第1章「なにも知らない姉」
第3話「お姉ちゃんは心配なの」
結は失意に沈んでいた。例の『幽霊告発』動画を美術室で見た日の夜。悠に「悪霊がいるから気を付けなさい」と忠告するのを理由にして、部屋に乗り込もうとした。しかし、夕食終わり部屋に戻った悠は、結が何を言っても部屋の扉を開けてもらえず――けんもほろろに拒絶されてしまったのだ。
二階建ての一軒家。両親が苦労して手に入れたという閑静な住宅街に建つその屋内で、悠の部屋を前にして結は扉に背を預けてた。
顔を手で覆い、拒絶された原因を探る。
いつから部屋に入られるのを拒絶されるような姉に成り下がってしまったのか。結は原因をぐるぐると頭を巡らせて探すが、まったく思い付かなかった。
結は扉に体を向き直し、何度目かのノックをする。
「悠ちゃーん、本当にダメー?」
「ダメったら、ダメ。大体、なんでそんなに入りたがるの?」
「そ、それはー。……ちゃんとお話ししたいから?」
「お話しならリビングか姉さんの部屋ですればいいじゃん」
「そうだけどー……」
言葉が続かない。単に悠の部屋を見たい、というか空気を感じたいだけだけなのだが。しかし、そのことを直接言ったらますます入れてもらなくなるだろう。結にもそのくらいの分別はあった。
忠告はしなければならないから、部屋に入ることを拘っている場合でもない。
「分かった。姉さん、部屋に入らないからせめて出てきて。姉さんの部屋で話そ」
「……リビングがいい」
「うんうん、じゃあリビングで」
中から軽い足音がし、部屋の扉が動く。結は一歩離れて見守る。
扉の隙間から短い黒髪の男の子が顔を出す。くりっとした女の子のような目は不安げに結を見上げていた。小学六年生の黒須悠は、男の子にしては小柄で女の子のように華奢だった。その身体を赤と黒のチェック柄のパジャマに身を包み、おずおずと部屋から出てくる。
結はすかさず悠を正面から捕まえる。
「つかまえたー。もう、なんで入れてくれないのよー」
「姉さん、苦しい」
拘束を緩めると悠が軽く咳払いをする。
「お話するんでしょ。早くリビング行こう」
「お姉ちゃんに話してくれないのー?」
「姉さんには秘密。……ほら、早く」
悠を抱き締めながら、結はショックを受けていた。
秘密……? お姉ちゃんである私に? そんな、いつから反抗期が始まっていたというの。
悠は結がピクリとも動かずにいるのを見て取ると、結の頬を両手で挟んだ。
「姉さん、お話はー? しないなら、僕もう寝るよ?」
「あ、ダメ。ちゃんとお話しするから」
悠の呼び掛けにハッと意識を取り戻し、結は悠を離す。二人で一階のリビングに降りた。
真っ暗になっているリビングの電気を点け、真ん中にあるソファーに結が座り、その間に悠が座る。
黒須家の両親は現在出張中だった。両親ともに優秀な除霊師――霊を祓える人間であり、あちこちで必要とされている。結もバイト程度に除霊には参加しているが、彼らには敵わない。
「それで、話ってなに?」
「んーとね――」
結は『告発動画』の話をした。芹沢先輩が出ていること、悪霊になっていること、動画の内容――芹沢先輩を殺した殺人鬼を恨んでいること。そのことから、悠に害が及ぼす可能性は低いが注意はしてほしい、意味は分かるよね、と。
結は姉として誠心誠意、弟である悠のためを思って話したのだが――悠から出たのは溜息だった。
「姉さん心配しすぎ。そんな遭遇するかどうかも分からない悪霊にどう注意すればいいの? どこにいるのかも分からないんでしょ?」
「場所は芹沢先輩の家だけど――」
「どこかは知ってるの?」
「ううん。それはこれから調べるつもり。というか返事待ちかな。芹沢先輩の元カノが私の友達の友達だから」
「……じゃあ、その場所に行かなければいいんでしょ? 地縛霊かは分からないけど」
「まあ、そうだけど……。お姉ちゃんは心配なの」
悠の悪霊を引き寄せる体質は洒落にならないものがある。そのため、両親渾身の護符――持っていると悪霊に認識されず、護符が破壊されると両親や私に虫の知らせを伝える――を持っているけど、それを破る悪霊がいる可能性もある。
「心配は嬉しいけど……、余計なことに首を突っ込んじゃダメだからね」
「余計なことには、首は突っ込まないよ」
「……本当かなあ」
悠は結の方を見上げて目を細める。結は彼の視線から逃れるように顔を逸らした。
「危ないことはしないでね」
「悠ちゃんが隠し事しないなら」
「なにそれ。僕、隠し事なんかしてない」
「だって、部屋に入れてくれなかったじゃん」
「まだそれ言うの? 別に何もないけど……、姉さん気軽に僕の部屋に入り過ぎ。これからは、入る時は一言いってね」
「えー……」
「じゃないと姉さんの部屋に僕が勝手に入るよ」
「……それはダメ」
「じゃあ、僕もダメだよ」
悠を部屋に入れるわけにいかなかった。除霊師関係で危ないものがいくつかあるし――悠のコレクションがバレてしまう。
「姉さんは、なんで僕を部屋に入れてくれないの?」
「理由はないけど、ダメなの」
「やっぱり僕と同じじゃん」
ぐう音も出なかった。まだ小学生だというのに、言葉が一々鋭い。
姉としての尊厳を保つため、結は悠の追及を避け続けた。
◆
夏休みになり、八月上旬。除霊師としての稼ぎ時の期間に入っていた。この時期、バカみたいに心霊スポットに行くやつらがいるせいで、かなりの数が悪霊に限らず憑依され、助けを求める人間が増える。
そんな除霊師のバイト終わり、深夜に帰宅すると真っ暗な玄関が結を出迎えた。一応「ただいまー」と言ってみるものの、返事はない。
例によって両親は国内に出張しており、悠はもう寝ている時間だ。
「やっぱり寂しいなー」
除霊師のバイトはどうしても深夜になってしまう。対処する相手が相手なだけに日中出来ない。出現する時間自体が夜だし、目立たないのもやはり夜。朝帰りすることも珍しくなかった。
夜食を摂るか、一旦寝てからお風呂や食事をするか迷う。結はふらふらと二階に向かった。
悠の部屋をそっと開け、目を凝らすと暗闇の中で悠がすうすうと気持ち良さそうに眠っているのが目に入った。少し前までは深夜に帰っても待っていることが多かった。もっとも、待ちくたびれてリビングのテーブルで眠りこけているのが常だったが。
成長を喜ぶべきなのだろうが、結としては寂しい限りだった。悠の顔を見て安心したのかどっと疲労感が増す。
「……もう寝よ」
悠の部屋の扉をそっと閉め、結は自分の部屋に向かった。
自室に入り、真っ暗なまま結はベッドに身を投げ出した。ふかふかの掛布団が結の身体を受け止め、眠気が襲ってくる。
まどろみに蕩けかけ――ふと、一つのことが頭をよぎった。
『告発幽霊』動画。第二弾が動画投稿サイトに投稿されたらしい。
芹沢先輩の動画を結は何度も見ていた。だが、あの動画に関して分かることはほとんどなかった。芹沢先輩が悪霊として映っている――それ以外はなにもかも不明だ。
あの動画に映っていた白い手、せめてあれが誰の手なのか分かれば進展するのだが……、指先程度しか映っていない手など特定のしようなどない。
地縛霊になっている可能性も考えて、友人から訊き出した芹沢先輩の家にも結は行っていた。事件があったからか空き家になっていたその家に単身入ってみたものの、幽霊のゆの字もなかった。
悠に害をなす可能性があるからと、芹沢先輩の悪霊を除霊しようと意気込んでいるものの――ようするに、結は八方塞がりの状況に陥っていた。いかんせん、情報が少なすぎる。結はそう判断していた。
結はぼんやりと目を開け、着ているパーカーのポケットからスマホを取り出す。電源を点けると、結は目を細めた。
スマホを操作し動画投稿サイトに飛ぶ。結は検索欄に『幽霊告発』と入力する。虫眼鏡のマークをタップするとずらっと検索結果が並んだ。
除霊師仲間が教えてくれた『幽霊告発』動画第二弾は、検索のトップに表示されていた。
「『殺人鬼を告発します2』ってそのまんまじゃん」
あまりのネーミングセンスのなさに、結は呆れた。せめてもう少し捻りようがなかったのだろうか。
動画のサムネには見覚えのない女性が映っていた。スーツ姿で褐色肌の日に焼けた女性。前回の動画と同様に胸にはぐさりと包丁が刺さっている。この動画に映っているということはこの女性も死んでいるのだろう。
結は好奇心に駆られ、動画の再生させた。
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