勧誘・広告狂時代

島尾

うっとうしい騙し屋

 さっき、生協の勧誘が来た。いらぬという態度を示していたのに、ぐだぐだ話しかけてきた。

 最も悪いのは、「せっかく家まで足を運んで頂いて無下に断るなんて申し訳ない」という思いから契約してしまうことである。最初は頑として構えていても、だんだん相手の物腰柔らかな態度にやられて自分の心が折れてゆく。これこそ最も気を付けるべきことだ。


 私は過去、3度の過ちを犯した。1度目は変な宗教の勧誘である。私が大学1年生(19歳)のころの初夏、ベンチに座っていたとき、どこからともなく好青年がやってきた。そして「お時間よろしいでしょうか」と問われ「はい」と答えた、これが運の尽きだった。好青年は「仏教がこの世のすべてを説明している」といったことを延々と述べ、世間を知らないただの若者であった私は「なるほどそれはすごい!」と関心し、また「仏教のことを微塵も知らない人生はどうなんだろうか、ひとつ学んでみるべきでは」と思ってしまった。好青年は「でセミナーを開いているからどうぞご参加ください」と言い、私は「はい」と答えた。それから私は、大きな建物の小さな会議室で開かれる週3のセミナーに赴いた。あるとき講師の自宅に招かれて、手料理を振舞ってくれるようになった。それが数回続いた。そんなある日、その講師がおもむろに契約書じみたものを差し出し、住所や名前や印鑑を要求してきた。印鑑は無かったのでそれを伝えると「別によい」と言われ、私は個人情報を記入してそれを講師に手渡した。講師は「月1万円でより深い講義を行います。そして○○県にある総本山に修行に行くこともあります」と言ってきた。何やら一気に嫌な予感がしたが、契約書じみたそれはすでに渡した後である。帰りしな、講師と一緒にエレベーターに乗り、「これからよろしくお願いしますね」と笑顔で言われて、一応「はい、こちらこそ。これからの講義が楽しみです!」などと、身を守るために思ってもないことをのたまってその場をやり過ごした。後日、私はかなり危険なことをしでかしたと悟り、学生支援課に経緯いきさつを伝えた。やはり「あくどい集団」であった。契約書じみたものを渡したことも何もかも無視して、私はその団体とスッパリ縁を切った。それから好青年から何度かラインが来たが、ブロック。1ヶ月後には講師から手紙が来たが、捨てた。このようなあくどい集団には優しさ一つ見せてはいけない。何があっても拒絶あるのみである。結果、今はその団体から何一つ連絡無しである。


 2度目は新聞の押し売りだ。ピンポーンと鳴ってドアを開けると、2人の笑顔をした者が立っていて「こんにちは」といったような元気な挨拶をしてきた。一方はメガネをかけた明るすぎる男、もう一方は背が低く若々しい女だった。詳細は覚えていないが、新聞に関するあれやこれやを一気に語っていたような気がする。隣近所に迷惑な大きな声で。女は、1週間ぶんはあろうかという食料や日用品を渡してきた。断ったものの、「どうぞどうぞ」と強制的に。私はその勢いに負け、ついに契約書を書いてしまった。ドアを開け放った状態で、2人に監視されながら。部屋は汚かったし、もし誰かにこんなところを見られたらと思って恥ずかしかった。しかもその時の私の服装はパンツとシャツ。

 結論から言えば、私はクーリングオフした。彼らが押し付け屋であることは当然理解していたし、新聞を購読することを希望していない者が新聞を購読するために料金を払うというのは土台あり得ないことであった。女のほうは「初のお客様獲得」だったようで、ひどく喜んでいた。だが私はそれをぬか喜びに終わらせた。今のネットが普及している時代、若者に紙新聞を無理矢理売りつけて易々と買ってくれると思ったら大間違いである。それは若い女自身が分かっているはずのことだったろう。しめしめ。


 3度目は「展覧会」である。無料の展覧会が○月○日、とあるビルの催事場で開かれるというのを知って、赴いた。展示場には、確かに綺麗な絵が一定の間隔で吊るされており、ふむふむ確かに美しきかな、と思いながら次々に観覧していた。と、そのとき。一人の若い女が「どうですか、この絵」と問うてきた。私は「いやあこれは美しいですね。黒い背景と和傘をさした女の子、素晴らしい」というようなやりとりをした。女は「どの絵が一番好みですか」と問い、私は「これだ」と、一つの絵を指さした。女は「それではこちらのライトのほうへ。光の当たり具合で、より綺麗に見えますよ」と言った。私はすたすたとそちらへ行った。女が絵にライトを照らすと、確かにさっきまで見えなかった細かな輝きが見て取れた。こういう楽しみ方もあるのか、と、学んだのである。「この絵があなたの家の壁に飾ってあったらどうですか」と問われ、私は「うーん」と悩んで「良いですなぁ」といったようなことを答えた。それから時間が流れ、私は購入契約の紙と対峙していた。その絵を買うことにしたからだ。値段は30万。私は事前に女に「絵は素晴らしいけれど、値段が高い。さすがに手が出ません」と言っていた。女も同意して「ですよね、こんな高いのは普通手が出ませんよね」と言った。だが次に、「しかしもしこれが30万でなく、8,000円だとどうでしょう」と言った。私は「ああ、それなら全然大丈夫です」と言った。女は「月々8,000円支払っていただければ大丈夫です。初回は7,800円でOKです」と、笑顔で言った。私はとっくにこれが悪徳商法だと気づいていた。さりとて完全に捕縛された中、むやみに逃げようとすると何が起こるか分からない。とりあえず契約書の枠の中に必要事項を書くことにした。その際、女は「まつ毛長いですね」などとお世辞を並べていた。確かに私のまつ毛は長い。しかしまつ毛に関心がない私には何も響かなかった。そして契約が完了。私はビルをを出て、こうつぶやいた。「さて、今からクーリングオフしますか」と。


 *


 お金を稼ぐ理由のうちで最も大切なのは、衣食住を確立させるためである。食べ物を食べ、服を着て、家に住む。これらはお金がないとできない。そういう社会システムになっているがゆえ、1億2000万人もいれば悪徳な方法でお金を得ようとする者が現れても何ら不思議ではない。それらに捕まったとき、「騙されたふり」が有効な場合があるということを経験してきた。義務教育の過程で悪徳商法が存在すること、並びにその対処を習う時代において、無理にもがくのは得策ではない。そういえば昔、「このやりとりネットに晒すから」という脅しを受けたことがある。しかし私は何ら恐怖を感じなかった。ネットに晒された恥の数は天文学的数字であろう。その中からわざわざこんな貧乏で暇人の数行の会話ごときに注目する者などいない。狙われるのは、有名でお金持ちの、いわゆる「勝ち組」に属する0.1%の富裕層だ。また、とある理由でとある業者に3万を払ったことがある。しかしそれを取り戻す気になりはしなかった。たしかに3万は大金である。しかし何回かバイトをすれば取り戻すことが可能な額であるし、1年間の総所得に対する比率という観点で考えてみればかなり小さな値である。日頃の行いが悪いことの罰というふうにでも考えて、さっさと別の行動に移るのがよい。


 詐欺の中で最もまぬがれるのが難しいのは、自分の趣味嗜好だろう。すなわち自分で自分を騙している状態である。自分が好きなことをやるために時間と金を費やすことは、一見詐欺でないように見えて、俯瞰的に見ればかなりひどい詐欺に陥っている状況に思える。「その対象を好きになる」ということについて、最初にその対象には何の意味も見出していないはずである。しかしΔt秒後、自分の脳から快楽物質が出てきて、何の意味もないものに対して「あれは自分自身にとって素晴らしいものだ」という指令を自分自身に下す。その結果、オタクやマニアになってゆく。人間が自分自身を詐欺の対象にしてしまうものの代表は、やはり酒、お金、そして女(または男)であろう。この世に存在する詐欺師の中で最も危険なものは、自分自身である。自分に騙された自分は、それを補うために他人を騙そうとする。そうやってお金という幻想が生み出され、酒という世忘れ方法が編み出されたのではなかろうか。いつしか男と女がそういった洗脳状態のもとで絡まり合い、一つの命が誕生するのではないだろうか。となると、自分は詐欺の産物であるということになる。他のすべての人もそうだ。ありとあらゆる地点で、大規模小規模問わず、自他も問わず、詐欺や騙し討ち、洗脳、操作が行われていなければならないということになる。俗世間から逃れても、自分から逃れることはできない。よって常に、生きている限り自分を騙すことができる状態が続く。

 

 人間は常に何かに騙されている状態といえるかもしれない。それが避けられない法則だとするならば、何に、または誰に騙されてもよいのかを考えるフェーズに移行すべきだろう。私が実践しているのは、「街中でチラシを受け取らない・勧誘は全部断る・ネット上の広告はフル無視する」である。

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