第8話:強盗騎士ド・フルールヴァル卿
彼らは執行官に招かれて室内に入る。扉が閉まると共に、彼は大きな溜息をついた。
「先日、彼奴らと剣を交えたキャラバンがいたのです。キャラバンは我が村に通報した後、戦利品のこれを預けてきたのですが」
執行官が見せたのは壁に掛けられている盾であった。木製の盾で、 その表面には皮が張られて紋章が描かれているが、矢や刃物により少し外皮がえぐれ、木屑が飛び出しているのが見える。
盾には白と緑の横線が交互に3本ずつ描かれ、一番上の白地の箇所に赤色のユリが1つ、二番目の白地に赤いユリが2つ描かれている。殴殺はそれを手に持ったまま固まっていた。
「ラントシュタイヒャ―、どうかなさいましたの?」
「――いや……」
殴殺は盾をごとんと机の上に置いた。執行官は引き出しから二枚の布を取り出す。一枚はタバードで、もう一枚はフード付きのケープであった。両方とも白と緑に染め抜かれている。彼らはただの強盗とは異なり、敵味方を識別する兵士のようであり、統一した色に布を染め、部下に配ることを可能にする資金力だってあると推測できる。
「ただの賊であれば、まだよかったんですがね……」執行官ははにかみ笑いを浮かべ、椅子に座る。
「冒険者さん方、私のもとを訪ねてきたと言う事は、盗賊団についてお聞きになりたいのでしょう」
執行官が言うに、賊たちは領境の渓流で野営しているのが目撃された事、捕虜に本隊の拠点が山中にあると自白させた事、その数はまだ20人以上いるという事だった。話を聞いている最中、殴殺は別段驚きも恐怖もなかったが、それに対してヤナはわずかに震えていた。右手が剣の柄頭をぎゅっと握りしめ、その震えを庇うかのように左腕で肩の辺りを抱きしめている。
数でも統率でも劣る冒険者が、そんな相手と戦えるのか? 昨晩、自分には魔法があると力を示したはずなのに、急激に自分が無力なように思えて仕方がなかった。
執行官のいる建物を出た後、殴殺は問いかける。
「怖いのか?」
「そ、そんなわけ……あたくしは貴族ですのよ? あたくしが恐れては……」
――示しが付かない。貴族がその特権を享受できる為には、貴族らしくある事が必要なのだ。戦列を率い、正義を行い、宗教に則って慈愛と施しを与える。自身の臣下に見くびられないように、そして自身の臣下が主従したいと思う主人であるよう、誇りある、さながら象徴的騎士のように振舞わなければならない。だからこそヤナは父兄の仇を討つ為に、何があろうと敵を追い続け、最後の一人まで殺さなければならない。
ヤナは逃げられないのだ。彼女は咳払いをすると殴殺の顔を見上げた。
「あなたこそ、あの盾を見た時、何だか怯えているようでしたわ?」
「ああ。それか。賊の統制に驚いただけだ」
殴殺は詳しくは話さなかった。聞かれても答えられなかった。紋章の持ち主は、かつての自分の同僚であるからだ。
強盗騎士ディトリヒ・ド・フルールヴァルは教会との抗争の後失踪した騎士の一人だった。彼もまた所領を取り上げられ、完全に死に絶えた物だと考えられていた。 彼の紋章の白は純潔や誠実、緑は所領の自然や美しさを、赤いユリは、ユリであり血塗られた槍の穂先を表し、その赤色はかの家の、名誉や意味のある死者を暗喩している。
その紋章にそぐう高潔な人物であったと殴殺は思い返す。それが、自分の行動によって落ちぶれている事に自己嫌悪を少なからず抱いていた。
ド・フルールヴァル卿は、殴殺の記憶の中では美しい青年騎士といった風貌だった。年若く、美しいブロンドの髪を風でたなびかせていたが、しかし、軟弱者ではない。所領の村が魔族の残党に襲われた時には自ら騎馬隊を率いてそれらを殲滅し、村人たちを助け出した。彼と彼の従者や兵士はそろって白と緑の服を鎧の上に纏っていた事は記憶に新しかった――……。
彼らはその後数件の村を回り、情報収集してからサレン市へ至った。ここはヴェリーキーシュタットよりも規模が小さな街だが、城壁が外周を囲う、かつては貴族やらが築いた城塞都市であった。外周には河川から引き込まれた深い堀が流れ、跳ね橋と城壁には衛兵の詰所がある。
白と黒のタバードを身に着けた二人を衛兵たちは静止しなかった。それどころかお辞儀をし、入城を見送った。その様子から数人の同胞が既に到着している事を殴殺は感じた。
「……私は少し野暮用がある。先にギルドに行ってくれて構わない、ツー・ヴァイスシルト卿」
「野暮用って何ですの?」
「知り合いに会いに行く。戦士はいつ死ぬかわからない。もう二度と会えないかもしれないからな」
殴殺はヤナに背を向け、どうしてか日が沈み始める時間であるというのに、彼は馬を返して城壁の外へと向かい始める。
「お待ちになって! 外に出れば城門は閉ざされてしまいますわ!」
ヤナが声を張り上げた。それは外に用事があるこの男がわざわざ壁の向こうまでついてきた理由は自分を安全な場所へ送るためだったように思えたからだ。あの男はギルドでの初対面から、ずっと自分を対等な相手とは認めていなかった。魔女だと素性を明かしたが、実際に腰の物で己を示したわけではない。彼の敬意はどこを向いているのかを思い知らされていた。
殴殺は再び街道にでた。ランタンや松明の類を持っているが火をともすことはない。闇夜でたった一人明かりをともす事は獲物が歩いている事を知らしめるような物だ。彼は小瓶の薬を口にした。
月明りの元、兜の下から覗く瞳孔が大きく開く。ナス科の植物やらなにやらを煎じた薬であり、月や星明かりを強く集める性質がある。彼はそれを頼りに夜闇を馬で行く。
殴殺の纏っていたタバードは白と黒ではなくなっていた。草花の刺繍がびっしりと入った、高価そうな白と緑のタバード。それはかつての戦の際に着ていた物であり、この間着ていたフードとは違って、汚れ一つとない。
殴殺はまた川辺で馬を止め、ウォーハンマー、カバンも糧食も、不要な荷物は茂みに隠した。そして、やっと松明を付けて森の中に割って入る。
険しい山道には無数の蹄と人の足跡があり、それは頻繁な往来を意味する人工の獣道だ。殴殺は村々で仕入れた情報を元に、盗賊の根城へと向かっていた。……慈悲と裁きを選ばせるために、向かっていた。
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