第4話

 祝宴が開かれている大広間は、天井や柱のいたる所に吊されたランプの灯りと、高窓から射しこむ光のおかげで、煌々と輝いていた。

 

 床は目もあやな絨毯が敷きつめられ、壁には名高い絵画がずらりと並び、各テーブルには豪華な料理が満載されている。

 

 さらには、千人を超す参列者は貴族や高級官僚たちという絢爛たる誕生祝いの場は、修羅場などとは無縁の幸福なムードに包まれている――はずだった。

 

 それが今や、一種異様な雰囲気と化しているのは、バルドル対ハーバートの試合がこの大広間で行われるゆえだった。場所は他でも構わないはずだが、祝宴の余興も兼ねるため、ここにすべきだ、というのがハーバートの提案だった。

 

 試合の話を知った参列者たちは興奮にざわめき、戦いを見物しようと輪のような人垣を作った。

 

 人垣の中央には存分に戦えるだけの広さが残され、そこにバルドルとハーバート。

 

 二人は剣をふって使い心地を試したり、準備運動をしたりしている。果たし合いでもないから両者とも防具はしておらず、礼服のままだった。


「ねえ父上、なぜこんな試合をお許しになったのです?」

 

 人垣の最前列にいるディアナが、横にいる父に尋ねた。


「実は今日、わしは気分が優れぬでな。それで、試合の可否を考えるのも煩わしくなった、というのもある」

 

 レイモンド王は、軽い心臓病を患っている。ディアナは心配して父親の疲れた顔を見あげた。


「安心せい。立っていられぬほどではないから大事はない。……で、むろん、試合を許可した理由はそれだけではなく、一つには、バルドル王子の実力のほどを見定めたかったからだ」


「彼が武勇の誉れ高い人物だという評判は、まるっきり聞いたことがありませんけどね。“ラーザの腰抜け王子”などという立派な通り名をお持ちなくらいですから」


「うーむ、実際にどうかはわからぬが、見てくれからして武人タイプではないからのう。あの王子、試合が決定してからというもの、顔も青ざめておるし、緊張のあまり発作でも起こさねばよいがな」

 

 言って王は苦笑した。


「ついでに、おまえの婚約者候補の一人であるハーバートの腕前も再確認できるな」


「私は結婚なんて嫌ですよ。ハーバートとは特にね」

 

 たしかに、ハーバートはディアナの婚約者候補の一人として名があがっている。

 それをハーバートも承知していて、彼のほうはディアナとの婚約を狙っていた。が、その理由たるや最悪である。一つは第一王女の夫となり権勢欲を満たすため。もう一つは美貌の王女の体で性欲を満たすためときているのだ。むろん公言はしていないが……。

 

 ディアナもハーバートの下心を見抜いているので、彼に好感は持てず、試合でも応援する気にはなれなかった。だからというわけでもないが、どちらかというとバルドルが勝つことをディアナは願っていた。彼はただ、一つの生命を救いたいだけなのだから。

 

 そして――その試合がとうとう始まろうとしていた。

 

 準備の整ったバルドルとハーバートが向かい合う。

 

 審判をつとめる男が間に立ち、試合のルールを説明しはじめる。


「武器は細剣レイピア一本。勝負は、いずれかが降参するまで。あるいは、続行不可能と私が判断するまで。加えて陛下からのご命令により、相手を死に至らしめた者は敗者とさだめ、厳重な処罰がくだるものとする。――両人よろしいな?」


「承知」とハーバート。バルドルもうなずいた。

 

 両者、間に三メートルの距離をとった。


「では双方、剣をかまえて……三、二、一――はじめ!」

 

 かけ声をあげ、審判はすぐさま後退した。

 

 次の瞬間、ハーバートが前進しざま斬り込んだ。その斬撃をバルドルがはじき返す。今度はバルドルの刺突。ハーバートが横へ払い、突き返す。それに対してさらに反撃。

 

 二人の剣戟に観客の声がわき起こった。

 

 細身で繊弱そうでもバルドルとて、尚武の気風が強きラーザの王子。剣さばきや足の運び方が、ある程度は武術の訓練を受けていることを物語っていた。それなりの剣士として知られているハーバートと彼は互角に剣をまじえていた――途中までは。

 

 しだいに、ハーバートの手数のみが増え、バルドルが防戦一方となりはじめたのだ。

 

 剣術をたしなむディアナには、バルドルに不足している部分を洞察できた。


(彼は気性のおとなしさゆえか、剣士としての攻撃性が足りない。ハーバートと技量は同程度だけど、気迫で劣る。それに……)


「やれ、ラーザを斬り倒せ!」


「勝って竜を殺せっ」


(ラーザの王子にブリタニアの観衆は味方しない)

 

 といっても多くの者は、なにを野蛮な、と冷めた視線で観戦しているのだが、一部が発する罵声によって、王子の心が乱れたというのもあるのだろう。打ち合って十数合の時点で、バルドルの防御がくずれた。

 

 ハーバートは連続して三回、バルドルの肢体を斬るのに成功した――肩に脚に脇腹。さらに、その斬り裂いた脇腹を躊躇なく力強く蹴りつけた。バルドルはよろめいて膝をついた。顔は苦痛にゆがんでいる。


「ラーザの王子、もっと楽しそうにしろ。余興なのだから笑顔が必要だぞ」

 

 ハーバートが嘲笑を浮かべて言った。

 

 この悪魔の使いのような貴族の悦にいった顔を見てディアナは確信した。


(ハーバートが試合を提案したのは、バルドル王子になら勝てると思ったから。そして、大衆の面前で彼をなぶって楽しみたかったからだわ……)

 

 今やバルドルは恐怖にふるえ、顔色を失っていた。――いや、それどころではなく、頭痛にでも襲われたかのように左手で頭をおさえている……。

 

 その姿を見てディアナは後悔の念にかられた。自分がこの試合を止めようとしなかったことによる後悔だ。


(だめ――もう見ていられない……)

 

 長年の敵国に人質として送り出された上に、今受けているのは試合という名目のただの暴力。味方は誰一人おらず完全なる孤立状態。このような状況に追い込まれたバルドル王子の苦しみは、いかほどであろうか。


(止めよう。竜のことは私が父を説得すればなんとかなるはず)


(こんな試合、やめさせよう)

 

 ディアナが決意し、声をあげようとした――刹那だった!

 

 バルドルは素早く体勢を立て直し、すさまじい速さでハーバートに斬撃を叩き込んだ。

 

 稲妻のごとく、一瞬のことだった。

 

 半ば反射的に、斬撃を剣でふせいだハーバートも賞讃に値するかもしれない。だが、その衝撃でハーバートはバランスをくずし、片膝をついた。

 

 彼を悠然と見下ろしてバルドルは言った。


「そのまま片膝をついていたらどうだ。ラーザの王子たる俺の御前だからな」

 

 それは――バルドルであってバルドルでなかった。

 

 氷のように冷ややかな声は、先ほどまでのバルドルのそれとは別物だった。

 

 声だけではない。様々な点が、これまでの弱々しく怯えていたバルドル王子とかけ離れていた。傲慢な発言、冷たい眼差し、不敵な表情。雰囲気も急に大人びて、五歳は年をとって見える。

 

 まるで別人。ディアナは思わずそう感じて一驚を喫した。

 

 王と観衆も、この急展開に呆然としている。


「貴様ッ! ただの不意打ちで調子づくな!」

 

 叫びながらハーバートは、すぐさま立ち上がり、剣を構えた。

 

 対するバルドルの行動に、皆がまたも驚倒した。彼は右手に持った剣で、自身の左の掌を斬ったのである。

 バルドルは掌から流れ出る血を、ハーバートの、驚きに見開かれた両眼に飛ばした。


「くっ、ああ……」

 

 ハーバートが苦悶の声をもらす。

 

 血の目つぶし。わずかの間、視力が失われた。そのすきに、バルドルはよどみない動作で踏み込み、敵に刃を浴びせた。

 

 尋常ならざる速度で閃くレイピア。ハーバートの肩、脚、脇腹に剣光がほぼ同時に走る。続けざま、脇腹の斬り裂いた部分をバルドルは容赦なく蹴りつけた。ハーバートはうめきをあげ、転倒した。

 

 つまりは、先ほどのハーバートの攻撃の再現だった。だが、速さと威力において、バルドルの剣技のほうがはるか上位にあるのは誰の目にも明らかだった。


(これほどの腕前なら、血で視界を奪ったりしなくても、攻撃に成功したはず……)

 

 遊んでいるのかとディアナは思った。そんな余裕すら今の彼からは感じられる。


(この力量なら試合開始直後に勝敗は決していたでしょうし、途中までバルドル王子が苦戦するなんてありえなかったに違いないわ)


(やられていたのは、ただの芝居でお遊びだったということ……?)

 

 しかし、斬りふせられたあと、バルドルが見せた絶望的な表情は、演技には思えなかった……。

 

 ともあれ、そういったことをハーバートは意識する余裕などなかったろう。痛みと恥辱によって顔を激怒に引きつらせたハーバートが怒号した。


「ラーザの悪魔がッ。正々堂々と立ちあえ! 不意打ちに、目潰しなど……卑怯者めッ」


「笑止」

 

 バルドルは冷ややかに笑った。


「戦いにおいて、だまし打ちや不意打ちなど常套手段。剣士でありながら、それに翻弄され怒っているようでは片腹痛いな。まさか戦場でも奇襲を受けたとき、そんな風にわめき散らすのか? ブリタニアには随分と頼もしい勇者がいるものだな」

 

 ディアナはぽかんとした。

 バルドルがこのようによく通る声で、なめらかに長広舌をふるう人物だとは、まったく想像の外だったのだ。しかも並べているのは皮肉の言葉。先刻この広間で、ハーバートに侮辱されても黙りこくっていた彼と同一人物とは思えない。

 

 ハーバートは、もはや何も言わなかった。その目に宿っているのは――殺意。

 

 立ちあがっていた彼は、上段に剣を構え、猛然とバルドルに襲いかかった。

 

 一閃のみ。

 

 バルドルの神速をきわめた斬撃は、ハーバートのレイピアを真っ二つに折った。刀身の上半分はくるくる回って床に落ち、もう半分は衝撃で手からこぼれ落ちた。

 

 直後、バルドルは一瞬で間を詰め、剣を左手に持ちかえ、血の出ていない右手でハーバートの首を絞めはじめる。

 

 観衆は騒然となった。七十キロ近くはあろうハーバートを右腕のみで持ちあげて宙に浮かせたのだ。一体、バルドルの細腕のどこにそのような力が秘められているのか。

 

 首をみしみしと絞めあげられているハーバートの顔は紅に染まり、悲惨な様相を呈している。

 

 彼は両手でバルドルの腕をつかみ、引き離そうともがいていた。が、ついにハーバートの両腕のほうが力なくだらりと下がった。


「もうよせ! 勝負ありだ!」

 

 審判の声があがり、バルドルはハーバートを床に落とした。

 あわててハーバートにかけよって脈をとる審判に、バルドルは、「ただの失神だ」とだけ言った。

 

 確認した審判は、その言は確かだとレイモンド王にうなずいてみせた。


「陛下」

 

 バルドルは、床に転がっている試合相手のことなど忘れたかのように落ち着いた様子で、王に歩み寄り、問いかけた。


「私が勝った際の条件、覚えておいででしょうね」


「あ、ああ……むろんだ」

 

 バルドルの豹変ぶりと試合の展開に、王はまだ驚き冷めやらぬといった具合だった。


「バルドル殿が勝ったあかつきには竜を生かすという条件だったゆえ、あの赤竜の扱いはそなたにゆだねる」

 

 バルドルは王に一礼した。


「それでは、あの赤竜は、ラーザの第二王子バルドルがつつしんで頂戴いたします」

 

 言って、ラーザの王子は微笑した。

 

 不敵な笑みをただよわせる男を見てディアナは、先刻までの彼とは別人なのではないか、という思いを消し去ることができなかった……。

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