第3話

「僕はどんな画家なんだろう」


「描きたいものがみつからなくなると、こうして壁をじっとみつめるの」


「描きたいものがみつかるまで?」


「そう」



きっと画用紙やキャンバスなんかには納まらない、感情そのものを絵として吐き出す画家。

そう、きっと彼はもう狂い始めてる。

だってこんな世界に生きていたら、絵を描こうにも何も思いつかないはずだわ。

描けたとしても、それは誰だって描ける白紙か黒塗りよ。



「でも、絵の具なんて手に入らない」


「そうね、需要がないから。読書という娯楽を提供してくれるこの館以外で、娯楽を提供してくれるとこなんてない。絵の具があれば、子どもくらいは泣き止むかしら?」


「外はそんなに荒んでいるんだね」



外?



「遊離は…あなたはこの館から出たことがないの?」



彼は少し困ったように眉をよせ、私を見た。



「問いかけには答えられないな。君がどう思うかだよ」



あくまでも、彼は私に在り方を決めさせるのね。それなら



「…そう、遊離はここから一度も外へ出たことがないの。だから愛を知らない」


「愛を知らないのは君でしょ?。それとも君の思い描く《遊離》は君に類似してるのかな」



核心をつかれて動揺する。

嗚呼…私、なんて気持ち悪い女なのかしら。

私と彼の境遇や心境を寄せることで、理解者を得ようとしてる。いいえ、理解者を得たい以上に私は…



「愛って、何かしら…」


「僕にはわかるよ」



初めて彼は私に意見を求めなかった。

本当に知っているのだろう。その愛とやらを。



「私が物心ついた時にはもう、誰にとっても読書が全てだった」



誰もが読書という娯楽を求め、狂っていったから。



「姉は私を育ててくれたけど、私を手放す代わりに会員の座を手に入れた。唯一の肉親だったのに」



結局あの女は、会員になるために私を育てていたに過ぎない。でも恨んではいない。私が姉の立場でも同じことをするから。それくらいじゃないと、会員の座は得られないことくらい知っている。

会員になるためには、あの痩身の男に接触する必要がある。

会員の座を手に入れるために何を差し出すかを問われて、差し出したものをあの男が気に入れば会員になれる仕組み。

けど、チャンスは3回。差し出したものが3回あいつの気に入らないものだと、男は興味を失って姿を消し、二度と会員の座を得られないと聞く。

私はラッキーだ。私の差し出したものに読書に勝る価値があるとは思ってもみなかったけど、会員になれたのだからそんなことはもうどうだっていい。

あれ…でも私、会員になったのに。

死ぬほど望んだ読書を、今、してないわ。



「愛はね、執着だと僕は思うんだ」


「執着?」



私はいつの間にか、彼から目が離せなくなっていた。

それに知らぬ間に、彼が本当に遊離に見えてきた。冗談のつもりで、お人形さん遊びの延長線のような気持ちで、ただ遊離という人物を思い描いただけなのに。



「うん。僕はね、愛してるんだ…」



そうして遊離は私に刃をむけた。ナイフ…いや、画家ならハサミやペンの方がらしいかな。



「君に愛を教えてあげる」



そう、それで私が刺されたら、遊離の狂気的な愛が完成する。

読書をするより、私はそんな狂ったシナリオを思い描いていた。想像が止まらない、溢れる血も、止まらないけど。




私はここで息絶える。まだ息のある私から流れ出る血を、彼はその白い指でそっと掬いあげて壁に触れる。

そして壁の模様にそって、美しい赤く帯状の線が5本連なる。

そうね、きっと遊離ならこう言うわ。



「まるで水のようで、だけど、お日様のような温もりのある彼女の血なら、いい絵が描けると思ったんだ。愛した人の血で描く絵はなんて…満たされるんだろう」



そう言って涙を流した彼ならきっと、この絵の題を『園花そのか』にしてくれる。




そんなことをぼんやりと考えながら、園花は最後まで赤く染った壁を満足気に眺めながら永遠の眠りについた。

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