第2話 現在

アンジュが木から落ちてからというもの――杏珠がアンジュとして転生してから、両親はよりアンジュを大切にするようになっていた。


「頭を打ったのだから、もう少し静養していなさい」


ヴァン侯爵が言い、しばらくアンジュを部屋に閉じ込めておいたのだ。


(もう大丈夫なのに――……)


しかし、考える時間を貰えたのはありがたいことだった。

毎日可愛いリーチェがお見舞いにと部屋にやって来るし、いろいろと『現在』――『シャリテの城壁』のいつ頃かを知ることが出来たからだ。


リーチェやメイラとの話から、アンジュは今社交界にデビュタントしたばかりの15歳であることがわかった。

主人公と同い年のアンジュは、すでに『シャリテの城壁』が始まっていることもわかった。

主人公が7歳の頃に物語は幕を開け、その8年後に突然飛ぶのだ。

一番城壁に近い家に暮らしていた主人公のアッシュは、時たま両親と共に城壁近くの森へ行き、薬草を採集する、いわゆる『薬師』の家系だ。

そして両親を魔物に殺され、アッシュだけが生き残り、全魔物たちに復讐を誓うアッシュは、平民ながら騎士団への入団を決意する。

それから8年、である。

アンジュの出番はもう少し後になるものの、すでに物語は動き始めている。

アッシュは今、騎士見習いとして目覚ましい成長を遂げている頃だろう。

アンジュは考える。


(――最終的にはリーチェを庇って死ぬのよね、『私』)


それが、世界の――作者の考える結末(シナリオ)だ。


(――もし、アンジュが『生き残ったら』……?)

(――もし、アッシュの幼馴染のレイヴンが生き残ったら……?)


アッシュとその幼馴染のレイヴンの約束とは、

「いつか安全に城塞の外へ出られるようになったら、広い海を見てみたい」

というものだった。


アンジュが杏珠だった頃、二人が生き残って海を見る二次創作をしたことがある。

いわゆる「if」系の二次創作だ。

学校の人間はおろか、両親や兄も知らない杏珠の秘密の創作だった。


物語が動き出してしまっている今、結末を変えることが出来たなら?

誰も死なないハッピーエンドのその先を見ることが出来たなら?


紙に『シャリテの城壁』のストーリーをまとめながら、アンジュは心躍らせた。


「誰も死なない、優しい世界に、私はしたい」


アンジュは書き留めたストーリーに、どこか『介入点』がないか――つまり、『物語の穴』である――を探した。

思えば、『シャリテの城壁』は時間の飛躍が多い。

「そして数日後」やら、「その数か月後」といった描写が多いのである。

初っ端から、アッシュが7歳の頃両親が死んだ――その8年後、と飛躍している。

アンジュが登場するのも、「アッシュが騎士見習いから騎士として2年後」に登場するのである。

まだ、時間に猶予はある。

アンジュは『現在』から、『シャリテの城壁』のストーリーをハッピーエンドに導こうと考えた。



心根の優しい、杏珠とアンジュの『物語への抵抗』が始まった。

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