日々の雑感 〜器の大きさ

 今回のテーマ「器の大きさ」とは、食器の話ではありません。(念のため)


 世の中には、「平時の人」と「非常時の人」がいるように思います。

 突発的な想定外の出来事に遭遇した際に、その人の真価、度量、ふところや器の大きさ、視野の広さが表れると思っています。


 私の好きな物語「銀英伝」に登場する同盟軍のヤン・ウェンリー氏は、普段は本を読んだり、昼寝をしたり、お茶を飲んでぼーっとしていますが、戦闘になると常人では考えつかない作戦で勝利をおさめます。戦争も軍人という職業も嫌いで、早く退役したいというのが、口グセであるにも関わらず。

「あの人は、非常時の人だからね。普段はぼーっとしているくらいが、バランスがとれてちょうど良いんだ」と、部下に言われてしまう始末(笑)。

 昼行燈ひるあんどんと言われた忠臣蔵の大石内蔵助氏も、似たタイプですね。

 ふたりとも「非常時の人」です。戦乱の時代の有名な武将達もそうですね。

 

「器の大きさ」について考えることがあります。

 器の大きさは、その人の持って生まれた資質、経験、知識、技術、得意なこと、そして、自信によるものでしょうか。度胸や多少のハッタリも必要ですね。

 器が大きければ、多少の揺れでも水はこぼれません。小さな器ではほんの一滴の水でもあふれてしまいます。


 何かを選択して決める、ということには、責任が伴いますね。

 私自身はリーダー役には全く向かず、決められた方針に従って細々こまごまと動く副官あたりが、頑張ってできる役どころでしょうか。

 理解してもらえるよう理由を説明すること、指示して動いてもらうこと、どちらも苦手です。

 人には得手不得手えてふえてなことがありますが、これも責任ある立場になって、場数を踏んで慣れることで出来るようになるのでしょうか。

 適材適所という考え方もありますが。


 何でも「いいよ、いいよ」というのは優しさとは別ものだと思っていますが、相手を受け入れる寛容さや包容力、自分本位ではない考え方、つまりは憧れです。


「ちっせぇ奴だな。ちっ!」と、言いたくなるとき、ひるがえって自分自身は果たして相手を「器の小さい奴だ」と否定できるほど、器の大きな人格者であるのかと、常に問いかけるようでありたいです。


 





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