【レシアの記録】

泣きたくなるような静寂の中。

哀愁を覚える町並みに、彼女は異質な者として記憶されていく。

眼下に広がる都市は、人で埋め尽くされ。

そこにいる誰もが彼女の処刑を待ち望んでいた。


「――もう怖くない」

覚悟を決めた彼女は、足を踏み出す。

その顔に宿る感情を、私が読み取ることはできない。

だって、私は一切この子と話したことがないから。

答えてくれない『記憶』の中で、声をかけただけだから。

そんな私が彼女の決断を疑うことは出来ないし、

彼女の気持ちを推し量ることもできない。

…けれど!!!

記録の中だけでもいい。

あなたに触れさせて!!!

あなたは十分頑張ったから!!

これ以上ないくらい、頑張ったんだから!!

もういいよ!!

再演だとしても、私は…

あなたをもう、死なせたくはないんだ!!!


だからお願い、あなたに触れさせて――――





















 辺りにパキッという軽やかな音が響いた。
























「っ…!?」

ガラスのように飛び散った、虹色の破片。

色彩を取り戻した自らの手を見て理解する。

――今ならきっと

「レシアぁっ!!!」

手を伸ばす。

有り得ないくらい小さい背に、手を伸ばす。

届いて。

いや、届け!

届け、届け、届け!!!

お願い、届いて!!!


「…レーニスさんっ!?」


触れる温度。

空を切らなかった右手。

届かなかった声に呼ばれる感覚。

それら全てが夢みたいで。


腕を掴まれるまで、気が付かなかった。




「――え?」


「ごめんね、レーニスさん」



足が地面と別れる音。

視界に飛び込んできた、遠い蒼。

ひっくり返った世界。

後ろへ連れて行かれる髪。

有り得ないくらい強い力。

私の腕を掴んだ少女が、

私と共に落下している――?


「――っ、ぁっ…」


声にならない声で問う。

どうして?って。


「…ぇ、…ぅ」


水面まであと――どのくらい?

わからない。

だけど

覚悟を決めないと。


「…大丈夫だよ」

目を閉じた私に、そう誰かが言った気がした。

瞬間、


海に沈む。


冷たい水が全身を包み、

衝撃すら感じることはなかった。

あり得ない。

あの高さから落ちたのに。

生きてる。

私、生きて――

――レシアは?


「!!!」

目を開く。

暗い水の中、レシアは見当たらない。

「―――」

思わず口を開いた。

勿論声は出ず、代わりに泡だけが溢れ出した。

薄くなった空気に、思わず口を抑える。

早くしないと。

早くレシアを見つけないと、私の意識が途切れてしまう。

先程より見えにくくなった視界で、もう一度辺りを見渡す。

やはりレシアは見当たらない。

…もしかしたら、もっと深いところにいるのかも。

それなら、私も――


「―っ―――」


…駄目だ。

今、深いところに潜ったら、

今度こそ、

呼吸ができなく、


「――!!」


朧気な視界に、淡い光が差し込む。

暗い深海で輝きを放つそれは、

どこか見覚えのあるもので――

必死に手を伸ばしてしまう。

あと少しで触れる。

あと少し

あと、

少し…

…やった!!


「っは、え――」


私が光を掴んだ途端、呼吸が楽になり。

思いっきり咳き込みはじめる。

二回も水を吸ったから、当然か。

いやでも…今、私がいるのって水の中じゃ…。


「初めまして、レーニスさん。こんな形になっちゃってごめんなさい。…とりあえず、呼吸が整うまでゆっくりしてていいからね」


―違った。

私は確かに水中にいたけど、今いるのは水中じゃない。

ここは――私も知っている場所だ。

そう、よく知っている場所だ。

…どうしてっていうのは、本人に聞いたほうが早いよね。


「…っレシアちゃん、私は、どうしてあなたの部屋にいるの…?」


まだ荒れる呼吸を落ち着けながら、そう問う。


「ふふっ、どうしてだと思う?」


こちらの感情を無視した微笑み。

あぁ、この子はアクィラの娘だな。

帰ってこなかった答えに、そう強く思った。


「あのね、レーニスさん――」


浅く考えを巡らす私に、彼女は声をかける。

その言葉に関心を返して、私は瞬きをした。


「レーニス。レシアが驚かせてごめんね。あなたは…元気にしていたかしら?」


まさか、それによってもう一人が現れるなんて思わなかったけど。


「うん、元気だよ。…アクィラさん」


緩い三つ編みが似合う二藍色の髪。

『篤行』が光るその瞳は、確かにあの頃の海神そのもので。

『禁忌』を宿す私達とは違って、彼女は民衆の望む『真の神様』なんだと感じた。

「…そっか。お母様はもう、レーニスさんに…」

私の瞳から溢れた涙を拭って、レシアはそう呟く。

彼女の声は母を失った子相応に寂しさを纏っていた。

だから私は、その全てに違和感を覚える。

「レシアちゃん、ありがとう」

「うん。全然大丈夫だよ」

それは、針の糸を通す穴のように小さな違和感で。

「…あのね、レーニスさん。私、聞きたいことがあるんだけど」

「うん」

道端に落ちている石のように、無意識に流してしまうもので。

「レーニス、私…あなたに確認したいことがあるのだけど、良いかしら?」

普通、気にならないような些細なことで。

「…うん、いいよ」

だけど私にとっては、ある日突然隕石が降ってくるみたいな、膨大な違和感で。


「レーニス、あなたには…レシアが見えるのよね?」



「レーニスさん、あなたにはお母様が見えるのね?」


とてもとても、無視できるようなものではなかった。

どうして忘れていたのだろう。

ここはあくまで『レシアの記録』の中で。

死後の世界とかいう、馬鹿げた世界ではなくて。

本当にただ残酷な世界を反映しただけの、記録でしかないんだ。

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