第3話 危機的状況
屋敷の二階にある主寝室へ急いで駆け付けると、兄姉や側近ら、身内たちに囲まれるようにして父が仰向けに横たわっていた。
父であるベルク・シードランドは、まだ50代前半だというのに頭髪は真っ白で、痩せこけてしまった頬が痛々しい。
そんな状況下で俺を見て冷笑する兄のダリックと、鋭い眼光を向けてきた姉のエリーズ。
「おい、スラン、やっと来たのかよ」
「随分遅いわね、スラン」
「すみません。只今帰りました、兄様、姉様」
「ププッ……おっと、悪ぃ。スラン、お前、外れスキルだったそうだな。聞いたぞ。期待はしていなかったが、無様なことだ」
「ま、予想できてたことだけどね。スランはあたしたちのような正妻の子と違って、汚らわしい妾から産まれた三男だし」
「……」
そうか、既に兄姉の耳にも入っていたか。
まあそれも仕方ない話かもしれない。
父が弱ってからというもの、兄ダリックと姉エリーズの権力は強くなるばかりだった。
それゆえ、領民たちの中には兄姉に金をばら撒かれた者が多く、情報が入るのも早いというわけだ。
だが、父が弱って以降、シードランド男爵家に最も貢献していたのは兄姉じゃない。執事のモラッドだ。彼とはよく一緒にいたからこそわかる。
兄姉はそこそこのスキルを持ちながら、普段から遊び歩いたり飲み歩いたり、夜中に酔っ払って帰ってくることが日常茶飯事だったからな。
「スランが外れスキルを獲得したことで、父上もさぞかしがっかりなさるだろうよ」
「本当にね。役立たずっていうのが証明されちゃったんだから。これからどうなっちゃうのかしら……?」
「ダリック様、エリック様。坊ちゃまに対する軽口はそれくらいにしていただきませんと」
「「……」」
執事のモラッドがいつも二人にこうして威圧してくれるのが、俺は恥ずかしくも嬉しかった。
俺もいつかは独り立ちしたかったが、こんな外れスキルでは……。
いや、諦めるのはまだ早い。
【スライド】が外れスキルだと言われても、他に有用な使い道がないとは限らないのだから。
あれこれと考えるうち、一人の医者が慌ただしくやってきた。
結構前からここの治療を任されている、【治癒使い・中】スキルを持った若い男だ。
彼が父の治療を初めて数分後のこと。
「ごほっ、ごほっ……」
父が咳き込みながらも目覚め、周囲から大きな歓声が上がる。
医者は頷いていたものの、その表情は厳しかった。
「私のスキルにより、ベルク様の脈は今のところ安定しておりますが、まだ今後どうなるかは予測がつきませんので、お大事になさってください」
まだ予断を許さないとはいえ、一時はどうなることかと思っていただけによかった。
父がどれだけ強大な影響力を誇ってきたか、また、俺たちがどれだけ依存してきたのかがよくわかる。
少し落ち着いてきたのか、父が俺のほうを見やってきた。
「……おぉ、スランよ、帰ったのか……」
「はい、父上。授かったスキルは、残念ながらユニーク系でしたが……」
俺の言葉で周囲から失笑が漏れるが、仕方ない。周りの人間はもう、モラッドを除いて兄姉の手の者ばかりだしな。
「……そうか。だが、落ち込むな。お前の母のホーリーのスキルも、ユニーク系であったのだからな……」
「ベルク様、そろそろ跡継ぎを決めてはいかがでしょう?」
俺たちの会話を遮るように側近の一人から声が飛ぶも、父は黙り込むばかりだった。
体が弱っているせいもあるだろうが、家督を誰に継がせるべきか決めかねているのかもしれない。
だが、それでも今後のことを考えれば決める頃合いだと感じたのか、父が上体を起こした。
「……あ、跡継ぎに関しては……ぐっ⁉ ごはぁっ……!」
父の口から飛び出したのは、跡継ぎの名前ではなく、真っ赤な血だった……。
◆◇◆
父が盛大に血を吐き、再び危篤状態に陥った。
そのことは、我が領地に大きな悪影響をもたらすこととなった。
領民たちだけでなく、領境で見張っていた領兵、さらには側近までもが次から次へと逃げ出してしまったのだ。
頼みの領主である父が倒れ、三男である俺が外れスキルを貰い、頼みの兄姉は遊んでばかり。
それゆえ、この領地はもう終わりだと見放されたということだ。
「嘆かわしや。まだ領主様も、坊ちゃまも兄姉もご健在だというのに……」
モラッドが失意の表情を見せるのもよくわかるが、俺は何も言えなかった。
その失意には、俺のスキルの件も含まれているかと思うと。
というか、こうしている場合じゃない。
俺だけでも領民を止めようと声をかけたが、スルーされるばかりだった。
一人が逃げ始めると、もう歯止めが効かなくなる感じだ。
仕方ない。兄姉にも手伝ってもらおうと部屋を訪ねるが、いくらノックしても反応がなかった。
まさか、こんなときに遊びに出かけたっていうのか? メイドに尋ねると、はっきりとは言えないが、スラン様の推測通りですと答えてきて、俺は掌に爪を食いこませた。
メイドもほとんど残っておらず、唯一見かけた彼女も俺の目を盗んで逃げ出した。
「……」
夕方、俺は呆然としながら、屋敷近くの小高い丘から一人で領地内を見渡す。
たった半日で人の姿はほぼなくなっていた。
屋敷の周りはもちろん、海辺も山の周辺も公園も礼拝堂も商店街も、全て。
シードランド男爵家の真の意味での凋落を目の当たりにしているかのようだ。
積み上げるのは難しいが、崩れるのは本当にあっという間なんだな……。
「あ……」
周囲がすっかり暗くなってきた頃、屋敷のほうに馬車がやってくるのが見えた。
あれは……間違いない、兄ダリックの馬車で、姉エリーズと一緒によく乗ってでかけるものだ。
今は遊んでいる場合ではないと注意しなければ。
俺は先回りして、屋敷の門の前に立った。二人が馬車を下り、こっちへ近づいてくる。
「兄様、姉様、どこへ行っていたのですか?」
「……ん、誰かと思ったら、スランか。どけよ。屋敷に入れねえだろ」
「そうよ。今日は逃げた領民たちのせいか、酒場がやたらと混みあっててお酒の量も減ったんだから、怒らせないで、スラン」
「今は、自棄酒など飲んでいる場合ではありません! 父が危篤状態の今、家族が一丸とならねばならないときに」
「「……」」
なんだ、二人の様子がおかしい。
お互いにニヤッと笑みを浮かべたかと思うと、兄ダリックが掴みかかってきた。
「おい、スラン。お前に良いことを教えてやる。俺とエリーズはな、ライバル貴族のグレゴリス男爵に領地を売ったんだ」
「えっ……」
「そうそう。爵位は下がっちゃうけど、それでもあたしたちには
「そ、そんな……二人とも、寝返ったというのですか。それでも人間なのですか⁉」
「「あ……?」」
ダリックとエリーズの目つきが変わる。
「エリーズ。立場をわからせてやるためにも、ちょっと痛めつけてやろうぜ」
「そうね。それがいいわ」
「うぐっ⁉」
兄ダリックが迫ってきたかと思うと、その拳が俺の腹部にめり込んでいた。
……息ができない。
躱そうとしたけどできなかった。これが、低ランクとはいえ【拳使い・小】スキル持ちの実力なのか……。
「それっ、喰らいなさい!」
「ぎゃっ……⁉」
目の前が光ったかと思うと、俺の体に激痛が走った。姉エリーズの【雷魔法・小】スキルを食らったらしい。こいつら、弟を本気で殺す気なのか……?
「へへっ、無能のくせに逆らうからだ。スラン、お前はすぐには殺さない。面白いものを見せてやりてえから。なあ、エリーズ?」
「そうね。こいつがあれを見たらどんな反応をするか楽しみ。もっともっと悔しい思いをしてもらいたいもの。いじめ足りないのに、ここでスランを殺しちゃったら勿体ないわ」
面白いもの、だって……?
一体何を見せるつもりなのか、口にしようとしたものの、どうしてもできない。
俺の意識は既に消え入りそうになっていたから……。
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