第3話
何事か気になったので、ディアナはバルドル王子に同行した。妙な好奇心ゆえかハーバートもついてきた。
先の大広間と同じく王宮にある玉座の間に、ディアナたちは入室した。
ディアナの目に真っ先に飛び込んできたのは、一頭の幼竜だった。鉄製のかごに入れられている。ラーザと違い、ブリタニアには竜の生息地がほとんど存在しないこともあり、ディアナは間近で竜を見た経験がなかった。我知らず眺めてしまう。
(なんて幻想的な生き物だろう!)
ディアナの胸は神秘にうたれていた。
幼竜は炎のように鮮烈な赤色の体をしており、ルビーを散らしたかのごとく輝いている。大きさはまだ小型犬程度だった。
見知らぬ場所につれてこられて不安なのだろう、わずかにうなり声をあげている。
「ディアナとハーバート、お前たちも来たのか。まあよい」
玉座の間の奥から、父王レイモンドが言った。
高座に置かれた、大理石の椅子に王は腰をかけていた。その両脇に数人の近衛兵が
王たちから十歩ほど離れた正面に赤い幼竜。
もともと落ち着かない様子だった竜が、新たな人間たちが増えたことで興奮したのだろう、ついに咆哮を発した。
幼竜ながら、その叫び声はすさまじく、だだっ広い玉座の間に響きわたった。鉄の鎖で足がつながれているものの、意にも介さず、かごの中で暴れはじめる。かごと鎖がゆれる金属音と竜の咆哮が、この場にいる者すべての耳をつんざかんばかりである。
近衛兵たちが大人しくさせようと、竜をどなりつけるが、逆効果でしかなく竜の興奮の度が増す一方だった。
そこへ、ゆったりと近づいたバルドル王子が竜に手をかざし、落ち着いた声で、
「静かに」
とだけ言った。
すると、竜は咆えるのをやめて、しだいに落ち着きを取り戻し、かすかなうなり声を出すだけになった。これには王や近衛兵たちも、おおっと感嘆の声。ディアナもこの王子に対して初めて驚嘆の念を抱いた。
「やはり、バルドル殿を呼んでよかった。この竜、たけり狂ってばかりで手の施しようがなかったのだ。それを一瞬で御するとはな」
王は率直に称賛した。
「さすがは
竜騎士とは、超常的な力で竜を操る者たちの総称である。その能力がなければ、竜を扱うことは不可能だと言われている。ラーザには、王族など一部の者に竜騎士が存在するが、現在のブリタニアにはいない。
「恐縮です。それで、この竜は一体……」
「うむ、説明しよう」
王は詳細を述べはじめた。
先日、ブリタニアのスノードン山にて、二頭の野生の竜が発見された。この国では稀有なことに山に棲みついていたのだ。
竜を崇高の対象とするラーザと異なり、ブリタニアでは野生の竜というのは基本的に討伐対象である。そのため、ブリタニア随一の竜殺しの達人リオン卿が討伐の任にあたり、二頭の竜を屠るのに成功した。
だが、山にはもう一頭だけ竜がいた。今ディアナたちの目の前にいる赤竜である。屠った二頭はこの竜の親だったのだ。
親の二頭はスノードン山周辺の村などの家畜に被害をもたらしたうえに、成獣であり生け捕りも不可能だったからともかく、生まれて間もない竜までもリオン卿は殺しはしなかった。
「ともあれ、リオンにせよスノードン山の領主にせよ、このような特殊な獣は扱いに困るゆえ、こちらによこしてきて、それが今しがた到着したという由」
王は一旦間を置いて、思案するような口調で言葉を継いだ。
「……だがな、バルドル殿、私は迷うておるのだよ。この竜を生かすか殺すか、な」
ここまでうつむき加減で話を聞いていたバルドル王子が、はっと顔をあげた。その表情に陰りが広がってゆく。
「生かして野に放てば、成獣になったとき、人間に危害を加えるやもしれぬ。かといって、我が国に竜騎士は現在おらず、勝手に行動させないよう竜を支配することもできぬ」
「で、であれば、竜の価値に相当する金銀と引き替えに、この竜をラーザが購入いたします。それでいかがでございましょう」
懸命に説得しようという熱意が王子からにじみ出ていた。
それもそのはずで、ラーザにおいて竜とは、神々が創造した獣として貴ばれている。とりわけ王家の者は竜に対する愛情が強く、殺処分など見過ごせないのだろう。
「たしかに、ブリタニアと貴国ラーザが過去に最低限平和的な状態にあった時期はそのような交易が行われておったし、リオンもその点を踏まえたゆえ捕獲という判断を下したのだ」
「ならば、何卒この竜のご助命を……」
しかし――バルドル王子が真剣であるから直裁に言えないだけで、王の目には何やら否定的感情がうかがわれた。
「私はラーザに竜を渡すのは反対ですね」
と、口を開いたのはハーバートだった。
「渡せば、竜という強大な戦力をラーザが保有することになります。もし再びラーザとの戦乱の幕が切って落とされた場合、この竜がブリタニアの兵と民に牙を向ける危険性なきにしもあらず」
赤竜を見るハーバートの顔には嫌悪の色がちらついていた。
ブリタニア人は竜を忌み嫌う者が多い。ラーザの竜によって、戦死の憂き目にあったブリタニア兵はおびただしい数にのぼるからだ。
そのせいか、公明正大な王もハーバートの言にうなずいて、わずかに同意を示した。
「では、今すぐ殺すべきです」
と、ハーバートが残酷につけ加えた。
その目つきや口ぶりから、竜嫌いというだけではない、生来の加虐性をディアナは感じた。ハーバートは剣の試し斬りには犬や猫を使っているという。そんな話を彼が喜々として語っていたのを、彼女はそのとき抱いた不快感とともに思い出した。
「で、ですが……」
まだいくぶん弱気なバルドル王子が彼なりに声を張って言う。
「生まれたばかりで誰にも害をなしていない幼竜に、いかなる罪があるというのですか?」
「だから、この先、害をなす野獣になると言っているのだ。レイモンド陛下がおおせになったように、我がブリタニアには竜騎士はおらず、きちんと育てることもできないからな」
「ならば――僕が育てます。誰の迷惑にもならないように……」
王子のこの発言は一同を唖然とさせた。
「だが、貴公は人質だろう。そんな立場の人間に竜を飼わせるなど……」
そう言ったハーバートは少し押し黙ったが、急に、何かを思いついたような表情になった。
「陛下、どうやら、話を続けてもらちが明きそうにございませんゆえ、こういうのはいかがでしょう」
ここにきてハーバートがはじめて笑みを見せた。その薄笑いには怪しさがひそんでいた。
「この竜の命をかけて、私とバルドル王子が剣で試合をいたします。竜は王子が勝てば生かし、私が勝てば斬ります」
この提案に王はやや呆れたように、
「決闘で解決しようと申すのか。いささか話が飛躍してはおらぬか?」
「こちらの王子殿とでは話し合いでは解決できないかと。彼の意見を無視して強引に竜を斬り殺してもよいかと存じますが、王子からすれば、そうされるくらいなら戦いで片をつけるほうがよろしいのではないですかな。まあ、私とバルドル王子の生死までかけるような決闘にはいたしません。ただの試合でございます。祝宴の余興にもなりましょう」
ハーバートの顔を見てディアナは、
(ただ試合で解決したいだけじゃなくて、何か腹に一物ある気がするわ……)
と、いぶかしんだ。
「もっとも、バルドル殿が戦わぬと言うならそれまでです。王子殿が聞きしに勝る腰抜け――これは失礼。繊細な方なら、剣での試合を断られるのも無理からぬこと」
ハーバートにまた侮辱されたわけであるが、バルドル王子は瞳に動揺の色をたたえたまま、しばらく口をつぐんでいた。
だが、やがて彼は口を開いた。
「僕が試合で勝てば、この竜を助けてくださるのですね?」
ハーバートは一応うなずいた。
王は、付き合いきれん、とでも言いたげな様子で、
「それでよかろう」
と、了承した。
こうして、ラーザの王子対ブリタニアの貴族による試合が行われることとなったのだった。
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