第2話
(まったく……気まずいといったらないわ)
王子とともに大広間に戻ったディアナは胸中でつぶやいた。
彼女は話していた相手がバルドル王子だとは思いもしなかったのだ。彼の外見を知らなかったというのもある。
バルドルは、ラーザとブリタニアの休戦協定が守られるための保証として、この国に移された人質である。
念のため、しばらくの間は、王都にある屋敷で不自由させない程度の監視下におくとのことだった。それなのに、酔狂を起こした誰かが王子をこの宴席に招待し、ディアナはそのことを知らされていなかったという始末。主役の彼女の意向がことごとく無視された誕生日祝いだ。
父王レイモンドが座を外し、ディアナとバルドルが再び二人きりに近い状態となった。
むろん、他の参列者たちも大広間に一応いる。豪華な綺羅をまとった貴族や有力者の群れが。その自称紳士淑女たちは、宮廷楽士団の美しい演奏などお構いなしのやかましさで、ぺちゃくちゃと上っ面のお喋りに花を咲かせていた。
彼らは王女に気づいても、祝いの言葉や挨拶を投げかける程度で、すぐに距離をおきはじめる。ブリタニアの積年の敵国ラーザの王子が一緒なのが原因だ。
やむなく、ディアナはバルドル王子と二人で、テーブルに並べられた料理を立食しながら会話を続けるが……それがなんと盛り上がらないことか!
バルドル王子とその兄を悪く言ったことはすでに謝罪した。だが、彼の目にはディアナが“たちの悪い性悪女”にでも映っているのかもしれない。彼女がバルドルに話題を切り出しても、返ってくる言葉は一言か二言で、声も小さく、ずっとうつむき加減なのだ。
元気も何もあったものではないと思う反面、仕方がないともディアナは感じていた。この王子は人質として、長年の敵国に放り込まれているという立場にあり、目の前の相手も先ほど彼のことを悪しざまに言った王女ときている。そんな状況で目を輝かせて楽しげに受け答えをしていたら、それこそ病気である。
とはいえ、少しばかり会話が成立しないので、ディアナは思わず指摘してしまった。
「バルドル殿下、広間に来てから私たちは三十分ほど一緒にいます。その間に、あなたがお喋りになったのは六語ですよ。その中の二語は“はい”と“ですね”です」
するとバルドルはこう答えた。
「申し訳ない。ではもっと控えましょう」
これを王子の冗談か皮肉だとディアナは思ったのだが、話を進めていくうちに、彼は大真面目だったのだと気づいて彼女はなかば呆れはてた。
(こんな、とんちんかんな男がラーザの王子なのか)
容貌は悪くない。顔立ちは整っているし、やや頼りなげな細身でも、背は比較的高い。高価な誂えの黒い礼服もわりと様になっていると言えよう。
にもかかわらず、どこか繊弱な印象を受けるのだ。
(ずっとうつむいていて、ふし目がちなんだもの。せっかく、綺麗な夜の色の髪と瞳をしているのに)
ディアナはもったいなく思う。
おどおどした話し方も彼の弱々しさをいっそう印象づける。この場の雰囲気に吞まれているというのもあるのだろうが、おそらく生来の引っ込み思案でもあるのだろう。
(勇猛で豪胆、ラーザの英雄とまで称される兄王子ヴラドと対照的という話は本当のようね)
ディアナの兄ロアンを殺したヴラド。バルドル王子はその弟だ。
ディアナからすると、
そう思うと、バルドルに対して名状しがたい複雑な感情に襲われ、彼はやはり敵側の人間なのだと感じてしまう。バルドルもそういったことに一種の後ろめたさを覚えたから、庭園ですぐに名乗らなかったのだろう。
ともあれ、王子の相手をしておくよう父から仰せつかっていたため、微妙に噛み合わない会話でもしばらく続けていた。
そうしたとき。
「ディアナ王女殿下、お誕生日まことにおめでとうございます」
現れたのは、中肉長背で栗毛の美男だった。
「……ありがとうございます。ハーバート伯」
このハーバートという名の若者は、先年病死した父親の伯爵位を継承した大貴族である。年齢は十九歳だ。
「幸多き一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。――それにしても、お召しになっている金色のドレス、よくお似合いでいらっしゃる。殿下の華やかなご尊顔やおぐしと相まって、目も眩むほどの美しさ。私めの心に感嘆と崇拝の明かりが灯されましてございます」
歯が浮く、という言葉をこの人は知らないのだろうか、とディアナは呆然とする。
そして、実際にハーバートが視線を走らせているのは、ディアナのドレスではなく、その下にある胸や腰回りなのだと彼女は感じとっていた。彼は、露骨にではないものの、会うたびにディアナの体を好色そうな目で見るのだ。
ハーバートは、美辞麗句の矢を一通り放ち終えると、バルドル王子のほうに目を向け、こいつは誰だ、というような表情を浮かべた。
「こちらの方は、ラーザ国のバルドル王子殿下でいらっしゃいます」
と、ディアナが紹介すると、ハーバートは意地悪くこう言った。
「ああ、蛮族の国からやってきた人質ですか」
嫌な空気が流れた。ディアナは眉をひそめる。
文化力において、ラーザはブリタニアの足元にもおよばない。ゆえに、ブリタニア人がラーザをおとしめる際、“蛮族の国”や“野蛮人の民族”といった表現がよく用いられるのだが……。
侮辱されたにもかかわらず、バルドルはうつむいたまま何も言葉を返さない。
ディアナはじれったい気持ちになる。しっかりしろ、ちゃんと言い返しなさい、と思えてきたのだ。
が、バルドルが黙ったままなので、「ハーバート、今の言い方は失礼ですよ」と、ディアナが代弁することになった。
庭園での件もあるので、彼女もそんなことを言えた人間ではない。だが、バルドルのますます悄然とした様子を見ていると、なぜか黙ってはいられなかった。
「バルドル殿下は人質といっても、客人という立場でもあって……」
ディアナは語を継ぐのを中断した。
侍女が慌てた面持ちで、こちらへ駆け寄ってきたからだ。
「お話し中、失礼いたします。バルドル王子殿下、国王陛下がお呼びでいらっしゃいますので、玉座の間に至急おいでくださいますよう」
「僕ですか?」
「はい。捕らえた竜の件でございますので、バルドル殿下に」
“竜の国ラーザ”の王子は、ようやく興味の色を瞳にのぞかせた。
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