一章.8「習慣」

少し家に戻ります。気にしないでください。

そう書いた手紙を置いて、如月神社を出る。

独りで目指す家はどこか遠く、深夜の空気は少し冷たくて。

いつの間にか一人でいることが異常になっていた自分に嫌気が差す。

こんな短い時間で、私の心は変わってしまうのか。

たった数ヶ月なのに。

変わってしまった。

だとしたなら

なんて脆いのだろう。

なんて、未熟なのだろう。

――彼らからしたら私は想人の同僚でしかないのに。

彼らが関わってくれる事にどこかで心地良さを覚えていた。

私からすれば彼らは、同僚の死を想起させてくる人達でしかないとわかっているはずだったのに。

「はぁ…」

…嫌になる。

ほんとに。

正直彼らと関わるのは気まずいと思っているよ。

だけどそれに安心感を覚えているとか、どうかしてるよね。

未だにお互い異様な距離感を感じながら関わっているのにさぁ。


「全然考慮されないのは、お兄ちゃん達よりマシ…だからなのかなぁ」


話してくれる。

反応してくれる。

私のことを考えてくれる。

そんな人が周りにいなかった私だから、相対的に彼らとの関係が良いものだと思っているのだろうか。

勿論、一般的に良いものだとは思っていない。けど。

きっと私は、


――これ以上考えるのはやめにしよう。

私にはあまり時間はない。

立ち止まっている時間など、ない。

ないよ。

そんなことを心で唱え、諦めて目線を上げる。

視界に屋敷の姿が映った。

私はその屋敷までの距離がないことに、ずっと前から気がついていた。


◇◇◇


重く辛い扉を開く。

発した言葉にはもちろん返答がない。

静の満ちる空気に動を捧げ、

時の止まった世界を押し出す。

屋敷は出発前と同じだった。


溜息。


独言すら呑み込む世界には、残らなかった。

溶け切った弱音と溜息を吸って、

花が咲く記憶に嵌まらない蓋をして、

私は自室への道を行く。

どうせ今日だって誰もいない。

明日も明後日も、過去も未来も誰もいないのだから。

此処で誰かの告白を聞いたとて、それに心躍らされる事はないのだろう。

ここは、終った地だから。

柔らかなカーペットを踏みつけて、長い廊下を短くしていく。

――その道中、私は何の変哲もない部屋で立ち止まった。

期間を空けても消えぬ日課。

数百年行った日課は、体に染み付いて一生取れることはないのだろう。


「創造神様、只今戻りました」


無駄としか言いようのない呟き。


「お兄ちゃ…お兄様、今帰りました」


虚無同然の言葉。

無駄に洗練されたそれらをこなし、私は部屋までの道へ戻った。

暗く冷たい、生活の記録もない道。

相変わらず人の気配はなく、ランプ一つ点いていない。そんな道に、

彼らとの関係よりも深い安心感を抱いて、またも自分に自己嫌悪を向ける。

最早こうなってしまうと望みも分からなくなるのだろう。

一歩、また一歩と進むごとに私の願いは変わっていく。


あぁ、この瞬間に兄が現れてくれないかな。


あぁ、どうか兄がここに来ませんように。


でも、できることなら――


なんとも複雑な感情を持て余しながら、自室への距離を縮める。

そう、あと一歩で着いてしまうくらいまで。

…深呼吸。

かつて二人が生きた部屋へ、手をかけた。


「…」


声が追いかけてくることはなかった。

当たり前だろう。

ここは『かつて』私達が生きた部屋で、

今はもう一人だけの為に存在しているのだから。

今更その子供以外に戻って来る者など、


「…レーニス?」


いない。


◇◇◇


「…おにい、ちゃん…?」

考えるより先に出た言葉に、思わず口を抑える。

以前までの私とは違う態度に違和感を持たれてはいないだろうか。

久しぶりすぎてどう接したら良いかわからない。

今までの再会までの期間に比べたら全然短いほうだけど、他の人と関わることを覚えた私には、お兄ちゃんとの会話はすごく難しいものだと思えてしまった。


「久しぶりだね、レーニス。向こうでは元気にしてたのかな?」


お兄ちゃんの言葉に、逡巡する思考。

――どうせすべて知っているくせに。

なんて白々しいのだろう。

お兄ちゃんは私が知っていることは知っているんでしょう。

何も言わなくても、知っているんでしょう。

私が知らない出来事だって、全部全部全部。

あなたはずっと、監視しているんでしょ。


「うん。皆優しくしてくれるから」


思いとは違う言葉を述べる。

ああ、そっか。

これが私の在り方だったよね。

大丈夫。まだ忘れてない。

お兄ちゃんとの過ごし方はこれが正解なんだ。

相手が望む言葉を並べ、相手が望む態度を取る。

それがきっと正解なんだよね。

――家族なのに?


「それならよかった。だけど、僕はレーニスが疲れているように見えるんだけど…」

「そう?全然大丈夫なんだけどな…?」

「…そっか。ごめん」


心配するお兄ちゃんに大丈夫と返す。

それ自体は何回もやってきたはずなのに、なんだろう。

今日はなにか違うような気が。

「元気なら良いんだけどさ。無理はしないでね」

私は何をしているんだろう。

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