの戦場のような食卓ではこうはいかない。だが、今日は外食、しかも一人だ。私のやり方で、存分に楽しむことにする。


 そんなことを考えながら、サラダを口に運ぶ。味付けはなかった。特段気にならないが、しかし疲れた脳には味気ない気もする。私はほんの少しだけ手を止め、そして、オムライスから垂れて白い皿に焦げ茶色の光沢を作っているビーフシチューを水菜でぬぐうようにして食べた。

 さあ、いくらオムライスがメインであろうが流石の私もデザートを先に食べるほど無情緒ではない。スプーンに持ち替え、ライスにそっと乗せられたオムレツのそのきめ細やかな表面を開こうとする。……ほんの僅かな力でスリットが入り、中からメレンゲが顔をのぞかせる。卵白でさえ色の濃いものを使っているのか、はたまた何か特別な調味料を混ぜているのか、は冬の控えめな夕日のような薄い橙色をしていた。味は濃くなかったが食感で私を存分に楽しませてくれたは、オムレツを崩す行動自体にわくわくしてしまうような童心を蘇らせてくれる、そんな優しい味だった。

 つい舞い上がってしまいしばらく無心でスプーンを口に運んでいたが、本当に幼い時とは違い無意識にオムレツとライスとシチューの量を調節していた。最後に残しておいた牛肉の塊をとろとろの卵に絡んだライスと一緒に口に放り込み、私の幼い感情の昂りは終わりを迎えた。変わって心の中で舞台に上がったのは甘いものに目がない高校生である。

 質素ながらもしゃれた小瓶をつまみ、パンケーキの上で傾ける。粘度が絶妙だからだろうか。液体はパンケーキ全体に広がったもののそれ以上零れ落ちずに留まる。ふと、ところでこれはどんな味のトッピングなのだろうかと疑問に思う。あまり店でパンケーキを食べることがないのでよくわからない。ああでも、と2、3年前の出来事を思い出す。イギリスで食べたアップルパイは酸っぱくて、似たようなものをかけながら食べた気がする。私の英語力が未熟であれが何から作られているのかは聞き取れなかったが美味かった。おそらく生クリームの類であろう。未知の食品は挑戦に限る。それにスイーツは甘ければ甘いほどいいという持論を下ろすつもりは毛頭ない。下品なのは重々承知で、私はどぼどぼと白いソースをかけ、続いてシロップも溢れんばかりにかけ、分厚いが小ぢんまりとしたパンケーキに容赦なくナイフとフォークを突き立てた。アイスクリームやソースと絡ませながら少しずつ口に含み、噛みしめる。美味い。疲れた心身に染みわたる。荒んだ脳は慈愛の雨によって愛を思い出し、五臓六腑は何にも縛られない自由な快感に悦びを叫ぶ。特にこの白いソース、記憶に残っているよりも甘じょっぱいくて善い。前回はリンゴの酸っぱさにかき消されてしまっていたのか、もしくはこれが日本人好みの味付けなのか、とにかく美味い。感動を超えたのか懐かしさまで覚える。しかし、一週間と少しのイギリス旅行だけでここまで懐かしさを覚えるものだろうか。それだけの衝撃が私に走ったのは事実だが、もしかしたらさらに前にどこかで口にしたかもしれない。懸命に思い出そうとした。

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