第24話「溶ける」

 結が動画を見ている。動画の中では明石が何者かに日付を表示させ、自分の殺された状況を語る。そして――自分を殺した犯人、殺人鬼の容姿を語る。


 その時、結の肩がかすかにピクっと動いた気がした。もしかしたら気付いたのかもしれない。明石の語る犯人像が雪ととても良く似ていることに。


 明石は雪が今まさに殺そうとしている相手――結を親友だと言って、さらに雪を脅す。結を殺せばお前は呪い死ぬ、明言は避けているが脅迫されている張本人にはそう言っているのがよく分かった。


 動画は画面越しに雪を睨み付けるようにした明石の姿で止まった。


 結はなにかを考えているようだった。明石の言う殺人鬼の正体について、必死に頭を巡らせているのか。


「殺人鬼って誰なのかしらね?」


「え、ええ。私も気になります」


 ハッとした様子で結が雪を見る。


「……変な物見せてごめんね。ケーキ食べよっか」


「あっ、いえ。ごめんなさい」


 会話が止まってしまった。本当は動画を見終わった時点で殺そうかと思っていたのだが――もう少し見たくなった。戸惑っている彼女は面白い。


 雪は元の位置に戻り、ケーキの箱を開ける。ちらっと結の様子を見るとあからさまにホッとしている。やはり、勘付いている。


「結ちゃんは何がいい?」


「えっ。あっ、そうですね――」


 箱の中にはマカロンやショートケーキ、モンブランが並んでいる。結はショートケーキを手に取る。残った中から雪はマカロンを取った。


「じゃあ、私はマカロンをいただくわね」


「はいっ。ここのショートケーキすごく美味しいんですよー」


「あら、マカロンはどう?」


「もちろんマカロンもです」


 結は惚れ惚れする笑顔を見せた。ケーキを紙皿に移すと、美味しそうに頬張っていく。雪もマカロンを食べる。甘ったるい栗と生クリームの味。脳がふわっと飽和するのを感じる。


 ケーキを食べて幸せそうだ。残念だが、彼女のそんな幸せはすぐになくなる。雪は期待に胸を膨らませて尋ねた。


「ねえ、結ちゃん。一つ聞いてもいい?」


「はい、なんでしょう?」


 結はまだケーキを食べている。


「――さっきの動画の瀬里奈ちゃん。殺したのが私だって言ったらどうする?」


「へ?」


 雪はマカロンをさらに頬張る。結を見ていると、彼女はぽかんと雪を見ていた。


「瀬里奈ちゃん、犯人像を話してたでしょ? あれ、私なのよね」


「あの、なんの冗談で――」


「冗談じゃないわよ?」


 結のショートケーキにはイチゴが綺麗に残っていた。雪はそれを取って頬張る。みずみずしい果汁が口いっぱいに広がる。


「私が殺したの、瀬里奈ちゃん。さあ、結ちゃんどうする?」


 結をじっと見ると、彼女はかなり困惑しているようだった。


「な、何を言ってるんですかー。瀬里奈を殺しただなんて、そんな――」


「あら、無理矢理そうじゃないと自分を誤魔化しても無駄よ。私は実際に殺したもの。ねえ、人にナイフが突き刺さる瞬間の感触って知ってる。硬い皮膚を通り越すとね、ぐじゅぐじゅって中の内臓の感触が手にまで伝わってくるの――」


「やめてくださいっ!」


 愉快な殺人実況は結の大声によって遮られた。目を見開き、結は雪を睨み付ける。さっきまでの天使はどこにいったのやら。すっかり人間らしくなっている。


「本当に言ってるんですか。瀬里奈を殺したって。それはつまり、動画の内容通りであれば、三人殺したってことになりますよ?」


「だから、そう言ってるじゃない? 三人を殺した時の詳細を話してあげましょうか?」


「結構です」


 きっぱりと彼女は雪の提案を断った。存外に冷静だ。話が破綻するほど、困惑していない。


「大体信じろというんですか? 悪趣味にもほどがありますよ」


「そう。信じてくれないの。なるほどね。……ねえ、なんで私がここにいると思う?」


 信じないというのなら、すぐに信じることになる。嫌になる程実感するだろう。雪が殺人鬼、『幽霊告発』に映っていた三人を殺した犯人であることを。


 マカロンをさらに頬張り、お茶を飲んで口をすっきりする。マカロンは甘すぎた。雪はどちらかというと甘すぎない方が好きだった。もっと言えば辛いものの方が好きだ。


「ふう、新しい標的って誰だと思う? 黒須結ちゃん」


 彼女の滑らかな肌の上をなぞる様に視線を移動させると、唐突に結は立ち上がった。


「いい目。みんな恐怖を覚えると、目が開くのよね。結ちゃん、あなたの目とっても綺麗ね。真っ黒で何にも染まらない」


「――誰ですか、あなた」


 あまりに突拍子もない問いかけに、雪は思わず笑い声が漏れる。部屋の中に悪魔のような笑い声が響く。


「なぁに言ってるの結ちゃん。私はあなたの大好きな雪よ。神崎雪。世間一般で言う殺人鬼ってやつね――今日の標的は、あ、な、た」


 包丁で殺そうかと思ったがやめだ。もっと痛いものがいい。そう、このフォークのような刃物でさえないものは肉を痛めつけるように抉るだろう。


 雪はフォークをぐっと握った。


 外では雨が降っているようで、まさに殺人日和と言える。


「この家のことはちゃんと調べてるわよ。結ちゃんのご両親と、弟くんとの四人家族。ご両親は夜遅くまでお仕事で、弟くんは部屋にいるのよね。あとで一緒に並べてあげるわ」


 結の逃げ道を失くすように部屋の扉の前に立ち塞がる。おろおろしている結はまるで小動物のようだった。


 雪は面白く、楽しかった。


 その時、部屋の中が雷光で一瞬白くなる。雪は殺しに向けて足を動かす。


「来ないでっ」


 歩を進めるごとに結が逃げ、ベッドへと追い詰めていく。ベッドの上で結の足を掴み、乗り込む。刺しやすいようにベッドの上で位置を調整する。


「結ちゃん、暴れると余計痛いわよ? 最初の男の子、確か芹沢くんと言ったかしら。彼の時大変だったんだから。クローゼットの中が血塗れになったのよね」


 結が暴れる。むしろこの状態で刺されればより痛い目に合うというのに。


「いや、やめてっ」


「止めるわけないわ。やっとここまで来たんだもの。少し時間を掛けすぎたわね。喜びなさい――あなた、私の人生の中で最高の獲物よ」


 雪は結の上に馬乗りになった。部屋の中にまで雷鳴が鳴り響く中、フォークを掲げる。


 結は観念したのか目を瞑った。雪は一切の躊躇なくフォークを振り下ろし――結を刺すことが出来なかった。


 動けない。雪の身体にはいつの間に絡みついたのか、見覚えのある者達が絡みついていた。雪が殺したはずの人間達――芹沢健、河合咲季、明石瀬里奈の三人。何か言おうにも口も塞がれ、声を出せない。


 一体、どうなっている。確かに殺したはず。まさか本物の幽霊なのか。


 絡みついている者達は一様に半透明で実体が感じられない。雪を恨んで恨んでしょうがないという表情で睨んでいる。


 凄まじい力で身体は、フォークを振り上げた形で一切動かせなかった。


 雪が固まっている間にも、雪が目を開く。獲物が逃げてしまう。


「なにこれ……」


 結が驚愕の表情で雪を見上げる。


 ぐっ、と雪の身体が幽霊たちによって引っ張られ、ベッドとは反対側の壁に強く打ち付けられた。


 背中を強打し、一瞬息が出来なくなる。脳内ではありえないと連呼しながらも、実際に抑え込まれている以上どうにかしなければならない。


 壁に打ち付けられ床に尻を着いた雪は、眼下に幽霊三人組の顔を受けながらなおも絡まれる。言葉も発せない。身動きできない。


 どうにかしようとしているとすぐそばに、いつの間にか悠が居ることに気付く。


 悠を人質にでもできればっ……。


 そう策略も巡るが誘い込む方法が何も出来ない。それに、悠はどこかおかしかった。雪をひどく冷たい目で見ると、結のもとに駆け寄る。


 とても年相応の子供には見えなかった。


 そうこうしているうちに結がベッドの上で起き上がる。そばには悠がいる。殺す寸前までいっていた獲物が目の前で傷一つなくしている。雪には初めての経験だった。


 幽霊に絡みつかれながらも雪は二人の声がしっかりと聞こえていた。外では雷雨だというに、あまりの異常事態にか雪の耳は彼女らの声を大きく拾う。


「悠ちゃんっ? 危ないから離れて」


「危ないのは姉さんだよ。まったく、こんな危険人物を家に入れちゃって……。僕がいなきゃ死んでたよ?」


「悠ちゃん?」


 雪の目の前で獲物である結に悠が触れる。


「身体は大丈夫? 僕が見る限りは怪我とかしてなさそうだけど……」


「あっ、うん。それは大丈夫だけど。悠ちゃん、どういうこと?」


「……あの三人の幽霊。あれは僕が呼び出したんだ。……姉さんを守るために」


 呼び出した。悠は確かにそう言った。雪は意味不明な状況ながらも仮説を立てる。こうして実感している以上幽霊は存在する。そして、悠はそれを呼び出せる。……つまり、「告発幽霊」の動画も彼が? さらに依頼主は彼だということになる。


 ならば、なぜこの幽霊たちは悠に向かない。殺害したのは確かに雪だが、依頼をしたのは悠じゃないか。霊になっているから、分からないのか。


「私を? なんでそんな危ないことしたの、もうっ」


 雪は驚いた表情しつつも、悠の傍目には頭のおかしいとしか思えない話をあっさりと受け入れていた。結が悠を抱き締める。


 惚れ惚れするほどの姉弟愛にますます殺害したくなる。しかし、雪がそう思ったのか伝わったのか、幽霊の拘束はさらに強固になった。


「い、色々あったんだよ。結果的に守れてるんだからいいじゃん」


「それはそうだけど……」


 拘束が強まる。幽霊は雪の穴という穴から入り込み、肺を潰す。


「あの幽霊ちゃんと制御出来てるの?」


 二人の会話はくぐもった。


「うん。今の所は命令をちゃんと聞いている。みんな姉さんが大好きだから」


 いまや全身に幽霊が入り来んでいる。呼吸がまったくできない。


「ん? それって――」


 溶ける――雪が最後に感じたのはそれだけだった。


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