18歳

 夏生まれって、なんて素敵なんだろう。私も夏生まれだったらよかったのに。


 燦々と照り付ける太陽の下で咲き誇る色とりどりの花々。水やりした後や雨が降った後の、花弁に残った雫に太陽の光が反射してきらきらと輝く姿も素敵だ。幼い頃は、魔法を使って無理矢理光らせてもいたっけ。


 今日も太陽は眩しすぎるくらいに己の存在を主張している。こんな日は庭園に咲く花を見て回るのもいい。日陰になっているベランダで本を読むのもいい。でも、今日は……。


「ねぇ、兄さん。この本を読んでくれない?」


「……」


 日の光から、人の目から隠れるように、建物の陰の中で何をするでもなく地べたに座っている兄さんに声を掛けた。こちらを一瞥すると兄さんは僅かに口元を緩め、手を差し出し私から本を受け取った。


「どこから読めばいいんだ?」


「んーと、第二章から」


 分かった、と言いながら、兄さんは本を様々な角度から眺める。


「お前も随分上達したな。複雑な魔法が幾つも掛かっていて、一見しただけでは何も分からない」


「だって、すぐに分かったら意味ないでしょ?」


「意図はバレバレだがな」


 こちらを見て兄さんは鼻で笑った。そればかりは隠しようもないのだから仕方がない。私は「もう」と言ってほんの少しだけ抗議するにとどめ、兄さんの隣に座った。


 兄さんは本を開き、私に言われた通り第二章から読み始める。この本は兄さんも知っている戯曲だから内容だって把握しているし、私が特に何も言わずとも声に出して読んでいるから、本当に意図はバレバレだ。それでもこの他愛もない遊びに付き合ってくれるのだから、兄さんは春の日差しの様に優しい。その優しさにいつだって甘えたくなる。私は兄さんの邪魔をし過ぎないように軽く寄りかかり、兄さんの声に耳を傾けた。兄さんの深く、落ち着きのある声色が聴いていて心地いい。


          ○


「どうして行ってしまうんだい、リスティア。君は僕の事が嫌いになってしまったのかい?」


「いいえ、あなたの事を嫌いになんてなりませんわ」


「ならどうして」


 ギリアスが問うと、リスティアは涙ながらに訴えた。


「あなたと共にいると、胸が張り裂けそうになるのです。あなたの傍にいない時でも、あなたの事を想うと苦しくなるのです。それが私には耐えられないの。私はあなたの隣にいるべき人間ではないわ。私はあなたの様な、綺麗な人間ではないの。今まで沢山過ちを犯してきたんですもの」


 ギリアスは泣いているリスティアを優しく抱き締める。


「それがどうしたって言うんだい。君が僕と出会うまでに何をしてきたのか、僕が何も知らないとでも思ったのかい? 君が何をしたのかを知って、それでも尚僕は君といたいと願ったんだ。僕はそれほどまでに君を」


「やめて! お願い。それ以上言わないで」


「いいや、言うさ。だって今日は――」


          ○


「君の誕生日だろう」


 兄さんがギリアスの台詞を読むと、開いているページに書かれている文字列が動き出した。場所を変えた小さな文字達は、幾つか集まると段々と別の大きな文字に見えてくる。そうして現れた言葉は……。


『誕生日おめでとう、ロクィル』


 華々しく祝福せんとするように、ページの空白部分に色とりどりの花の絵も現れた。


「十八歳の誕生日おめでとう、兄さん」


「ありがとう、スティル」


 本から目を離してこちらを向いた兄さんが、困った様な笑みを浮かべた。


「ワタシが“君の”と言うのはおかしくないか?」


「そうなんだけど……でも、他にいいのがなくて」


「ふむ……まぁ、確かに“今日は私の誕生日だ!”なんて台詞もなかなか無いな」


 兄さんは少し考え込む素振りを見せたが、かぶりを振るとすぐにまた顔を上げて微笑んだ。


「今こんな事を指摘するのは無粋すぎたな。ワタシの悪い癖が出てしまってすまない。わざわざお前がワタシの為に適切な本を選んで、こうして魔法を掛けて誕生日を祝ってくれたんだ。伝えるのは感謝だけにしないとな」


 再度兄さんは感謝の意を述べ、私を優しく抱き締めると額に口付けをした。


「どういたしまして、兄さん」


 己の頬に熱が帯びる。原因が夏の暑さのせいだけではない事を、私は知っている。


「……お前、顔が赤いぞ。暑さにやられたのか? いくら日陰とは言え暑くない訳でもないからな。室内の方がまだ涼しい。中に入って、何か冷たいものでも出してもらおう」


 頭の回転が速い兄さんは、この事に関してだけはどうも鈍いらしい。それとも太陽が自分のせいで人間が暑がっていると微塵も思わないように、物事の原因となる人物は、自分が原因だと気が付かない仕組みにでもなっているのだろうか。


 兄さんは立ち上がり、私に手を差し出す。ここで座っている間に少し動いた太陽が、兄さんの背後から顔を出す。ああ、なんて不器用な照らし方なんだろう。これでは兄さんの顔がよく見えない。


 兄さんの手を取って立ち上がると、少し高い位置に兄さんの心配顔が見えた。少し陰を帯びた兄さんの双眸が私の顔を見つめる。兄さんはいつだって私に優しい。私を守ろうとしてくれる。今だって、きっと本心から私の事を心配してくれている。私が太陽の熱にやられたのだと思っている。本当はそれだけではないのに。


「ぼうっとしてるようだが、歩けそうか?」


「う、うん、大丈夫。歩けるよ」


「すまないな。ワタシが外にいたばかりに無理をさせてしまって」


「そんな、無理なんてしてないよ」


 兄さんに手を引かれながら、家の中へと入っていく。兄さんは時折心配そうにこちらを見てくる。この状況に、私は少し懐かしさを感じた。何年も前の兄さんの誕生日。あの時も兄さんに本を読んでもらって、その後兄さんと手を繋いで歩いたっけ。もっとも、その時先導していたのは兄さんではなく私で、向かった先は室内ではなく庭園だったのだけれど。


「ねぇ、兄さん。覚えてる?」


「何をだ?」


「何年も前に、兄さんにヒマワリをプレゼントした時の事」


「ああ、覚えてるぞ。あれは確か……十年前だったか?」


 十年。もうそんなに経つのか。


「あの時からだっけ。こうやって兄さんの誕生日を祝うようになったのって」


「……ああ、そうだな」


 兄さんが懐かしむように口元を緩めた。


 そう、あの時からだ。兄さんの誕生日の朝、人目から逃れるように日陰の中にいる兄さんに私が声を掛け、誕生日を祝うようになったのは。


 兄さんを驚かせたくて、誕生日を祝う為に来たと思われたくなくて、わざと回りくどい方法を採って、でも兄さんには初めからバレバレで。それでも兄さんは毎年必ずあの場所で私が来るのを待っている。


「そうだ。確かその前の年に、お前が“おにーさまのおたんじょうびをさいしょにおいわいしたかったのに”とか何とか言って喚いてたんだったか?」


「え、わ、私そんな事言ってたの?」


「覚えてないのか?」


「覚えてないよぉ……」


 でも私なら確かにそういう事を言いそうだ。だって、今だって誰よりも早く兄さんの誕生日を祝いたくて、こんな事をしているのだから。


 そんな会話をしている内に、屋敷内で一番涼しい遊戯室に着いた。私と兄さんは揃って椅子に座り、使用人が飲み物を持ってくるのを待つ。


「少しは気分良くなったか?」


「うん。ありがとう」


 別に気分を悪くさせてはいなかったけど、涼しい場所に身を置いた事でなんだかすっきりした気分になったのは確かだ。そこで私はちょっとした疑問を兄さんにぶつけた。


「ねぇ、何で兄さんは毎年誕生日に家の外にいるの?」


「それは……」


 兄さんは急に決まりの悪そうな顔をしてそっぽを向いた。


「お前が……最初に祝いたいって言うから……」


「……えっと、それが、外にいるのと関係あるの……?」


 訳が分からずに目を丸くさせていると、兄さんが重く息を吐いた。


「お前がワタシの誕生日を最初に祝いたかったと言った後、お前は家を飛び出したんだ。使用人達がお前の姿を見つけられずにいる中、ワタシはあの場所でお前を見つけた。その時に、来年からはワタシがここで待ってるから、一番に祝いに来てくれと言ったんだ」


「……」


 ほんの少し朱に染まった兄さんのふくれっ面を、私はまじまじと見つめた。私が覚えてもいない約束を、兄さんはずっと覚えていて、実行してくれていた。その事実が私にはとても嬉しかった。


「ありがとう、兄さん」


「……ふん」


 兄さんが恥じらいを隠すように鼻を鳴らすのと、使用人がグラスと水差しを載せた盆を持って遊戯室にやって来たのはほぼ同時だった。何かあったのかと不思議そうな顔をする使用人から盆をひったくった兄さんは、自分でグラスに水を注いで勢いよく飲み始めた。そのまま唖然としている使用人を睨み付けると、使用人はそそくさと部屋を後にした。


「クソッ……。お前以外の奴にも聞かれたと思うと無性に腹が立つな……」


 そう言って二杯目を注ぐ兄さん。今度はゆっくり飲みながら、私にも飲むよう勧めてきた。私もグラスに水を注ぎ、ゆっくりと口の中に含める。冷たい水が喉を通ると、より清々しい気分になる。


「今の話、絶対誰にも言うんじゃないぞ」


「心配しなくても、誰にも言わないから大丈夫だよ」


 とは言え、私が一番に兄さんの誕生日を祝うのは、この家では暗黙の了解となっている。今の兄さんの話を聞くに、父さんや母さんは勿論、当時からここで勤めている使用人も、私と兄さんの間で何かあったと察している事だろう。


「……あと二ヶ月で、お前も十六か」


 呟くように兄さんが言った。


「うん」


 グラスを傾ける兄さんの顔は、どこか寂しそうに見えた。


「こうしてお前に真っ先に誕生日を祝われるのも、残り少ないんだろうな……」


「……どうだろうね」


 十六歳ともなれば、きっと父さんは結婚の話を持ち出してくる。兄さんだって今までに何度もその話を持ち掛けられている。その度に兄さんは断っているが、私が拒否しても受け入れられてもらえるとは到底思えない。


 それでも、私は……。


 私は、これからもずっと兄さんの傍にいて、毎年兄さんの誕生日を一番に祝うよ。


 喉まで出かかった言葉を水と一緒に飲み込み、代わりに別の言葉を紡いだ。


「来年も、兄さんの誕生日を一番に祝えるといいな」


 夏の太陽の如く黄金色に輝く兄さんの瞳を見つめながら言うと、兄さんも私の目を見つめ返してきた。


「ああ。楽しみに待ってるぞ」

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誕生日を共に みーこ @mi_kof

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