第3話:自由都市にて

 殴殺はドラニア西部最大の都市、ヴェリーキーシュタットへやってきた。専ら彼の根城であり、大陸有数の自由都市であるここには多くの冒険者と仕事があり、そして、貴族や教会と言った権力でさえあまり力を持つ事はできない。暮らすには良い場所だ。


 彼は街に入ろうと、城壁に近づく。城壁は見上げると、豆粒大の兵士がせかせかと歩いているのがかろうじて見えるくらいうずたかく、門の前にも無数の衛兵が屯していた。道行く人々は殴殺の姿を怪訝そうに見つめ、足早に去っていく。衛兵たちでさえいい気分ではなさそうだ。


 馬を降り、手綱を引いて門を抜けようとすると、衛兵が槍を突き付けて声をあげた。


「お前、どこの騎士だ? 全く鎧をガチャつかせやがって。ここは人民の為の自由都市、ヴェリーキーシュタットだ。搾取者は歓迎されん。その薄汚れた甲冑、腐った臭いを漂わせているその袋は何だ?」


殴殺は衛兵の問に答えなかった。


「私は冒険者だ。ギルドの依頼を受けて盗賊を殺してきた。貴殿が代わりに届けてくれるというのであれば一向にかまわない。私は貴殿とこの偉大な街にご迷惑を与える前に退散する」


有無を言わさず、革袋を手ぶらの衛兵に投げ渡した。恐る恐る中身を見た彼はひっと声をあげて袋の口を縛り、投げ返してきた。


「と、通してやれ」


―◇―◇―◇―◇―◇―


 殴殺はまず最寄りの宿に入った。顔なじみの主人は、彼がいかに悪臭をばらまいたり、鎧をガチャつかせても文句は言わなかった。カウンターに金がたんまりと入った革袋が置かれているからだった。


 彼は自分の借りている部屋に入ろうとすると、声を掛けられる。


「冒険者さん、お手伝いせよと父が」


振り返ると少女がいた。青い目をして幾何学模様の刺繍がされたスカーフ、白い前掛けを付けた女の子。宿屋の主人の娘だった。……手伝いと言うのは鎧を脱ぐ事だった。騎士が身に着けるプレートアーマーと言うのは一人で着脱できないものがある。


 こくりと殴殺は頷き、背を向けた。兜を取り、その下の頭巾や鎖帷子の頭巾を脱ぐ。その間に少女はポールドロンの付け根の紐を解いていた。腕、小手、次々に装甲を剝いでいき、そして引き下がった。


がちゃん、ごとん、脱ぎ捨てた鎧の音、そして最後に鎖帷子がちゃらちゃらと音を立てて床に落ちた。殴殺は礼を言うと紋章付きのフードを大事そうに、丁寧に折りたたんだ。


「それでは、失礼しますね」彼女はお辞儀をすると部屋を出て行った。


 殴殺は身支度を整えた。動き辛い綿入りのジャケットも脱ぎ、薄手の麻の服に袖を通し、ベルトをその上に巻き、剣吊りにロングソードを下げた。市中を歩くとき、なるべく目立たない格好をする事を好んでいた。ただし、剣は、この暴力だけは手放すのを恐れていた。


 殴殺は郊外の牧場へ行き、馬を売り払い、次にこれまた郊外の、ドワーフが経営している鍛冶屋で略奪品を売り払った。袋一杯の貨幣をポケットに仕舞い込み、次はギルドへ向かう。


 街中の、綺麗に舗装された石畳の通りを踏みしめて歩く彼を人々は見ないふりをした。多くの人々は冒険者たちを良いとは思っていなかった。市民にとって、冒険者は墓堀や処刑人、屎尿清掃のような物に等しい、卑しいが、しかし必要な仕事の一つであった。だからこそ、腐敗臭を漂わせ、武器をガチャつかせて歩く殴殺を、面と向かって非難する者は一人もいなかった。


 やがて、坂の上、そしてさらに内側の城壁の向こう側の冒険者ギルドが見えてくる。この時代の城壁や城塞都市と言う物は、中心に行くほど古く、そして、やんごとなき方々のや金持ちの暮らす、安全で高価な場所となっている。そんな場所に冒険者ギルドは建っている。それは、かつて、いかにかの組織が必要であったかを物語っていた。


 ギルドの建物に入ると少し閑散としていた。日中は皆依頼を受けて出払っているからだ。奥の方にはカウンターがあり、受付嬢があくびをしながら座っている。壁には依頼の書かれた掲示板が置かれていて、数枚の紙が貼りつけられ、その横には眼鏡を鼻に載せた、いかにも文字が読めそうな女性が、こちらも眠そうに座っている。……彼女は依頼読み上げ人だ。


 もう一人、目につく者がいた。少し上等そうなシャツとズボンを身に着けた、明らかに男装をしている、この地方には珍しい黒髪の少女……子供がここにいる事は珍しくはない。親がいないから働かないといけない子供は郊外に沢山暮らしている。ただ、その身なりが珍しかった。彼女は腰のベルトに身の丈に合わない剣を下げ、一心に掲示板を見ていた。


 殴殺はつかつかと歩いてカウンターに行き、革袋を置いた。受付嬢は、少しだけ顔を歪めた後、中身を確認し、切り取られた耳の数をぱっと見ると、それを奥へ持っていき、しばらくの後、金の音がする革袋を机の上に置いた。


「本日もお疲れさまでした。あんなに沢山の盗賊をおひとりで始末されるなんて、流石ですね。まるで、神のご加護を受けた勇者様のようです」


その言葉を聞いた瞬間、殴殺ははっとして目を見開き、首元のロザリオを服の中に隠した。


 勇者とは神の加護を受けた一人の伝説の冒険者の事だった。かの者の存在こそ、冒険者ギルドを都市の一等地に置くに至った事、そして、それに連なる戦後の冒険者ギルドの独立性を貫かせるに至った功罪人であった。


 かの者は魔法にも武勇にも優れ、たった一人で千の化け物の軍勢に挑み、その肉体は傷すら付かなかったと言い、教会は彼を神に愛された者だと宣伝していた――殴殺と彼は全く違う存在だった。殴殺は、神には愛されていなかった。信仰の権利を教会に剥奪された自分、彼のように万民に愛される男と自分は全く異なると。


 我に返った殴殺は、一瞬馬鹿正直に思った事を言って否定してやろうと考えたが、すぐにそれをひっこめた。


「ありがとうございます。あなたにも神のご加護がありますように」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る