第4話 暴君、来訪
――今日はフォルテ王太子がヴァン侯爵家に来訪する日――。
「お嬢様、髪はしっかりお手入れいたしました。お化粧も致しましたので完璧ですわ!」
侍女のメイラがドレッサーの前に座ったアンジュに言う。
もともと薄いうえにパーツが不揃いな顔をいかに化粧したところで、不美人は不美人であると自身で思わなくもない。
髪だけはやたらと上質で、後ろ姿だけを見れば美しい令嬢に見えなくもなかった。
「ありがとう、メイラ……でもね、私、この縁談お断りしようと思うの」
「えっ、どうしてですか?!」
自身の世話をしてきた令嬢が王太子の婚約者となる。
侍女としてこれ以上ない幸せなことであるのに、その主人は縁談を断ろうなどと言い出す。
「だって……何かの間違いよ。私なんかが王太子妃になれるわけがないわ。……フォルテ王太子殿下だって、今日の私を見たら驚いて逃げ出すと思うもの……」
「家柄も問題ありませんのに……」
「だって――」
不美人だもの、と言いかけた時、ヴァン侯爵家の執事がアンジュの部屋の扉をノックした。
「王太子殿下がお見えです。テラスへお越しください」
「い、今行きます!」
「お嬢様、頑張ってくださいまし!」
曖昧な笑みをメイラに返し、アンジュは立ち上がった。
向かうはバラの咲いた中庭のテラス。
――縁談を断る、というのは嘘だった。
一度姿を見せ断り、『駆け引き』をしてみようと思ったのだ。
王太子が本物のアンジュを見たのなら、きっとすぐに破談を言い渡すだろう。
その前に、自分から破談を申し出ればいいのだ。
王太子のプライドからして、令嬢の方から破談されたとなれば癪に障ってしつこく縁談を迫るだろう。
アンジュはそう踏んでいた。
テラスへの道を歩きながらアンジュは何度もお断りの文句を頭の中で練っていた。
相手は『暴君』と呼ばれる難敵である。
いかに初手で『暴君』のプライドを傷つけ、また何らかの不敬罪に問われないか、細かく計算する必要があった。
中庭に入ると、ヴァン侯爵家の侍女が「あちらにおいでです」とアンジュを促した。
王太子の後ろ姿を見る。
背が高く、筋肉が付いているのかかなりの体格をしていた。
太陽にきらめく金髪は輝かしく風になびいている。
「フォルテ王太子殿下。わたくし、ヴァン侯爵家の長女、アンゼリカ=フォン・ド・ヴァンと申します。お初にお目にかかります」
アンジュは王太子に不敬の無いよう、カーテシーを完璧に決めてみせた。
その言葉に、金髪の男が振り返る。
「わが名はフォルテ・フラナガンだ。あっはっは。噂にたがわぬ不美人であるな! 実に良い」
顔を見て、まず逃げ出すだろうと考えていたアンジュは、あまりのことにぽかんと口を開けてしまった。
ここまで計算してきたのに、暴君フォルテはむしろ笑ってその不美人さを称えた。
「あの、ええと……その、この度は……」
「ああ、良い良い。そこに座るのだ」
「は、ええ……」
不美人とわかっていながらの求婚であることにアンジュは驚きを隠せずにいた。
事実、フォルテ王太子は『顔が良い』部類に入っていた。
いや、今まで見たどの貴族令息などよりよほど顔が良い。
不美人を言い訳にデビュタント以来、社交の場に出たことのないアンジュは王太子と顔も合わせたことがなかったのだ。
それでも、この王太子が『美形』であることは理解出来た。
フォルテ王太子は、値踏みするようにアンジュの顔をまじまじと見つめる。
「あの、あまり私の顔などを見られては御目を汚してしまいます……」
「よい。見てくれなど面の皮一枚である」
(――この方、リーチェと似たようなことを言うわ……)
幼い頃から一緒に育ったリーチェならまだしも、これがお互い初対面であるのに、フォルテはアンジュから一向に目を逸らそうとしない。
しかし、計算がご破算となり、新たな計画を練るにはちょうど良い時間だった。
「そう、これ、これである。私が欲しかったのは」
「――と、言いますと……?」
王太子がバン、とテーブルを叩き、喜んだように声を上げた。
「いわば其方は試金石。見てくれだけで判断するような者など程度が知れておる。そこで、だ。しこめひめと呼ばれる其方を私が付き従えさせれば、真に心の清らかな者だけが厳選されるという算段よ」
王太子の言い分はつまり、連れて歩く妻は不美人であればあるほど良い、とのことだった。
「あの、でも……王家に不美人の血が紛れてしまいます……あっ、他に美人の側室を取られるのでしょうか?」
「そのようなことはせぬぞ」
「えっ、でもお世継ぎが……」
「心配せずとも良い。万が一世継ぎが不細工であっても、民が付いてくるのであればそれは良い王である。そして、良い民である」
「はあ……」
アンジュは王太子に圧倒されっぱなしだった。
(――作中にないシーンだからどう対応したら正解なのかしら……困ったわ……)
王太子と駆け引きをして自身を王家へ輿入れさせようと算段していたのだが、この王太子、ノリノリである。
作中で王妃のいなかったフォルテは『暴君』となった。
ならばいっそ、流されるまま婚約を受け入れてしまえば……?
考え込むアンジュの顔を、フォルテは興味深そうに見ていた。
「私を前にして、何を考えているのであるか?」
「えっ?」
覗き込んでくる王太子の藍色の瞳は、全てを見透かすようでもあった。
「いえ……その、やっぱり信じられなくて」
「何を?」
「私に縁談など……まして王太子殿下からなんて……」
「先ほども言ったであろう」
不満そうに眉を顰めるフォルテ。
「我が妻となる者は不美人であればあるほど良いのだ。まあ良い。こちらも急に縁談を申し込んで無礼であったな。考える時間くらいはくれてやろう」
「はあ……ありがたく思います」
「なに、良い。次に会う時までに応じる心構えをしておくことだ」
この王太子、やはり自身が「断られる」などとも微塵も思っていないのだ。
どうしたものかと考えたアンジュだったが、しばらく時間をくれるとのことだったので、今度はどう承諾するかの文句を頭の中で捻り出していた。
そう、王太子と婚約し、アンジュが王妃となれば結末は変わるかもしれない。
いや、結末は変わらずともストーリーはかなり変わるはずだ。
「色よい返事を期待しておるぞ」
「はい、王太子殿下」
帰り際、馬車の中からフォルテが声を掛けてきた。
アンジュはそれに素直に応じる。
(――次に会うまでに、承諾の言葉を考えておかなくちゃ……)
一言選び間違えてしまえばそのままストーリーが進んでしまう。
そして迎えるのはレイヴンの死と自分の死。
他にも作中キャラクターがどんどん死んでしまうのだ。
(私が王妃になって、変わる未来があるなら……)
去り行くフォルテの馬車を見送りながら、アンジュは決意を固めていた。
(はあ……漫画で語られていない時間に何があったのかしら……)
「アンジュや、いつまで見送っているつもりだ? 体が冷える。部屋に戻りなさい」
「あっ、はい、お父様……」
アンジュと共にフォルテの見送りに来ていたキルケ侯爵が娘を気遣うように言った。
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