第18話 覚悟の翻意

 どうすればいい。どうするべきだった。どうしたらよかった。何が悪かった。何が適切だった。もっと何かできたはずだ。もっと奔走するべきだった。もっと能率よく行動するべきだった。


 そうすればうまくいくはずなのだ。

 そうすれば、うまくいくはずだった。


 助けることに、全てを注力するべきだったのだ。村に馴染もうとしたからだ。人間的なものを吐き捨てて、そのことだけに全てを費やす機械のように、行動するべきだった。

 それらすべてを自らの私欲を優先したことによって後回しにし、そのツケが回ってきた結果が今だ。


 ——誰の所為だ。


「全部、俺の所為だ」



※ ※ ※ ※ 



「おめでとう! 君は見事! ハーフ村の救済を成し遂げた!! 素晴らしい!! まさか成功するなんて! 僕はとっても感動したよ!! 嬉しくて涙が止まらない!!」


 予想はしていた。

 この存在は異世界での出来事を知っている。熟知している。嫌という程に、端から端までめ回すように、赤裸々せきららに。だって、ありのままを見ていたのだから。


 この存在は全てを理解しておきながら、助けることも出来たはずなのに、何もしなかった。快味かいみ入興じゅきょう。感嘆。只管ひたすらに見下ろし、傍観だけの一手。

 ただ、この存在はそれを自覚している。開き直っている。


 何故なら、シュウの存在が作り物で、異世界の生物も作り物で、異世界そのものも作り物で、見て来たもの全てが、たかが創作物だから。

 この存在の反応は、人間が、人類が、創造物を見た時と全く同じなのだ。適切な反応なのだ。


『この本、面白いな』


 昔に読んだものに、自我を持った機械や人形と、人間の関係がつづられている本があった。


 物として扱われている彼らは、社会の在り方を、機械や人形の在り方を人間達に訴えかけていくのだ。

 それを読んだ時、シュウは『面白い』と感じたのだ。だが今は、その『面白い』と思う感情が、烏滸おこがましいものだと身に染みて理解できた。


 読書後の所感を、本の世界の機械や人形が耳にすれば 、彼らは必ず激昂げきこうするであろう。義憤ぎふんを抱くであろう。許せないだろう。

 その理由は一つしかない。シュウが異世界で生活したことと同じように、彼らはその世界で必死に生きているからだ。


 当たり前の話だ。狂っていた。間違っていた。


 異世界を、ミレナを、グレイを、村民達を、目的を遂げるための手段として考えていたのだ。その自覚は無かったが——いや、自覚がない分、始末が悪い。


 自分はなんて醜劣しゅうれつな人間なのだろうか。目の前で満悦まんえつしている創造主と、自分は何一つ変わらないではないか。


 変わらない。本を読んで面白いと感じた自分と、生きた人間同士——作り物同士の生死を見て、『素晴らしい』だの『感動した』だの言った創造主は全く同じだ。

 この存在と自分は、最初から最後まで、一片たりとも性質は変わらない。同じ醜劣な、克己こっきの欠片もない利己の権化だ。


 何故なら、同じように一つの物語を見て、同じように感慨を得たのだから。どちらも作り物で、人権などない弄ばれるだけの玩具であるからだ。


 だとしても、それを理解したうえでも、


「お前はあれで、本当に救えたって言うのかよ! グレイさんに、ミレナが死んで!  お前はそれでも! 救えたって本当に思ってんのか!! なぁ創造主!!」


 嘆かずにはいられない程に、シュウの精神は崖際にあった。


 作り物であっても、見て知った確かな世界だ。触れ合い、同じ時を共有した大切な仲間だ。

 それを、大切な仲間が殺された直後に感動だの涙だの言われても、嫌味にしか聞こえないのだ。共感性が皆無な、サイコパスや狂人と差異はないのだ。

 これでいきどおりを感じないなど、馬鹿げている。ふざけている。


「ああ! 救えたさ!! 死んだのは君にとって、たかが大切な人間だ!! そう! たかがだ!! それは君の主観でしかない!! 客観視すればわかることだ!! 一目瞭然だ!! 何故なら、死んだのは数名で、村の九割の人間は生きている!! 君は九割の命を救ったんだ!! その厳然たる事実は揺るがない!! これをアンケートにして、第三者に見せれば、満場一致で救えたと言えるだろう!!」


「————ッ!!」


 さんざっぱら冷淡な物言いの創造主に、シュウははらわたが煮えくり返り、握りこぶしを作って、身体を前に乗り出した。だが直前で、シュウは矛先を抑えた。


——良心の呵責。


 ここで言い返したところで、利己的な考えをこじらせるだけ。それは何より、シュウが一番忌み嫌うものだ。


「なら、どうすりゃいいんだ!? このまま元の世界に返れって言うのか!!」


 子供が癇癪を起したように、シュウは創造主にすがった。その彼を見て、創造主は双頬そうきょうを紅潮させ、


「そうだ! そうだとも!! 交渉は成立したからね! 君は惨めな思いをしたまま、元の世界に戻るだけだ! そう最初に誓ったはずだ!! それとも、君はたかが数日の関係!! たかが仮想世界!! たかが喜怒哀楽を演じるのが上手いだけの傀儡くぐつ!! 所詮、物でしかない肉人形の為だけに!! 恩師の遺志を、蔑ろにするのかい……? 異世界の出来事が心残りで、帰りたくないですって……そんな利己そのものの考えで! 恩を! 仇で! 返すのかい!?」


「てっめぇ!!」


 シュウは「お前が師匠を語るな!!」と続けようとしたが、二度目の激情も破裂させることなく抑え留まらせた。

 行き場の失った怒りを見えない地面に叩きつけ、溢流いつりゅうする感情を必死に抑えつける。


 このまま帰るのか。惨めな思いをしたままで、救えたはずの仲間の命をなかったことにして、元の世界に帰るのか。仮想世界だからと見捨てるのか。あの時と同じように、自分可愛さにまた逃げるのか。

 どうするべきだ。どうすればいい。どうしたらよかった。どれが最適だ。


 分からないわからないワカラナイワカラナイワカラナイワカラナイ。

 デモ、


「逃げたくねぇ……」


 何度も怒りを叩きつけて、熱くなった感情を、精神を冷やして、シュウは見なければいけない現実を見ようと、顔を上げて立ち上がった。

 

 ふと前を見ると、創造主はいなくなり、前方には幾万にも垂れ下がっている青白い糸があった。それだけではない。足元が、世界が、水で覆われていたのだ。それも、腰が浸かるほどまで。


 これは、


「幻覚じゃない、のか……?」


 360度。何処までも続く、水と青白い糸だけの神秘的な世界。

 シュウは衝動で、目の前にある青白い糸を右手で触った。その時、


『シュウ。仕事に行くぞ。回収屋のな』


 師匠の声が聴こえて来た。


「今のは、まさか!?」


 師匠との思い出だ。

 今度は左手で、青白い糸を触った。


『お前、その茶髪、なんつぅか、ガキっぽいから黒色に染めろ』


 またも師匠の声が、思い出が流れてくる。


「…………光?」


 水面に映る橙色の光が、目に映った。その方を見る。


「あれか……」


 ——それは、明々としていた。


 そこには、青白い糸の中に一つだけポツンと、ひと際目立つ橙色だいだいいろの糸があった。シュウは水を掻き分けながら、本能に従って、橙色の糸に近づいていく。

 そこに答えがあると。櫛比しっぴする、他の青白い記憶の糸を無視して。


 そこに着くと、水深は肩が浸かるまで深くなっていた。


「これ、は……?」


 シュウは橙色の糸を握り、瞑目した。

 

——師匠の声が、思い出が流れてくる。


『シュウ……お前が俺の遺志を継いでくれるのは、そりゃ嬉しい。だがな、それでお前に苦しい思いをさせるなら……俺はそっちの方が辛い……だから、お前はお前のやりたいようにやれ! そんで大切なもん守って、手持無沙汰になった時、気持ちが向いたらでいい……だがその時は、全力で俺の遺志を継いでくれよ!! な!!』


 何故、糸が一つだけ橙色に光っていたのかは分からない。創造主が故意にそうしたのかもしれない。

 いや、もうそんなことなど、どうでもいい。


『間違いなんてねぇ。悩む暇があるなら、自分のやりたいようにやれ! そうじゃなきゃ! 自分の守りたいもんも守れねぇ!!』


 シュウは確信した。今の俺を見たら、師匠はきっとこう言ってくれると。だからもう一度だけ、その豪胆ごうたんさに、優しさに、広量な憧れの益荒男ますらおに、頼ってみることにした。


「そんなの俺は、絶対に嫌だね……か。ありがとう師匠。やっぱアンタは俺の憧れだ……」


「ふ…………」


 世界に大きなラグが走り、記憶の糸の世界は霧散。元のシュウと創造主だけの世界に戻った。彼彼女は、その赤髪を揺らしながらシュウを見据える。


「創造主……俺が例え、お前から作り出された創造物だったとしても、かまやしねぇよ。でもな、俺は俺だ! 師匠の弟子で! 憧れた存在を追い続ける、夢を見る一人の馬鹿野郎だ!!」


「ほほぉ……言うじゃないか」


 師匠に理想郷で殴られ、思い知らされなければ、俺は今も現実に嘆いてうずくまっていただろう。

 だが、二度と立ち直れない時はない。辛い現実にぶち当たろうと、残酷な未来が待ち受けていようと、乗り切ってみせる。


 それで証明してやるんだ。


「師匠。アンタの弟子が、アンタに負けないくらいの益荒男になってみせるって、証明してやる!!」


 そうやって啖呵を切り、裂帛れっぱくの気合を纏って創造主に指を差した。


「創造主……俺を、もう一度、時間を戻した異世界に飛ばすことは出来るか?」


「できるよ、でも何の対価も無しに送るのは面白くないな。なんたって、君と交渉するために作った世界なんだ。君だけが得するのは、つまらない。僕も得をすることじゃないとね……そうだね、例えば……」


 答えに導くように言葉を切った創造主。シュウは、その彼彼女がつるるした答えを引きちぎって、


「元の世界に戻れる権利と、もう一度、時間を巻き戻した異世界に飛ばす権利を等価交換する。ってか……?」


 創造主を見てやった。


 賭けられるものなど、作り物であり、精神体であるシュウには『元の世界に戻れる権利』程度しかない。当然、記憶などは論外だ。

 何より、創造主はこちらの思考を読むことが出来る。故に、手練手管てれんてくだは効かない。今一番大切な物を賭けなくては、彼彼女は首を縦に振らないだろう。


 どこまで行っても、快楽のみを求める獣でしかない。交渉に使えるのは、ただ一つだけだ。


 シュウの翻然とした表情を見て、創造主は嘲弄するように頬を弛緩させ、


「いいね! 理解が早くて助かるよ。さいっこうだ!! やっぱり君は僕の傑作だよ」


「憎たらしいほど、人の思考を平然と読みやがるクソ野郎だな。テメェはよ」


 こちらの思考が読める癖に、口述させるために白を切るようなクソ野郎。

 この存在の思考を推考できてしまう自分自身に吐き気を催すが、事ここに至っては受け入れるしかない。


「交渉成立だな」


「嗚呼! 成立だ! 全くもって利己的で、一方的で、身勝手な交渉だが、僕にはデメリットに成り得ないからね。というか寧ろ、君の葛藤する姿が見れて僕は最高の気分だ!!」


「お前がそうなら、俺はお前のその性質を利用させてもらうぞ」


 まさしく、魚心うおごころあれば水心。ビジネスパートナーと捉えられているなら、こちらもそれ相応で応対するのみだ。


「変えてやる。変えなきゃならねぇ」


 徐々に、シュウの視界から創造主が消えていく。


 シュウは認識していないが、この現象は、彼の精神に精神世界が感応しているから起こっている。先程に映った記憶の糸たちも、そこに因果関係がある訳だ。

 もしかすれば、創造主の姿や形でさえも、その因果の例外ではないのかもしれない。


「俺が変えたいから、救いたいから救う。それ以外に意味なんてねぇ」


 大義はない。聖者でもなければ世界のヒーローでもない。寧ろ今、俺のやろうとしていることは、大義を、聖者を、ヒーローを軽んじる行為だ。

 何故なら、故郷よりも、人間よりも、元の世界よりも、恩師の遺志よりも、交渉の為だけに作られた舞台装置、無価値だとされる異世界の方を選んだのだから。


 だが、そんなことなど知ったものか。


——というか、価値なんてのは普遍的じゃなく、個人が、俺が決めることだ。


 最初から分かっていた。俺はクズでゴミで利己的で悪人だ。ただの人間だ。分かっていた。分かり切っていたことだ。


 でも、そんなクズでも、大切な仲間を救いたいと思い、希うのは間違っているのだろうか。駄目なのだろうか。


——まさか、んな道理なんてあるかよ、馬鹿が……


「自分のことは、自分が一番わかってる」


 異世界——村の救済を、過程や手段として使おうとしていたシュウが、今は彼らの生存を心の底から望んでいる。ミレナの命を救いたいと心から渇望かつぼうしている。助けたいと思っている。


 知らない世界で、仮に創造主が交渉の為だけに創造した世界だったとしても、人々は懸命に生きていた。

 手段として使おうとしていた全てが愚行だったと、今ならそう言える。


 創造云々などは関係ない。ただそこに有るか、無いかが重要なのだ。


「……準備できたようだね。ではまた会おう。イエギク・シュウ」


 不可視の存在から、合図が聴こえた。


「当然だ……待っててくれミレナ」


 白の世界が徐々に虚無に併呑へいどんされていく。俯けば自分自身の体さえも、空気のようにゆらゆらと希薄になっていく。

 世界の存在が、意味を遂げようとしているのだ。


『シュウ、私を助けて』


 その翠眼に浮かんでいた涙を、その震えていた手を、その悲しみに満ちていた顔を、その擦り切れそうになった感情を、


——全部全部全部、俺が変えてやる。


「あぁ、絶対に助けてやる」


『嫌を嫌で、最悪を最悪のままで終わらせちゃいけないのよ?』


 馬車の中で、ミレナが口ずさんだ言葉。


『いやを、いやで、さい、あくを、さいあくの、ままで、おわらせちゃいけないの』


 血塗れで死にそうなミレナが、今際の際に囁いた言葉。


 そうだ。その通りだ。


——元の世界に二度と帰れないと分かっていても、救ってやる。


「必ずだ!! アンリーズナブルりふじんって名の、クソみてぇな運命を、俺が!! 絶対に変えてやるよ!!」


 ——二度目の挑戦が始まろうとしていた。

































「行ったか……次の君は、どんな顔と心の持ち主なのだろうか? 将又はたまた……いや、今は考える時ではないか。そう今は……はぁ……楽しみで、昇天してしまいそうだ」


 創造主が冷笑する。

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