第4話「ちらつく影」

 動画に映っているスーツ姿の女性はどこかのオフィスにいるようだった。彼女の後ろに明かりに照らされていくつものPCが並んでいる。


 日に焼けた褐色は健康そうな印象を与え、ショートカットの黒髪が余計に溌溂とした印象を与えた。胸に刺さった包丁がひどい違和感を覚える。


「あ、もう始まったんですね」


 どこか強張った表情で女性が言う。


 すっと前回の動画でも見た白い手がスマホを持って画面に入る。スマホには八月一日午前三時を表示させていた。


 また数日前の日付。それも夜中の三時。動画を見ていた結の中にシンプルな疑問が浮かぶ。どうやってこの会社に侵入したのだろうか。セキュリティがないはずがないのに。


 日付を表示させていたスマホがスッと引き、再び女性が映った。


「私の名前は河合咲季かわいさき。荒井商事株式会社勤務でしたが、五月にここ社内のオフィスで殺害されました――荒井商事刺殺事件と調べれば、おおよそは分かるかと」


 見た目に反してかなり冷たい物言いだった。淡々と己の状況を語る様子は前回の動画の芹沢とまったく異なる。


「私がなぜこんなことをしているのかをお話しましょう。前回の動画をご覧になっている方はおおよそ見当がつかれていると思いますが――私を殺した犯人、つまり殺人鬼。今、見ているなら即刻新しい獲物を狙うのをやめなさい。その人は殺してはならない人物です」


 先程とは打って変わって女性は厳しい目つきになる。


「さもなくば、あなたは呪い殺されるでしょう。前回の動画に出ていた芹沢建同様、私もあなたを呪います」


 河合は腕を上げた。だが、そこにあるはずの手首から先はなかった。ただ腕の断片が見える。真ん中にある骨と赤黒い血肉。


「あっ、もう無いんでした」


 平然とした顔で河合は腕を引っ込めた。一つ咳払いする。


「失礼しました。お見苦しいものを……。とにかく――死にたくないのであれば、殺しをやめることです。私を殺した殺人鬼さん。あなたも幽霊二人がかりで呪われて死にたくはないでしょう? 呪いで死ぬのって悲惨らしいですよ。なんでも、乾涸びるように死ぬそうです」


 河合から長い溜息が漏れる。


「もう一度言います。殺人鬼さん、新しい標的を狙うのをやめなさい。さもなくばあなた自身が死に至るでしょう。……それも、二人分の幽霊に呪い殺されるという形で。忠告はいたしました。あとはあなたの行動次第です。……では、さようなら」


 河合は一礼し、動画は終わった。



 真っ暗な部屋の中で、結は溜息をついた。スマホの時計を見ると午前三時を過ぎている。偶然にも動画内と同じ時間帯。


「全然分からない」


 動画に映っていた人物は、結がまったく知らない人物だった。荒井商事株式会社という会社に勤めていた会社員らしいが――だから何か分かるという訳でもない。


 おまけに動画の第一弾の芹沢先輩と同様にこれまた悪霊。しかも芹沢先輩と同レベルと言えた。悠に対する脅威がまた増えてしまった。


 河合と言う霊も殺人鬼に対する恨みがあるだけのようだが、いつそれが他人に向くかなど分からない。


 結はスマホの電源を落とし、充電器と繋げてベッド脇のサイドテーブルに置く。


 ベッドに再び寝そべると、額に腕を当てて、思考の波に自身を任せる。


 動画の共通点は一体なにか。芹沢先輩は口を、今見た河合という女性は手首から先を失くしていた。胸には包丁がぐさりと刺さり、殺人鬼に殺されたという。


「え、と。芹沢先輩が四月だっけ……」


 河合は五月。二月の間に同じ人間に殺されたのだとしたら、連続殺人だが、そんな話を結は聞いたことがない。


 大体、芹沢先輩の死亡に関する事件は調べたが、連続殺人などと報道はされていない。つまり、幽霊たちの言うことが本当だとすれば、犯人はいまだ逃亡中であり――新しい獲物を見つけている。彼らは殺人鬼の新たな凶行を止めようとしている――


「動画の目的は分かっても、誰が投稿しているのか分からない」


 動画を投稿しているアカウントは真っ黒なアイコンがあるだけで、それ以外に情報がない。


 つまり、悪霊の居場所に関することが何も分からない。


 動画内で河合のいたどこかの会社のオフィスに行くのもありだが、結は行ったところで芹沢先輩の場合と同じような気がした。どうせ何もいない。


 新しい情報はあったが、悪霊に繋がるものが何もない。


 結は真っ暗なベッドの上で、うんうん唸りながら思考を沈めていった。



『幽霊告発』の第二弾が投稿されてから一週間後。


 SNSは『幽霊告発』で一色になっていた。テレビではあることないこと憶測がなされ、まったく関係そうのない有名人が話題の一つとして『幽霊告発』を口にする。


 結は普段SNSにどっぷり浸かっていない方なのだが、それでも耳に入ってくらいには有名になっていた。


 以前として悪霊たる『幽霊告発』内の幽霊を突き止められずにた結。もやもやとしながらも、気分転換にと女友達とショッピングに出掛けていた。


 夕暮れの日差しが差す店内。渋谷の駅近くにあるカフェに結はいた。窓側のテーブル席で友人と並んでドーナツを頬ばり、スムージーを飲む。


 足元には今日買ったばかりの衣服が入った紙袋が置かれていた。


 隣にいる友人は長い茶髪を風に揺らしながら、美味しそうに目を細めてスムージーを結同様に飲んでいた。


 しかし、そんな彼女はスムージーを飲むのをやめると、結の方を真剣な目付きで見る。


「ねえ、結ちゃん。最近弟くんどうしてる?」


「……なんで、そんなこと訊くの?」


 結は目を眇め、隣の友人を警戒する。悠は可愛いから年上に狙われやすい、と結は日頃から警戒していた。いかに親しい友人といえど、はいそうですか、とあげるわけにはいかない。


「ちょっと、そんなに警戒しないでよ。取って食べるわけじゃないだから」


「用件はなに?」


「はあ、本当弟くんが絡むと性格が変わるというか……」


「そんなのは分かってることでしょ。で、何が訊きたいの? 内容によっては私怒るかも」


「ちょっと、その前置きは怖いって……。一つ言っておくと私には関係ないよ。ただ、結ちゃんは怒りそうだけど……。それでも聞きたい?」


 友人のアーモンド形の黒い瞳が結をピタリと捉えていた。


 結の心は弟の話題が出た時点で決まっている。


「聞くに決まってるでしょ。……大した内容でもなかったら、それでも怒るけど」


「んー、結にとっては大した内容だと思うけどなー」


 結はわずかに恐怖心を覚えた。友人がここまで釘を刺してくるのはかなり珍しい。そもそも細かいことを気にしない性質で、結はそこを気に入って親しくなったとも言える。それがここまで言う上に悠のことだというのだから。


「早く話して」


「おお、結ちゃん目が怖いよ」


 身を乗り出した結に、友人は身体を逸らす。


「なによ。悠ちゃんのことだから当たり前でしょ」


「……じゃあ、話すよ。えっとね――」


 顎に手を当て友人は話し出した。


「つい二日、いや三日前だったかな? 私達の学校の近くの駅で弟くんを見掛けたんだよね」


「学校の近くで……?」


 悠の小学校は結が通っている学校とは真反対だった。悠がわざわざ高校まで来たこともない。そもそもどこの駅から高校に行っているかも怪しい。


「うん。私は、ほら、結ちゃんの家に遊びに行った時に見たことあるからさ、すぐに分かったんだけど――」


 友人はそこですぐに悠一人だけでないことに気付いたという。


 世間の学生は夏休み中のざわめく駅の構内。電車を待っていた友人は、反対側のホームで悠を見つけた。声を掛ける距離ではないが、顔見知りなこともあってそれとなく見ていると、隣には女性がいた。


 その女性は長い茶髪の女性で美しくスタイルが良かった。スーツ姿だったのも相まって大人の女性、というのが友人の頭には浮かんだ。


 女性と悠は親し気に話しており――駅の外に向かっているようだった。すぐに友人が乗る電車が入って来て見ることは叶わくなってしまったが、友人の頭にはしっかりと二人が話している光景が焼き付いた。


「――っていうことがあったんだけど……。大丈夫?」


 結には悠が話していたというそんな人物に心当たりがまったくなかった。気分転換が必要、とまで思う程考えていた『幽霊告発』動画――悪霊のことなど、どうでもよくなる。


 なにしろ結の優先順位は、今現在悠に迫っている危機だ。まだ遭遇するかどうかも分からない悪霊になど時間を割いている場合ではなかった。


「え、ええ。その女性のこともっと教えてくれない?」


「あれ? 結は知らないんだ? すごい綺麗な人だったから、結が許すわけないよなーとは思ってたけど」


「ええ、許さないわ。その人がどんな人か確かめないと」


「直接弟くんから訊いた方が早いと思うけど――」


 友人が話した女性の特徴は、ますます結の心を不安定にした。


 服装はビジネススーツ姿。綺麗系の美人でスタイルが抜群。分かるのはこれくらいだという友人に、結は十分だと答えた。


 そこでハッと気付く。もしかして、最近部屋に入れてくれなくなったのは、その美人な女性というのが恋人だからではないか。なにか二人の写真や関係に繋がるような何かを持っているからでは?


 一度そう思うと、気になってしょうがなくなる。


 結は友人にその仮定を話すが一蹴されてしまう。


「あははっ、結ちゃん。いくらなんでもそれはないって。弟くんは確かに可愛いし、年上にモテそうな感じだけどさー。私が見た人、どう考えても社会人で成人している人だよ。一回り以上違うって」


「そ、そうだけど……」


「私が目撃したことを言っておいてなんだけどさ、友達のお姉さんとかじゃない? 私が見えなかっただけで、近くに友達がいたのかも。……って、おーい。聞いてる?」


 結は悠の部屋に侵入することを考えていた。事態は一刻を争う。


 悠の人間関係まで口を出すつもりは無かったが、恋人は話が違う。


「ダメだ。あー、あとで弟くんに会ったら謝らなきゃ」


 友人がそう一人ごちるのを、結は半ば聞き流していた。


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