漆器の美しさを、自分なりに書く

島尾

越前漆器

 鯖江駅から自転車で少し行くと、漆器を売る店Aがあった。鯖江駅からその店に至る道は、特に店に近づくにつれて田園と山の多い風景に変わり、その地を1本道の県道が貫いており、私はその道を自転車で行っていたのである。徒歩では駅から1時間以上かかる地だが、自転車だと20分程度で着いた。


 *越前漆器*


 あるとき、とある温泉地に伝わる伝統工芸品の中に、漆器があると知った。その産地は作る人も少なくなり、茶椀1個が6,000円もするインフレが起こっていた。


 越前、すなわち福井県越前市または鯖江市で産する越前漆器も、やはり値段は高い。もちろん物によるが、100円ショップに売っているような形のコップもこの特別な漆器となれば2,000円以上の値がつけられていた。私は先の温泉地での漆器産業の衰退について知っていたので、店Aの店員に「漆器をつくる人は減っているんですか」と問うと「そうですね、昔は農業の傍らやっていた人が多かったんですが、今では……。少し寂しいですね」という答えが返ってきた。能登半島地震で輪島塗が安定的に製造できなくなっていることも憂いていた。私は木目の見えるフリーカップを購入し、退店した。もっとお金があれば鮮やかな朱塗りのものや艶めく黒塗りのもの、沈金で描かれた鶴や松の描かれたものを買いたかった。現に、上部が朱で下部が黒の、おちょこより少し大きめの妙な器を買おうか迷っていたが、私はどうしても木目の見えるものを絶対に買うという目的のもとこの店を訪れたので、今回は残念ながら満足に購入することはできなかった。

 私は木目のある漆器が最も好きである。確かに漆をしっかり塗って赤や黒にきっちり塗り整えられたものも良い。例えば黒塗りに金などで松や鶴や楓を描いた花器は圧倒的に高貴な雰囲気を醸し、あたり一帯を美的空間に染め上げるようなエネルギーを放散していると感ずる。他にも中が赤いご飯茶椀や汁物を注ぎ入れる蓋つきの椀なども、机に置いただけで純日本の美を見出すことができる。それでもなお私が木目のある漆器が好きなのには一つの理由がある。それは、自然の美を見て取れるからだ。このような器は、当然異なる木を削るためそれぞれ異なる木目を持つ。間隔が広いもの、狭いもの、歪んでいるもの、きっちり並んでいるもの……………………。見た目が多様であり、漆器が「木」という生き物であるということを感じさせ、さらには越前の自然豊かな大地まで感じさせる。鮮やかさはあまりないが、このような感覚を抱くために私は木目のある漆器が最も好きである。


 木を乾燥させて削り、漆を塗る。書けば簡単だが、一つの漆器ができあがるまでには実に2、3年以上かかる。まず木を乾燥させる時点で2、3年かかる。削る腕、漆を塗る腕は2,3年どころか何十年もの修行や鍛錬を経て上達するものだと思われる。漆を塗るときに、皮膚がかぶれる場合もあろうかと思う。自転車で道を走っているとき、一つの小汚い漆製造工場を見つけた。夏は暑く冬は寒いであろう、簡易的な馬小屋のような見た目。もちろん、もっと大規模な製造所もあるだろう。しかし、この小さな工場を見た時に、美しい器ができるまでの苦難の一端を見たような気がした。


 現代では、合成樹脂素材や化学塗料を使ってより安価・丈夫な漆器を生産している。店Aからさらに20分ほど自転車を走らせたところにあった店Bで、その違いが明確に示されていた。1,000円もしない味噌汁のお椀……値札の横に「PET」というアルファベットが記載されていた。一方で30,000円もするものは、よく覚えていないが、天然漆、というような文字が書かれていた。お店に並んでいる時点では、純粋な漆器と、ある意味で贋物な現代漆器との微妙な違い(つや、色、触り心地、美しさなど)が分かった。それでちゃんと純粋な方を買った。しかしいざ家に帰って見てみると、あらこれはもしかしてPETのほうだったかもしれない、という疑いが出てきた。繊細で手間のかかるもののほうがより多くの美を有しているということは、店で比較したときには分かった。しかしいざ比較対象がなくなったとき、はっきりと分からなくなってしまった。これを見比べるには、PETと天然の両方を買い、ある程度使い込み、そのときの漆の剥げ具合や傷み具合を比較するとよいはずである。同じ回数、同じ扱い方で使用した場合、ダメージをより多く喰らうのは天然漆のほうである。そのときの傷ついた器に、私ははたしてある種の「美」を見出せるのだろうか。


 合成樹脂の「漆」の良い点は、私が思うに、さまざまな色が出せるという点である。赤と黒、このイメージが強い漆であるが、合成樹脂を使えば黄色や青など多種多様な色相を実現できる。その見本が店Bに展示されてあって、何十色ものグラデーションが実現されていた。赤と黒から多種多様の色へ、自由度が一気に上がったことは、「漆」が昔ながらの椀や皿だけでなく、たとえばキャラクターグッズの塗装のような何色もの色が必要な商品へ使用される道が開けるだろう。また、店には青い色の器が並んでいて、思わず目についてしまった。漆器赤、黒という枠にとらわれていた私の概念は、現代の技術によって「漆器多色」に広められた。このような広がりを味わうことは一つの快楽である。


 越前漆器の起こりは、約1500年の昔にさかのぼるといわれている。この凄まじい伝統を、器は100均で済む時代となった現代であっても、どうにか絶えないでくれと願ってやまない。

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