九夏
青いひつじ
第1話
苔だらけの岩を登ってくちっこいカニに石投げて、時間を潰しとった。
「なぁ〜んか楽しいことはないかのぉ」
ここは南石島(なこくじま)。人が千人くらいしかおらん、小さな島や。海がきれいで魚が美味い。人もそれなりに優しい。こないだテレビで乳のでかいアナウンサーが、この島が密かな観光地になっとるとか言う(ゆ)とった。
島には、コンビニよりちょっと広いくらいのスーパーがひとつだけ。最近ワシの家の近くに緑色のコンビニができて、島の人間は大騒ぎやった。信号は気持ち程度で動いとる。学校は小・中・高の一貫校がひとつで、名前を聞けばだいたい誰のことか分かる、島のもん全員が知り合いみたいなところや。
六月。南石島は雨ばっか降って、空気が肌にひっついてくる嫌ぁな日が続いとった。チャイムが鳴って担任が入ってくると、続けてひとりの女が入ってきた。
「東京から転校してきました。白石弥生(しらいしやよい)です」
細い腕と脚。不気味なくらい白ぉて、黒い長い髪をふたつに束ねた、人形みたいな女やった。ここの制服がまだ届いとらんのか、赤いチェック柄のスカートに、首元にはリボンをつけとった。
「『変な時期に来たのぉ』」
「東京の女は白いのぉ〜」
「『それ東京関係あるかぁ?』」
「『岡村(おかむら)は白い女が好きやでな』」
「『悪かったな、島の女は黒ぉて』」
「『乳がでかい女の間違いやろ』」
「乳やない、尻じゃ」
「『じゃあ白石は、一番奥の、あの空いてるとこ座って。ほんなら隣の岡村、お前白石に色々教えてやってくれ』」
女はワシの目ぇ見んと近づいてきて、隣に座った。横を通った時、甘い匂いがした。
「よろしく〜。分からんことあったら聞いてなぁ〜」
そう言(ゆ)うと、女はまた目ぇ合わせんと、ぺこりと軽く会釈しただけやった。「『なぁ〜んや感じ悪いのぉ』」と、隣の田中(たなか)が耳打ちしてきた。
女は、クラスの女たちと打ち解けようとせんかった。
「『白石さんおはよう〜!あのさ、分からん教室ある?案内するよ〜』」
「ありがとう。でも大丈夫」
「『制服かわいいね!さすが東京って感じやわぁ〜』」
「‥‥」
ワシは一応隣やし思(おも)おて、一日一回は声かけるようにした。話したくなかったら返してくれんでええし、くらいに思(おも)おとった。ワシが「おはよ」言う(ゆ)たら、女は「おはよう」と返してきた。「シャーペン貸して」言(ゆ)うたら、「消しゴムいる?」って聞いてきたから「いらん」言(ゆ)うた。現代文の時間、隣同士でペアになって、文の意味を考えるみたいなやつも、女は嫌がらず話してくれた。そんな姿を見てか、クラスの奴らが俺をからかうようになった。
「『ちょっと〜岡村さ〜ん。もしかして、白石とええ感じ?』」
「あ?なんでや?」
「『なんや、岡村にはちょっと心開いとる感じするよな?』」
「そぉかぁ?分からんわ」
「『今日俺がおはよう言うても無視やったで?』」
「お前口臭いからやろ」
隣のクラスを牛耳(ぎゅうじ)っとる女が三人、ワシのクラスに来たこともあった。
「『岡村〜。白石さん、あんたに懐いとるらしいのぉ。もう少し愛想良くするよう言(ゆ)うといてや』」
「なんでワシが。お前ら自分で言(ゆ)えや」
「『こっちが言(ゆ)うても聞かんよ、あの女』」
「愛想悪いとゆうか、無口なだけやろ」
「『男とばっか話して変な噂たったら可哀想やん』」
「うっさいのぉ。相手にされんかったからって僻(ひが)むなや。お前らのこと嫌いなんやろ」
そう言うと「『はぁ??もうええわ』」と帰っていった。
女が島の人間を毛嫌いしとるとか、そんな感じはせんかった。ただ、都会のオーラみたいなもんを放っとった。やたら涼しげで静かできれいなこの女に、引け目を感じたり、僻んだりして話しかけんやつもおったかもしれん。女の周りが賑やかやったんは、ほんの数日だけやった。
二ヶ月経って、夏休みになった。風鈴の音を打ち消すみたいに、蝉がジリジリ鳴いとる。それだけで暑さが増す気がする。ワシはタンクトップに短パン履いて、畳に寝っ転がって、足の親指で扇風機のボタン押して、つけたり消したりしとった。
「『けんたー!けんたー!おるかー!』」
「もー、なんや、うるさいの‥‥」
玄関に行くと、ワシと同じ格好して首にタオル巻いたオトンと、麦わら帽子を被った白石が立っとった。白いデニムはちょっと汚れとった。
「白石‥‥なんで?」
「『道の端っこで、しゃがみながら自転車触っとったから声かけたんや。パンクしとるで直してくるわ。お前、茶ぁ出したって』」
なんや久しぶりに会(お)うたからか、あからさまに気まずい沈黙が流れた。白石は表情を変えんと、ワシの方を見とった。
「あー、久しぶりやのぉ。大変やったなぁ。ワシんとこ自転車屋やっとんや。たまたま会えたみたいで良かったな」
「うん」
「あー、えーっと、島の夏って退屈やろ?やっぱ白石も、なんとかランドとか行ったことあるん?」
「まぁ」
「あぁ‥‥まぁ、ちょっと待っててな、お茶いれて‥‥」
あまりの会話の続かなさに、その場を去ろうとした時やった。
「優しいお父さんだね」
白石からそんな風に話してきたんは、初めてやった。気のせいかもしれんけど、その表情(かお)は、少しだけ笑っとるように見えた。
「良かったら上がって。畳んとこ座って待っとって」
冷凍庫から氷を出して、カロンッと勢いよくグラスに入れた。麦茶を入れたら、パキパキ氷が割れる音がした。白石は縁側に座っとった。
「ん」
「ありがとう」
「もうちょっとで終わるって」
白石の横に麦茶を置いて、ワシも縁側に座った。白石は「いただきます」と言(ゆ)うて、それを一気に飲み干した。
「喉渇いとったんか?もう一杯飲むか?」
「うん。誰も来なくて、歩くの大変で‥‥」
「おう、待っとれ」
ワシは二杯目の麦茶を入れた。白石は「ありがとう」と言って半分くらいをぐびっと飲んだ。
「東京の生活ってどんなんやったん?」
「別に、岡村くんと変わらないよ。学校行って、塾行って、家帰って勉強して」
「ワシは勉強はせん」
そう言(ゆ)うと、白石はプフッと噴き出すように笑(わろ)うて「たしかにね」と言った。
心臓がピクッてなった気がした。なんや嬉しかった。
「『おーい、終わったでー』」
玄関からオトンが叫んどった。自転車の修理が終わったようやった。
「もぉ、いちいち叫ぶなや」
「お父さん、いい人ね。見つけてもらえなかったら、熱中症で倒れてたかも」
「あんなん、どこにでもおるやろ」
「そうかな。なかなかいないよ」
「白石のオヤジさんはどんな人なん?」
「お母さんとお父さん離婚してて、お父さんはいないの」
「おー、そーか。まぁ今どき珍しいことでもないよな」
そう言うと、白石はワシの顔を不思議そうに見つめとった。
「なんや」
「あ、いや。こうゆう話すると、いつも気まずくなるっていうか‥‥だいたいごめんって言われるから‥そう言ってもらえると助かる」
白石は小さい声で「ありがとう」と言(ゆ)うた。
「んじゃあ気まずくならんように、スイカでも食(く)うか!オカンが切ったスイカあるわ。好きか?」
「うん、好き」
そう言(ゆ)うてまた笑った白石。ワシの心臓はさっきからずっと、なんやおかしいわ。白石は、一口サイズになったスイカをシャクシャクいわせて食べとった。
「なぁ種飛ばししよや」
「どっちが遠くまで飛ばせるかってやつ?」
「そうそう。いくで。ブッッ」
「うわー!すごい遠くまで飛んでった!」
「すごいやろ〜〜〜」
そん時やった。
「『あ〜んた、何そんなことで偉そうにしとんの』」
振り向くと、オカンが帰ってきとった。白石は立ち上がって「おじゃましてます」と、頭を下げた。オカンは「汚いとこでごめんね〜。お父さんから聞いたよ〜大変やったね〜」言(ゆ)うて、抱えとった段ボールをどしんと机に置いた。
「これなんや」
「『チラシ。流(なが)し火(び)まつりの。あんた明日配るん手伝って』」
「あー、来月か」
毎年恒例のまつりのチラシやった。ワシは、去年と全く同じデザインのそれをポイっと机に放(ほお)った。そしたら白石がヒョイっと顔出して「これ、ここでするの?」と聞いてきた。
「そ、来月。一応この島では一番でかいまつり。島のもんみーんな集まってどんちゃん騒ぎよ。観光客も来たりしてな」
「へぇ‥‥」
白石は裏返したりしながら、興味ありげにチラシを見とった。
「一緒に行くか?」
「えっ」
「あ、すまん。島のやつ誘う感じで言(ゆ)うてもうた。嫌やったら全然‥‥」
白石は「行きたい」と言(ゆ)うてから少し考えて「でも、お母さんに聞いてみる」と言(ゆ)うた。
「お。じゃあ分かったら連絡ちょうだい。これワシの番号」
白石は、オカンからビニール袋いっぱいのトマトを受け取って、自転車に乗って帰っていった。
それから一週間後やった。
「『けんたー!!』」
またオトンが叫んどるわ。そう思(おも)おて玄関に行ったら、大きな紙袋持った白石が立っとった。
「お、いらっしゃい。どした?」
「このあいだはありがとう。これ、直してもらったお礼。あと、まつり行けそう」
「わざわざありがとう。まつりもよかったな」
白石が渡してきたんは、和紙みたいな高そうな紙で包まれた四角い箱やった。妙な沈黙が流れて、なんとなく「上がったら」と言(ゆ)うて、ワシらはまた縁側に座った。
「スイカ食べるか?」
「食べたい」
「こないだから思(おも)おとったけど、白石って実は甘えん坊よな?」
「え?ほんと?そんなこと言われたの初めてかも」
「ほんま?」
「どっちかってゆうと、しっかりしてるって言われてきたから」
「じゃあ、ワシの前だけそうなんか?」
「そうなのかも」
そう言って白石がこっちを向いた瞬間、チリンチリンと風鈴が鳴って、ワシは初めて白石としっかり目が合(お)うた。真っ白な肌に、ビー玉を太陽に当てたみたいな、宝石みたいな目が埋め込まれてて、すんごいきれいやった。なんやこの空気。どうしたらええんやろ。
「『ただいまー。今日も暑いなぁ』」
オカンがまつりの会合から帰ってきた。こん時だけは、帰ってきてくれてありがとうと思(おも)おた。
「『あ、白石ちゃんいらっしゃい! なぁ、けんた。あんたってまつり当日、流し火の受付いけそう?』」
「いや、まつりは白石と回るから」
「『あ、そうかそうか分かった。じゃあ準備は手伝(てつど)うてな』」
「流し火って何?」
「ちっこいロウソクに火ぃつけて、海に流す行事。過去の自分を許す?手放す?的な?」
「過去の自分を?」
「あ、ほらチラシのここに書いてあるやろ。流し火とはって。ほとんど島のもんしか来んのに、毎年律儀やなぁ」
白石は、流し火の説明を食い入るように見とった。
「協賛岡村自転車って、岡村くんのお父さん?」
「そ、毎年あのスーパーの会社が主催しとんやけど、島で働いとるもんも協力して、みんなでやっとんよ」
「受付って何するの?」
「まぁ、来た人にやり方説明して、ロウソク火ぃつけて渡すくらい?」
そう言(ゆ)うと、白石はチラシをぎゅっと握って、「受付の手伝いしたい」と言(ゆ)うた。
「あー、早めに集まって軽ぅーく回って、受付するか。ええんか?」
「うん」
白石は、チラシを見つめたまま、少しぼーっとしとった。
まつりの二週間前。
「おじゃまします」
白石が準備の手伝いにやってきた。ゆうてもロウソク流すだけやで、そんなに準備することはなかった。
「この人、おばあちゃん?」
「そう、五年前に病気でな。あ、そうやそうや」
ワシは、白石に一冊のノートを差し出した。
「どうしたの、このノート」
「流し火のこと、ばあちゃんが書いてたんや。なんや白石興味持ってたから。字汚いけどな」
「ありがとう」
白石は仏壇の前で正座になって、ノートを熱心に読んどった。
「ちょっとワシ買い物行ってきてもええ?」
そう聞いたけど、白石は反応せんかった。まぁ気が済むまで読んだらええか、そう思(おも)おて、オカンに頼まれてたもんを買いに、近くのコンビニまで行った。「ただいまぁ」言(ゆ)うても反応が無かったから座敷に行ったら、白石はまだノートを読んどった。ワシが後ろまで近づいても全く気づいてないようやった。
「白石。おーい、白石!」
二回目で白石は、ハッとして上を向いた。
「それ、そんなおもろいか?」
「ごめん。気づかなくて」
「ほい。おまけのいちごミルク」
「ありがとう。‥‥ねぇ、流し火する海ってどんなところ?」
「お、今から行ってみるか?」
ワシの言葉に、白石は驚いた顔して「いいのかな」とちょっと考えて「うん」と答えた。
「んじゃ行くか!白石の自転車借りるぞ」
「うん」
「ほい!後ろ座って」
「え?ここに座るの?こう?」
白石は、戸惑いながら荷台に跨った。
「そ。ワシの肩に捕まっとれよ!」
「えっ嘘!ちょっと待って!!きゃーー」
ガシャンガシャン、カラカラカラカラ。ゆるぅく、ながぁい坂道を下っていく。二人乗りは初めてやったんか、白石はワシの腹にぐっと手を回し、顔を背中にピッタリくっつけてきた。ドキドキゆうとんは、どっちの心臓やろ。
「ほら白石。ひまわり、きれいやろ」
空まで続くような道の両端で、ひまわりが風と仲よう揺れとった。
「わぁ‥‥本当だ」
「このひまわりの道越えたら、海が見えてくるんや。なんやロマンチックやろ」
白石は反応せんかったけど、腹に回った腕にぐっと力が入った。
今日の海は、波もなくて穏やかやった。
「ここが、流し火の海」
「そっか、ここで、許されるんだ」
「ん?」
白石は、石段に座った。少し離れて、ワシも座った。
「私のお父さんね、浮気して出ていったの。それからお母さんもちょっと変わっちゃったんだ」
「そうか〜」
「ふふ。なんか、岡村くんはいつも、他の人と違う反応するね」
「そぉか〜?」
「うん。東京いた時は、こんな話したら変な噂もいっぱいたったし、友達も離れていったよ」
「オトンも浮気したことあるで。スナックのママと。オカンがめっちゃ怒って大変やったわ。だから、許してもらわな〜って流し火まつりに参加しとんや」
「なんか、岡村くんのお父さんらしいね」
「ただの阿呆(あほう)」
「ふふふ」
「まぁとにかく、ぜーんぶ白石には関係ないことや」
「え?」
「親がなにしようと、それと白石は別やろ」
「いいのかな」
「なにが?」
「私そんな風に、思って、生きていいのかな」
「当たり前じゃ」
白石は、少しのあいだ海を眺めて、突然泣き出してしもおた。でも「大丈夫や」とかありきたりな言葉で慰めるんは違う気がした。ワシはどうしたらええんか分からんと、白石の腕を掴んで、海に向かって走った。「えっ」と驚いた声が後ろから聞こえた。ワシはそのまま、海へ突っ込んだ。
白石はバランスを崩して、ワシに覆い被さるように倒れてきた。ブハっと水から顔出して、全身ずぶ濡れで何が起こったのか分からんみたいな顔して、腕に絡まったワカメに「なにこれーー!」「びっくりしたぁ〜」とキャッキャ笑(わろ)とった。ワシらはそのまま、少しだけ海の奥の方に行った。白石は、腰上まで水に浸かって、夕日を見て「きれい」とつぶやいた。その背中を、ワシは見つめとった。そしたら白石は振り返って、また泣きそうな顔になって、ワシに抱きついてきた。
「岡村‥‥ありがとう」
帰り道。ずぶ濡れのまま、オレンジ色の道を歩いた。
「白石、あんな風に笑えばよかったのに」
「んー?」
「クラスでも笑えばよかったやん」
「うるさいんだもん。私、性格悪いの」
「そや思(おも)おとった」
今日初めて、岡村って呼ばれた。なんやちょっと、今まで知らんかった白石のことも知れた。この気持ちは、一体なんやろな。夕日がやたらきれいやな。
二週間後の夕方五時。今日はまつり当日。
あれからも白石は、週に何回かうちに来て、準備の手伝いをしてくれとった。ばあちゃんのノートを読んで、またぼーっとしたりもしとった。
「お待たせ!」
振り向くと、青色のワンピースに平べったいサンダル履いた団子頭の白石が、ちょっと息を切らして立っとった。
「ごめんね。遅くなって」
「全然。あたまの花、かわいいな」
白石は「ありがとう」と言って、下を向いた。楽しいまつりのはずやけど、なんや風景も入ってこん。ピーヒャラピーヒャラ遠くから音楽だけ聞こえる。ワシは白石のことばっか意識しとった。横目でチラッと見た白石は、いつにも増してきれいやった。緊張するぐらいきれいやった。赤い唇にまつ毛がくるんと上がって、頬はなんか、風呂上がりみたいになっとった。
「な、なに食べる?」
「んー、焼きそばと、たこ焼きとりんご飴かな」
「食いしん坊やな」
「へへ」
ワシらは、欲しいもん全部買うて、石段に座った。
「まずは、焼きそば♪」
白石は楽しそうやった。この顔が見れただけで、今日はもう充分やと思(おも)おた。
「楽しいね」
「東京のまつりは、もっとでかいやろー」
「うーん、でも誰かとおまつり行ったことないかも」
「そうなん?」
「うん」
「夏は、東京帰らんの?」
「うん、ずっと島にいる」
「そぉか。そういやなんや東京で、変な事件起きとったな。島は暇やけど、安全といえば安全なんかもな〜」
「変な事件?」
「おー。男のバラバラ死体が見つかったーみたいな事件やったかな」
ワシは、行き交う人を見ながらたこ焼きをパクッと口に入れた。
すると突然、ガシャンと音がして横を見ると、白石が小刻みに震えて、足元には焼きそばがこぼれとった。
「おい、白石‥‥。どうした?白石!?」
「‥‥ねぇ、‥‥流し火のとこ‥‥どっち」
「あっちやけど」
「私‥‥行かなくちゃ」
白石は、何かに取り憑かれたみたいに、ワシが指差した方へふらふら進んでいった。
「おい白石、危ない!」
「離して‥‥」
白石はワシの手を振り払って、吸い込まれるように歩きながら、少しずつスピードを上げていった。
「危ないって!」
「離してよ!」
「待てって!!こっち見ろ!!」
肩を掴むと、白石はようやくこっちを見た。
「どうした。落ち着け。一緒に行こ。あそこの階段降りてすぐ近くやから」
ワシと白石は手ぇ繋いで、一緒に石段を降りた。白石の手の平は汗でびっちょりやった。
「岡村、ごめんね」
「さっきのことか?そんなに流し火がしたかったんか?」
白石はワシの質問には答えんかった。六時になって、流し火が始まった。白石はさっきとは別人みたいにいつも通りに戻って、来た人にロウソクを渡しとった。全部が終わってから、「私も流したい」言(ゆ)うて、ロウソクに火をつけた。白石は、ロウソクが遠くに行って見えんくなっても、ずっと眺めとった。「そろそろ帰ろか」と声をかけても、動かず、ただ眺めとった。まるで、何かを強く願(ねご)うとるみたいやった。
まつりが終わって、白石を家まで送った。帰り道、白石はあんまり話さんと、時々「岡村、ごめんね」と言うだけやった。白石がチャイムを鳴らすと、女の人が勢いよく出てきて白石を抱きしめた。
「『弥生ちゃん、こんな遅くまで、何か危ないことはなかった?』」
「うん、大丈夫だから」
「『ほんとに?お母さん心配になっちゃった』」
「連絡したでしょ」
「『それでも、弥生ちゃんに何かあったらって‥‥』」
「あ、あの〜遅ぉまで連れ回して、すいませんでした」
ワシがそう言うと、白石の母親は「『今後一切やめてください!』」とワシをキッと睨んできた。
「あ、すんませんでした。じゃあ白石、また学校で」
「うん。送ってくれて、ありがとう」
白石はヒラヒラと手を振り、家に入っていった。母ちゃん大丈夫やったか?と連絡したけど、白石からの返事は来(こ)んかった。
夏休みが終わって、学校が始まった。
「『おー久しぶりやのぉ』」
「『一週間前会(お)うたやろ』」
「『髪切った〜?』」
空は真っ青で、雲ひとつなくて、なんか泣きそうなるわ。
「『岡村おはよ〜。まつり行った? 星めっちゃきれいやったなぁ』」
「おはよ」
それだけ返して、机に突っ伏した。ワシはあの日、白石のことしか見とらんかったわ。
ワシの隣は空いたまま。白石は、転校してしもおた。理由は分からん。担任は家の都合で、と言(ゆ)うとった。あのまつりの日を最後に、白石とは会えんくなった。白石がおった時は、島にあるもんが全部光って見えたけど、魔法が解けたみたいに元に戻ってしもおたな。外は太陽がガンガン照って、白石が初めてうちに来た時みたいや。学校中で妊娠したや夜逃げやいろんな噂がたっとったけど、そんなことはどうでもよかった。白石が元気にしとんか、ただ、それだけが気がかりやった。あと、一度聞いてみたかった。ワシのこと、どう思(おも)おとるって。もう叶わんけど。
「会いたいのぉ」
九月になってすぐのことやった。
スーツを着た男二人がワシの家を訪ねてきた。
白石晶子(あきこ)さんと、白石弥生さんをご存知ですか、ゆうて。
九夏 青いひつじ @zue23
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