第11話

 ディアナとバルドルは再び歩き始めた。

 

 人が多い街道などは避け、二人は今、山あいの道を進んでいる。そこは自然豊かな地だった。

 

 木々の匂いがさわやかに鼻孔に広がり、川のせせらぎが耳をくすぐる。空気はひんやりと冷たいが、歩いていれば身体が温まるので、つらいというほどではない。

 

 むろん追っ手が迫ってくる危険があるので、だらだら旅をしているはずはなく、なるべく速めに歩を進めている。だが、きびきび歩きながらもディアナはバルドルと会話をして仲を深めようとしていた。

 

 彼は話し上手というわけではなかったが、ディアナが話すと、真面目に相槌を打ってくれた。まだどことなく内気な性情は否めないものの、誕生祝いのときほど無愛想に感じない。あのときは緊張していたのだろう。実際は柔和で優しく繊細な少年だ。


「そういえば、さっき、バルドルは自分のことを弱い人間かのように言ってたけど」

 

 ディアナは横を歩くバルドルに言った。


「あなた、実際には相当強いでしょう? そのこと、ハーバートとの試合でわかったもの」

 

 バルドルはひとごとのような顔をした。


「その試合、最後には僕が勝ったらしいけど、そこのところ覚えてないんだよね」


「ああ、記憶が途切れてるって言ってたわね」


「うん……ごくたまにだけど、記憶が飛んで、気づいたら時間がかなり過ぎてる、なんてことがある」

 

 彼女は心配になった。この王子、ディアナの母性をやたらとくすぐってくる。


「それは誰かに相談したことあるの?」


「いや、言っても誰も信じてくれないだろうから」


「私は信じるわ。そうね、ブリタニアには優れた医師が何人もいるから今の状況が落ち着きしだい、紹介してあげるわ」


「ありがとう」

 

 バルドルは、彼がよく浮かべる照れたような笑みを見せた。

 

 ディアナは今の話を気にはしたものの、そこまで深刻にとらえていなかった。このときはまだ……。

 

 それから、ディアナは話をバルドルが好きそうな話題に変えた。


「ドラゴシュとは、いつもどういう風に交信しているの?」 

 

 すなわち、竜の話である。


「言葉でわかり合えるわけではないのよね?」


「そうだね。といっても、竜もある程度は人語を解するんだけどね。犬や猫が人間の言葉をほんの少しなら理解できるように。でもやっぱり限界があるから、竜騎士が騎竜術きりゅうじゅつを使ってイメージや気持ちで、竜と意思を通じ合わせるんだ」

 

 竜騎士が竜を操る能力も魔道の一種で、騎竜術という。


「ただ、ドラゴシュは不羈奔放ふきほんぽうな竜だから、騎竜術を用いても従順に応じてくれないときがあるんだよね……。強い竜ほど、そういう傾向があるんだ」


「そうなのね。あの……今ドラゴシュが人間を襲ったりはしないのよね?」

 

 現在ドラゴシュは、身を隠せる山の近くや、はるか上空などを飛行させている。人目につかないようにである。とはいえ、それも完全な保証はないので、どこかで人間に襲いかかったりしていたら大惨事だ。


「それは問題ないよ。野生の竜ですら、自分の身の危険を感じない限り、普段人間を襲うことはないからね。竜騎士に飼われた竜であればなおさらだよ。竜騎士が竜を育てる際、まず行うのは、人間を襲ってはいけないと竜の意識に染み込ませる教育なんだ。騎竜術でね」


「なるほどねえ。たしかに、そうでもないとラーザの人たちがたくさんの竜を飼いならすなんてできないものね」

 

 うなずくバルドル。

 

 騎竜術は竜の能力を引き上げることもできる。それによって、牙、爪、鱗の硬度が高まり、飛行速度も増す。吐き出す炎の威力も強大になる。これらの能力は、竜騎士と竜の位置が近ければ近いほど高まる。ゆえに騎竜術の効果がもっとも発揮されるのは、その字のごとく、竜騎士が竜に乗っているときである。

 

 そういった知識や、ラーザでバルドルが飼っていた竜のことなどを彼は語った。快活にではなく、ところどころ言いよどみながらではあった。だが、内容の端々から、竜に対する――いや、生き物全般に対する彼の愛情深さがディアナに伝わってきた。

 

 実はディアナも、竜の生態や竜騎士の能力に関する知識を多少は持っていたのだが、バルドルの話の腰を折ったりせず、楽しげに聞いた。


「――魔道といえば、僕も気になってたんだけど、時渡りの魔道で過去を見るっていうのは、どんな感覚なの?」


「うーん、私の目の前にいる相手の過去というのが前提条件で、相手の過去の光景をその場にいるかのように全体的な視点で見る感じね」


「相手の考えや心が読めるわけではないんだったかな?」


「そうね、思考や心理状態まではわからない。でも、相手の過去を覗き見るわけだから、その人物の秘密や本当の人となりを知ることはできるわね。叔父の場合がそうだったし」

 

 ディアナがそう言うと、バルドルは少し怖気づいたような複雑な笑みを浮かべた。


「目の前にいる相手の過去が見えるんだよね……」


「そうよ――え、もしかしてバルドル、私があなたの過去を覗くんじゃないかって不安になってるの?」

 

 バルドルは何も答えず、微苦笑だけ返している。それが答えのようなものだ。


「そんな心配しなくても、私、手あたり次第に誰も彼もの過去を覗いてるわけじゃないからね。……さてはバルドル、何か知られたくない秘密でもあるの?」

 

 最後はからかうようにディアナは言った。


「いや、そうじゃないんだけどね……」

 

 バルドルは言葉を濁した。言わんとすることはディアナにもわかる。秘密はないとしても、過去を覗かれること自体に拒否感を覚えるのだろう。それは当然だ。私生活を覗き見られて愉悦を感じる者などいないはずだ。


「バルドル、安心して。あなたの過去は見ないと約束するから」


「うん」


「つけ加えると、竜騎士のように魔道の力を持つ人間に対しては、こっちが時渡りを使おうとしても発動できなかったりするのよ。相手が魔道士だと、魔道で干渉しようとしても、悟られて拒絶される」


「へえ、そうなんだ?」


「ええ、だから、もしバルドルの過去を覗こうとしても、あなたに気づかれて終わりかもね。叔父の場合もそうだったのよ。叔父は竜騎士ではないけど、魔道士ではあるからね。最初は虚を突くような具合で叔父の過去を少しだけ見られたけど、すぐに感づかれて、時渡りが使えなくなったわ」

 

 時渡りの魔道も一度で相手の過去を全て見られるわけではない。したがって、リカードが王殺しを企てたという決定的な証拠を時渡りの能力で見つけることはできなかったのだ。


「相手が魔道士でも眠ってるときか、あるいは肉体的に弱ってるときは、時渡りで干渉しやすいっていう条件はあるらしいんだけどね」


「ふーん、寝てるときは覗かれても気づかないかもしれないんだ」


「そう、だからバルドルの過去を探るときは、あなたがぐっすり眠り込んでるときね」

 

 そう言ったディアナをバルドルはぽかんとした顔で見返した。この王子様、冗談がすぐに通じないときがある。


「バルドル、冗談よ」


「ああ、なるほど」

 

 ディアナは苦笑した。


「本当に約束するわ。あなたの過去を時渡りで見たりしないからね」


「わかった。ありがとう」

 

 その後も会話を重ねて、二人は親しさを増していった。

 

 バルドルと行動をともにできてよかったとディアナは身にしみて感じていた。父が亡くなり、大勢の敵に追われているのだ。一人で逃亡していたら、不安と寂しさに押し潰されていたかもしれない。

 

 初対面のときと比べれば、バルドルが心を開いてくれているのをディアナは嬉しく思っていた。が、これが特別な感情にまで発展するかどうかは、彼女自身にもまだ判然としていなかったのである。

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