序章.4「面影と想い」
「久しぶりに来たけど、こんな雰囲気だったっけ…」
「ここの雰囲気は統率者の性格に左右されるからね。僕が知る限り、これが三回目の変化だよ」
深海都市アーディア。
その入口で、わざわざ君が来てくれるなんて。と微笑みを向けてくるライラ。
ここは共愛を掲げたアクィラの国。
共に愛する。という漢字の通り、この国は深海にあるのに暖かかった。
そして、どの国よりも穏やかだった。
しかし今の此処は…。
あの頃の穏やかさは消え失せ、今は冷たい海そのものとなっている。
かつての面影は、もはや建物にしか残っていない。
…どうしてこうなったのだろう。
”統率者の性格に左右される”
先程のライラの言葉が頭を過った。
が、この国の根幹は愛なのだ。
愛の形が変わろうと、愛は愛だから。
少なくとも、愛を掲げるこの国が冷えることなんてないはずなのに。
気になって尋ねる。
「今の統率者は、誰なの?」
「シグナ様だよ。もし彼女に会いたいなら、僕を通してね」
「…ええ、わかったわ」
ライラの返答は、何処か変。
それにより心には微かな違和感が残る。
だけど、その正体を追求したところで、私は何ができるのだろう。
…きっと、何もできない。
結論と共に違和感をそっと奥底にしまった。
同時に、居心地の悪くなったこの国を出たくなり。
「次の本を貸してほしいんだけど…」
「あぁ、そういうこと。いいよ。ちょっとまってて」
要件を伝えてライラを待った。
数分後、本を片手に戻ってきたライラにお礼を言い。
深海都市を足早に出た。
貰った新たな本は、「海神レシア」のものだった。
◇◇◇
「おかえりなさい。随分早かったですね」
「うん。ちょっとね…」
「顔色が…何かありました?」
首を傾げる夜宵に、大丈夫だよと手を振る。
だけどそれでは納得してもらえず、暫く言い合いをした。
「君達は一体何で言い争っているんだ……」
途中でやってきた秋。
彼は私達の不毛な争いに、苦言を呈した。
それに二人共我に返り、言い合いを中断する。
そして、夜宵はお茶を入れに行き。
私は机につき、秋と雑談をし始めた。
雑談の内容は至ってシンプル。
私が居なくなった後のフィリアは、どんな様子だった?
とか。
フィリアについて、教えてくれる?
とか。そんなもの。
始めは面倒くさそうに答えていた彼だったけど、
次第に真剣に答えるようになっていて。
最後の質問の答えには、彼のフィリアへの想いが全て詰まっているように感じた。
「フィリアはきっと、幸せだったんだね」
私の言葉に、彼は目を逸らした。
「……どうだか」
沈黙のあと、告げられた言葉は。
私に伝わった時、微細な揺れを纏っていた。
フィリアの独占欲に比べ、これは――
思考の途中でパタパタと可愛らしい音が響く。
現れたのは、お盆を手にした彼女。
愛らしい微笑みを見せながら口を開いていた。
「秋くん…じゃなくて、秋さん。お茶をどうぞ」
「ああ、ありがとう。…別に、気を使わなくていいのに」
言い直した言葉と、2人の砕けた雰囲気からして、
あの子達とあの子達の眷属は、皆仲良しだったのだろう。
それこそ、身分とか気にしないで過ごせるくらいには。
私はその光景を見ることは出来なかったけど、
優しい彼女達のことだから。
きっと、和やかな時間だったんだろうなぁ。
…もし私達の従者が、婚約者が生きていたなら…。
彼女達と和やかな時間を過ごせたのかな。
なんて、あるはずのない夢を抱いて。
そっと本を開いた。
「…わっ!?」
一瞬にして湧き出す水泡。
髪が逆立ち、後ろに靡くケープ。
そのあまりの勢いに目を瞑ってしまう。
目を瞑った後、暫く水の音が響き。
それが止んだ頃、誰かの声が聞こえた。
「レシア?まだ寝てるの?」
「…まだ、あとちょっとだけ…」
「そう言って昨日も寝坊したでしょ。君を起こすのも僕の役目なんだから」
「もぅ…ライラ、酷いよぉ…」
レシアとライラ。
その言葉が聞こえた時、目を開いた。
そっか。ここは、レシアの記録だっけ。
ベッドに座る幼い少女と、見慣れてしまった人影が映る。
ゆるく結んだ二つ結びが特徴の彼女は、
紛れもなくアクィラの娘だった。
「先代海神、レシアちゃん。ごめんね、ちょっとだけ記憶を見せて」
私の独り言。
それはきっと誰にも届かない。
だってここは少女の記憶を再現したもので。
その記憶に私や私の言動は存在しないからね。
分かってはいるけど、やっぱり声は掛けたくなる。
もう届かないものにこそ、人は惹かれるのだから。
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