第9話:交渉

 山の急こう配を獣道に沿って進むが殴殺は息を一度も乱すことはない。甲冑に剣も持っているというのにだ。


 夜道、それも深夜の森林と言う物は光が一切ない。天然の光源である月や星は、天然の天蓋によって見えない。ただし、その代わりに明かりが見えやすくなる。やがて、獣道を登り切り、平たい道に出る。山の上に向かう道に沿って、馬の蹄が続いていた。殴殺はその足跡をたどっていく。


 殴殺は執行官らの話を聞いて一つの結論に至っていた。それは、かの強盗団は未だ騎士であるという事だった。自身の紋章を掲げているという事、盗賊に身を落としながらも今も領主に与えられた陣羽織を着ているという事はそれすなわちただの盗賊にあらず、彼らはそうあっても貴族のつもりだ。貴族のつもりであるならば、かの騎士には交渉の余地があると……何よりも通常の盗賊相手であれば危険極まりない行為ではあるが、殴殺とかの強盗騎士は旧知であった。


 やがて山の頂に松明が怪しく揺れている様子が見えてくる。そこには放棄された手旗信号による通信塔と、警衛の詰所があるらしい。それらが暗影として浮かび上がる頃、がたがたばたばたと何か大きなものが動く音と、甲高く短い馬のいななきが聞こえる。知らない臭いを感知して騒ぎ始めたのだ。


 瞬く間に軽装の盗賊、いや、兵士たちが数人、松明を携えてやってきて、広場に立つ殴殺を囲んだ。


「誰だ貴様!」


「すぐに出ていけ、そうすれば見逃してやる!」


  殴殺は一歩も引かず、兜のバイザーを持ち上げ、素顔を見せた。


「友よ! 俺を忘れたか! そこにいるのだろう、ディトリヒ・ド・フルールヴァル卿!」


力強く叫ぶと、手旗通信塔の方から一人の騎士が歩いてくる。彼が歩みを進めると、暴れていた馬たちは仮設の厩舎の中で静かになる。


 騎士は炎の光を浴びて輝くプレートアーマーを身に着け、緑色に染められた羽飾りが付いた兜を被り、同じく緑色の外套を羽織っている。彼が右手を掲げると、兵士たちは構えを解いて数歩引き下がった。


「友、友か。あぁ、片時も忘れたことはないぞ。久しいな。異端審問ぶりか? よくも五体満足でいられたものだ。のこのこ僕の前に姿を現してどういうつもりだ?」


 ディトリヒはつかつかと歩み寄り、自分もバイザーを持ち上げた。


「どうしたんだ、その顔……」


顔中に火傷があり、赤ともピンクともつかない色に爛れ、黄色や茶や黒の膿が浮いているようにも見える。


「あの交渉の席に僕もいれば良かった。あの場にいれば友よ、君を斬る事もできたろうに……君が修道士どもを殺してくれたおかげで、叛逆者の手下として僕の村は焼かれ、民は吊るされた。僕だけは焼けた家から彼らに救い出されてしまった。今日まで一体誰にこの罪を償わせようか悩んでいた。教会の屑どもを見かける度にぶっ殺していたが、それも今日までだ」


ディトリヒは声を荒げるがまだ剣に手をかけなかった。彼は兵士一人ひとりの顔を見回しながら叫ぶ。


「諸君、どうだ、彼を許すことができるか? 諸君の妻は、子は、兄弟は、どうなった。この男が会議の場で武器を抜き、太った偽善者どもをたたき殺した結果、どうなったか!」


「吊るせ!」「殺して燃やせ!」「吊るせ、家族の仇だ」口々にそう応え、武器を打ち鳴らし、叫ぶ。


 殴殺の選択はもはや一つであった。ディトリヒは殺す。ただこの場で彼ら全員と戦う事は困難だ。いかに〝正当〟な決闘に持ち込み、全員との〝戦争〟を避けるかだけを、考え続けていた。それと共に、人殺しがいかに怨嗟を生むか、怨嗟を避けるには皆殺しにするしかない、この場での戦争を避けたとして、どうやってこの兵士たちを殺すかを考えていた。


「フルールヴァル卿、俺が憎いなら俺に一騎打ちを申し込め。騎士として、互いの名誉を懸ける。俺は、亡き主人の教えを汚す君を殺さないといけない」


「ああ、言われなくともそのつもりだ。僕は主人の仇である君を討たなければならない。君を討たないと、主人を殺された不名誉を晴らせない!」


「約束しろ、ディトリヒ・ド・フルールヴァル卿! 貴殿が負けたならば、部下たちにこの地域での一切の強盗行為から足を洗うように!」


 殴殺の目論見通り、ディトリヒは未だかろうじて騎士であった。名誉を振りかざす強盗騎士ではあったが、それは兵士たちに叫んだ。


「いいだろう。約定を聞いたな? そして、何があっても手を出すな。これはれっきとした騎士の一騎打ちだ。僕の名誉を汚してくれるな!」


 兵士たちは松明を持ち、二人の騎士を囲うように円状に立った。決して彼らの戦いを邪魔しない程度に距離を空けて。二人はバイザーを降ろし、互いに剣を抜いた。同じ色の服を纏い、向き合う。


「聖ヘレナよ、どうかお守りください」


そう呟いたディトリヒは剣を最上段に構えた。


 ――名誉とは理解し難い物かもしれない。袋叩きにしてしまえば良いように思う者もいるかもしれない。騎士の名誉とは、父祖から受け継がれてきた、あれかしという伝統だ。主人の誇りを守る事や主人への忠誠、騎士たる自身の誇りを守る為に研鑽を欠かさない事、優れた支配者として誠実であること、弱き者たちの命を守ること、無暗に殺さず、焼かず、犯さない事、それが名誉ある騎士道であり、騎士道を通す事で名誉を得る事ができるのであった。


 ディトリヒも殴殺も、かの宗教騎士団も、騎士道と名誉を守れてはいなかっただろう。盗賊に身を落とした彼は教会のみならず無辜の人々も手にかけている。殴殺も主人を守るという建前の元、騎士修道会の修道士のみならず、司祭をも殺して徹底的に罪を大きくし、騎士でなくなった後は盗賊退治で子供でさえ殺している。


 あの宗教騎士団もまた、ディトリヒの話が正しければ、村人たちを虐殺して吊るし、無抵抗状態の彼を焼き殺そうとしていた。


 この決闘も果たして名誉を守るためであるかは疑問が浮かぶ。ディトリヒは恨みを教会にぶつけていたが、それは問題を解決し、自分を納得させ、自尊心を満たすには殴殺をただ一人で殺せば終局に至ると考える。殴殺も決闘は自分がこの場から低いリスクで抜け出すための打算的手段として考えていた。


 ……結局のところ道や名誉と言う物ごとは、武器や力を持つ者たちの特権的な余興であり、自戒であり、建前であり、信仰なのだ。

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