第2話 開幕オリチャーはガバの元――1

 たった小一時間前の話。

 ヤマト国の小さな村だった。畑を耕し家畜を育て漁をして、そんな慎ましやかな暮らしを送る百人に満たない大きさの集落。村民は皆顔馴染みで、時に言い争うことはあれど平和な村だった。


 村、だった。

 そこはすでに村ではなく、一つの地獄とも呼べる様相を見せていた。


 地面には血の池が広がっていた。家屋は崩れ、家畜は殺され、かつて人間だった生命は冒涜的な形で再び蘇り出している。


 どうしてこんなことに。

 そう嘆く少女こそが、この地獄を生み出した原因であった。


 彼女はなんて事のない村娘だった。普通に生き、普通に育ち、村の中だけの交友を世界の全てであると認識し、年の近い少年少女と毎日遊びながら暮らしてきた。


 だから、目の前で起きている非日常を現実であると受け入れることが難しかった。友のはらわたが転がり、父母の脳漿が飛び散り、村人が生きたまま食われていく光景なんて受け入れることが出来なかった。


 涙は既に枯れ果て、喉も潰れていた。だからこそ彼女はまだ生きていられた。

 叫び声を上げたものから襲われた。泣き叫ぶ子どもは真っ先に食われた。雑に食い散らかされた死体は起き上がり、飢えを満たさん同胞を作らんとさらなる被害を広げていく。


 少女はただ、怪我をしていた旅人を助けようと思っただけだったのに。


 農具小屋の中で少女は震えながら身をひそめる。涙を流し過ぎて痺れるような痛みを感じ出した両目をぎゅっと閉じて、あぁ神様、どうかこの悪夢が醒めますように。起きたらお父さんとお母さんが笑ってくれて、友人が笑ってくれて、そんな怖い夢は嘘だと否定してくれますように。


 しばらくして、外が静かになった。


 おそるおそる、といった様子で少女は農具小屋から外に出る。赤、赤、赤赤赤。茶色の地面に真っ赤な絵具。立ち込める熱気のような死臭も鼻が慣れてしまってよく分からない。


 地獄と化した現世を彼女は歩く。歩いて、歩いて、ようやく見つけた。いや、分かったというべきか。


「お父さん……ねぇ、起きてお父さん」


 いつも大きな手のひらで撫でてくれた父。畑仕事で荒れたゴツゴツの手で撫でられるのはあまり気持ちよくなかったが、決して嫌ではなかった。

 起き上がってくれない父を前にして、かすれた声を出すしかない彼女。


 と、そんな行為を数分ばかり続けていたその時。


「あっ……お父さん……お父さん?」


 ゆっくりとした動作で、頭部の右側が完全につぶれた父が起き上がってくれた。

 良かった、やっぱりお父さんは生きていたんだ。


 真っ黒な、どこも見ていないような視線が彼女に向けられる。ゴツゴツしたあの手は真っ赤に染まって、どうしてだがふやけてしまっている。ぶよぶよの、腐りかけの肉の塊みたいだった。


「お父さん? お父さん、いた、いたいよ、いたいよお父さん、止めて、止めて、いたい、いたいいたい……」


――――


「難易度が分からない……ステータス画面の右下にいっつも表示されてたはずなんだけどな」


 特に計画なく走り出したオレは、自らのステータスウインドウを見ながら頭を悩ませていた。


 『アンデッド・キングダム』には複数の難易度が存在した。この表記の仕方がこれまた粋で、ゾンビ側のゾンビゲームらしく地獄がイージー理想郷がハードコアって具合になっている。

 地獄で無双するのも楽しいといえば楽しいのだが、オレ的にはやっぱり人間めちゃ強な理想郷をゾンビパワーでねじ伏せてやるのが気持ちいい。

 だから個人的には理想郷であって欲しい難易度だけど。


「ルシ子ちゃんの能力的に普通っぽいんだよね」


 アンデッド・キングダムRTAにおける運要素、乱数に大きく左右されるクソキャラルシ子ちゃんだが、彼女のステータスは他のネームドアンデッドと異なり理想郷の方が強かったりする。


 そして彼女は気まぐれにプレイヤーを裏切るという性質を持つ。製作サイド的には味のあるお邪魔キャラって意味で彼女を用意したんだと思うけど、こと最短攻略を目指すとなると運要素は辛い。辛すぎる。

 ただでさえランダム生成の小規模な村とかネームド系の行動とか毎回異なる展開が待っているっていうのに、ルシ子ちゃんときたら結構な確率で人間サイドについたりするから。しかも安定しない確率で。解析班によると裏切り率は三割くらいらしいけどオレのパソコンのルシ子は体感五割裏切ってくる。


 まぁ彼女の出現スポットは欧州近辺だし、日本モチーフのこのヤマト国にまでは着たりすることがないからしばらくは安泰か。


「それにしても、確認できるのはステータスと進化チャート、スキルパネルだけ。見慣れた墓場のアセットだったからリスポ地点がヤマトだって分かったけど結構不親切だよな。マップくらい見れるようにしろよ」


 世界にそうぼやいてみるも当然マップ表示なんてされない。

 視界のステータスウインドウには現在の能力値の他、タブ分けされてアンデッドの進化チャートとスキルパネルの数々。原作ではあったセーブ機能やマップ、日数の表記なんかはなかった。つまりクリア日数は脳みそで覚えてないといけない訳だな。


 転生直後少しだけ稼いだ経験値とスキルはルシ子ちゃんに殺されたことによるデスペナでゼロになっていた。これは原作の理想郷よりも重たい。


 今のオレはゾンビ系アンデッドの最下級種、ゾンビである。スケルトンほどの敏捷性や防御力を持たず、ゴーストのような呪術が使える訳でもないスタンダートなゾンビ。主な特徴は汚染能力と膨大な体力。外見も死体そのままで、骨だけとか霊体だとかの他と比べると非常に身近な雰囲気だ。

 汚染は文字通りゾンビの因子を感染させる能力、属性的には毒が近いだろう。この汚染状態で人間を倒す――殺すことに成功すると、相手をゾンビに変えることが出来る。ネームドの人間キャラの中には汚染がトリガーになってイベントシーンが始まるキャラもいたっけな。


 今回オレが挑戦するのはゾンビ絶滅RTA。ならばゾンビを増やしてしまう汚染属性とは相性が悪そうに見えるのだが、実はそうも言っていられない。


 つい、とステータスウインドウをスキルパネルへと変える。

 そこにはゾンビが習得可能なスキルの数々が灰色の記号で表示されていた。スキルは習得すると真っ赤に染まる。そしてこのスキル、ポイントを振り分けるのではなく特定の行動を達成した実績で解放される仕組みになっている。俗に言うアチーブメント。


 例えば、人間を何体捕食するとか。

 例えば、特定の呪術を何回使用とか。

 変なものだと、とある滅びた神を信仰するとか――これはフォーリンエンジェルへの進化条件だったりする。


 その中の一つに死肉食がある。


 ゾンビにとって経験値とは人間の肉、それも生きた人間の新鮮な肉である。死んだ人間の肉や同族たるゾンビの肉は基本的に経験値にならない。

 だが、死体の肉を食うという一見無意味に見える行動を取ることでとあるスキルパネルが解放されるのだ。


 それが死体喰らい。ゾンビ系からグール系へと派生進化するための条件の一つで、死体から経験値を得るスキルである。

 これを取得すると同族から嫌われるためか統率のステータスにマイナス補正がかかるがアンデッドを経験値に変えることが出来るようになる。効率は人間を食べた方が圧倒的に上だが、特化させるとゾンビを食らう専門のゾンビになることだって出来る。


 そしてことゾンビ絶滅エンドを目指すにあたっては、間引く仲間ゾンビが実質経験値になる神スキルになるのだ!


 その時、走っていたオレは足を止めた。


 ……血の匂いだ!


 今のオレはアンデッド、主食は人間好物人肉。血の匂いにはサメ以上に敏感だ。


 ランダム生成の村が近くにあるのかもしれない、そしてそこが野良ゾンビ襲撃イベントに遭遇して大変なことになっているんだ!


「天がオレに最速攻略しろと囁きまくっている気がするぜ……行くか!」


 とりあえずの目的地が決まった、安定チャートの初手、廃村での死体漁りからのグール系進化! ちなみに攻めチャーだとポップ地点の手ごろなネームドキャラを運ゲーで倒して爆速レベルアップ。突破率は一%以下。


 血の匂いを頼りに方角を見定めて、オレは村があると思わしき方向へと駆け出した。

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