第8話「黒い卵」

 ピカッと外の雷の光が部屋に差し込む。雪が動き出した。


「来ないでっ」


 結は逃げ惑い、ベッドの方へ行くが追い詰められる結果を招くだけだった。まず足が掴まれ、ベッドの上で引き摺られる。


「結ちゃん、暴れると余計痛いわよ? 最初の男の子、確か芹沢くんと言ったかしら。彼の時大変だったんだから。クローゼットの中が血塗れになったのよね」


 雪は明らかにおかしい。自分が殺したというその状況を何の起伏もなく語っている。おまけに力が強く。いくら振り解こうとしても拘束される。


「いや、やめてっ」


「止めるわけないわ。やっとここまで来たんだもの。少し時間を掛けすぎたわね。喜びなさい――あなた、私の人生の中で最高の獲物よ」


 雪は結に馬乗りになり、フォークを掲げた。雷鳴が鳴る。


 殺される――


 結はぐっと目を瞑り身を縮こまらせた。


 ――しかし、いつまで経っても結に痛みはやってこなかった。


 代わりにうめき声のようなものが結の耳に入った。おそるおそる目を開ける。


 雪はフォークを掲げた姿勢のまま固まっていた。必死に動こうとしているようだが、拘束を解けないでいる。


 彼女は幽霊に捕まっていた。しかも、みな見たことのある幽霊たち。『告発幽霊』動画に映っていた幽霊だ。芹沢先輩、河合さん、瀬里奈。それぞれが怨嗟の表情で雪に絡みついていた。


 雪からはうめき声だけが聞こえてくる。


「なにこれ……」


 やがて、幽霊に引っ張られたのか雪は結の上から反対側の壁まで、ドン、と打ち付けられた。


 結がようやく身体を起こすと、雪の近くにはいつの間にか悠がいた。


「悠ちゃんっ? 危ないから離れて」


「危ないのは姉さんだよ。まったく、こんな危険人物を家に入れちゃって……。僕がいなきゃ死んでたよ?」


「悠ちゃん?」


 悠は結のもとにやってきて身体のあちこちに触れる。


「身体は大丈夫? 僕が見る限りは怪我とかしてなさそうだけど……」


「あっ、うん。それは大丈夫だけど。悠ちゃん、どういうこと?」


「……あの三人の幽霊。あれは僕が呼び出したんだ。……姉さんを守るために」


「私を? なんでそんな危ないことしたの、もうっ」


 結は悠に抱き付く。ぎゅうっと力が強いためか、悠が苦しそうに呻く。それを聞いてようやき結が力を弱める。


「い、色々あったんだよ。結果的に守れてるんだからいいじゃん」


「それはそうだけど……」


 確かに幽霊のおかげで今の結は五体満足の状態だった。あのままでは確実に死んでいたのだから。


「あの幽霊ちゃんと制御出来てるの?」


「うん。今の所は命令をちゃんと聞いている。みんな姉さんが大好きだから」


「ん? それって――」


 それ以上結は疑問を訊くことが出来なかった。


 女性のうめき声だった。結はすぐに雪のものだと分かった。雪の方を見ると雪は幽霊に完全に包まれ――次の瞬間、溶けた。どろり、と彼女の美しい顔立ちの輪郭が消えていく。どろどろになっていき、やがて、雪は完全にいなくなった。


 結は思わず喉を鳴らす。目の前で人一人が消えた。しかも、悠が呼び出したという幽霊によって。


「悠、あれ、どうするつもりなの? 私、今手に道具持ってないわよ」


「心配しなくても姉さんには向かないよ。でも、たしかにどうしよう。姉さんを守ることばかり考えていて、その後処理のこと考えてなかった」


 結はその言葉で、すぐさまにクローゼットに向かった。ガラッと引き戸を開けて、錫杖と札を取り出す。


「悠ちゃん、私の後ろに隠れてっ」


「えっ、でも……」


「早くっ」


「うん」


 悠に近付き、彼を後ろに下がらせる。こうなるのが分かっていれば、悠に悪霊に関する知識をもっと身に付けさせるべきだったと結は後悔した。危険すぎるからと、悠には除霊の場所にもあまり立ち向かわせていない。


 幽霊は人を取り込むと碌なことにならない。人が持っているエネルギーが死んでいるはずの霊に取り込まれることで、霊を消滅する場合もあるが――増幅する場合もある。


 除霊する相手としては強敵になる。


 果たして、今、結の目の前で三人の幽霊が液体状になり、混ざりあっているものはどうなのか。


 結は目の前の霊の塊を見据えながら、このまま互いの自我がぶつかり合って消滅すればそれが一番いいと思っていた。下手に刺激を与えない方がさっさと消えてくれるはず、とも。意思の統一が取れ、悪意が一方向に向くと厄介なことを彼女は知っていた。


 幽霊の塊となっているものはやがて、丸い玉になっていく。色は黒。いいものには見えない。


「姉さん、これもしかしてマズい?」


「大丈夫。私がなんとかするから」


「姉さん……」


 結は願った。


 消えろ、消えて。


 結は戦闘をしたくなかった。この場では悠を巻き込みかねない。結がもっとも大切にしている存在。


 黒い球となった霊は、シン、として空中に浮いている。だが、消えない。不気味だった。持っている錫杖がしゃらっと音を奏で揺れる。


「悠、そこから動いちゃダメよ」


「姉さん……」


 悠も除霊できる知識がないわけではないが、経験不足だ。おまけに結より弱い。


 結は一歩――一歩――霊の塊である黒い球に近付く。


 除霊はいたってシンプル。錫杖でぶん殴り、あとはお札を張って終了。じきに消滅する。


 黒い玉となった霊の塊は動かない。それが逆に、次の瞬間にはふっと動き出しそうに結は感じた。


 霊は人間世界の物理法則を簡単に破ってくる。基本的に常識は通用しない。わずかに残っている人の思念で引っ張られている部分だけが物理法則通りに動いたりする。つまり、とても行動が読みにくい。


 気を抜くとどう動くのか分かったものではない――結は注意深く観察する。


 結はお札と錫杖を持ったまま霊に向かって走った。


 あと一歩というところで球の表面が波打つ。まるで中でなにかが胎動しているようで、結は全身に怖気が走った。


 さらに球からは細い紐のようなものが一気に伸び――結を通り越した。直感で伸びた先は悠に向かっているのを結は感じた。しかし、ここで歩みを止めればなにかが出てくる。結の中では警報が鳴りっぱなしだった。


 ゆえに結は錫杖を持って、球を真正面から地面に叩き付けた。


「はあっ」


 ぶにゅり、と気色の悪い感触とともに球が凹み――紐も引っ込む。球がなにかをする前にと、結は勢いよくお札を張り付けまくる。その上で錫杖で殴る。


「消えろっ」


 何度も何度も殴っていると、お札塗れになっている黒い球の表面が急に硬くなって罅が入り――パリン、と割れた。そのまま形を失っていく。


 ガツン、と下ろした錫杖が床にぶつかり、重い音が鳴る。


 すぐさま錫杖を引っ込め、構えて様子を見守る。睨みながら最後まで黒い球の様子を見ていたが、完全に跡形もなくなると――結はストンと腰を落とした。


 何かは分からない。だが、あのまま*中身*が出ていればかなりまずいことになっていたことだけは、結は分かっていた。知っているわけではない、ただ結の肌は泡立ち、よくないものだ、と告げていた。


 結の服、肩の部分が引っ張られる。


「姉さん……」


「悠……、大丈夫?」


 服を引っ張っていた悠の方に向き直り、彼を膝立ちになって抱き締める。


「うん、僕は大丈夫。姉さんこそ……、怪我してない?」


「大丈夫よ。悠こそ、さっき変なの飛んでこなかった?」


「うん……。でも姉さんが殴ったら僕に触れる前に止まった」


「そう、良かった……」


 危なかった。中に何が入っていたのかは知らないが、悠に触れていないのなら、それでいい。


「黒い卵……」


「姉さん?」


「ううん、なんでもない」


 そう、あれは黒い卵みたいだった。


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