一章.2「愬と咲羽」

「愬様はね、元々お隣の国…ええと、メランコリアだったかね…?とにかく、隣国では神様に仕える公家の御子息だったんだよ。ただ、愬様のご令兄が国に対して反乱を起こして…負けてしまった。その結果、国を追われてしまったそうなのよねぇ…」


老婦人が真っ先に言った言葉は、それ。

思わずその言葉に息を呑む。

私の様子を見た老婦人は、聞いてきた。

「あんなしっかりした人が、国を裏切った人の血縁者だとは思えないかい?」

「え、えぇ…そうですね…」

適当に返事をする。

内心、すごく驚いているけど。

だってこれは…知らなかった話だから。

誰からも、愬が公家の子だったことも、彼の兄が反乱を起こしたことも聞いていない。

まあ彼らからしたら話さなくてもいいことだったのだろう。

もしくは知られたくなかったのかな。

―いや、それでも話さなければいけないことだと思う。

私はこれでも神なのだから。

神という括りで言えば、彼の兄は私と同じ者を裏切っている。

つまり、大きく言えば彼らは私を裏切っている。

それは当然、同じ神様である咲羽でも同じことが言えて…。

…彼は咲羽のことも裏切っていたの?

それとも、咲羽は知っていたの?

「…咲羽様はその事、知っていたのですか…?」

「それは…」

もし、咲羽が知っていたとして。

彼女の選択を咎める気はない。

国を裏切ったのは、反乱を起こしたのは、彼じゃない。

わかっているけど…。

私に『言わない』選択をしたのは彼だから、気がかりなことがあるんだ。

――木ノ葉さんはちゃんと承諾したのだろうか。

木ノ葉さんはちゃんと、彼が反逆者の弟だと知っていたのだろうか。

もし彼女がその事実を知らなかったなら、それは彼を眷属にした咲羽の責任になる。

神の首席に就く者が、仲間を裏切ったという事になる。

だから、それはダメなんだ。

それはだめだよ。

冷や汗が流れる。

いつも最悪の事態を想定してしまうのは、私の悪い癖だ。

でも、もしこの想像が現実にあったことなら…。

彼女たちが絶対に衝突することになるというのは、誰の目から見ても明らかで。

咲羽の権力を持ってしても、木ノ葉との対立は避けられない事象になる。

だから必然的に木ノ葉と咲羽は「戦う」ことになる。

…そんなの見たくない。

あんなに仲良かった彼女達が対立するところなんて、見たくないよ。

…なんて、私は不安がっているけど。

結局はそれも杞憂で終わるんだろうな…。

そう思えたのは、何でだろう。


「咲羽様は、勿論知っていたさ。愬様は咲羽様が神様となる前からこの地に居たからね…。そう。咲羽様が来る、ずっと前から。愬様はグローリアの大妖怪として、名を馳せていたんだよ。…だから彼の力を恐れ、忌み嫌う者も居たねぇ…」


私が考えている間に、老婦人はそう続けていた。

今になってその意味を理解する。

『咲羽がグローリアに来る前から、愬はグローリアに居た』

知らないはずの出来事。

なのに何故か、心当たりがある。

なんかの文献で読んだんだっけ。

気になるし、後で久々に家に帰ってみよう。


「それでしたら、咲羽様は愬様の名誉回復の為に眷属にしたということですか?」


機会を逃さないよう、続く質問。

さっき話を聞いたときに浮かんだんだ。

そして優しい咲羽のことだから、それが一番ありそうな気がした。

…でも現実は違うらしい。


「いいや。咲羽様は、愬様の実力を買って眷属にしたそうだ。当時の咲羽様は国を守るだけの力を欲していたから、愬様程の膨大な力が欲しかったんだろうね」


力を欲していた。

首席になるほどの実力がある彼女が。


「そうですか…。では彼らの関係って、ただの協力関係…で、良いんですか?」


そんなわけない。

咲羽がなんの思惑もなく、誰かと協力をする訳が無い。


「そうだねぇ…表向きは、だけどね。…本人達は否定してたけれど、私らからすれば彼らは想い人同士だった。きっと誰もがそう思ってたはずさ」


だって彼女は『神』だったから。

だから、咲羽に限ってそんな訳ない。

――そう思ったけど。

愬の髪で揺れていた飾りが脳裏を過った。

そうだった。

咲羽はあの髪飾りを愬に渡してるんだった。

…あぁ、そういえば。

愬達と初めてあったあの時、私はそれ以外にも気が付いていたんだ。

『髪を切ったら…いつか、木ノ葉さんのとこで反逆してた人にそっくりになりそう』って。

今思えば、どうして”木ノ葉さんのところで反逆してた人”を知っているのかわからないけど。

これも神になった恩恵なのかな。

神になって数百年。

未だに慣れない、慣れたくもない感覚から目を背けた。

机の上には空になったお茶入れが二つ。

今日はもう潮時だろう。


「貴重なお話、ありがとうございました。…差し支えなければ、また聞きに来てもいいですか?」

「勿論いいよ。こんな老いぼれに構ってくれる人なんて、お嬢さんくらいしか居ないからねぇ…」


老婦人にお礼を告げ、店を出た。

グローリアの景色は前と変わっていない。

なのに雰囲気が変わっているから、頭がおかしくなりそう。

頭痛を押さえつけて老婦人とは別方向に進む。

「…はぁ」

一人で歩く街は、寂しかった。

でも――こんな時、咲羽がいたなら。

きっとそこの角から飛び出してきて、

笑顔で私の手を引くんだろうな。

嫌気が差す。

私はまだ、現実を見れていない。

この数週間、数ヶ月、ずっと調べてきたはずなのに。

私は未だにあなた達の亡霊を追いかけているんだよ。

誰も居なかった角。

通り抜けて妖の山へ足を進める。

段々と変わっていく町並みを見て、ふと思った。

…咲羽達が亡くなったのは、二十年前だって言ってたよね。

そう。たった二十年前のこと。

たった二十年前のことなのに、もう人々は咲羽達が居ないのに慣れている。

それどころか、咲羽達を覚えている人はどんどん少なくなっている。

どうして?

「――それは、人間にとって二十年が長い時間であるから。そうなんだよね?」

妖の山の麓で、私はそう結論付けた。

二十年というのは人間にとってとても長い時間なのだろう。

だから、忘れてしまう。

だから、死んでしまう。

そういうものなんだ。

今までそういう人たちを何人も見てきたから、分かっている。

そういう「人間達」を沢山見てきたから、分かっているよ。

人の語り継ぐ物語には限界がある。

だからいつか、私達のような存在も忘れてしまうんでしょう。

そしてそのまま、忘れたことすら忘れてしまうから。

咲羽達の功績も失くなってしまうのでしょう。

今はまだ思い出してくれる人がいるけれど。

あと数十年すれば、誰も知らない話になるんだ。

そんな結末は、虚しいかな?


「もう一回出会えたら、聞きたいな」


一生、その答えは出ないだろう。

私が努力しない限り。


「…よし、行こう」


彼女たちに出会えるかどうか、まだわからない。

だけど努力はどこかで報われるかもしれない。

大丈夫。

私はまだ、元気だよ。



グローリアを背に、一歩踏み出した。

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