第9話

 かくして、二人は陸路での地道な旅に切りかえたのだった。体力を取り戻した二人は、フェルウッドに向かうべく北へと歩を進めていた。

 

 ひっそりとした森林地帯の小道を歩きはじめてから、ほどなくしてディアナが尋ねた。


「バルドルは、どうして私に手を貸してくれるの? あの誕生日以来、会ってなかったし、特別親しくもしてなかったのに」

 

 ディアナが敬語をくずしたのは、お互い十七歳で同い年なのだから互いに格式ばった口調はやめよう、と言ったからだった。バルドルも同意し、ある程度くだけた口調で話すようになった。彼女と多少は距離感が近くなったようにもバルドルは感じた。


「私に協力したら正式にラーザに帰れるから?」


「それは最大の理由ではないかな」


「じゃあ、どうして?」


「ディアナ様の誕生祝いの日……」


「様はつけなくていいって言ったでしょう」

 

 バルドルは苦笑して、


「ディアナの誕生祝いの日、僕が試合に勝ったわけだけど、後日、ハーバート殿や他の人たちから、やはり竜は殺すべきだという話が持ち上がったんだよね?」


「うん……」


「でも、ディアナが説得して彼らを止めてくれたって聞いた。だからだよ」


「そのことで恩義を感じていたの? バルドルが勝ったらドラゴシュを生かすという条件だったから、彼らを止めたのは当然よ」


「だとしても、僕は感謝してる」

 

 真顔で言われて、ディアナは照れたように笑った。

 

 バルドルはさらにくそ真面目に続ける。


「王位の正統性がディアナにある点も、力を貸した理由の一つかな。王位継承順位は君のほうがリカード王弟よりも上だよね。……何でリカードは君の即位に異議を唱えたんだろう?」


「……私が十七歳で、しかも女であるため王にふさわしくないというのが、叔父の表向きの主張だけど、本当は野心の発露ゆえよ」

 

 今度はディアナが真顔になっていた。


「叔父は王位につく野望をかねてより抱いていたから、私がブリタニア王になるのが我慢ならないのよ。もっとも、叔父が王位を望むのだったら、私はその座をゆずるつもりだったわ。私は王位にそこまでの執着はなかったからね。でも……」

 

 このとき一瞬、ディアナは珍しく険のある顔をした。普段優しげな彼女に本来秘められた気の強さが垣間見えたのである。


「叔父が毒使いの暗殺者に私の父を殺させたと知ってからは気持ちが変わったわ」


「じゃ……じゃあ、レイモンド陛下が毒殺されたという話はやっぱり本当なんだ?」

 

 ディアナは強くうなずいた。バルドルの脳裏に疑問がよぎる。


「……リカードが毒使いを雇ったと、なぜわかったの?」

 

 毒使いの暗殺者というくらいだから、リカードに雇われた証拠は残さないはずだ。


「それは、私が見たからだわ。王に毒を盛ったと、その暗殺者が叔父に伝えている場面を。時渡ときわたりの魔道によって叔父の記憶を覗いたのよ」

 

 この少女、突如として正気を失ったのかと、魔道に無知な者であれば思うに違いない。

 

 だが、ラーザの王子であり、魔道に関する知識を有するバルドルは、言葉の意味をすぐに理解できた。


「時渡りの魔道――ブリタニア王家の人間が稀に持つ能力。人の過去を見ることができる力だよね」


「そう、人の記憶を光景として見られる力。現在のブリタニア王家で、時渡りの能力を持つ者は私しかいない。私がこの力に目覚めたのは最近で、それを知っていたのは父だけだったわ。叔父は私が時渡りの魔道士だと知らず、暗殺を企てたの。なにせ、時渡りの魔道に目覚める人間は数十年に一人程度の割合で、私がそうなるとは思わなかったのだろうし、叔父が王位を得る好機は今くらいしかないから、大胆になったのでしょうね」

 

 ディアナは叔父リカードに対する敵意をはらんだ口調で、バルドルが呆然とするほど長々とした説明を開始した。


「叔父は父の葬儀のとき、表向きは悲しんでいる様子だったけど、私にはそれが演技に思えてならなかった。妙な胸騒ぎがしたから、時渡りの魔道で覗いてみると見えたのよ――叔父と暗殺者が密談している場面がね。王に毒を盛ることに成功したと暗殺者は叔父に報告していたわ。 暗殺者は王宮の給士として潜り込み、父の食事に毒を盛った。心臓発作を引き起こす毒薬をね。父は心臓病を患ってたから、心臓疾患で亡くなったとしても不自然ではない。実行したのはその暗殺者でも、計画したのは叔父よ。だから、私は王位をゆずるのを拒み、父が弑逆された事実を諸侯たちに告げた。けど叔父は、私の話は事実無根であると否定したわ。私が王位にこだわって流したでまかせだと。その給士が急に姿をくらましたというだけでは証拠としては弱い。時渡りの魔道も発動条件に制限があって、誰の記憶でも見たいときに見られるわけではないから、 暗殺者を探せなかったの。私の話を信じてくれる者もいたけど、半信半疑の者も多くて、叔父を断罪することは結局できなかったわ。……というのが大体の経緯ね」

 

 やっとディアナは一呼吸おいた。

 

 もはやバルドルは、どの点に驚愕すべきかわからなかった。レイモンド王の死の真相や時渡りの能力がどうたらもさることながら……。


(なんてすらすらと喋る子なんだ……!)

 

 彼女の能弁にも同じくらい驚いていたのである。

 彼は口数が比較的少ないタイプであるため、今の説明だけでディアナは普段のバルドルの半日分は喋ったろう。もっとも、彼女は情報を伝えただけに過ぎないのだが。


「……僕はディアナの話を信じるよ。そのうえで一つ疑問なんだけど」

 

 ようやくバルドルは口をはさめた。


「レイモンド陛下は十年以上にわたってブリタニア王であらせられた。その間、リカードは暗殺を実行していなかった。それがなぜ今になって……」


「きっと、なまけ者なのでしょう」


「はあ」


「……いえ実際には、ラーザという強国と戦争が絶えない間は、いくら不仲とはいえ、父にいなくなられては困ると叔父は考えていたのかもしれないわ。それが去年、ブリタニア優勢の形でラーザと休戦協定を結び、わが国は安定した。好機ととらえた叔父は父を毒殺した。残るは、第一王女といえど十七歳の小娘。王位をたやすく明け渡すと踏んでいたのね」

 

 だが、魔道によって看破された。


「私はバルドルをふくめ大勢の人たちを巻き込んでる。でも私が叔父を倒さないかぎり、父上が黄泉で瞑目されることはないでしょう」


「倒すというのは、軍による戦を起こすということ?」

 

 聞くと、ディアナは悩ましく悲痛な表情を見せた。


「それは……わからない。できれば内戦なんて起こしたくないけれど……そうなる事態も想定しないといけないわ」

 

 少しの間、バルドルはなんと答えたらいいものか戸惑ってこう答えた。


「も、もし、戦になったとしても僕はディアナに協力するよ」

 

 この言葉は少し空々しかった。戦の経験などない者が言っても説得力がないと、バルドルは自分でも思ったのだ。ディアナが実際どう思ったのかはわからないが、彼女はにこりと笑みを返した。


「……まあ、僕自身の力は微々たるものだけど、ドラゴシュは計り知れない強さを秘めてるよ。きっとディアナの役に立てるはず」


「ドラゴシュはまだ成長段階よね。もっと大きくなるの?」

 

 その赤竜はといえば、二人とは少し離れた位置を飛んでいた。二人はできるかぎり人と会わない道を歩いているのだが、竜はより人目につかないところを飛んでいてほしいのだ。


「うん、もっと大きく成長するよ。今が一番成長する時期だから、一週間でも目に見えて変わるだろうな。一年後には、少なくとも今の三、四倍の体躯に成長していると思う」

 

 ディアナは目を見張って感嘆の声をあげた。

 

 竜に関する事柄はバルドルの唯一の得意分野だ。バルドルなりに声をはずませて語りはじめる。


「ドラゴシュは火も吐けるし、今の時点でも強大な戦力たりえるよ。そうだ、後日、僕が父と兄に援軍を頼んで、竜部隊でも派遣してもらおう。リカード軍を倒せる可能性がぐっと大きくなると思う。特に兄の竜はラーザ最強と言われていて――あ……」

 

 バルドルは自分が不用意な発言をしたと気づいた。


 兄ヴラドのことは、ディアナの前で口にするべきではなかったのだ。

 

 あわててバルドルは、前方に向けていた視線を横のディアナに転じた。

 

 彼女は愉快そうでも不快そうでもなかった。何も言わず、ただ前を見て歩いていた。それが困惑の表れなのかもしれない。

 

 つかの間、二人の間に沈黙が落ちた。


「……援軍、期待してるわね」

 

 やがて彼女はそう言って、優しく微笑したが、内心では期待などしていないだろう。


(……少しの間、忘れてた。彼女の兄を戦場で殺したのは、僕の兄だということを)

 

 自分と彼女は、もともとは敵どうしなのだということもバルドルは忘れていた。

 

 積年、無数の戦火を交えた二国。それぞれの王子と王女というのは、本来かなり隔たった関係なのである。そのことを改めて考えると複雑な思いにとらわれる。

 

 そもそも、 父王が援軍など出すはずもなかった。父は昔から敵対してきたリカードを死ぬほど嫌っているが、かといってディアナに味方するかといえば、その可能性はかなり低い。父はブリタニア全体に対して敵愾心が強いのだ。 ラーザ軍で父に次ぐ権力を有するヴラドも同じような感情を持っている。この二人が動かなければ、ラーザ軍が動くはずもない。

 

 バルドルは安易なことを言うのをやめた。

 

 会話が途切れた。

 

 二人は、打ち解けたような、そうでもないような距離感のまま道を進んだ。

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