第10話
追っ手に見つかることもなく、徒歩での旅は順調だった。
竜に乗った二人は、ハイランド山脈、広大な湖、森林地帯などの上空を飛んできた。できるかぎり人目を避けるためだった。どうしても地上に人がいそうなところでは、その目を逃れるために遥かな高度を飛んだ。
もとより王弟リカードの捜索部隊は、ノースモアランドまでの地域にばかり探索の網を張っているわけではなかった。ディアナが東西南北いずれに消えたのかまでは予測しえないのである。北方のノースモアランドに向かうことを想定はできるが、他の方角にも、堅固な城や有力な諸侯は存在する。北だけ捜索するわけにはいかないのだ。
こういった様々な点で、追跡は困難を極めているはずである。
フェルウッド伯爵領を目指すことになったのは、やや行き当たりばったりだが、ディアナはこのあたりの地理を把握していた。
ディアナは記憶力に優れており、ブリタニアの様々な地理に精通している。どの道がどう広がっているか、どの川に橋がかかっているか、村や宿屋がどこにあるのか、そういった記憶を瞬時に取りだせるのだ。
彼女のおかげで、道に迷うことなく、なおかつ人通りの多いところを避け、二人は順調に先へ進むことができたのである。
太陽が中天にさしかかった頃、バルドルとディアナは昼食をとることにした。焚き火をつくり、その前に二人は並んで腰をおろす。
ダニエルがくれた革袋に食材と簡易的な調理器具が入っている。調理はバルドルがやることになった。
適度な厚さに切ったパンに、焼いた塩漬け鶏肉をはさむ。大した調理でもなかったのだが、ディアナはバルドルの慣れた手つきに感心したようだった。
「もしかして、料理得意なの?」
「得意というほどじゃないけど、料理好きだよ。ここ数年はほとんど作ってなかったけどね」
「忙しくて作れなかったのかしら?」
「いや、そうじゃないんだ……」
その理由は少し暗いものだ。彼女に話すべきことでもないかもしれない、と思ったバルドルは押し黙った。
微妙な空気が流れた。それはこの日何度目かのことだった。ディアナは少しでも打ち解けようと質問や話をしてくれるのだが、バルドルがうまく答えられなかったり、口ごもったりで、少し変な空気が流れるのだ。
気まずくなったバルドルは、黙ってるよりはましだと思って話すことにした。
「そのう……二年くらい前だったかな。ラーザの城の調理場で、僕が料理をしてるところを父が見てしまってね」
バルドルは少し間を置き、苦い笑みを浮かべて続けた。
「それで……腹を立てた父は僕の顔を叩いたんだ」
ディアナは目を丸くした。
「ええっ、どうして? 何も悪くないでしょう……?」
「――ラーザの男が、ましてや王子たる者が、女のやるようなことをするな。こんな軟弱なものにばかり興味を持っているから、お前は弱いんだ。……父にはそう言われたな。だから、僕は大っぴらに料理ができなくなったんだよ」
理解しがたいという思いがディアナの表情に滲み出ていた。ラーザとブリタニアでは文化背景が異なる部分があるのだ。ラーザでは武と強さが何より貴ばれ、女性的な物事を好む男は軽んじられる。そのことをディアナも知識としては知っていると思うが、実感はできないのだろう。
「……お父上は厳しい方なのね」
「そうだね。多分、僕のことをうとましく思ってるんじゃないかな。僕なんか、戦場に行って戦うこともできないポンコツ王子だしさ」
「…………」
「だから、僕を人質としてこっちに差し出す流れになったのは、父からすればむしろ、厄介払いできたような感じで胸がすく思いだったかもね」
バルドルは自嘲的な笑みを浮かべ、続けざま、ネガティブな言葉を排出する。彼は後ろ向きな内容のことであれば、そこそこ長く話せるという謎の能力を持っていた。
「もしラーザに帰ったとしても、僕の居場所なんてないんだろうなあ。以前からそうだったしね」
「うん……」
「僕なんか、父や周りが望むような武人らしい王子になんて到底なれないもの」
「バルドル」
ディアナは、柔らかだがきっぱりとした声音で、バルドルの自虐的発言を制止した。
「あなた自身は、どうありたいの?」
「え……僕?」
「ええ、お父上や周囲の期待に応えるのも大事だけど、一番大切なのは、あなたがどうしたいかじゃない? もし、お父上たちの希望するような軍人にバルドルがなりたくないのなら、無理してその道に進む必要はないと思うわ」
その言い様には圧迫するような調子はなく、ただまっすぐな響きだけがあった。
「何も戦うことが全てじゃないでしょう? 学問だったり、民政だったり、文に力を入れる王子を目指したらどう?」
「そういう王子でいるのを父が許すかどうか……」
古今東西、文事においてのみ才を発揮した王子などいくらでもいるが、ラーザでは、それだけの王や王子は認められにくい。
ディアナは優しく微笑した。
「だったら、ブリタニアにいる? 私が叔父に勝ったらの話だけど、私のもとにバルドルの席を設けるくらいはできるわよ。もちろん、お父上やラーザをないがしろにしろと言いたいわけじゃないから、やっぱりお父上の望むような武人を目指してもいいし――」
ディアナはひたとバルドルを見つめた。
「バルドルはどうありたいの?」
こちらを見つめる、輝かしい
(緑色の――まっすぐな瞳)
そして――。
(シルバーブロンドの髪。
ふと、バルドルの後頭部を妙な感覚が襲った。かすかだが、しびれに似たような感覚。
(何だ)
「……ドル?」
そのめまいのようなものが起きたのは数瞬だけだった。
「バルドル、どうしたの?」
「――え、ああ、いや……」
ディアナが心配そうな眼差しをバルドルに向けていた。
「もしかして、私の言い方、しゃくに障った? だったら、ごめんなさい。講釈とかそういうつもりで言ったんじゃなかったんだけれど……」
「いや、そうじゃないんだ……」
本当にそういうわけではなかった。
かすかなめまいと同時に何かが脳裏をよぎった気がした。その正体が何なのか、彼自身、説明がつかなかった。旅で疲れているのだろう。とりあえず、バルドルはそう結論づけた。
「――そうだね」
やがて、バルドルは微笑んで言った。
「僕は自分がどういう人間でありたいのか、まだわからないけど……自分っていうものをもう少し持ったほうがいいんだろうな」
「そんなに深く考えなくてもいいのよ。ただ、自分で自分に悪態をつくのはやめたほうがいいわね」
「うん」
「自分の本当の価値がわかるのは自分しかいないんだからね、バルドル」
言って、ディアナはバルドルの頭をくしゃくしゃした。姉が弟にするような感じだったからか、バルドルはディアナに亡き姉エリアの面影を一瞬だけ重ねた。
「かたい話はここまでにして、これ、いただくわね」
ディアナは鶏肉をはさんだパンを食べる。
「おいしいわ。料理は私の前なら、おおっぴらにふるまってね。いくらでも食べるから」
「ありがとう」
少し腹を割ったような話をしたからだろうか。二人に自然な笑みが戻り、妙な距離感が縮まっていた。
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