4. 隠蔽・1

 高瀬は覆面パトカーを路肩に寄せると、指紋だらけのスマホを耳に当てた。

「ウォイ」

『柴田です。そのオジサン丸出しの応答、なんとかならないんですか? カッコ悪ぅ』

「うるせぇな。最近流行りのタイパだろ」

 ほぼ1音と言う、大した成果も上げていないタイパにもかかわらず、高瀬は最近覚えたばかりの言葉を使ってみたかった。しかしそれを見透かされ、柴田に今は更に『スペパ』や『リスパ』だと言われて混乱するのだが。

「次から次へと面倒くせぇな。んで? パンツはあったか」

『それが、少々妙な事が』

 柴田によると、やはり病院に搬送された際、下着や衣類は全て撤去したが、それらはひとつ残らず警察に引き渡したという事だった。

「そりゃ変だな。証拠品リストに載ってなかったぜ?」

 言いながら髪をかき上げ、煙草に火を点ける。

 目の前のダッシュボードに『禁煙』のステッカーが貼ってあるが、お構いなしだ。

『でしょう? そこで有能な捜査官シバタは直ぐに証拠品保管庫へ行った訳ですよ。そしたら、確かに書類上は証拠品として記載されていませんでしたけど、その案件の証拠品を確認したいとパンツを取りに来た人物がいたのを、保管係のおばちゃんが覚えていました』

「つまり」

『一度はそこにあったという事です』

「だな。で、取りに来た野郎は誰だ」

『捜査ニ課の、五姓田敦巡査長だそうです。二課の刑事が何故かしらと不思議に思い、おばちゃんは覚えていたそうです』

 五姓田……?

 高瀬はワイシャツのポケットからタバコのパッケージを取り出すと、間に挟んでおいたメモを見た。

 五姓田雅臣──。

「オイ。今、ゴセダつったか? 数字の五に、姓名の姓、田んぼの田。これで間違いないか?」

「はい。殿の仰る通りです。何故ご存じなんです?」

 妙だ──。

 高瀬は煙草を灰皿にねじつけると、人差し指でコンコンと額を突いた。

 ハザードの音とそれが、同じリズムで繰り返される。

 高瀬は想像を巡らせた。

 ひとつの事件で、こんな妙ちくりんな名前の人間が2人も関わって来ている。流石に偶然とは考えにくい。

 かもしれない。と考えろ。

 かもしれない。と想像しろ。

 かもしれない、かもしれない、かもしれない──。

「おい。五姓田に、中2の息子がいないか調べろ。名前は雅臣。学校は──」

『承知しました』

 自称有能な捜査員柴田は、そう言うと通話を終了した。

「となると……。伊庭紳一郎は後回しだ」

 高瀬はそう独り言ち、スマホの電話帳をスクロールした。

 

 *   *   *


「流石に立派なお宅ですね」

 犬飼と共に優馬の自宅へやって来た月見里は、そう言うとため息をついた。

 月見里の実家も相当の資産家だが、伊庭の家は高級住宅街の中でも異彩を放っていた。

 マスコミ対策のためか、城壁のようなコンクリートの塀に囲まれており、あちこちに防犯カメラが設置されている。さながら要塞のようだ。

『はい。どちら様でしょうか』

 犬飼がインターフォンを押すと、まもなく女の声が応対した。

「あの、犬飼です。本日のお通夜にお伺い出来ないもので、今からお線香を上げさせて頂いても宜しいでしょうか」

『犬飼……。ああ、犬飼先生。少々お待ちください。奥様に確認致します』

 応対したのは、伊庭家の家政婦のようだ。

 月見里と犬飼は暫し門扉の前で何をするわけでもなく立った。

 ややあって、カチャリと門扉が開錠する音がし、扉の奥から色白の女が出てきた。

「お母さん……」

 犬飼がそう言うと頭を下げる。どうやら優馬の母親のようだ。

「犬飼先生。お忙しいでしょうに……」

 言って、犬飼の後ろに立つ月見里をちらりと見る。

 一体何者かと訝しんでいるようだ。

「あの、友人です」

 犬飼は咄嗟に月見里をそう紹介し、月見里はゆっくりと頭を下げた。

 

 優馬は邸宅の一番奥に位置する仏間に安置されていた。

 胸には守り刀がおかれ、頭の上には線香が置かれている。

 月見里と犬飼はそれぞれ仏壇で焼香をし、優馬と対面した。

「ごめんなさいね。主人は仕事が抜けられなくて……。長男も今出掛けていて、私だけなんです」

「いいえ。こちらこそ急にお邪魔しまして……」

 優馬は頭に包帯を巻かれており、母親──由美子と名乗った──によると『解剖のため、全身が包帯だらけ』になっているとのことだった。

 月見里は優馬の顔を観察した。写真と同じ綺麗な顔。しかし、写真より更に白く、頬と口元には痣があった。

「なんだか微笑んでいるようでしょう」

 由美子はそう言って目頭を押さえた。

 月見里は、この表情が単に死後の筋弛緩から起きていることを知っているが、そうですねと答えておいた。

「あの──」

 犬飼が体の脇に両手を付き膝進した。咬筋が硬く、少し震えていることから、かなり緊張しているのが見て取れる。

「なんでしょう」

「僕は……、優馬くんは自殺ではないと思っています」

 優馬を挟んで、犬飼と由美子が見つめ合った。ピリリと緊張が走る。

「犬飼先生……」

「おかしな点が沢山あるんです! だから、もう一度優馬くんを解剖して──」

「やめてください!」

 由美子の、悲鳴にも似た声が仏間に響き渡った。

「先生は……、犬飼先生は、この子を切り刻もうと言うんですか!」

「そうじゃありません!」

 犬飼は振り絞るように言った。

 仏間に静寂が戻る。揺れた線香の煙が、また真っすぐに上へと立ち昇った。

「お母さん。優馬くんは……、お母さんが優馬くんの亡くなったお父さんの借金と、優馬くんの生活のために、伊庭紳一郎と結婚したことを知っていました」

 犬飼の突然の告白に、由美子の顔が凍り付いた。月見里も犬飼から聞かされておらず、驚き、ただ黙って犬飼の背中を見つめ、聞き入った。


 優馬の父親は、TV制作会社の社長だった。しかし経営に行き詰まり、借金を作った。

 優馬の父と懇意だった伊庭はその借金を肩代わりしたが、間もなく優馬の父は自殺した。

 父親が自殺だったがために保険は下りず、親子は路頭に迷うこととなる。

 そこへ伊庭が結婚話を持ってきたのだが、伊庭が優馬の母親に横恋慕していたことは誰もが知るところだった。


「生前、優馬くんは、お父さんが本当に自殺だったのだろうかと疑っていました。今、同じことが起きています」

 犬飼はもう一度、お母さんと呼びかけた。

「こんなこと、赦して良いんですか? 赦されて良いんですか? こんな風に見ないふりなんかしたら、優馬くんの無念を──」

「出来ませんッ!」

 由美子は、拒絶で犬飼の言葉を遮った。

「いえ、あの……。私……、私の一存では……」

 その視線はおどおどと落ち着かず、しかし、優馬の顔も見ることが出来ないのか、ただ畳の上を彷徨わせていた。

 月見里には、それが夫である伊庭に怯えているように見えた。

 ひょっとしてこの女性も、夫は殺されたのではと、ずっと疑っていたのではないか。

 TVの向こうで笑顔を振りまいている夫が、悪魔のように見えているのではないか。

「伊庭さん」

 月見里の穏やかで包み込むような声に、由美子はゆっくりと顔を上げた。

 その目を見つめ、月見里はIDカードを提示した。

「僕は法医学者です。ここで、息子さんを僕に診させて頂けませんか?」

「ここで息子を切るんですか?」

 由美子は動揺していた。

 そんな由美子にかぶりを振って見せると、月見里はふわりとほほ笑んだ。

「ご安心ください。そんな事はしません。今僕がお願いしているのは診察です」

「でも──」

「あなたは何も見なかった。僕が零したお茶を拭くために、タオルを取りに行ったんです」

 そう言うと、月見里は茶托の湯飲みを倒した。

 

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