第5話

 ディアナ王女の十七の誕生日から約二ヶ月後。

 

 ブリタニアのアングルシー伯爵領というところで、バルドルは人質生活を送っていた。例の赤竜の存在ゆえ、バルドルは王都ハルモニアではなく、アングルシーで暮らしている。

 

 赤竜は、いずれラーザに引き渡すという話になったものの、しばらくはバルドルの手元におくことになった。だが、好き勝手に行動する危険性のある竜を、人口の密集している王都で育てるわけにはいかなかった。よって、自然豊かで、人口の集中していないアングルシー領が選ばれたのだ。

 

 ドラゴシュと名づけた赤竜を、そこで見守りながら過ごしていた二月の下旬、バルドルのもとをブリタニアの官僚が訪れた。


「バルドル殿、ご無沙汰しております」

 

 それはダニエルという名の男で、外国の人間を相手にする仕事を担っている人物だ。初老で、人の良さそうな顔と突き出た腹を有している。本来バルドルは、このダニエルに管理されながら王都で暮らすはずだった。それが結局、アングルシーで暮らすことになったのだが、ダニエルはバルドルの様子を見に、王都からしばしば訪ねてくるのだった。

 

 バルドルは自分にあてがわれている邸宅の一室に、ダニエルを招き入れた。

 

 客人は温かな笑みでバルドルに近況を尋ねる。


「アングルシーでの生活はいかがですかな。そろそろ、なじまれましたか?」

 

 正直なところ、バルドルはここになじめる自信など一向にわいてこなかった。

 この領地で、「ラーザの王子」を快く歓迎している者などいない。アングルシー伯爵であるジェイムズも、バルドルとドラゴシュという七面倒くさいお荷物など、厄介払いしたいとぼやいているそうだ。周囲の者も面と向かって文句を言ってくることはあまりないが、敵国の王子を監視および世話をするときの目は冷ややかである。

 

 そんな環境に柔軟にとけこめるほど自分は器用ではない、というのがバルドルの本音だったが、それを馬鹿正直に伝えられる性格ではないので、


「おかげさまで、つつがなく過ごしています」

 

 と、無害な回答にとどめたのだった。

 

 二、三、言葉をかわしたのち、ダニエルが質問した。


「ドラゴシュも問題なく成長していますか? だいぶ大きくなったそうですな」


「ええ、それに関しても感謝しています。ドラゴシュをラーザに移動させるのはもうそろそろなのでしょうか……?」

 

 バルドルにとって、アングルシーでの唯一の癒やしがドラゴシュの存在なので、いなくなれば本当に寂しくなると彼は思った。


「いえ、それはまだ未定で……。あの、バルドル殿、ドラゴシュは二人くらいなら背に乗せられるほどの大きさに成長したと聞いておりますが、確かなのでしょうか?」


「そうです」


「まことに二人も?」

 

 普段は柔和なダニエルが妙に真剣な眼差しで問いかけてくる。バルドルはいぶかしんだ。なぜ、そんなことを聞いてくるのか。


「本当です。ぎりぎり二人という感じですけど」


「ふむ」

 

 それからダニエルは、話が飛んで申し訳ないが、という前置きを入れて、妙な質問を重ねた。


「バルドル殿は、こたびのブリタニア王家の内乱について、どうお思いですか?」


「……ディアナ王女殿下とリカード王弟殿下の対立のことですか?」


「さようです」

 

 それは、国王レイモンド二世が心臓発作で急逝したことで発生した争いのことだった。

 

 ブリタニア王位継承問題。

 

 第一王女ディアナと、その叔父にして王弟たるリカードが、王位をめぐって争っているのだ。

 第一王位継承者であるディアナ王女の即位に、第二王位継承者の王弟リカードが異議をとなえたのが発端である。「強大な隣国が存在している中、十七歳の少女にブリタニアの王など務まるまい。王者たるべきは我である」と。

 

 リカードはレイモンド二世の弟で、年齢は四十一歳。軍人としても、領主としても、政治指導者としても有能な人物だと名声を博している。

 

 しかし王位継承順位で言えば、ディアナのほうが上である。それが一番の理由でもないが、


「ディアナ王女が不憫だし、心配でもあります」

 

 と、バルドルは答えた。

 

 王女の誕生日以来、バルドルは彼女と顔を合わせていない。その翌日にはバルドルが王都を発ったからだ。だが、こたびの争いが発生して以来、ディアナのことを気にかけてはいた。


「不憫というのは?」


「リカード王弟は、レイモンド陛下の心臓病が悪化するように毒を飼ったという噂がある」


「ええ、かねてより、レイモンド陛下とリカード殿下の兄弟間には確執が生じていましたからな」

 

 長年の鬱憤を晴らすと同時に王位を得るため、弟が兄を毒殺した。


「噂が本当ならやはり、ディアナ王女が不憫だ。お父上を謀殺されたのだから」

 

 ダニエルは、「うむ」としか言わなかったが、その目にはなにやら安堵の色が浮かんだように見えた。


「あの……ダニエル殿、なぜ、そのようなことをお聞きになるのですか?」


「それがバルドル殿にお頼み申しあげたきことと関係しているからです」


「……僕に頼みたいこと?」


「ええ、それにはまず、順を追って話をせねばなりません。……と、その前に念のため」

 

 言うと、ダニエルは椅子から立ちあがり、部屋の扉のほうへ行った。扉を開けて、あたりを確認する。この邸宅に住んでいるのはバルドル一人ではないので、立聞かれないかを確認したのだろう。

 

 バルドルはやや唖然とした。


「……よほど内密の話ですか?」


「さよう。重大な秘事です。現在、ディアナ殿下が逃亡中なのをバルドル殿はご存じでしょうか?」


「はい。その話を聞いたばかりですが。王宮で、リカード殿下に捕らえられそうになって、ディアナ様は王都を去らざるをえなくなったと……」

 

 当初、玉座をめぐる争いは武力をもちいず繰り広げられていた。しかし五日前、業を煮やしたのか、王弟は力ずくで王女を対立候補から引きずりおろそうと、兵士たちに彼女を捕らえさせようとした。王都ハルモニアの軍の最高指揮官たるリカードに対し、ディアナ王女は私兵というものをほとんど所有していない。武力では抗えるはずもなかった。


「……ディアナ様はご無事なのですか?」


「今のところはご無事でおられます。宮廷内のわずかな味方の手によって、ディアナ殿下は王都からどうにか逃げのびなされたので」

 

 少し間を置いてから、ダニエルは続けた。


「その味方の中には、私も含まれております。もっとも、私は宮廷の官吏である手前、ディアナ殿下にお味方しているとおおっぴらには公言できません。裏でお助けしている立場であります」

 

 それを公言すれば、ダニエルがリカードから狙われるからだ。


「現在ディアナ殿下は、私が所有する、とある山荘に身をひそめておいでですが、そこにはあらゆる意味でそう長くはいらっしゃれない。よって、ディアナ殿下は、ブリタニア北辺にあるノースモアランド公爵領に向かおうとお考えです。そこの公爵は、殿下の母方のいとこ様ですので、疑いなく味方になってくださいます。加えて、国内有数の兵力がある。しかし、私の山荘からノースモアランドまでは、馬でも十日以上かかるほどの距離があります。そこまでの道中が危険なのです。リカード王弟はディアナ殿下を捕らえるため、各地に兵を送っています。ノースモアランドまでの間にも、兵による探索の網をはるでしょう。ディアナ殿下が護衛数人だけをしたがえて注意深く行動しても、その網の目をくぐり抜けるのは容易ではないはず……」

 

 この話が自分にどう関わってくるのかとバルドルが思っていたら――。


「そこで、バルドル王子殿下」


「はい」

 

 ダニエルはバルドルの顔色をうかがうように、ややためらいがちに言葉を継いだ。


「ディアナ殿下を赤竜ドラゴシュに乗せて飛行し、ノースモアランドまで連れて行っていただけないでしょうか?」 


「…………」

 

 沈黙が小躍りしながら二人の間を行きかった。

 

 思考停止――理解――驚愕――困惑――そしてバルドルは沈黙したのだった。

 

 バルドルがずっと黙っているので、伝わっているのか心配になったのだろう。ダニエルはあまり必要のない補足を加えた。


「……空を飛べる竜に乗って行けば、主に地上でしか追跡できない敵兵からのがれられます。ですが、この国で竜を扱えるのは竜騎士たるバルドル殿以外にいらっしゃらない。したがって、バルドル殿にお願い申し上げている次第です」


「……意味は理解しています」


「そうですか。今回の場合、陸路で行くよりは空のほうが総合的には危険が少ないと私は考えたのです。騎兵部隊などを集結させて、ノースモアランドまで強引に突き抜けるというのは無謀に近い。ディアナ殿下のために今すぐ集められる兵力はせいぜい数百程度。その数ではかえって敵の目につくだけで、長く逃げのびるのは厳しいからです。かといって護衛数人だけでは、もし王弟の部隊に見つかった場合、無事に切り抜けられるかどうか……。ならば、竜に乗ってバルドル殿と二人で飛行しながら向かったほうがよいというのが私見です。私や宮廷の味方たちに何千という兵力があれば別だったのですが……」


「王都ハルモニアの軍で、ディアナ様についた勢力はないのですか?」


「ディアナ殿下は人気のあるお方ではあっても、軍人ではありませんからな……。反対に、王都の軍において、王弟であるリカードはもともとレイモンド陛下に次ぐ人物でした。陛下が崩御なされた今は最高指揮官。王都の軍の多くはリカードに従うのですよ」

 

 ゆえに、諸侯――多くの私兵を持つ大貴族に、ディアナ王女は頼らなくてはならない。


「ロアン王子殿下が生きていらしたら、軍の勢力図もだいぶ違ったのですがね」

 

 惜しむようにダニエルが言った。

 

 本来の第一王位継承者だったロアンは、英武の王子でもあったという。彼が生きていれば、今回の内憂などなかったかもしれない。


(……その意味でも、ディアナ王女は僕の兄を恨んでいるだろうな)

 

 というバルドルの胸中には気づいていないだろうダニエルは続ける。


「まあ、異母兄のライナス王子はご存命なのですが、ディアナ殿下はあの方を苦手に思われているらしく、今回も頼りになさるおつもりはないそうです。ライナス王子は何年も前に王都から追放された方ですからな。離れたところにいらっしゃいますし」

 

 ライナス王子は王妃の子ではないため、王位継承順位は低く、リカードよりも下である。だからなのか、今回の王位継承問題にはからんできていないのだという。


「ディアナ様が頼りにできる親類は、ノースモアランドの公爵だけというわけですか」


「そうなりますなあ」

 

 ディアナ王女の母は、ディアナを産んだときに亡くなっていた。


「そうそう、大事なことを申すのを忘れておりました」

 

 ダニエルがやや怪しくほほえみながら言う。


「もし、バルドル殿がディアナ殿下をノースモアランドまで、無事にお送りくださいましたなら、相応の対価をお約束いたします」


「対価……というと報酬のようなものですか?」


「はい。ラーザには、ブリタニアのツーリード河流域の土地を割譲。バルドル殿には金貨一万枚に加えて、ブリタニアからラーザへご帰還なさる権利をお約束させていただきます」

 

 最後のはバルドルが人質ではなくなるということだ。


「今の時点では口約束になってしまいますが、私もディアナ殿下も約束を反故にすることはありません」


「なるほど……」

 

 正直、それほどそそられる条件ではない、とバルドルは思った。土地や金がどうという問題ではない気がするのだ。口には出さないが。

 

 しばらく、お互い思案するかのように口を閉ざした。やがて、バルドルは気になっていたことを聞いた。


「ダニエル殿がこの件を僕に相談なされていることを、アングルシー伯爵のジェイムズ殿はご存じなのですか?」


「いえ、ジェイムズ伯はリカード王弟と懇意にしているので、彼には何も話せないし、頼ることもできません。ジェイムズがディアナ殿下に味方することはありえないのです」


「では、ディアナ様がこちらに来て、竜で飛び立つわけではないのですか」


「バルドル殿に山荘まで竜で迎えに来ていただくことになります。……しかし、アングルシーでは普段、バルドル殿がドラゴシュに乗って逃亡できないように厳しく監視されているのですよね? いえ、手段は考えますが……」


「一応、普段からそういう風に監視はされていますけど、実際のところ、どうにでもなります」

 

 ダニエルは少し意外そうな表情をした。


「ドラゴシュは夜、檻の中などに閉じ込められているわけではありません。洞窟の中で、脚を鎖でつながれているだけの状態です。その鎖、ドラゴシュの力ならいつでも外せるのです」

 

 その鎖、竜なら引きちぎれますよ、と周囲の者に教えるほどバルドルもお人好しではなかった。

 

 アングルシーの人間は竜の力を甘く見すぎだとバルドルは思う。


「つまり、ドラゴシュが洞窟からこの邸宅まで飛んできて、僕とともに逃げることは可能なのです」

 

 竜騎士の能力で、バルドルからドラゴシュに、自分のところに飛んでくるよう交信できるのだ。よほど遠くにいない限り、お互いの場所を感知でき、竜騎士は竜を操ることができる。

 

 ダニエルは笑った。

「それはそれは……監視できているようで、その実、バルドル殿はいつでも逃亡できる状況だったというわけですか。お笑いぐさですな」

 

 バルドルが逃亡しなかったのは、そこまでしてラーザに帰りたいという気持ちがなかったからだ。むろん、よほどの嫌な経験があったら考えたであろうが。

 

 それはともかく、バルドルが山荘までディアナを迎えに行くことは可能だろう。問題はその先である。彼女を遠く離れたノースモアランドまで無事に送り届けられるかどうか。


(竜に乗って飛行するっていうのは、そうたやすいものじゃない……。ましてや、後ろに乗せるのは竜に騎乗した経験のない女の子で、季節は冬だしな……)

 

 ずっと飛行を持続できるわけではなく、陸での旅も加わる。そうすると、リカードの手下たちに見つかる危険性が多少なりとも出てくる。

 

 バルドルの命が脅かされる事態も起こりうるだろう。そして、ディアナ王女の命も。

 

 バルドルが彼女を守りきれなかったら、取り返しがつかない。

 

 だが――。


「王女を守って逃亡の旅。いかがですか、王子殿下?」

 

 バルドルの答えは決まっていた。

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