第6話

 地平線から朝陽が顔を覗かせ、湖面を淡く輝かせている。


 その湖のほとりに建つ山荘の窓辺から、ディアナは湖を見つめていた――様々な思案にふけながら。

 

 王都を追われたディアナが、ダニエルらの助けで、ここに身をひそめてから四日が経過していた。

 

 この山荘は人里離れた場所にあり、王都からもだいぶ離れた距離にある。それでもしだいに、ディアナの焦燥はつのっていった。王弟たる叔父の放つ捜索部隊は徐々に捜索範囲を広げているだろうし、日が経つにつれ、見つかる危険性は増していくからだ。第一、ここにずっと留まっている限り、叔父を打倒することなどできない。

 

 出発しなければならない、と彼女は思う。たとえ今日、バルドル王子が来ないとしても。

 

 二日前、バルドル王子に協力を求めるべく、ダニエルがアングルシーにおもむいた。そのとき、バルドルはダニエルの頼みに応諾したと、ディアナは聞いた。この山荘の場所は地図を渡して教え、今日の朝、竜に乗ってバルドルが助けに来てくれる約束になったのだという。

 

 その話を聞いたときはディアナも歓喜した。だが、冷静に考えてみると、


(本当に来てくれるのかどうか……)

 

 と、不安と疑念がわいてくる。

 

 彼と会ったのは誕生祝いの日だけである。友誼はない。ディアナは王子に貸しなどもない。バルドルがディアナを助ける理由はないのだ。

 

 一応、協力に対する返礼として、土地の一部割譲、金による謝礼を確約しているが、それらが王子にとっていかほどのものか。

 

 彼をラーザへ帰還させることも約束しているが、それに至っては見返りにすらなっていないだろう。バルドルが竜に乗ってアングルシーから飛び立ったら、その時点で彼は自由の身。アングルシーの人間で竜を追える者はいない。バルドルは飛行してそのままラーザに帰ることができるのだ。そもそも、最強の獣たる竜をバルドル王子に与えた時点で、どうぞいつでもお国へ逃げてください、と言っているようなものである。

 

 ラーザに帰還したいだけなら、わざわざ危険を冒してまでディアナを救う理由がバルドルにはない。


(来ないと思ったほうがいいのかもしれないわ)

 

 そう仮定すると、ノースモアランドに向かうにあたって、ディアナは陸路で北に進むことになる。


 だが、ここからまっすぐ北進すると、ブリタニア中部に位置するハイランド山脈に途中で突き当たる。ハイランド山脈は、険しい峰々と千尋の谷によって形成されており、三百キロの長さにわたって東西に広がっている。ノースモアランドまで向かうに際して障害となるのだ。

 

 ハイランド山脈にも、いくつか通り抜けやすいルートはある。しかし、叔父の部隊はディアナが北に向かう可能性も想定しているため、それらのルートにはすでに兵が伏せてあるだろう。現在、ディアナの護衛は山荘に一緒にいる数人のみである。敵部隊に遭遇した場合、突破できない。


(山脈は避けて迂回するしかない)

 

 その分、ノースモアランドに辿り着くまでの日数が増える。

 

 南にもディアナを支持する諸侯はいるが、やはり親睦の深いいとこであるノースモアランド公爵に頼るほうが望ましい。

 

 西は王都ハルモニアがあり、叔父リカードの勢力範囲である。ハイランド山脈が途切れるところまで東に進んだのち、改めて北西に向かうしかないだろう。


(それも時間がかかるし、その分、追手に見つかる危険性が大きくなるけれど……)

 

 ふと。

 

 思案に沈んでいたディアナの視界に赤い点のようなものが映った。湖の彼方。最初は高く遠くに見えて何か判別できなかった。だが、その姿はこちらに近づくにつれ、明らかになってきた。

 

 巨大な翼、赤い身体、そして、その背には人影。

 

 はじかれたようにディアナは外へ出るために走り出す。二階の小部屋にいた彼女は、そこを出て階段を降り、一階の広間に入る。そこには、ディアナの護衛たちとダニエルがいた。ダニエルは常にディアナのそばにいるわけではないが、今日は王子が来るという約束の日であるので、特別にいるのだ。

 

 ディアナの慌てた様子にダニエルは目をしばたたかせた。


「ディアナ様、どうかなされたのですか?」


「彼が来てくれたわ!」

 

 ダニエルにそれだけ言って、ディアナは表の扉から外に出た。

 

 それは、斜め上方から山荘に近づいてきていた。朝陽を浴びて赤い鱗が輝き、一瞬その姿は炎のようにさえ見えた。


(赤竜ドラゴシュ)

 

 竜がディアナの頭上で空中停止すると、その影であたりは暗くなった。


(……前に見たときより、はるかに大きくなってる)

 

 ディアナは幼竜だったドラゴシュしか知らず、他に竜を見たことがない。その威容に圧倒されるばかりだった。

 

 ドラゴシュの身体は、ディアナが見知っているどんな馬車馬よりも大きくなっていた。翼幅がゆうに五メートル以上ある翼と、長く太い尾のおかげで、実際の体躯以上に大きく感じられる。全身の鱗は燃えるように赤いが、目と翼は淡い赤色をしている。

 

 神秘性の具現たる生物だった。

 

 ドラゴシュは、山荘のそばにある草地に降り立った。

 

 竜の背に座る人物とディアナは目が合った。厚手のコートを着込んだ、黒髪の少年。バルドル王子である。

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