第2章「空っぽな殺人鬼」
第9話「神崎雪は退屈している」
神崎雪は退屈している。
昔から何事も卒なくこなしてきた。決して天才ではないが、ほどほどに努力すればリターンがきっちりくる。雪にとって極端に難しいというものはなかった。興味がないだけで、やればある程度のところまで容易く到達できる。
二十七歳、荒井商事株式会社の美人事務員として働くまで様々なことをしてきた。彼女の興味の赴くままに――主に行っていたのは『人遊び』だ。人を操って色々なことをするのは、雪をこの上なく楽しませた。
雪が小学生の頃は美少女であることを活用して、教師を誑かし、自殺に追い込んだ。中学生や高校の頃はいじめにハマった。当然、自分からは表舞台に立たない。ただ一人の観客として演者であるいじめ加害者と被害者を引っかき回したのだ。
大学生になれば、セフレや恋人を作って自分の金を使わずともいい思いが出来た。
さらに雪が小学生の頃から今まで、ずっと楽しんできたことがある。殺人だ。『人遊び』の中でも雪をもっとも楽しませてくれるもの。彼女は殺人という選択肢をまったくためらわない。時にはそれを楽しむ余裕さえある。
だが、十数年も殺しをしていれば飽きがくる。ずっと警察などにバレないように行ってきたが――それも面白くなくなってきた。
スリルが欲しい。この退屈さを紛らわすもの――なにか無いだろうか。
モデルではなく、会社勤めを選んだものもあまり目立ち過ぎないためなのだが、それすらも雪は窮屈に感じ始めていた。
なにか――なにか、この乾いた喉を乾かすものはないか――雪がネット上で居空きの依頼を見たのは、そんな退屈の極致にいた時だった。
雪に取ってそれは、砂漠に垂らされた水滴に他ならなかった。
◆
「お先に失礼しまーす」
「お疲れー」
雪は残業することなく、PCが並んだオフィスの一室から出る。今日、残業する人間の割合は二、三割といったところだ。雪は入社以来残業などしたことがなかった。そもそも割り振られる仕事量を減らしている上に、男が積極的に手伝いにくる。
もっとも対価としてのちのちに終業後の外食なり、遊びや飲みの誘いが待っているのであまり活用していない。男は使いすぎると女もうるさくなる。面倒事を嫌う雪にとって、それは望まないことだった。
その気になれば、色々人間関係を引っかき回し、遊ぶのも一興だが――今の雪はそういう気分ではなかった。
オフィスを出てエレベーターに向かっていると、方々から声を掛けられる。やれ飲み会だの、週末の予定だのと忙しない。四月で花見シーズンだからか余計に多い。
「ごめんなさい」
なるべく端的に荒波を立てない程度に、誘いを断る。雪は酒を飲んでもまったく酔わないため飲みの場は男や女を堕とす場くらいにしか考えていなかった。
会社のビルを出て、電車に乗り、自宅に帰る。外で一々声を掛けられるのも面倒なので、眼鏡や髪を弄っているが正直あまり効果はない。多少減るくらいだ。
化粧を落とし、風呂に入り、自分で作ったパスタ料理を啜る。
「退屈だわ」
いつでもどこでも駆けつける人間というのは居る。スマホに何十件もの連絡が来ているし、呼び出せるやつもいる。だが――そうじゃない。
「何か面白いことはないかしら」
パスタを啜りながら、雪は一人呟く。
頭の中で浮かんだことを列挙する。
いじめ、は飽きた。中学、高校と散々やったせいでもはややり尽くした感がある。セックスに明け暮れるか? いや、それも面倒だ。ヤルまではいいのだが、継続するとなると他のゴタゴタがついてきかねない。それを利用して遊ぶのもありだが――恋愛や性関係で遊ぶ気分でもない。
雪は自分が当事者となるもっとスリルのあることがしたかった。
殺人――獲物を追い込むのは面白いが、準備する必要がある。それに最近はワンパターン化してきている。もっと目新しいことがしたい。
悩んでいる内にパスタは無くなり片付けると、雪はノートPCでネットの海に飛び込んだ。
「相変わらずねえ……。書き込んでいる人間の顔が全員見えるようになったらどうなるのかしら」
各種SNSから、いわゆる闇サイトまで。自身にスリルがあって趣味になりそうなものを探す。
「あら……」
SNSの一つを漁っていると、妙なものを見つけた。
『居空き依頼。情報を渡す代わりに居空きをお願いします。報酬は居空きで得たものになります。』
あまりに素直というか、色々と隙の多い文章に幼さが目立つ。それに報酬もとてもではないが美味しいとは思えない。
「居空きってなにかしら……」
雪には空き巣ならしたことはあった。ちょうど今と似たように退屈を感じスリルを求めていた時だ。何回かこなしたが、あれは非常に良かった。高校生の頃、同級生の宅に侵入したのだが中々興味深かった。
ネットで居空きの意味を調べると、家人がいる中で行う家の盗みのことらしい。空き巣の人がいるバージョンということだ。
雪は改めて依頼を見る。
依頼にぶらさがっている返信を見ていると、どれもこれも報酬に文句を言っていた。そりゃそうだろう、情報だけもらって居空きしろと言っても、罠の可能性だって普通にある。報酬もないのだから、依頼主はほとんど関与しないのも余計に怪しい。
だが雪はこの素直さが気に入った。この明け透けさ加減は噓をついているようには見えない。
依頼主に個別チャットで呼び掛ける。
「えーと……、『初めまして。興味を持ちました。ぜひともこちらの依頼を受けたいのですが、情報をいただけますでしょうか?』っと。どうせ、誰もやりたがっていないし、あとは冷やかしばかりかな。多少、真面目に書けば食いつくはず」
雪の予想通り、返信はすぐにあった。
『ありがとうございます。場所は――』
居空きに入れば誰でもいいのだろう。あっさりと情報をくれる。家の住所、住んでいる人間の数、人のいる時間、どこに金品がありそうか――まるで見たて来たかのように書かれいている。どうせ定型文を作って、片っ端か拡散しているんだろうが、随分と詳細だった。
「ここまで分かってるのに、なんで自分でやらないのかしら。そっちのほうが楽しいと思うのにな」
雪には依頼主の心境がいまいち掴めなかった。
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