第28話「黒い靄」
一日経っても返事はなかった。悠はここまで時間のかかったものを手放すのは非常に惜しい、と考えていた。しかし、一方で結に危険が迫っているという当初の目的からすれば矛盾が発生している。
ならば、と段階的に警告することにした。
霊を呼び出すのは難しくない。殺された人間の霊は大体が殺人者の周りをうろつくものだ。何人も殺害すればそれだけ殺人者の両肩には幽霊が憑りつくのだが――果たしてこの実行犯の場合はどうなのだろう。
結に憑かせている霊の一体を雪に憑かせ、こっちに呼び寄せる。もっとも、余計なのはいらないので、今回悠の依頼で殺害した霊だけだ。
三体の霊。みな結が大好きな人間だったものだ。協力してくれるだろう。
すぐに実行し、次の日の夜――雪に忠告文を送ってから二日後――には、悠の寝室に三人の霊が集まっていた。
芹沢健、河合咲季、明石瀬里奈、三人の幽霊。揃いも揃って暗い顔をしている。数箇月以内に死んだ霊だからか、きちんと生前の姿を保っている。ところどころ怪しくなっている部分はあるが。
『お前、なんなんだ?』
生前の姿と言っても、死亡する直前の姿になる。したがって、言葉を発した芹沢の霊は大きく口を抉らせていた。他二人も同様、河合は手首が取れかけ、明石は耳がない。
「何って言われても、黒須結の弟だと言った方が分かりやすい?」
『……私達を殺した張本人が何の用なんですか』
『そうよ、あなたが神崎雪に私達の殺人を依頼したのはすでに知ってるんだから。あの霊が教えてくれわよ』
口々に河合と明石が文句を言う。口うるさい霊達だが、用件はすでに聞いているはずだった。
何事もなかったように黒い靄のような霊は、結の部屋の方へと向かう。まったく余計なことを話してくれたものだ。悠の命令に忠実ではあるが、それは別に悠だからではない。誰でもそうなのだ。
「用件はもう伝えているでしょ? 神崎を脅すためにも君達が必要なんだ」
『――本当にあなたの言う方法で止められるわけ?』
「僕はそう考えている。もしダメなら君たちが呪い殺せばいいだろ。一人では無理でも、三人なら可能なはずだ」
『おいおい、まじかよ。俺だけじゃどうにもならなかったぞ。本当に三人ならあのクソ殺人鬼をぶっ殺せるのか?』
「さあ、呪うことは出来ても殺せるかまでは分からない。もしかしたら、あなた達三人が消滅して終わりの可能性もある」
『はあっ? 全然ダメじゃねえかよ』
「でも可能性はある。最後の手段だよ。でもその前に君たちにはやってもらうことがある」
『何よ……』
三人の中で一番年上の河合が訝し気に悠を見る。当に話は聞いているはずなのに、直接聞きたいらしい。
「動画を撮る。告発動画。三人に直接出てもらって、殺された状況と雪に対する脅しを掛けるんだ。それでも姉さんを殺そうとするならば――三人に一か八か呪い殺してもらう」
『あの女が動画くらいで止まるとは思えねえけどな』
『私も同意。喉を躊躇なく刺すような奴よ。脅しでどうにかなるとは思えない』
『先輩は悲しい人なんです。動画では止まりませんよ、きっと』
最後に河合がじっと悠を見ながら言う。しかし、あそこまでの殺人鬼だ。狂気性を残しながらも冷静さを残している。だからこそ殺人がバレずに済んでいる。状況を鑑みて殺人の標的から外す可能性もある。……結と人間に殺人鬼として惚れこんでいる場合はその限りではないだろうけど。それこそ地の果てまで追いかけてくるだろう。
「そうだ、凶行が止まる可能性は低い。だが、君達が神崎を呪い殺そうとして、不発に終わった場合――君たちはどうしようもなくなるよ? 仮にも姉さんを好きになったんでしょ? 自分達でどうにかしたいと思わないの?」
『――俺はやるぜ。惚れてんのはそうだからな。最後に助けてやって、結の記憶に刻み付けてやる』
『結のことを私が助けられるならやってもいいか……』
『私はどっちでもいいけど……。黒須悠、あなた分かってるんですか? いざとなれば私達はあなたを殺せるんですよ? 一番恨みがあるのは実行犯である神崎雪ですが、依頼したのはあなたです』
「……僕を殺したら生きている人間の中で姉さんを守る人がいなくなるよ? それでもいいなら、死んであげるけど」
実際のところこの三人組は悠を殺害できるとは思えなかった。結を守ることとなれば、悠を殺すことはできない。危険を知らせる人間が誰もいなくなってしまう。両親の存在はあるが、彼らは知らない。
『いい度胸してるわね』
『やっぱり姉弟だ。そういう所よく似ている』
「決まりだね。じゃあ、まずは芹沢健、協力してもらうよ」
『んだあ、上から目線だなぁ……』
「僕だってあなた達三人を消滅させることくらい出来るんです。正直に言えば強制的に従わせることだってできるんですよ。さっき、あなた達の元にいた靄みたいな幽霊みたいに。それに今更姉さんの命の危機に関することで、協力を拒むんですか?」
三人の幽霊はベッドに座っている悠の前で押し黙る。
『ちっ、いけ好かねえガキだ』
そう言いながらも芹沢は従うようだった。ガキなのはお互い様なのだと思うのだが。
「あとの二人は神崎の監視をお願いしたい。今まで通り、ね。なにか結の危険に繋がるようなものがあれば、直接僕に言ってくれ」
『……いいだろう』
『いいけど……』
三人の幽霊。しかも神崎雪に恨みを持っている人間の霊だ。神崎は勘違いしているようだが――殺人をしている人間がいつまでも長く続くわけがない。
結さえ標的にしなければこんなことはしなかったのに。
◆
真夜中に家を抜け出して着いた芹沢の家は、完全な空き家になっていた。彼が死んでから三箇月も経っていないのだが、家族は引っ越したようだ。しかし、殺人事件のあった物件など誰が買うのだろう。破格の値段にはなっているんだろうが。
『……誰もいねえのかよ』
「死体のあった家になんて長々と住んでいられないよ。それに君の家庭、裕福な方なんでしょ。なら、尚更同じ場所に住み続けられないでしょ」
『そうだな……』
幽霊で強姦魔なりかけだったくせに、どこか気落ちしている。自分のしようとしていることを棚に上げすぎていないだろうか。
「中に入るよ」
『ああ』
告発動画は各々の死んだ場所付近で撮影することにした。その方が臨場感が出る。それに神崎にとって殺害場所は記憶に残っているはず。すぐに自分が芹沢たちを殺害した場所だと分かるはずだ。それもまたメッセージになる。動画を撮り、投稿している人間はお前の犯行を知っているぞ、と。
引っ越してどのくらいなのかは知らないが、人が出入りしなくなると一気に家の荒廃が進むらしい。開けっ放しの玄関から中に入ると、埃っぽい空気に思わず咳き込む。芹沢はぼうっと家の中を見ていた。
「それで? 君の死んだ場所はどこ?」
『こっちだ……』
随分と口数が少ない。感傷にでも浸っているのだろうか。
芹沢は二階への階段を上って行き、一つの部屋の前に佇む。一呼吸を置き、中に入った。
「ここが君の部屋?」
『ああ、今は何もねえけどな』
部屋はガランとしていた。おそらく引っ越しの前に遺品整理をして、片付けたのだろう。悠が見た写真では床に大量の血痕が残っていたが偏在はなく、綺麗なフローリングが見える。
物があるとすれば備え付けのクローゼットくらいだった。
『俺はここで殺された。雪のやろう、俺を騙しやがった。せっかくヤれると思ったのによぉ』
憤る気持ちをぶつけるように芹沢はがんがんと床を蹴る。馬鹿な男だ、と悠は思った。結に浅ましい気持ちをぶつけようとし、神崎にもそれをぶつけかけて死亡。自業自得だろう。自分の強欲さに気付けない辺りも馬鹿さ加減に拍車を掛けていた。
「それで? 死体はどこにあったの?」
『……こっちだ』
芹沢は部屋に備えつけのクローゼットに向かう。
悠の見た写真では床に死体が転がっていたが、場所を変えたのだろか?
「クローゼットの中に?」
『ああ、雪は俺を殺したあと口を抉って、俺をクローゼットの中に運んだんだ。ふざけたことに「棺桶みたい」とか言っていたな。あと、床の血を掃除していた』
そんなことをしていたのか。発見を遅らせたかったのだろうか?
悠としてはクローゼットの中で死んでいたことだけ分かれば十分だった。死体のあった場所で動画を撮影すれば、それを見た雪も多少はただの動画でないことに気付くだろう。
「じゃあ、クローゼットの中に入って。撮影するから」
悠は結に内緒で持っているスマホを取り出し、カメラにする。芹沢は素直に悠の通りにクローゼットの扉を開けた。そのまま中に入る。
二台持っているスマホのうち、普段用に持っているスマホの方にはメモ帳に今日の日付を見えるようにしておく。
芹沢中に入り、悠も中に入ると撮影を開始した。
スマホの時計は七月二十二日、午前三時を指し示していた。
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