第4話:高貴な乙女と下賤な仕事

 受付を離れた後、殴殺は依頼の掲示板を見た。依頼読み上げ人は、目の前に人が立った事で立ち上がろうとしたが、殴殺の姿を見るとすぐに会釈だけした。……彼が冒険者としては珍しく文字の読み書きができる事を彼女は知っていたからだった。


 依頼はいろいろな物が貼られている。内容、場所、条件、報酬、必要技能、そういうことが書かれている。


 下水道清掃、隊商護衛、害獣駆除、雑役、農業や漁業における季節労働、荷物運び、そして盗賊討伐に傭兵。壮大な物語の主人公になれそうな仕事は一つもない。それでも、多くの人々は仕事をせざるを得ない。


 下水道に入れば、虫やネズミの魔物に襲われることも、病気になることもある。その上酷い臭いがするという事は想像に難くない。隊商護衛は比較的給料が高いが求められる技能や経歴が高く、街道を行くため、賊や魔物に襲われることも多く、それに長期間拠点を離れ、ほとんど知らない人々と行動を共にしなければならない。


 害獣駆除もリスクがある。害獣というのはクマや狼の他にも魔物が含まれる。雑役や季節労働、荷物運びは最も冒険とは程遠い。


 盗賊討伐と傭兵は言わずもがな、殺人をしないといけない仕事だ。誰もやりたがらない。ここにはもはや、ドラゴン退治も巨人殺しも、英雄譚のようなそんな仕事は滅多になかった。


 殴殺が少し端の方に貼られた盗賊退治の依頼を見ようとした時、あの娘もまた同じ依頼を見ていた。


 その依頼は、ヴェリーキーシュタット最南方、自由都市の影響力とマレニア侯爵領と教皇領が隣接する地域での盗賊討伐。マレニア侯爵というのはドラニア王国内で有力な諸侯の一つ、教皇領と言うのは教会の荘園のような物だ。そして、殴殺がわざわざこの場所から遠い仕事に興味を示したのは、その教皇領はかつて自分の主人の所領だったという事がある。

 

 ……領主が死んだあと、家臣たちは離散した。殴殺のように貴族であることを止めた者、どこかの領主と新しく契約をした者、教会を憎んで異端者となった者、そして、盗賊になった者がいる。もしもこの討伐対象が、かつての仲間であったならば、主人の教えを守るためには最も赦してはならない存在であり、必ず殺してやらねばならない相手であると感じていた。


 依頼の具体的な内容は、サレンという街の近郊の街道に出没する強盗団の討伐であり、彼らは騎馬を所有している事、商人や都市、果ては各支配者の軍隊などを襲う有様で、その結果、正規軍並みの装備を持っている事、彼らは領域の境にある川辺に野営している事が書かれていた。


 ところで、どうして有力諸侯や独自の軍事力を持つ教会が彼らを始末しないかは単純な話で、軍隊を動かすのには金がかかるからだ。補給や輸送、兵隊への給金や褒章、指揮官や騎士が捕虜になった場合の保釈金も必要だ。ただし冒険者を雇う場合、彼らの食事や保釈金を保証してやる必要はなく、ただ報酬を提供するだけで済む。彼らを失って困る者はおらず、だから彼らの命は安い。


 殴殺はその依頼に手を伸ばそうとしたところ、その動きを隣の少女は目で追った事に気が付く。横目でじっと見下ろした。やはり外国人や異民族の血が混じっている切れ長の瞳が睨み返してくる。頭一つ分も背が低く、腕も細い小娘だ。しかし、剣を持つ者への礼儀を忘れるべきではないとも感じる。


「……あなたもサレンでの盗賊退治に興味が?」


そう問いかけた瞬間、彼女は再び殴殺をにらみつけた。



「あなた、今、あたくしを見下しましたよね、あなたの目付き、こんなガキに何ができる、そういう目付きですわ」


確かにその細腕で、そんな剣で、甲冑を着た相手を殺せるとは到底思えなかった。そして、少女だろうと老女だろうと、女に盗賊退治は適していない事は誰しもが共通して思う事であった。一部の例外を除いて、盗賊は皆男だからだ。


「あなたにできるとは、正直思えない」と殴殺は素直に答えた。その瞬間、少女は肩をわなわなと震わせながら、殴殺をにらみ続け、言葉を吐きだす。


「あたくしは……貴族ですのよ? 父上も、兄上も、皆、ラ・ピュセル猊下を守護する西方諸国の信徒による帯剣修道会に入っているのです……そんな無礼を……!」


彼女の言う修道会と言う物について殴殺は良く知っていた。馬鹿見たいに長い名称、仰々しいそれは要するに教会の私兵団である騎士修道会の事だ。そして、かつて主人の領地に進駐しようとしてきた悪辣な連中であった。


 殴殺は思わず鼻で笑った。こんな、教会も貴族も遠い筈の自由都市で、貴族の権利と教会の権威を振りかざそうとする子供がいる事、自分が何者かは語らず、親や家族の威光を背に着る所、そして、その権威をもってしてやりたい事が汚れ仕事だという事がとんでもなく滑稽に思えてしまった。


 今にも争いが起きそうな雰囲気に、奥の方から苦笑いをした受付嬢がやってくる。


「お二人とも、落ち着いてください」


彼女は二人の距離を空け、この場にいる他の冒険者たちの迷惑を避けるため、半ば引きずるように別室へと通した。別室はソファと机が置かれており、対面に座らされる。


 受付嬢は二人の目を見た後、話はちゃんと聞く事を告げ、そして、少女にここは自由都市であるから、貴族の権威を振りかざしてはならない事をやんわりと伝えた。


「確か、ヤナさん、でしたよね? あなたの考えを仰ってください」受付嬢はそう言うと、少女・ヤナは頷いた。


「あたくしはサレンでの盗賊退治に行きたいのです。あたくしの父上と兄上は、数年前、サレン近郊の現教皇領にて、命を奪われました。だから……あの場所に蔓延る、武装した賊は、もしかしたら仇なのでは、と思ったのですわ」


主従や目的を失った騎士や兵は時に賊に身を落とす事があるのは事実だ。ヤナの言葉を聞いた殴殺の心境には後ろめたさがあった。自分が数年前撲殺したのは紛れもなく宗教騎士団の修道士どもだったからだ。だが、他方で間違いであったとも思えない。彼らは剣を抜こうとした。武器を抜くという事は、危害を加えるつもりがあるという事、それは開戦の合図に相違ない。


 受付嬢は殴殺に目配せした。


「私は、正直に物を申したまでだ。このお嬢さんが屈強な男を殺せるとは思えない事、そして、女の身で奴ばらに挑み、負けた場合を思って否定しただけだ」


「はぁ!? なんですって!?」


ヤナは大きな音を立ててソファから立ち上がった。怒りを示しているが、彼女は父や兄弟よりも冷静ではあった。

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