第15話 冒険者ローザ

 悪夢だった……

 村に蟻が迫っている。

 その知らせを聞いて、弟たちと家を出ると、すでに村の寸前まで蟻の群れが迫っていた。

 冒険者として私と家族の食い扶持を稼ぎながら静かに暮らしていただけなのに、こんなことって無いよ……

 とにかく二人の手を引いて、逃げ出した。

 他の人達もそれぞれ散り散りに逃げる。

 地獄だ、目の前で殺された人に蟻が群がっている隙に逃げ出す。

 知り合いが、顔見知りが肉塊へと変えられる。

 気がつけば二人を抱えてただただ走って逃げた。

 少しでもほかへの興味を持たせるために森に入った……

 日が暮れて森へ入った失敗に気がつく。

 暗い、怖い、足が重い……


「おねーちゃん……お腹へったよぉ……」


「ごめんね……何か、あるといいんだけど……」


 着の身着のまま逃げ出した。

 いつもの遠征道具もない。

 革鎧に短剣、がむしゃらに進んだ森で、もう、自分がどこにいるかもわからない。

 涙が出そうだ……


「おねーちゃん、寒い……」


 日が沈んだ森の中は冷える。

 二人を抱きしめて身体を寄せ合う。


「温かい……」


「大丈夫だよ、おねーちゃんがなんとかしてあげるから」


 絶対に二人を救わなければ……

 目を閉じ、フッと短く息を吐く。

 弱音を吐いている暇はない。

 とにかく、近くの村か街まで逃げるんだ……

 気合を入れ直した。

 

 しかし……


 バキバキバキ……


 遠くで響く木々が倒れる音、蟻だ……

 恐怖と地獄絵図が思い出されて胃酸が上がってくる。


「立って! 進むよ!」


「疲れたよー……」


「眠いよー……」


「お願い立って、歩いて……」


 もう二人を担いで歩く余裕はない、足は棒のようで鉄のように重い……

 先程から何度もお腹が鳴いている。水も取っていない。

 それでも進まなければ、逃げなければ……


「ぎゃっ! 痛い! 痛いよおねーちゃん!!」


「なにっ!?」


 草むらから何かが弟を傷つけた……

 森の木々の隙間から月明かりが蠢く影を照らす。

 その姿を見て、恐怖が心臓をひねり上げた……


「ご、ゴブリン……!!」


 すぐにあたりを見回し、大きな木の根元のくぼみに弟を引っ張り込む。

 

「静かに! お願い我慢して、おねーちゃんが絶対に守るから!!」


 傷の出血はそこまでひどくない、でも、すぐに手当をしなければ、ゴブリンの傷は腐る……

 ヒュンと風切る音に剣を出す。

 ギィンと金属同士が打ち合う音がする。

 突き出される槍の穂先が横腹をかすめる。

 鎧が少し削られた。

 剣を振るうがすでにそこにゴブリンは居ない……

 

「何体いる……どこから来る……」


 周囲の草むらを剣を振り回し少しでも視野を確保する。

 大木があってよかった……弟たちへの攻撃は、制限できる……

 でも……


「どうすれば……」


 弱音が口から出ると、心が折れそうになる。

 目頭が熱くなる。

 下唇を出血するほどに噛みしめる。

 痛みと口に広がる血の味で踏みとどまる。

 ここで私が折れれば、弟は殺され、私は慰みものだ……


「こおおおぉぉいいい!!!」


 自分に気合を入れ、相手を威嚇する。


「クキャキャキャ……」


 ゴブリンの下卑た笑い声が、暗闇の中に響く。


「馬鹿に、するな!!」


 足元の石を拾って、笑い声に向かって投げつける。


「ギャン!!」


「ギャハハハ!!」


 当たった。

 一瞬の喜び、そして……


 ガッ……


 額が熱い、敵も石を投げてきた。

 つぎつぎと投石が始まる。

 弟をかばうように立つ。

 暗闇での投石を防ぐ事は難しい、少しでも身を縮め、我慢する。

 

「~~~~~っ!!!」


 石が当たった場所が痛む。

 それほど強い力で投げられていないが、痛いことには違いない……

 投石が止むと、再び槍が突き出された。

 必死に剣で受ける。

 別の場所から槍が飛び出してくる。

 身を捩って避ける。


「つっ!!」


 腕を斬られた、槍に気を払っていたら剣で斬られた。

 切れ味の悪い剣で斬られた傷はひどく痛む。

 打撲の痛み、切り傷の痛み、一向に状況が良くならない現実、声を殺して泣いている弟たち、私の唯一の家族……これから訪れる絶望の現実……ゴブリンの笑い声、目の前で肉団子にされた人間、それらがぐちゃぐちゃになって襲ってくる。


「もう、やだぁ……」


 口から出た弱音……

 涙が溢れ、ゴブリンの一撃が歪んで見えた。

 自分の革鎧を貫いて凄まじい痛み、燃えるように熱く感じる物が、突き刺さった。


 遠き日のパパとママとの思い出を久しぶりに思い出した。

 この痛みの隙間に、ほんの少しだけ温かい思い出……

 

 目の前に大きな影が現れる。

 ああ、死神っているんだぁ……

 薄れていく意識の中でそんな事を考える。

 その瞬間、薄れた視界の中で、その影を月明かりが照らす。

 男の子だった。

 同い年くらいかな?

 あーあ、恋愛の一つも出来なかったなぁ……

 冒険者は臭いし乱暴だし……

 そうそう、こういう爽やかな男の子と友だちになりたかったなぁ……

 温かいなぁ……疲れが……抜けて行く……


 ああ、ごめんねマシュー、ネイサン……ローザおねーちゃんは……先に逝くね……


 ……駄目、嫌、死にたくない、弟を放っておけない……

 まだ、死にたくない……

 マシュー! ネイサン!


「マシュー!! うぐっ……」


「ああ、まだ動いちゃ駄目だよ、大怪我なんだから……」


「……死んで……ない?」


「ああ、大丈夫、守ってた二人もちゃんと保護してるから安心して」


「え、あれ、どういう状況?」


「えーっと、お、俺は天職持ちのスライムマスターカゲテル。

 今街に向かって移動してるから、大丈夫、もう少しだから」


 さっき夢見た男の子……優しい瞳……

 胸が高鳴る。

 顔が熱くなる……

 気恥ずかしさに横を見ると、とんでもない速度で移動している……

 

「は、速い……うーん……」


「え、ちょっと大丈夫!? ……気を失っただけか、良かった……」


 男の子の声が、遠くなっていく……

 もっと、話したかったな……


 完全に意識は深い眠りについた……



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