第8話

 三時間後、バルドルとディアナは、山荘から遠く離れた森の入口にいた。

 

 ドラゴシュから降り、焚き火をつくって、飛行で冷えきった体を温めている。寒気と厳しい空の移動による疲れで、二人の顔は青ざめていた。

 

 飛行は、しょっぱなから波乱だらけだった。

 

 二度、危ない場面があったのだ。一度目は、上空を飛んでいる最中に、横から強烈な突風が吹きつけ、ディアナが竜の背から落ちかけたのだ。幸いにも、彼女がドラゴシュの翼をつかみ、バルドルもすぐに彼女を支えたので、大事にはいたらなかった。そのあと、地上に降りて休憩を取り、再び乗ることにした。

 

 が、二度目の落下の危機。何を思ったかドラゴシュがふいに急上昇して、二人ともバランスを思いっきりくずしたのだ。すぐさまバルドルがドラゴシュを水平飛行させ、二人は体勢を取り戻したものの、あわや落ちるところだった。

 

 二度目のは、バルドルがドラゴシュを完全にはコントロールできていなかった点も原因にふくまれていた。

 

 実は、バルドルがドラゴシュに乗って飛行するのは今日がはじめてだ。人質という立場上、ドラゴシュに乗って飛ぶのは禁止されていた。騎乗に本来必要な道具がなく、後方にもう一人乗せて、なおかつ、乗りはじめて数時間の竜で支障なく飛行するのは、なかなかに難しいことなのである。

 

 その二回を抜きにしても、ドラゴシュによる飛行は危なかっしく、はらはらし通しだった。

 

 ゆえに現在、二人は飛ぶのをやめて焚き火の前で休憩をしているというわけだった。ドラゴシュもすぐ近くで、身を丸めて休んでいる。

 

 それにしても、飛行中、ディアナが異常にふるえていたのが、バルドルは気になっていた。ドラゴシュから降りたったときなど、狼の群れの中に放たれた仔羊ばりに体をがくがくさせていたのだ。

 

 むろん、冬の早朝であり、上空など身を切るような寒さだから仕方ないのだが、ディアナのふるえの原因はそれだけではない気がした。


「ディアナ様、大丈夫ですか? 飛んでいるとき、ご様子が変だった気がしましたけど」


「実は私……高いところが大の苦手なのです」


「……へ?」


「幼い頃より高所が苦手で、ドラゴシュに乗って空を飛んでいる間も、手足が硬直して体勢をうまく保てませんでした……寒さの影響もありますが」


「……!」

 

 それは最初に説明しておいてほしかったと、バルドルは一瞬思ったが、説明されていたところでどうにもならなかったろう。


「でも、バルドル様と行くと約束した以上、不安にかられても乗ってみるしかありませんでした。……が、予想通りというか予想以上に、怖さで手足の自由が利かなかったのです」

 

 バルドルはディアナの様子を見て何となく違和感を覚えた。彼女が飛行中に恐怖を感じるのは他にも理由があるように思えた。ただ、問い詰める気はない。何にせよ、飛行中に恐怖を感じるのは仕方ないことだと思った。体を固定する道具なしで、はじめて竜に乗って空を飛べば、大の男でも恐怖にかられる者が多いはずだ。

 

 ディアナは申し訳なさそうに、「ごめんなさい」とつけ加えた。


「いえ、僕がもっとドラゴシュを制御しないといけなかった。――ドラゴシュはアングルシーの同じようなところでしか飛んだ経験がありませんでした。はじめての空の旅に誰かを乗せて駆ける喜びで、僕の想定以上に興奮してまして」


「だから途中、急に上昇したりしたのですかね」


「おそらく。とはいえ、それを巧みに御するのが僕の役割なのに……」


「いえ、私がもっと気を奮い立たせるべきでした」


「いや、僕がもっとしっかりしていればよかったんです」


「いえ、私が――」

 

 と、はたから見れば、少々ばからしく思えるだろう気づかいのやりとりを三往復ほど繰り返したのち。


「竜専用の鞍やハーネスがあれば、体が固定されて無事に飛行できると思うんですけどね……」

 

 と、バルドルがぽつりと言った。


「それは、つくるのにどれくらいの時間が必要ですか?」


「まず、材料と道具を買うための村や街を探すのにだいぶ時間を要するはずです」

 

 というのは、二人は人目につかないように、人里離れた森林地帯に降りたからだ。


「それから、鞍などをつくること自体に半日以上費やすかもしれません。トータルでは丸一日以上かかるかもしれないです……」


「つくってる間、同じ場所にいなければならないですよね。その間に王弟軍の兵に見つかる危険性をふまえると……」

 

 ディアナは数拍思案し、すぐさま結論をくだした。


「……飛行による旅はあきらめましょうか」

 

 バルドルは同意した。騎乗具をつくる時間的余裕がない。このまま飛行を再開すれば、ディアナが落下するおそれなきにしもあらず。地上の旅に切りかえるほかなかった。

 

 とはいえ、竜に乗ってここまで進んだことには、それなりの成果があった。

 

 ドラゴシュの飛行速度はすさまじかった。出発してから三時間ほどしか経過していないものの、山荘から百キロは進み、ハイランド山脈も越えたのだった。それだけで馬で進むよりも三、四日は短縮されただろう。もっとも、丸一日同じ場所にとどまっていられるほどの余裕にはつながっていないが。


「これから、どうするんですか?」

 

 バルドルが問うた。


「最終目的地はノースモアランドに変わりありませんが、途中、協力を求めるため、フェルウッドという伯爵領に寄ります。ここから徒歩で一日ほどです。フェルウッド伯爵のエドワードは、わが父上のよき家臣でしたし、きっと私に味方してくれます。彼から部隊を借り、そののちノースモアランドに向かうつもりです」


「……そうですか」

 

 そのフェルウッドに着いたら自分はもう用なしではないかとバルドルは思った。ディアナがバルドルに頼ったのは竜で飛行するためだ。その役目を果たせない以上、最後の目的地であるノースモアランドまで自分が同行する必要性に疑問を覚えた。

 

 バルドルの胸中を読み取ったのか、ディアナが尋ねた。


「バルドル様はどうなさいますか? バルドル様お一人ならドラゴシュに乗って飛ぶのも困難ではないし、どこにでも行けるはず。私としては、最後までついてきていただきたいのですが……」

 

 途中で別れると言っても、おそらく彼女は責めはしないだろう。だが――。

 

 彼女を見ていると、どういうわけか、どうしたことか、最後まで放ってはおけないという気持ちが胸中に広がるのだ。


「乗りかかった船です。最後のノースモアランドまで、お付き合いさせてください」

 

 バルドルはどこか照れくさげに、もごもごと言った。

 

 ディアナは、もはや体のふるえはおさまっており、晴れやかな笑顔を浮かべて感謝の言葉を返した。

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