6. 葬儀

「やはり、葛城は五姓田に強請られていましたね」

 犬飼が言う通り、五姓田の命令で伊庭が依頼したとも知らず、葛城は「解剖せず、虚偽の検案書を作成した」ことをネタに、五姓田に強請られていた。

 そんな葛城は、その場で東京都保健医療局次長の谷口から医師免許剝奪を通告され、自宅待機を命じられた。

「驕り高ぶったヤツの末路よ。ザマァみろ」

「さて……」

 月見里が腕時計を確認する。時刻は既に22時になっていた。

「これで鑑定処分許可状は請求出来るかな」

「まあ、上がどう判断するかにもよるがな。もう一押しがあれば確実なんだが」

 そう言って高瀬がガリガリと頭を掻いた時だった。

「ん? ウチの柴犬からメールだ」

 

<万引きをした廉で、雅臣を補導。身柄を所轄署でお預かり>


「どうやら、柴田が五姓田雅臣を引っ張ったらしい。こいつでもう一押ししてやる。先戻っててくれ」

 

 *   *   *


「高瀬さん!」

 渋谷署に到着するや否や、入り口で待っていた忠犬が高瀬の下へ駆け寄って来た。

「おう。柴田にしちゃ、お手柄じゃねぇか」

「えへへ……ってか、くさっ! めっちゃくさっ! また、車の中で煙草吸ったでしょ!」

「それがどうした」

 高瀬は悪びれもせず、すたすたと渋谷署内へと向かう。

 柴田はそれを追った。

「どうしたじゃないですよ! 禁煙シール貼ってあったでしょ!」

「知るか」

 キャンキャンと鳴き喚く柴田を引き連れ、高瀬は少年課へと向かう。

 自身も昔散々世話になったところである。

「お疲れッス」

「ああ、高瀬さん。お客さんは2番ね」

 少年課の課長にエンピツの尻で指し示されたのは取調室だ。

「時間も時間だから、問題になるからさっさと終わらせてよ」

 課長は迷惑そうな顔をした。

 何しろ、警察署での取り調べは22時までと決まっているのだ。

「承知しております」

 高瀬は心にもない了解と礼を言って、取調室へと入った。

 

 *   *   *

 

「まだなんかあんのかよ」

 高瀬が取調室に入るなり、少年はそう言って高瀬を睨んで来た。

 陽に焼けた顔。髪は目に掛かるほど長めで色を抜いており、さながらホストのようだ。

 体躯は、中学生にしてはガタイがいい。これで殴られては、優馬のような華奢なタイプはたまったものじゃないだろう。

「随分威勢がいいな」

 椅子を引きながら雅臣の顔を覗き込む。よくよく見れば、まだまだ小便臭い子供だ。

「んだよ。金なら払うつってんだろ? いい加減これ外せよ」

 雅臣は両手に手錠を、そして体に腰紐を付けられ、椅子に繋がれている。これを外せと言うのである。

「そういう問題じゃねぇのよ。店出る前に金払わなきゃ、それは万引きなの」

「チッ」

 雅臣は舌打ちをすると、弁護士を呼べと言った。

「お前、TVドラマの見過ぎだな。もうちっと勉強しな。それとも、ガチの社会勉強の方がいいか?」

 そう言うと、高瀬は雅臣の胸倉を引っ掴んだ。そのまま引き上げ、更にもう片手で顎を包むように頬を掴み、ギリギリと力を入れる。

「俺が世の中教えてやろうか。不公平と、理不尽で出来たクソみたいな世の中を。どうだ? 何とか言えよ?」

 額が触れそうなほどに、顔を近づける。雅臣は小さく、ウッと言った。

「座れ」

 突き放すように開放する。どさりと雅臣が椅子に落ちた。

 そんな雅臣を凝視したまま、高瀬は背後の柴田に声を掛けた。

「あ、柴田クン。今んとこは『ご挨拶』だから、記録しなくていいよ」

「クソ野郎……」

「雅臣。もっと丁寧な『ご挨拶』を受けたくなかったら、口の利き方に気を付けろ」

「わぁったよ」

「分かりました、だ」

 

 高瀬は適当に万引きの調書を取ると、短い煙草休憩を挟み、取調室へと戻った。

 時刻は午前0時半。まだ時間に余裕があるが、長く引き伸ばすと流石に問題になる。そろそろケリを付けねばならないだろう。

 先程届いた矢部のメールによると、五姓田敦は行方をくらましているとの事だ。恐らく内偵に気付いたのだろう。

 また、伊庭紳一郎についても、犬飼が事情説明し、再度解剖を勧めたが、頑として聞き入れなかったとのことだった。

 どうやら、五姓田に裏口入学の件をマスコミに暴露されることを恐れているらしい。

「お前、他に余罪あるだろ」

 高瀬は雅臣の背後に回ると耳元に囁いた。

 憔悴した雅臣の肩が、びくりと動く。

「別に……」

「別にってこたねぇだろ。それとも、虐めは犯罪じゃねぇってか」

 途端、雅臣の落ち着きが無くなった。ガタガタと震え始め、鼻水を垂らし、涙を浮かべる。落ちる。高瀬は一気に攻めた。

「伊庭優馬君を、暴行の上殺害したな」


 五姓田雅臣は既に14歳となっていたため、暴行罪で緊急逮捕された。

 雅臣の自供により、友人と共謀し伊庭優馬を暴行。発見現場となった路地に遺棄したことが明らかになった。

 傷害致死、殺人とならなかったのは、あくまでも「動かなくなって怖くなり遺棄した」のであって、まだ明確な殺意を持って暴行し、それが原因で死に至ったところまで証明されていないからだ。

「んじゃ、頼むわ」

 高瀬は雅臣の身柄を柴田に預けると、T大法医学教室へとなった急いだ。

 

 *   *   *

 

 高瀬がT大法医学教室に到着すると、時刻は既に午前2時を回っていた。

「ご苦労様」

 デスクライトの灯りで本を読んでいた月見里が、高瀬を迎え入れた。

「犬飼は──っと、寝てんのか」

 応接セットで横になり、静かな寝息を立てている犬飼に気づき、高瀬は声を落とした。

「彼にとって、今までにない目まぐるしい一日だったんだよ」

「だろうな」

「それで、どうだった?」

 高瀬は月見里か渡された缶コーヒーを受け取ると、渋谷署での一件を話して聞かせた。

「なるほどね」

「五姓田雅臣の罪を確実にする為にも、解剖が必要だ」

 月見里もそれに頷く。

「渋谷署に行く前、副警視総監に鑑定処分許可状請求書の押印をして貰う約束を取り付けたけど、副警視総監は、総監と一緒に金沢へ出張中だ。明日、朝一で新幹線で戻って来てくれるが、東京駅到着は8時半だな」

「それから裁判所か。ギリギリだね」

「テメェの事しか頭にないクソ一課長に頼むより早いさ」

 そう言うと、高瀬は犬飼の向かいのソファーで横になるや否や、いびきをかいた。

 

 *   *   *


 翌朝5時、起床した高瀬は法医学教室を飛び出した。

 今日は犬飼が葬儀に出席、月見里は解剖の準備だ。

 高瀬は一旦対策室に戻り、許可状請求書を作成。逸る心を抑えきれず、早々に東京駅へ副警視総監を迎えに出てしまった。

 時刻はまだ6時半だったが、酷く腹が減っていた。この時間から東京駅内のコーヒーショップは開店する。そこでゆっくりと食事を摂ろうという算段である。

 最近高瀬はこのコーヒーショップチェーンのモーニングや軽食が気に入りだった。喫煙は出来ないが、それを上回る満足感がある。

 店頭で、慣れた調子でいくつも注文する高瀬に、店員は唖然としつつも注文札を渡した。

 高瀬は席に着き、時計を見ながらこれからの時間を計算することにした。

 先ず、8時半に新幹線が到着する。東京駅から警視庁は目と鼻の先だ。

 押印を頂き、9時までに斜向かいの裁判所へ向かえば、葬儀場は青山のA葬儀所だ。出棺までに余裕で間に合うだろう。


 その時だ。

 

 僅かに、浮遊感にも似た振れを感じ、同時にあちこちでスマホのアラートが鳴った。

 高瀬も慌ててスマホを確認する。

「マジかよ……」

 そこには、北陸地方一帯において大きな地震が発生したとあった。

 高瀬は安藤に電話を掛けた。

『もしもし──』

 安藤は直ぐに応答した。

「安藤さん、大丈夫ですか」

『うん。なんともないよ。しかし今新潟なんだが、新幹線が止まってしまった。現在安全を確認しているとのことで、状況を見て早急に発車するとアナウンスがあった』

「良かった……」

 高瀬はほっと胸をなでおろした。

 学生時代に何度となく喧嘩で捕まったが、その時の恩人が、現副警視総監、安藤修一郎なのである。

 高瀬が警官を目指そうと思うきっかけになった人物だ。

『心配かけて申し訳ないね。発車したら連絡する』

「了解です。お気をつけて」

 そう言って高瀬は通話を切った。

 しかし、彼らの──、そしてJRの予想に反し、余震はその後何度も続き、新幹線が運行を再開したのは1時間半後だった。


「安藤さん! こっち!」

 10時に東京駅に到着した安藤と八重洲中央口で合流した高瀬は、安藤の荷物を担ぎ、駅と直結している八重洲パーキングへ走った。

 肺が破れそうに痛い。今ほど喫煙を悔いたことはなかった。

 ふと横を見ると、荷物を持っていないとはいえ、還暦間際の安藤が涼しい顔で走っていた。

 流石、愛犬のチワワと共に、毎日のジョギングを欠かさないだけある。


「お願いしま……」

 肩で息をしながら、高瀬は警視庁の副総監室で、裁判所へ提出する鑑定処分許可状請求書を安藤に提出した。

 安藤はラフな姿のまま副総監室の執務席で押印を行った。

「文孝、頑張れよ」

 そう言って、昔と変わらぬ笑顔と共に、請求書を手渡す。

 高瀬は力強く頷くと、請求書を引っ掴んで飛び出した。


 総監室の時計は10時30分を指していた。

 

 *   *   *


 A葬儀所で、犬飼は背中を丸め、ちょこんと参列者席に座っていた。

 周りはTVで見たことのある有名人だらけである。

 正面では僧侶が粛々と経を上げており、順に参列者が焼香を行っている。

「高瀬さん遅いな……」

 もう、何度腕時計を確認しただろう。犬飼は次第に不安になって来た。

 亀のように、首を伸ばして前を見てみた。すると、優馬の母、由美子と目が合った。

 由美子は直ぐに目を逸らし俯いた。

 

 *   *   *


「おい、どけ!」

 裁判所の窓口はごった返していた。

 人をかき分け前へ進むと、高瀬は窓口に鑑定処分許可状請求書を叩きつけて言った。

「大人一枚!」

 

 *   *   *


「クッソ、あのババア!」

 高瀬は毒づくと、ハンドルを叩いた。

 窓口に書類を出すと、窓口の女性は高瀬に突き返して言った。

「アンタ、順番抜かししたでしょ。一番後ろに並びな」

 至極真っ当な言い分なのだが、高瀬は憤慨した。

 しかし、並んだ。

 おかげで鑑定処分許可状を受け取ったのは10時55分だった。

 ここから国道246号経由だと10分程度で到着予定だが、交通状況によっては20分かかる。

「もう出棺しちまうじゃねぇか! クッソババアアア!」

 

 *   *   *


「遅いな……」

 犬飼は焦っていた。

 間もなく最後のお別れの時間だ。皆が花を持ち、順に棺に入れて故人とお別れするのである。

 時計を見る。喪主が伊庭紳一郎という事もあり、弔問客が多い。出棺予定の11時を回っていた。

「あちらの方の後に付いてお進みください」

 斎場の係員は、そう言うと犬飼に一輪の百合を渡した。

 犬飼は、弔問客の最後のグループである。


 ──僕が終わったら、出棺してしまう。


 犬飼は百合を握りしめて順に付いた。

 そして、気づけば棺の横にいた。

 目の前に、優馬の白い顔がある。

 どうしたらいい。このままでは──。

 自然と、犬飼の目に涙が浮かんだ。そして──。


「うわあああああああ! 優馬くううううん!」


 犬飼は、一際大きな声を上げると棺にしがみついた。

「折角友達になったのに! これから一緒に猫を助けようねって!」

 あふれる涙を拭いもせず、犬飼は泣き、そして棺に縋った。


 ──高瀬さん。早く来て下さい!


 そう心で言いながら。

 

 *   *   *


 高瀬は赤坂のカナダ大使館前で渋滞に嵌っていた。どうやら青山一丁目交差点まで続いているようである。

 

 ──時刻は11時10分。


 高瀬は焦った。このままでは全てが台無しになり、優馬の無念を晴らすことが出来ない。

「クソ!」

 そう言うと、助手席に放り投げてあったパトランプを引っ掴み、ルーフに乗せた。

 いきなり発生する大音響に、周囲が何事かと高瀬を見る。

 そんな視線を無視してウインカーを上げると、高瀬は思い切りハンドルを切った。

 

 *   *   *


「うわああああん! うわあああん!」

「お客様、出棺のお時間ですので」

 係員が、数人がかりで棺にしがみつく犬飼を引き離した。

 そのまま棺から離れたところへ移動させられる。

 棺は蓋をされ、棺掛けをされると、周りを数人の男たちが囲った。

 ついに、本当に別れの時が来たのだ。

 犬飼の脚から、力が抜けた。

 ぺたんと、その場に座り込む。

 ゆっくりと、棺が運び出される。

 棺は正面の通路を通って運ばれ、停められた霊柩車に向かう。

 犬飼には、スローモーションのように見えた。

 全て、これで終わってしまう。

 真実を隠されたまま。


「ウォイ!」


 厳かな雰囲気を打ち砕く声が響いた。

「伊庭優馬傷害致死事件の捜査の為、鑑定処分許可状を執行。遺体は警視庁の管理下に置く!」

 葬送の列を阻んだのは、肩で息をし、鑑定処分許可状を掲げた高瀬だった。

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