第10話「お幸せに」

 四月も後半。ゴールデンウィーク前。夕方の住宅街を雪は一人歩いていた。傍から見ればただの会社帰りのOLしか見えないだろう。パンツスーツ姿にリュックサック。逃げやすいようにスニーカーを履いている。


 雪はスマホで例の『居空き』して欲しい情報のあった住所を目指して歩いていた。


 住宅街の坂道。十字路の先を右に曲がれば、居空きの家があるはず。


 スリルに関しては抜群と言える。空き巣でも充分だったが、家に人間が居る状態でとなると、さらにスリルが増す。端的に言えば面白い。


 まだ家に入っていないというのに、雪の心は踊っていた。


『居空き』の家は高齢者の老夫婦が住んでるらしい。しかもホームセキュリティはなく、監視カメラもない。今時、かなりセキュリティがゆるゆるの家だ。万が一、バレたとしても容易に逃げられる。最終的に問題が発生すれば殺してしまえばいい。老いた夫婦など、若い男を殺すよりは楽だ。


 十字路に差し掛かり、右に曲がる。


「あった、ここね」


 和風の屋敷だった。住宅街全体が高級住宅街とまでは言わずとも、高そうな家が並んでいるだけあって、普通の一軒家よりは大きい。二階建てで、瓦屋根。築年数はそこそこと言ったとこか。


 あまり人の家の前でうろうろしているわけにもいかない。


 雪は周囲を見渡し、人がいないことを確認すると門扉を飛び越えた。わずかにカシャンと音がするも、見咎める者はいない。


「いいわね、この感じ……」


 久方振りに味わうスリル。雪は心を満たされるのを感じた。



 情報に寄れば正面玄関はきっちり戸締りしてあるものの、勝手口は年中開いているらしい。


 大まかな家の構造も含めて依頼主が作った図面があるが、中々細かい。正面玄関からは外れて、家の横側に向かう。敷地を分ける塀と窓ガラスが見える。雪はその間を進んだ。窓ガラスの向こうは、カーテンが開けられていたが見える和室には誰もいなかった。すぐに屋敷の裏手側に回る。人が二人くらいは通れそうな通路があり、手前には情報通り勝手口があった。周囲は塀に囲まれ、雪のことを見れる者はいない。


 勝手口に耳を付ける。


 ……テレビらしき複数の笑い声とナレーションが聞こえる。近くに人の声はしなかった。


 雪はリュックサックを下ろし、黒い革製の手袋を取り出す。きっちり手に嵌めると、再びリュックサックを背負った。


 もう一度扉に耳を付ける。先ほどと同じで人の気配はなかった。


 一つ息を吐き、そっと勝手口のドアノブを回す。音を立てないように、しかし、素早く。さらに扉を開いていく――


「物騒な家ね」


 侵入しておきながら勝手だが、雪はそう思った。中を覗くと台所だった。手前側にシンクや冷蔵庫がある。部屋の真ん中にはテーブルがあり、数脚の椅子がある。雪は実家を思い出した。間取りとかはまったく異なるはずなのに、雰囲気が似ている。


 土足で上がり込み、そっとドアを閉じる。テレビの音は右奥から聞こえていた。


 雪は頭の中にある図面を思い受かべる。


 勝手口のある台所――右側には居間があり、そして勝手口の正面には廊下に繋がっている。


 抜き足差し足、廊下側に繋がっているはずの引き戸へ近付く。テレビの音が聞こえるだけ、まるで人の声がしない。だが、居間には人がいるはずなのだ。


 引き戸に手を掛け、居間の方を見るが、扉もなく数珠つなぎのすだれがかかっているだけ。向こう側が見えているが、炬燵らしきものがあるだけ人は見えない。


 引き戸をすーっと音の鳴らないように開けていく。人一人分開けたところで廊下へと身を乗り出し、何事もなかったように引き戸を閉めた。


 ピタリと閉めたところで、台所の方で人の歩く音がしてくる。雪は廊下を見回し、二階への階段を見つけると、素早く足を進めた。


 雪の後方からは夫婦の声らしきものが聞こえてくる。聞いているだけで眠くなりそうなテンポだが、やはり人がいるのは間違いない。


 家の構造は分かっているが金目のものがある場所までは把握していない。一階は夫婦が出歩く可能性が高い。雪はあらかじめ決めていた予定通りに二階から探っていくことにした。


 古臭い匂いが鼻につく。雪の好きな匂いではなかった。二階に上がると両サイドに部屋が二つずつあるようだった。


「さて……、どこにあるかしら?」


 財宝の塊を目の前にしたように、雪はペロリと唇を舐めた。



 成果は上々と言えた。子供部屋が一つと物置きが一つ、あとは使っていない部屋がありタンスが並んでいたり、客人用なのか何もない客間があった。


 子供部屋や客間は見た瞬間に見切りをつけ、タンスを漁るとへそくりらしき数十万の札束が入った紙袋を見つけた。さらに物置きの方には、忘れ去られたのか宝石の入ったドレッサーのようなものがあった。思っていた以上に隙が多い。よく今まで被害に遭わなかったものだ。


「でも、これからは大変よね」


 物置部屋の中で雪は夫婦の今後を憂う。SNSであれだけ明確に情報を共有されているのだ、雪と似たような人間はいくらでも湧いてくるだろう。今日も同業者とかち合うと思って、リュクサックにはスタンガンも入れておいたのだが――意外と来ないものだ。


「あとは一階……」


 入った時と同様にそうっと音を立てないように部屋の扉を開け、閉める。階下からはまだテレビの音が聞こえてくる。


 ふと、雪は心が満たされるのを感じた。平日の夕方、世間があくせく働いている中で家探しし犯罪を犯す。明確な非日常。バレるかもしれないスリル。この感じは雪にとってたまらないものがあった。


 興奮する。しかし、浮き足だっていては本当にバレてしまいかねない。雪は長く息を吸い――長く吐いた。


 階段を音を立てず降り、廊下の様子を窺う。シン、している廊下があるだけで人の気配はない。テレビの音は相変わらずしている。


 一階にあるのは台所、居間、浴室、トイレ、夫婦の寝室……、くらいだったはず。見るとすれば寝室が一番効率がいいだろう。


 寝室は居間の向かいにあるはずだった。廊下をゆっくりと歩く。さっき台所に妻のほうがいたはずだが、今はいなくなっていた。居間に戻ったのかもしれない。


 廊下と居間を繋ぐ引き戸は閉まっていた。向こう側から雪が見える心配もない。居間の中で人が動いている気配はするが何をしているかまでは分からない。雪は寝室への引き戸を音を立てないように開け――中に侵入した。


 寝室の扉を閉める。寝室内には、ダブルベッドが一つとドレッサー、クローゼットがあるだけの簡素な部屋だった。カーテンが開けられており窓の向こうに塀が見えた。


 まずは、とクローゼットからあたりをつけ漁る。


 それにしてもと思う。依頼者はよくこんなに詳細に部屋のことが分かったものだ。依頼してきたやつが送ってきた図面にはきっちり何の部屋かまで載っていたのだ。まるで、雪のように家の中に入って図面に起こしたかのように。


 一体どこの誰なのだろうか。一番そこまでの知識を持っていそうなのは老夫婦の子供とかだろうが、余程仲が悪くないとそんなことはしないように思える。あとは親戚とか屋内に入ってまで営業する営業マンとかだろうか? 老夫婦だから介護系の職種でも家の中に入る可能性はある。


 耳をそばたてつつ、部屋の中を漁る。クローゼットの中にめぼしいものはなかった。ドレッサーに手を付ける。すると、引き出しの中に指輪やイヤリングなどの宝飾類を見つけた。


 思わず笑みが浮かぶ。


 リュックサックを下ろし、無節操に宝飾類を掴んで片っ端から中に入れていく。


 こういうものが一番いい。質屋にでも入れれば簡単に金になる。あとは現金。通帳があってもいいのだが、あとから警察の捜査で金を引き出すところを確認されると面倒な上に、暗証番号の問題もある。


 どこかにへそくりや財布はないだろうかとドレッサーの中を探すが、見つからない。一体、どこに財布を置いているのだろうか。


 発見を遅らせるため丁寧に探すしかないのがもどかしい。


「……潮時かな」


 リュックサックからスマホを取り出し時間を確認する。家に侵入する前にも見たが、家の中に入ってから一時間は経っている。外も薄暗さを増していた。


 時間が経つのが早い。これ以上長居してもメリットはないと判断し、雪は外に出ることに決めた。


 寝室の扉に耳を当てる。変わらずテレビの音が聞こえてくる。そっと扉を開け、廊下に出ると素早く台所の引き戸まで移動する。また耳を付け中の様子を窺うが何も音はしない。引き戸を引き――するっと中に入った。リュックサックの中に荷が入っている分、少々動きづらい。


 元通り引き戸を閉め、勝手口に向かった。


 勝手口に手を掛けるも、老夫婦は雪に気付いている様子はなかった。相変わらずテレビの音と時折二人の会話が聞こえてくる。


「お幸せに」


 雪はそう言い残して、勝手口から外に出た。


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