第4話 「サポーター」という名の仲間

「フォレザン花峰、桑穂エレクレール。審判、選手の入場です!」

 スタジアムDJが高らかに声を張り上げ、ファンファーレのような晴れやかな音楽がスタジアムに鳴り響く。俺達含め、スタジアムにいるほとんどの観客がタオルマフラーを両手でピンと張って掲げた。スタジアムがフォレザン花峰の紫色に染まる。今宮も首に巻いていたマスコット柄のタオルマフラーを急いでほどいて同じように掲げる。

 ピッチに四人の審判と、両チームのスタメン(スターティングメンバー)がユニフォーム姿で縦二列になって入場してきた。前列でタオルマフラーを掲げている男性サポーターの背が高いため、背の低い今宮は視界がタオルマフラーで遮られているらしく、上体を動かしながら隙間を探して選手の様子をチラチラと覗いていた。そして聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で「カッコいい……」と呟いた。

 キックインセレモニー、両チームの選手の握手、スタメンの集合写真の撮影が終わり、選手達はピッチで円陣を組む。円陣が解かれると選手達はハイタッチをしながらそれぞれのポジションに着いて、いよいよ試合開始の笛を待つだけとなる。桑穂サポーターも俺達花峰サポーターも、それぞれのチャントをぶつける勢いで歌い、跳びはねる。互いの闘争心をむき出しにしたチャントが空気をビリビリと振動させ、スタジアムの緊張感は最高潮に達した。

 むぎやスタジアムに審判の甲高い笛の音が響いた。ついに試合開始だ。ピッチの中央でボールに脚を置いた桑穂エレクレールの選手が、笛の音とともに後ろにいる仲間のもとへボールを蹴る。両チームの選手達が一斉に動き始めた。俺達もさらに声量を上げてチャントを歌う。

「いざ立ち上がれ 紫の戦士 共に戦おうぜ フォレザン花峰」

 チャントは一定のフレーズを繰り返すだけなので、何回か聞いて歌えばすぐに覚えられる。今宮もチャントを繰り返すごとに声量を上げていき、チャントに合わせてその場でぴょこぴょこと跳ねるまでになった。試合展開の中でピンチを迎えてそれを凌げば、コールリーダーのハチローさんはチャントを止めて違うチャントを歌うようリードする。そのたびに今宮は口をぱくぱく動かして必死でチャントを覚え、再び声量を上げて歌い跳ねる。懸命に周りに順応しようとする健気な今宮を見て、俺は今宮をここに連れてきて良かったと思えた。

 試合展開はというと、桑穂エレクレールがほぼ一方的にボールを保持し、フォレザン花峰のゴールに攻勢をかけている状態。フォレザン花峰の選手達はなかなかボールを持てず防戦一方だ。

「今日も駄目かな……」

 チャントに混じって、ため息まじりの声が聞こえてきた。確かにここ四試合、フォレザン花峰は勝利に見放されている。

 その時だった。パスを繋いでいた桑穂エレクレールの選手がパスミスをし、フォレザン花峰の選手がボールをかっさらった。そのまま花峰の選手はドリブルで相手ゴールへ迫り、ふわっとボールを蹴る。ボールは前に出てきた相手ゴールキーパーの頭上を通り越して、弧を描くようなふんわりとした軌道でゴールに吸い込まれていった。

 直後、スタジアムは爆発的な歓喜に沸く。座って観戦しているメインスタンド、バックスタンドの観客も一斉に立ち上がり、地響きのような歓声が上がる。スタジアムDJが「ゴォォォォォル!」と叫ぶ。大型ビジョンに派手なグラフィックで「GOAL!」と表示される。ゴール裏も沸き立ち、誰彼構わず周囲の人とハイタッチをする。

 俺は左隣の西浜さんとハイタッチをして右隣の今宮の方を向こうとしたが「タルくんんんん!」などと西浜さんが力強い抱擁をしてきたため窒息しかけた。西浜さんから解放された後に今宮を見ると、先ほどのように状況が飲み込めていない様子で周囲をせわしなく見回している。

「今宮、ゴールだ! 花峰が一点入れたんだ!」

 今宮は「えっ!」と言った後しばし動けない状態だったので、俺は両手のひらを今宮に向ける。

「ハイタッチ!」

 今宮はおそるおそる両手のひらを俺と合わせる。手が重なった瞬間、今宮は目を細めて頬を赤く染め、満面の笑みを浮かべた。

「私ともハイタッチよー!」

 西浜さんともハイタッチした今宮は、前列の背の高い男性サポーターや後ろの席のカップルなど自分の周囲のサポーター達とハイタッチを交わした。

 大型ビジョンにゴールシーンが映され、スタジアムDJが再び叫ぶ。

「只今の得点は、フォレザン花峰背番号7、雨沢あめさわ月斗つきと!」

 大型ビジョンには雨沢選手の写真が大映しになる。どこからか「キャー! 月斗ー!」と黄色い歓声が上がった。雨沢選手はアイドルばりの甘いマスクの持ち主で、女性人気が非常に高い。

「ツ・キ・ト! ツ・キ・ト!」

 ゴール裏からのコールに、雨沢選手はゴール裏を向き頭の上で両手を叩いて応える。むぎやスタジアムが高揚感に包まれている中、失点した桑穂エレクレールのサポーターはフォレザン花峰の舞い上がった空気をかき消すように、さらにフルパワーでチャントを歌い始めた。

「相手も仕切り直して来るわね。ここからが正念場よ」

 西浜さんはスタジアムに響く桑穂エレクレールのチャントに、早くも気持ちを切り替えたようだった。そうだ、まだ一点。まだ前半二十分。試合終了間際まで二点差があっても追いつかれてしまった前の試合が頭によぎる。得点力のある桑穂エレクレールの逆転勝ちも十分あり得るこの状況。まだまだ安心できない。

 試合再開の笛が鳴り、桑穂エレクレールの選手が再び花峰のゴールへと攻め込んでいく。ミスからの失点だったためか、桑穂エレクレールの選手一人ひとりのプレーに気迫が感じられる。失点前より明らかに勢いが増し、どんどんフォレザン花峰のゴール前にボールを運んでいく。

 そうこうしているうちに、俺達の目の前にあるフォレザン花峰のゴールネットが揺れた。失点だ。桑穂エレクレールの守備の選手がゴール前に放り込んだボールに、同じく桑穂の攻撃の選手がヘディングでゴールへと押し込んだのだ。フォレザン花峰の選手達は対応が遅れて、いとも簡単に桑穂エレクレールの選手に得点を許してしまった。

 沸き立ったのは桑穂エレクレールのゴール裏。フォレザン花峰側の観客は静まり返り、先ほど雨沢選手が得点した時とは真逆の空気になった。大型ビジョンには簡素なフォントで静かに「GOAL」と表示が出る。桑穂エレクレールの選手はボールを急いだ様子で抱え、喜ぶ素振りを微塵も見せることなくピッチ中央へ走り、試合再開のためピッチ中央にボールを置く。早く試合を再開してもう一点取りに行くぞ、という意思表示だ。

「* * *** フォレザン花峰!」

 コールリーダーのハチローさんのリードで、ゴール裏全体でフォレザン花峰コールをする。しかし、フォレザン花峰が失点したことにより全体の声量が若干落ちている。早くも諦めムードが漂い始めているのだ。俺も西浜さんもまだ諦めてはおらず、ここぞとばかりに声を張り上げる。右隣を見ると今宮はコールに参加せず、不安そうな面持ちで周りをきょろきょろと見回していた。

 再び試合再開の笛が吹かれ、フォレザン花峰の選手がボールを保持して桑穂エレクレールのゴールへと攻めようとする。しかし桑穂エレクレールの選手達は点を取った勢いでさらに攻勢を強める。フォレザン花峰の選手達も懸命に走り、ボールを奪おうと必死に食らいつくが、技術で勝る桑穂エレクレールの選手にいとも簡単にかわされてしまう。

 桑穂エレクレールの逆転弾が決まったのはわずか数分後のことだった。ピッチを挟んで向こう側にいる桑穂サポーターから爆発的な歓声が上がり、得点を決めた桑穂エレクレールの選手はここぞとばかりに拳を突き上げる。逆にフォレザン花峰の選手達は肩を落としてうつむいた。

 俺達のいるフォレザン花峰のゴール裏からは、そこかしこからため息が聞こえてきた。二月下旬にシーズンが始まってから八試合、フォレザン花峰はまだ逆転勝ちをしたことがない。相手にリードを許せば最後、劣勢をひっくり返すだけの得点力がないのだ。つまり、この試合も桑穂エレクレールに逆転を許してしまったので、再逆転することはかなり難しくなってしまった。

「タルくん、諦めるのはまだ早いわよ。絶対にまた逆転するんだから」

 西浜さんはうつむいていた俺の背中を軽く叩いて励ます。西浜さんはその言葉を自分自身にも言い聞かせているようだった。再び今宮を見ると、先ほどと同じくおどおどと不安そうに周囲を見ている。

「今宮」

 俺が声をかけると、今宮は表情を変えないまま俺に視線を移した。

「ごめんな、こんな試合で」

 そう言ったものの今宮の反応が怖くて、俺はすぐにピッチに視線を戻してしまった。サッカー初観戦の女の子にはやはり勝ち試合を見せたかった。逆転負けは最高にカッコ悪い。……と思ったが、カッコいい男なら逆転負けでも女の子をきちんとフォローするだろう。そのフォローの仕方が分からない俺はどのみちカッコ悪いのだ。

 三度目の試合再開の笛が鳴り、フォレザン花峰のゴール裏もチャントを歌う。周りの声量が落ちたのに加え、俺もこころなしか声が出ない。跳びはねる身体もなんとなく重い。西浜さんの言う通り諦めるのはまだ早いが、ここ四試合勝ち星が無いこの状況ではフルパワーの応援は――。

「いーざー立ち上がーれ!」

 右隣で耳をつんざくほどの声が聞こえた。

「むらーさきの戦士ー!」

 俺はぎょっとして、右にいる今宮の方へ視線を向ける。

「ともーに戦おうぜ! フォレザン花峰ー!」

 今宮が上下に激しく跳びはねながら、必死の形相でチャントを歌っていた。フォレザン花峰のゴール裏全体に響き渡るのではないかと思うほどの声量に、俺だけでなく周りのサポーター達もハチローさんも思わず今宮の方を向く。しかし今宮は少しも動じることなく、目をカッと見開いたまま無我夢中でチャントを歌い続けている。

「今、宮……?」

 俺が声をかけても今宮は返事をすることも、顔をこちらに向けることすらせず、ピッチを見つめたまま歌い跳ねる。もはや無我の境地だ。

「そうだ、諦めんのはまだ早ぇぞ!」

 ハチローさんがトランジスタメガホンで花峰のサポーター達を煽った。皆ハッと我に返った様子で、再び声を張り上げてチャントを歌い始める。フォレザン花峰のゴール裏に本来の声量が戻った。今宮の豹変ぶりに呆気にとられていた俺も、慌ててチャントに加わる。

 結局、前半の四十五分が終わるまで今宮は全力で歌い跳ね続けた。フォレザン花峰は桑穂エレクレールの猛攻を凌ぎ、前半終了時点で一対二。フォレザン花峰の一点ビハインドで試合はハーフタイムに入り、両チームの選手達はいったんロッカールームに引き上げていく。フォレザン花峰のゴール裏もチャントを止めて休憩に入った。

「はあ、暑い!」

 今宮は座席に座ると、持ってきたペットボトルのお茶をごくごくと飲み、額から流れる汗をタオルマフラーで拭う。四月とは思えないジリジリとした太陽に照らされるその姿は、とても輝いて見えた。

「今宮、お前……」

「梓乃ちゃん……」

 俺と西浜さんがおそるおそる話しかけると、今宮はニッと口角を上げて俺達の方を向く。

「私、まだ諦めてませんからねっ」

 俺が思わず「えっ」と言うと、今宮はさらに口角を上げて青々としたピッチに目を向ける。

「さっきフォレザン花峰が一点入れた時に篠沢さんや西浜さん、そして周りの皆さんとハイタッチができて、私すっごく嬉しかったんです。知り合って間もない人、お互い名前も知らない人、そういった皆さんが手を差し出してくれて一瞬でも心を通わせられて、とても幸せでした。だから、よりいっそう皆さんの仲間になりたいって思ったんです」

 今宮は少しだけ悲しげな目をして視線を落とした。

「私、大学デビューに失敗したんです。高校卒業までなかなか仲良しグループに入れなくて、誰とも触れ合えない学生生活を送ってきました。そして、大学に入っていざ友達を作ろうと無理に自分を偽っても、やっぱり駄目でした。大学に入って幸運だったのは、大講義室でうっかり転んでその目の前にいたのが篠沢さんだったことです」

「俺……?」

 今宮はまっすぐ俺を見て、ゆっくりと頷く。

「あの時、転んだ私を篠沢さんは心配してくれましたよね。私は恥ずかしい姿を隠そうと必死で、何を言ったのかよく覚えてないんですが、たぶんめちゃくちゃなことを言っていたと思います。でも、篠沢さんは無視することなく受け止めてくれました。それに」

 目を細めてふっと笑った今宮に、俺は思わずドキッとした。

「こんなに楽しさが詰まった場所に連れて来てくれて、こんなにたくさんの人と触れ合う機会を作ってくれたんですよ? そしてこんな私に一日付き合ってくれて……。全部全部、心から感謝しています」

 俺を見つめる今宮の目は少しだけ潤んでいた。今宮自身もそれに気付いたのか、ハッとして俺からピッチへと視線をそらして勢いよく立ち上がった。

「試合が始まる前にメガホンで呼びかけた方が言っていましたよねっ。『全力で歌って、全力で後押しすれば絶対勝てる』って。だから、試合が再開したら私はまた全力で歌います。皆さんともう一度ハイタッチしたいし、仲間になりたいから」

 同じチームを「応援したい」という気持ちさえあれば誰もが仲間。年齢も性別も、サッカーの知識量や知っている選手の数も関係ない。各サポーターが普段どんな仕事をして、どんな生活をしているのかというバックグラウンドもここには必要ない。ゴールが決まれば誰彼構わず喜んでハイタッチをして肩を組んで揺れる。それが「サポーター」という名の仲間だ。

「今宮はもう仲間だぞ」

 思わず口をついて出た言葉に、今宮は立ったまま俺に顔を向けた。じりじりとした日差しが、眉尻を下げてきゅっと口を結んだ泣きそうな今宮の表情を照らす。背景は敗北ムードのスタジアムと澄み切った青空。吹き抜ける風が今宮のおさげ髪を揺らした。

 そろそろ後半戦の開始が近い。今宮と一緒なら、逆転勝利もできる気がする。

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