第5話 噂
王太子フォルテが「しこめひめ」アンジュに婚約を申し込んだ話はあっという間に国中に知れ渡ることとなった。
噂好きのどこぞの貴婦人がヴァン侯爵夫人から話を聞いた他の婦人から又聞きし、国中に広まるように話してしまったのだろう。
国中は貴族のみならず平民までが大騒ぎとなっていた。
――おそらく、『シャリテの城壁』の主人公であるアッシュの耳にも入ったはずだ。彼は王室騎士団に所属しているのだから。
賛否両論――というよりは、否の声が多かった。
もちろん、フォルテはまだ『王太子』という身分である。
王位継承権が第一位の王太子である、というだけである。
しかし民衆は、「しこめひめなどもっての外だ」と今にも暴動でも起こしそうな勢いであった。
平民は貴族令嬢の顔などはよく知らない。
が、アンゼリカ=フォン・ド・ヴァン侯爵令嬢が「二目と見れない不美人」であることはすでに彼女のデビュタント以降国中に広まっている。
両親に、美少女の妹リーチェと分け隔てなく愛情をたくさん浴びて育てられたアンジュは、自身が「二目と見れない不美人」であることを知ったのもまた、デビュタントの日のことだった。
あまりの不美人さに、貴族令息、令嬢たちから心無い言葉を浴びせられ、数日は部屋にこもっていたアンジュだった。
「お父様もお母様もリーチェも、どうして私がとんでもない不美人であることを言ってくれなかったの」
思えば、心優しいアンジュが一番荒れていた時期、とも言える。
「お姉様が不美人だなんてどこのどいつが言ったのよ! 全員ぶちのめしてやるんだから!」
妹のリーチェも一番荒れていた時期だった。
幼い頃より一緒に育ったリーチェの美醜の感覚が歪んでしまったのは自分という存在のせいではないか、とアンジュが心を痛めていた。
そしてそれと同時に、両親が不美人な姉でも精一杯愛情を注いでくれていたことに申し訳なさを感じていた。
「顔が不美人だから何だと言うんです!」
普段は粛々とした侯爵夫人、エヴァリーナが声を張り上げたのも、これが最初で最後であったかもしれない。
「美醜のみで判断する人間の方が悪いのです! どんな容姿であれ、貴女は私とキルケの大事な大事な娘なのです! 侯爵家令嬢に恥じないどころか、どこに出しても恥ずかしくない立派な令嬢に貴女はなりました! それの何が不満なのですか?!」
「お母様……だって、私……」
元々不美人な顔をさらに歪めて、アンジュが泣きじゃくったのもこれが初めてのことであった。
「これでは魔物の方がまだ美しいかもしれないな」
「ヴァン侯爵家はこんな魔物を家で飼っていたのか」
デビュタントの時に言われた言葉が胸に刺さる。
アンジュも自身の顔は見慣れてはいたものの、周囲とは何かが違うと感じていた。
そして社交界に初めて出た時に、思い知ってしまったのだ。
貴族の令息、令嬢たちは皆、非常に整った容姿をしていた。
人は皆、統制の取れた、姿形の整ったものに心を惹かれるものだ。
整ったもの――それはつまり「安定したもの」という意味だ。
安定したもの、例えば建物などは、安定したものの方が当然ではあるが簡単に壊れたりはしない。
安定とは、「安心感」に繋がるのだ。
そして、不安定なものは、不安につながるのだ。
どんなに立派な淑女教育を受けようと、両親が愛情を注いでくれようと、アンジュの容姿は『不安定』そのものなのだ。
ひとしきり叱り付けたアンジュの母は、アンジュを優しく抱きしめるとこう言った。
「たとえ貴女がどんなに不美人だったとしても、とびきりの美人だったとしても、私とキルケの気持ちは変わりませんよ。心を清くいなさい。どんな時も優しさを忘れずにいなさい。そうすれば、きっと誰かが貴女をしっかりと見てくれますよ」
この時から――いや、もともと心根が清らかではあったが――、アンジュは心を清らかにすることを信条としていた。
――その結果が、王太子の婚約話になるとは思いもよらず。
「はあ……」
アンジュは部屋のベッドに寝転がると小さくため息をついた。
「せめてもう少し……あと少し鼻が高ければ……もう少しましだったかもしれないのに……」
アンジュの鼻は、ほぼ平坦で若干上を向いている。
フォルテの婚約は承諾するつもりでいたのだが、今の状況では応じてしまった後の対応があまりにも大変そうである。
世間のバッシングを受けてなお、王妃となるのか。
それとも、フォルテの言ったようにアンジュは試金石足り得るのか。
「王太子殿下が王の座に着いた後も王妃がいなかったのはこういうわけなのかしら……」
アンジュは、『シャリテの城壁』に「ない設定」を考えに考えた。
アンジュの設定はしっかりと練り込まれていた。
公式ファンブックにも、アンジュとレイヴンの項目にやたらとページ数を割いていると杏珠が感じたほどに。
「国一番の不美人にして国一番心の美しい乙女……だっけ」
『前世』の記憶を頼りにアンジュが呟く。
両親の愛情を一身に受けて育った侯爵令嬢アンゼリカ=フォン・ド・ヴァン。
その容姿から「しこめひめ」などとあだ名されていたが、最終的には皆、彼女の心の清らかさにひれ伏してしまう。
「――本当、ひねくれた作者だわ」
ひれ伏されたことなどないアンジュが呟く。
「貴族社会は容姿第一主義なのよ。王家もそう。美しく強い子孫を残さなくてはいけないの……心だけが美しくたって……いいえダメよアンジュ」
アンジュは自分で言って起き上がった。
「私までひねくれてはダメ――……この世界をハッピーエンドに導かなくてはいけないのだから」
だったら、設定を活かしてやろう、とアンジュは決意した。
「しこめひめ? だから何よ。私は私の持てる『美しさ』を存分に活用すればいいんだわ」
思っていても、言葉にするとさらに活力が湧いてくる。
「そうね、まずは……慈善活動(ノブレス・オブリージュ)かしら」
アンジュと杏珠の記憶があるアンジュは、貴族がすることで最善な方法として慈善活動(ノブレス・オブリージュ)を思いついた。
「持つものが持たざる者へ与えるのは当たり前のことよ」
こうなっては居ても立っても居られないとアンジュは立ち上がった。
「とは言え……何から始めたらいいのかしら……」
考えあぐねたアンジュは、夕食の席で父、キルケ侯爵に相談してみることにした。
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