第14話
ヘクターの二日前の光景。それは、フェルウッドの本城にある一室での光景だった。
十人ほどの男が整然と横一列に立ち並んでおり、その中にヘクターもいた。その十人の前にフェルウッド伯エドワードがいる。エドワードは、机を前に厳粛な面持ちで椅子に腰掛けていた。
「――では、ディアナ王女には
家臣であろう男の一人がエドワードに尋ねた。
「うむ。ディアナ殿下を厭うわけではないが、主君として仰ぐには、まだお若すぎる。今後、一部の諸侯が王女に加勢したとしても、あのリカード王弟軍に勝てるかどうか……。ディアナ殿下に助力して王弟を敵に回すという賭けには出られん」
「……ごもっともかと存じます。そのディアナ殿下は、いずれに逃亡されたのでしょうか?」
こう問うたのはヘクターだった。エドワードが答える。
「わからぬ。このフェルウッドに向かう可能性もある。ゆえに、もし領内の巡視中などにディアナ殿下を見つけた場合は捕らえろ。ただし、命を奪ってはならぬ。捕まえたのち、私がリカード殿下に引き渡す。まさかリカード殿下も、姪であるディアナ殿下を処刑しようとは考えてなかろう……」
最後の一言は確信に欠けていた。
この時点で、意味は明らかである。エドワードは――フェルウッドはディアナの敵に回ったのだ。そうなることも全くありえないわけではなかったが、可能性としてかなり低いとディアナは考えていたのだ。
エドワードは温厚な初老の男で、父レイモンドの忠実なる臣下だった。ディアナにも、たまに会うと実に優しげな態度で接してくれた。だがそれは、内紛など起きる前の王女に対してであり、国内一の権力を持つ王弟リカードと覇を競おうとする小娘に対しては事情が変わってくるのだろう。
フェルウッドがリカード側についたとわかったからには、のこのことヘクターたちについて行くわけにはいかない。言わずもがな、城に着いたら彼らはディアナとバルドルを拘束する腹づもりだ。
ふいに、過去ではなく現在のヘクターの表情に動きが見られた。何かに混乱したような、勘づいたような顔に変わったのだ。
ヘクターは額に手を当てて、
「何だ……頭が何か妙だ……」
と、当惑したようにぽつりと漏らした。
まずい、とディアナは思った。魔道で記憶を覗いてることを察しはじめているのだ。非魔道士でも鋭敏な神経の人間であれば、記憶を覗かれていることに気づく場合が稀にある。運悪く、ヘクターがそうだったようだ。馬上のヘクターは、訝しむような眼差しでディアナを見下ろした。
王の毒殺に関して叔父を告発した際に、ディアナは時渡りの魔道を自身が持っていることを周囲に教えざるをえなかった。したがって、ディアナが人の過去を覗けることをヘクターも知っているに違いない。
ヘクターは表情に困惑の色をにじませながら、不審な目でディアナを見据える。ディアナに対してのうやうやしさは消えていた。
「……俺の記憶を見たな?」
ディアナも当惑と疑心を持っていることが顔に出てしまっているのだろう、ヘクターは完全に察したようだった。バルドルともう一人の男も、場の空気の異変にすでに気づき、緊張をたたえている。ヘクターは剣の柄に手をかけようとしている。
危機的展開は避けられなかった。
「バルドル、逃げるわよ!」
言うと同時にディアナはバルドルの手を引く。バルドルは当惑気味だった。
「この二人は敵なのよ!」
ディアナが何を見たのか全てを説明している余裕はなかった。だが、フェルウッドの人間に会ったら、時渡りで相手を調べるというのは、事前にバルドルに伝えてあった。バルドルも漠然とながら状況は理解したのだろう。とにかく、二人はヘクターたちから離れようと駆け去る。
「待て!」
と、待つはずもないのに、ヘクターが無益な怒号を発する。
「バルドル、林へ!」
ディアナとバルドルは道を外れて横の林に逃げ込んだ。
しばらくの間、森林を舞台にした逃走劇が繰り広げられた。ディアナが道の方向ではなく、横の林のほうへ逃げたのは、木々が連なっている場所では小回りのきかない馬の速度を落とせるからだが、密林でもないからそれも大した効果はない。逃走劇が行われたのは本当にしばらくの間だけだった。
やがて、バルドルがもう一人の男に追いつかれた。
「フィリップ、王子は斬れ! 王女は私が捕らえる」
ヘクターにフィリップと呼ばれた男は長剣を閃かせ、馬上からバルドルに斬りかかった。
先行していたディアナはバルドルを助けに行こうとするが、ヘクターにはばまれた。彼女はこの男と剣を交えるしかなかった。
ディアナとバルドルも剣を持っているが、敵二人は屈強な体つきであるうえに、馬上という点でも優位に立っている。
バルドルはすぐさま苦戦していた。長剣が真上、左上方、右上方から叩き込まれる。必死に剣で受け流すか、よけるかしかできない。顔には切迫した表情が広がっている。
バルドルが斬られる姿をディアナは想像せざるをえなかった。
しかし。
実際に起こった光景はディアナの想像を絶していた。
ふいに、バルドルはすさまじい勢いで跳んだ――いや、飛んだのである。
「浮いてる……!」
という言葉が、彼を見上げるディアナの口からこぼれていた。
飛び上がったバルドルは、地面から十メートルほどの高さで空中停止した。魔道のなせる技だと、ディアナは瞬時に理解していた。
バルドルの表情からは、先ほどまでの余裕のなさが微塵も感じられなかった。驚愕に顔を引き歪めている敵二人を、沈着冷静な眼差しで見下ろしている。
数瞬後、バルドルは剣を上段に構え、フィリップに飛びかかった。斬撃が落ちていく。ほぼ真上からの角度で。急降下する竜さながらの速度で。
バルドルの一閃を、受け止めることすらかなわなかったフィリップは頭部を斬り裂かれて絶命した。攻撃に驚いた馬が、むくろと化した騎手を落とし、走り去ってゆく。
ディアナとヘクターは打ち合いをやめ、今のありうべからざる斬撃に目を見張っていた。が、狼狽しつつもヘクターは王女だけでもどうにかしようと、険しい目つきでディアナのほうに向きなおった。
そのとき、上空から雷鳴のような
ヘクターの馬がドラゴシュの咆哮に驚いて棹立ちになる。主を落馬させ、そのまま逃げ去っていった。地面に落ちたヘクターの手をディアナはすばやく斬りつけ、落とさせた剣を拾いあげる。それをヘクターの喉元に突きつけた。流れるような速さ。
ヘクターの目から抵抗の意思が完全になくなっていた。
その間に、ドラゴシュは空き地に降り立っていた。同じく、バルドルもすでに地面に降り、剣を鞘に収めている。
結局、ディアナとバルドルは無事に済んだ。一人の生命を失うことにはなったが。
バルドルがディアナのもとにきた。
「バルドル、大丈夫? さっきのあなたの攻撃――」
ディアナは言葉を途切れさせた。よく見ると、バルドルの顔と雰囲気に何か違和感を覚える。その表情や様子は冷静すぎた。人を殺したにもかかわらず。
先ほどまでのバルドルとは異なる印象を受ける。
「――バル……ドル?」
ラーザの王子は言葉を返さず、無感情な視線をディアナに向けていた……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます