第17話 さようなら

「見つけたぞ! 崖下だ!! 追え!!」


 崖下、河を跨いで森の中。黒髪の男が、北に向かって走り抜けている。あたかも、見つかったから逃げたというようにだ。

 金髪の少年——レイキは光屈折操作で生み出した分身を先行させ、


「僕を村から遠ざけるつもりか? いや、エルフの女が見当たらない……だったら、男がエルフの女を逃がすための囮……?」


 あり得る話ではある。僅少きんしょうの情報しかなかった男だが、エルフの女を蹴りまくった時、並々ならぬ殺気を放っていた。そして、土砂が押し寄せようとする中でも、献身的けんしんてきに女を庇っていた。

 エルフの女に忠誠を誓った者である可能性は高い。


 男が囮であるなら、エルフの女が逃げる方向は、男が進む方向とは真逆の方向だと考えられる。

 浅慮だ。主を思うが故に、行動が読みやすくなっている。高い忠誠心が裏目に出てしまうとは、敵ながら哀憐あいれんを抱いてしまう。


「高い忠誠心が、かえって行動を読みやすくさせてるねぇ。僕ってばやっぱり天才かな……それも、相手を哀れに思ってしまう聖人ときた。兄上、やはり僕は貴方の弟だ! この運命に感謝しますよ!」


 レイキは分身の半数以上を、男とは反対方向へと向かうように指示を送る。


 見つからないように、隠れながら逃げる女を捕まえ、それを人質に男を殺す。

 敵の顔に焦燥が浮かぶのが、容易に想像できる。腹のそこからわらいが、嘲笑が噴きだすように上がって来る。


 見識が浅ければ、思慮深くもない。短命の蠢愚しゅんぐと長命の俊邁しゅんまい。産まれ持った差は天と地だ。


「さて、僕も向かうか……」


『最っ低ね。アンタ』


「あのカス」


 嫌悪の目で睨み付けて来たエルフの女。『最低? この高貴な僕に最低だと?』たかが、アルヒの神核に恵まれた程度のエルフが。カスの分際で、盾突くなど小癪こしゃくが過ぎる。


「チッ! 忌々しい」


 己の握り拳で、エルフの女の頭を砕き割るように力を込める。もし、エルフの女が二度も侮蔑を口にするようなことがあれば、殺意を抑えられるか分からない。

 先ずは、この怒りを払拭するために——、


「地べたにいつくばらせて、泥水を吸わせてやるぞカス女……そうでなきゃ、怒りが収まらない」


 レイキはぼやきながら、崖から颯爽と飛び降りた。

 着地と同時に、その身体にラグが走る。


「やっぱりシュウの言う通りだったわね……」


「ッ!?」


「その薄汚い魂ごと、凍らせてあげるわ……」


「あ……? 誰が薄ぎた——ッ!」


「併合魔法! フィンブル!!」


 背後で、崖下の死角に隠れていたエルフの女——ミレナ。その手から奔出した濁流がレイキを呑み込み、刹那の後、真っ白の銀世界が森一面を包み込んだ。



※ ※ ※ ※ ※



「合図の三秒後に飛んで、絶対わかるから」それがミレナから出されたフィンブルの回避方法だった。合図とは、凄まじいオドの伝播でんぱである。


 造詣の無いシュウは知る由もないが、高位の魔法を行使する時、魔法に巻き込まれない為に、オドの伝播が合図になるのはよくあることである。


 高位の魔法が行使できたとしても、行使する者が未熟では共倒れもいい所なのだ。行使する者は思慮深く、胆大心小たんだいしんしょうに。周囲の仲間は、迅速かつ念入りに準備をしなければならない。


 しかし、今はシュウとミレナの二人だけ。今回ばかりは大胆だけでよかった。


「オドの伝播!」


 暴風で肌が慰撫いぶされたような感覚。濃いオドの波濤はとうが、シュウを越えて森を走り去る。

 抽象的すぎる表現に不安はあったものの、合図としては十分なオドの伝播であった。


 雲霞うんかの如く押し寄せてくる少年の分身——その攻撃を避け、息を吸い込んで三秒後、シュウは飛んだ。

 跳躍してから、時間にして一秒にも満たなかっただろう。目下に大量の水が烈烈れつれつと流れ込み、瞬きした次の瞬間には、一面が銀世界に包まれていた。


「すげぇ……」


 これならかき氷が食べ放題ではないか、と馬鹿げた考えが浮かんでくるほどに、シュウはその圧倒的な攻撃を見て賞嘆しょうたんした。


「しっかし、高く飛んでおいてよかった……こりゃ、予め決めとかないと、巻き込まれるわな」


 シュウは氷床というよりかは、凍土の上に着地。凍土の中で、氷漬けになった分身たちを見下げた。

 氷の厚さは二、三回建ての建物程だ。魔法恐るべしである。


「ッ、分身が……」


 ほどなくして、霧散むさんするように分身たちは形を無くし、


「勝ったんだな……」


 安堵から生じた溜息が、勝利の合図となった。

 筆舌に尽くしがたい嬉しさが、身体の中心から滲み出るように、シュウの顔に浮かび上がる。


 敵の殲滅せんめつが完了した今この瞬間、シュウの目標である『ハーフ村の救済』が遂げられたのだ。達成された。そう、達成できたのだ。

 創造主との交渉が成立したのだ。今度こそ本当に、元の世界に返れるのだ。


 師匠の意志を継ぐ——喉から手が出る程に遂げたい夢を、叶えることが出来るのだ。


「俺一人じゃ、絶対に無理だったな……」


 強くなった自負はあった。だが、創造主との交渉を完遂できたのは、ひとえに仲間の存在があったから。命を擲って、村を守ってくれたグレイ達が居たから。ミレナがいたから。

 自分一人の力などちっぽけなものだった。繊弱せんじゃくな自分一人だけでは、到底辿り着けない勝利だった。


「絆の勝利ってか……俺には似合わねぇ称号だな。元の世界に戻る前に、ミレナと、村の皆にも告げなくちゃな……」


 この勝利は、決してシュウ一人によるものではない。寧ろ、助けられた気分だ。

 故に、別れる前にミレナやモワティ村の村民達に感謝を伝えて、別れの挨拶をするのが筋だ。

 いや、筋などとは聴こえのいい麗句れいくだ。ただ、別れを告げずに帰るのが、寂しいだけである。


 昔から自分の在り方など変わっていなかった。一人でやろうと意気込みをしておきながら、結局は仲間の力に頼ってしまっているのが自分だ。それが俺だ。


「さてと」


 凍土の上を歩き、彼女の元へとシュウは向かう。氷の上を滑らないように、ゆっくりと歩みを進め、


「——ミレナ」


「シュウ! 大丈夫だった? 怪我は?」


 シュウを見つけて、転がることを考慮せずに駆け寄っていくミレナ。

 その慮ってくれる姿を見て、内に秘めた覚悟が揺らぎそうになってしまう。


「大丈夫だ。怪我どころか、身体は元気溌剌はつらつだ」


 温顔でそう言って、小さく長い呼吸をする。


 別れを告げれば、彼女はきっと目の色を変えるであろう。それを想像しただけで、心臓にすりつぶされるような痛みが走った。


 それでも告げなくてはならない。 


「それよりも、聞いて欲しいことが——」


「ちょっと待って!! 実は、私からも聞いて欲しいことがあるの!」


「って、人の話をナチュラルに奪うな!」


 毅然きぜんと深呼吸し、別れを告げようとしたシュウだが。ミレナに、その決断を出鼻で挫かれてしまう。

 横紙破りの攻撃には、流石の決意も頓挫とんざさせられてしまう。


「ごめん。でも、お願い! 多分、今言わないと恥ずかしくて言えなくなっちゃうと思うの!!」


「——わかった! わかったから、そんな顔近づけるな。落ち着け……」


 ふんすふんすと鼻息を荒げるミレナに詰め寄られたシュウは、彼女を一度離して、『そうだな』と思惟した。何だか、ペットを手なずけているような感覚だが、そこは置いておいて。


 別れを告げる前に、彼女の言葉を先に受け取るのも一つの筋と言える。

 というより、仲間であるなら聞くべきだ。別れるのなら尚の事、聞く責任があるというもの。

 

「聞かせてくれ……」


「ありがとう。では、真剣に聞いてください」


 両手を強く握り、決然けつぜんとした双眸で見つめてくるミレナ。覚悟ができたのだろう。

 シュウもそれ相応の気概で受け止めようと、彼女を見つめた。


 くぱくぱと、緊張が顔と口にダイレクトに表れているミレナ。その顔はどんどんと、赤面の一途を辿っていく。トマトのような顔色は、見ていて悪くない気分だ。


「その、好きな、人が出来ました!!」


「え……?」


「だから! 好きな人が出来たのよ!! 一言で察しなさいよバカ!!」


 覚悟はしていたし、それ相応の気概で挑んだのだが、聞いた言葉は意外も意外だった。

 負けだと確信して挑んだら、調子とまぐれが重なって格上に勝ってしまったような感覚である。意外が過ぎて、着地場所が分からない。

 凝り固まった筋肉を解すように、シュウはミレナの言葉の意味を反芻はんすうさせ、理解できる程度にまでかみ砕き、


「な、まさか、俺……か?」


「ここで、他の子になる訳ないでしょ! 鈍感通り越して曲解しすぎ!」


 呆けた声を出すシュウ。その彼に、ミレナは指を差して全力のツッコミを入れる。


「はぁ~さっきまでドキドキしてたのが馬鹿みたいじゃない……」


「いや、そういうの、真っ向から言われるのは初めてでな……」


 ミレナは憮然ぶぜんと嘆息して、身体を脱力させる。シュウは顎に手を当てて状況を客観視。

 ようやっと理解し、今の自分が馬鹿丸出しの鈍感野郎であったことを自覚した。

 向けられる好意が自分なのかどうかと訊き返すのは、もはや芸術だ。耳が遠い主人公と同等だろうか。


「悪い、今のは馬鹿過ぎた」


「シュウって変なところで子供よね……まぁだけど、そこがいいのかも。ちょっと抜けてるところとか、大人ぶってるところとかも……パパとママも、そうだったのかな……」


 ミレナの赤い顔は熱が抜けたように元に戻り、先刻とは打って変わって暗鬱とした表情に。視線を落として、足元を見ているミレナ。


 『パパとママ』


——シュウは彼女との過去話を思い出す。


 ミレナの母親と父親。その二人がエルフであることは間違いないだろう。そして、ミレナはエルフ唯一の生き残りである。これが何を示しているのかは、言うまでもない。

 彼女の感情に感応するように、森の空気に緊張が走った。


「とにかく、好きっていうのは本当! それで、今度はもっと真剣な話をするんだけど、聞いてくれる?」


「——わかった。ここまで来たら、全部聞いてやる」


 下を向くべきではないと、勢いよく顔を上げたミレナ。シュウは少しでもその気持ちを楽にさせようと、彼女の翠眼を見据えた。


「ありがとうシュウ……私ね、思い出したの、昔の記憶を……」


 垂れた長耳を立たせて、ミレナは真剣な顔つきになった。二度目の意外だ。いや、驚倒といった方が適切だろう。

 

「記憶……? どういうことだ?」


 胸臆きょうおくで浮かび上がったものが、そのまま言葉として出ていた。


「実は私、幼い頃の記憶がなかったの……」


 幼い頃の記憶がない。なら何故、ミレナはエルフが虐殺され、自分が唯一の生き残りであると知っているのだろうか。それとも、昏倒した時に見た幼い少女の記憶は、ミレナのものではないのだろうか。


「待て、生き残りってのは自己申告したんじゃないのか?」


「皆には、私が自己申告したから、そういうふうに捉えられてるけど、私も聞かされた側なの。中で眠っているアルヒ様から……」


「…………」


 アルヒから聞かされた。幼い頃の記憶がなかった。


『ごめんなさい。それは、今は話すことは出来ないわ』


 シュウがミレナの過去を詮索しようとした時に返って来た言葉。

 あれは、言いたくないからではなく、そもそも言えないから断ったのだ。


「でも、シュウが一人で馬車から出て行っちゃった時、大切な人がいなくなっちゃうって思って、怖くてどうにかなりそうになって、その時フラッシュバックみたいに思い出したの……」


 ミレナが意識を失った時、彼女は「ぱ、ぱ……ま、ま」と、両親を呼んでいた。その時に、幼い頃の記憶がよみがえったのだろう。

 彼女にとって自分は、両親と同じくらいに大切なものだったということだ。仲間の言葉を聞かずに、馬車から降りた行動がますます愚行だったと思えてしまう。


「パパとママが、他の皆が、赤い森の中で、火の中で殺されるのを……その時の敵の顔も、怒りも……私の本当の名前も……そいつらの名前も、全部全部思い出したの……」


 嫌な感情が一気に流れ込んだような彼女の双眸。淀み濁った瞳の奥には燎原りょうげんの火が沸々と燃え盛っている。

 それは優しさを体現したような彼女の雰囲気からは、想像もつかない怒りの感情の片鱗であった。


 似合わないと思いつつも、シュウは脳内をリセット。やはり、昏倒こんとうした時に見た幼い少女の記憶は、ミレナの幼い頃の記憶であった。

 そして今回の騒動を起こした刺客は、ミレナを狙っていた。もしや、


「まさか、そいつらが今回の黒幕なのか?」


「確証はないけど、恐らくそうだと思う。生き残った私を見つけて、手を差し向けて来たんだと思うわ」


 ミレナを殺さずに連れ去ろうとした理由。その真意までは分からないが、エルフ族を虐殺した黒幕と、今回の騒動を起こした首魁しゅかい

 同一人物だと考えるには十分な繋がりだ。


 異世界との関りを完全に断つつもりだったが、思わぬ方向から後ろ髪を引かれる結果となってしまった。


——そして、後悔や躊躇いが、


「ねぇ、シュウ……私、今からすっごく我儘で、都合のいいこと言うね」


——次の言葉を以てして、


「シュウは、私が助けてって言ったら、助けてくれる……?」


——確実な未練へと変わった。 


 それは、彼女が始めてみせた本音だった。村民達を束ねる彼女でもなく、天真爛漫てんしんらんまんな彼女でもなく、誰かの為に優しくあろうとする彼女でもない。

 たった一人の、どうしようもない現実に嘆くことすらできなかった、涙を流すことさえもできなかった少女の述懐。


——普通の女の子の、弱さに打ちのめされた言葉だった。


「それは……」


「ごめん! そうよね。当然だよね。わかってたわ……だって今の私、自分でも酷いなぁって思えるくらい、自分勝手だもの……私どうかして——」


「そんなことねぇよ」


 シュウは取り繕うとするミレナの言葉を遮り、否定した。

 そのシュウを見て、ミレナは泣きそうな顔で彼を見つめる。


「おかしいわけない。ミレナがそんな思いでいたなんて、気付けなくて悪かった。だから、もう一度だけ聞かせてくれ……お前の本音を」


「ほんとに、いいの……?」


 ミレナの双眸から、涙がぽろりと零れる。ぽろりぽろりと、決壊したダムから水が溢れるように、ミレナの双眸から泫然げんぜんと流れる。

 シュウはミレナの目を見て「当たり前だ!」と、手を差し出した。


「仲間を、そんな泣きそうな顔してるやつを見過すことなんて、俺にはできねぇ。だから聞かせてくれ……」


 滂沱ぼうだの涙を流すミレナの手を取った。触ってみれば分かる。怯えて震えている手だ。華奢で小さい女の子の手だ。


 今までミレナを、正しくあろうとするミレナとして見ていた。村を束ねる傑物として見ていた。


——だが目の前にいる今のミレナは、


 村を守る代表者ではなく、年長者でもなく、神子でもなく、エルフでもなく、そして誰よりも優しい姿でもない。多くの人から推尊され、その期待に応えなくてはと、責任を感じている姿でもない。


——シュウには映らなかった本当の彼女の姿である。


 ここでシュウが万人と同じ目でミレナを見れば、彼女はその視線に責任を感じて、二度と弱さを見せることはないだろう。


——だから、弱いミレナを逃がさないようにずっと見つめ続けた。


 大人になったからといって、歳を重ねたからといって、嬉しくなったり、怒ったり、悲しくなったり、楽しくなったり、怖くなったり、寂しくなったり——そんな万感が薄れるわけではない。

 鬱憤うっぷんを晴らすけ口を知っているだけで、摩耗まもうする訳ではないのだ。


「うん。わかった……シュウ、私を助けて」


「あぁ! 絶対に助けてやる! 何が何でも絶対にだ!!」


 それが積み重なって堪えきれなくなったのなら、その思いを、その辛さを、その心の傷を、一緒に抱えるのが仲間であるはずだ。支え合ってこそ仲間だ。

 いいや、理屈など、もうどうだっていい。この助けたい気持ちは、その境地を優に超えているのだから。

 少しだけ、ほんの少しだけ長い寄り道になるだろう。だが、望むところだ。


「嬉しい……シュウ、ありがッ——!!」


——ミレナが涙を左手で拭おうとした直後、閃光が彼女の心臓を貫いた。


「え……ミレ、な…………? 何が、起きて……」


 ミレナの身体から大量の鮮血が舞い、返り血がシュウの身体に覆いかぶさる。


 手に赤い鮮血が——何が起きたのか分からない。力なく倒れるミレナの——何が起きたのか分からない。細い針で刺されたような——分からない。生暖かい血の——分からないわからないワカラナイ。


「やった! やったぞ!! 上の命令何て知ったものか!! この手で今!! カス女を、殺してやったぞぉぉぉ!!! ハハハハハハ!!!!」


 耳障りな声は、シュウの耳には届いていない。


 シュウは幻惑でも見せられているのかと思い、瞬きした。瞬きすれば、涙を拭ったミレナの嫣然えんぜんとした笑顔が見れるはずだと。だが、自分の右腕で力なく倒れるミレナの姿——血に染まる背中は一片たりとも変わらない。

 もう一度瞬きすれば、今度こそは変わる。そう思って瞬きしても、惨状が温柔おんじゅうに変わることは無い。


——変わらないかわらないカワラナイ。


 理想が現実に反映されることは無い。世界は酷烈こくれつな惨状のみを、不条理な現実のみをシュウに突き付ける。


——世界がミレナの死を受け止めろと囁いてくる。


「そんな、みれ、な……おい、返事しろ。頼む、返事をしてくれ……」


「ハハハハハハ!!!!!」


 哄笑する少年の声はシュウの耳には届かない。うるさい、静かにしろ。そう、届けることを脳が拒絶している。


「返事をしやがれ! 何で! 嘘だ! 嘘だと言ってくれ!! なぁミレナ!!」


 何を寝惚けているのだと、シュウはミレナを揺さぶって言葉を掛ける。だが、彼女の身体は動かず、その代わりに流れる血の音と、鼻にこびり付くような、死の匂いだけが返ってくる。


「ざまぁないなぁ!! この高潔な僕に対し、二度も侮蔑を口走ったからだ!!  僕のことを見下したクズには当然の死だ!! 当然の報いだ!!」


 五月蠅うるさい、黙れ、喋るな、静かに——あぁ! 無視だむしだムシダ!!


 酷烈な現実が、シュウの精神をうすですり潰していく。

 

——クソ! ドウスレバ、ドウナレバ、ドウシタラ、ドウヤレバ!!


「頼む創造主!! お願いだ!! お前なら時間を巻き戻せるだろ!! お前が感情の共感を目的にしているなら!! 叶っただろ!! なぁおい! 聞けよ!! 聞いてくれよ創造主!!!」


 すり潰れ、嗄れ切った精神を辛労してぎ、脳に電流を流すように思考を白熱させる。その末に出た言葉が、創造主へのみすぼらしい希求ききゅうだった。

 だってこの世界は創造主が創った世界だ。なら、彼彼女の勝手で全てが変わるはずなのだ。そのはずだ。

 

——だから、どうか頼むたのむタノム!!


 でも、


「——なんで、何も、起きないんだよ……」


 シュウの希求は届くことは無い。

 喉がつぶれそうな悲嘆すらも創造主には届かず、再び世界は死を受け入れろと囁いてくる。

 シュウの全てを酷使してさえ、願いは届かない。嘲笑う訳でもなく、煽る訳でもなく、断る訳でもなく、ただただ沈黙。


 静観、黙殺もくさつの一手だけ。


「アハハハハハハハ!!! さいっこうだね!! 現実を見れずに、いもしない神だより!! 自分やその周りの仲間は死なないなんて思ってたんだろ!! 自分には秀でた才能があって、それが土壇場どたんばで覚醒するとか思ってたんだろ!! あぁ!? ねぇよ! そんなもの!!」


 奸悪と醜劣しゅうれつを具現したような声がそう言った。矮小で淫猥いんわいを体現したような少年が嗤った。

 負の側面を集約したような存在がミレナを殺し、今ものうのうと、その生を滋味している。楽しんでいる。許せない。クソくらえだ。


 チリアクタゴトキガ。キエロ。ウセロ。キモチワリィ。

 

「理想に溺れてるんじゃないぞ馬鹿が!! その女は死んだ!! お前は無能なんだよ!! 何やったって変わらないんだよ!! 生まれる前から!! 遺伝子レベルでそう組み込まれてたんだよ!!」


 うるさい。耳障りだ。喋るな。口を開けるな。黙れだまれダマレ。


「黙れ……」


「あ? なんだって? 聞こえないぞ」


「黙れ!」


「黙れだ? 今から黙らせられるのはお前の方——ッ!!」


「黙りやがれぇぇぇぇ!!!」


 声を荒げて、シュウは右手を横に振った。

 雷撃が走ったように、シュウを中心にして殺意と赫怒かくどが森を併呑へいどんしていく。遅れてオドが迸り、周囲のマナがシュウの意思に従うように集まっていった。


「なんだ!? このオドとマナの流れは!!」


 集められたマナはシュウの体内に入ってオドとなり、


「お前だけは必ず、ここで殺す!!」


 風魔法となって少年に迸った。


「動き!? ガァッ!?」


 吹き付ける風が、避けようとした少年の身体の自由を奪う。そして、迸る風魔法が少年の右腕に直撃。右腕が消し飛んだと同時に衝撃波が生まれ、少年の身体を吹き飛ばした。


 シュウはすかさず、吹き飛ばされた少年の元へ飛び込み、その心臓に向かって右手を振りかざす。


「当たるかよ!!」


 だが、少年は右手を失った痛みを堪えつつ、シュウの攻撃を横に飛んで回避した。

 そして、


「必ず殺す? 一撃目は確かに後れを取ったけどね、それがなんだ! お前程度じゃ僕は一生殺せない! 不意打ちを食らうことは二度とない!! 考える時間すらなく、お前は僕に殺されるんだよ!!」


 失った右腕を横に出し、何かしらの力を使って、チリ紙アートを作るように光の右腕を構築。右腕を完全に復活させる。

 更に、シュウに光を放って目眩めくらましをする。


「ディスガイズ発動!! 更に、思念体を作り!! その思念体から分身を作成!! 負けて死ね!! カハハハハ!!」


「————ッ!!」


 次のコマでは、視界が数百の分身によって覆いつくされていた。

 一部の分身から細い光の線が放たれ、シュウと倒れるミレナの亡骸に襲い掛かる。


「ゲイル!!!」


 シュウはオドをひり出し、魔法を発動。蛆虫のように湧いて出る分身と光の線を纏めて振り払おうとする。が、


「クソ!」


 全てをさばききることは出来ず、分身にも避けられてしまう。

 シュウは左腕でミレナの亡骸を庇い、そのまま彼女を抱きかかえ、捌ききれなかった光の線を背中で受ける。


「————ッィィィィ!!!!」


 骨まで届く程に肉が割かれ、背中は裂傷から噴き出た鮮血で赤く染まる。


 痛みが体中を襲い、ミレナの亡骸を守ろうと力を籠めるたびに、裂傷からの流血が酷くなる。特に最初、ミレナの亡骸を庇う為に突きだした左腕は傷が深く、筋肉が切り裂かれてしまったことで真面まともに機能しない。


「満身創痍! これで終わりだァァァ!!」


 少年は、虫の息となったシュウに向かって再び光線を放つ。

 だが、シュウは、


「クソがァァァ!!」


 痛みに苛まれようと、流血が酷くなろうと、諦めることなく、ミレナを殺した少年に、執念という底力で立ち向かう。ミレナの亡骸を抱えながら、シュウは光線を避ける。


——ここで、死んでも殺す!!


 寧ろ死して殺せるのなら、異世界人であり、余所者であるシュウにとっては冥利に尽きる。


「一回避けたからなんだ! 今度こそ、負けて死ね!!」


 分身の中に本体がいる。目を凝らせ。カスを見つけろ、みつけろ、ミツケロ。


——あ?


 放たれた無数の光線を避ける最中、不明瞭だがシュウは確かに、そこに何かがいることに気付いた。

 気付けた理由は、動かしたであろう足から舞う微小の土煙と、目を凝らさなければ見れない足跡だ。


 本体は分身の中にいるのではなく、光学迷彩のように身体を透明にして隠れている。その光学迷彩すらも分身の——否、本体だ。


「そこか!!」


 シュウは優しくミレナを置いて、足に力を入れて踏み込み、跳躍。鈍い音が鳴り、彼の姿が消えた。

 シュウが居た筈の場所にあるのは、ミレナと陥没した足跡のみ。


 上か、と少年は見上げる。そして捉える。シュウの居場所は、大木だ。もう一度シュウの姿が消え、遅れて足場として使った大木がくの字にへし折れる。


 少年は折られた大木をわずわし気に避け、土煙が舞う中、周囲を見回しながら警戒する。

 だが、シュウは土煙の中には居ない。シュウの居場所は空中。いや、その表現は適切ではない。適切な表現は、居ただ。上空に風の軌跡が飛び上がり、シュウは垂直落下。

 刹那だけ、少年の上にある煙が捌ける。


「なッ!? ガァべ!!」


 シュウは勢いのまま、透明になった本体——その頭上まで落下。目算——顔面であろう場所に蹴りをお見舞いする。加えて、倒れ込んだ本体を掴んで上に乗った。


 透明でも、身体に触れれば何が何処にあるのかなど判然。右腕に力を込める。

 シュウは不惑ふわく放胆ほうたんの精神で、倒れ込んだ本体の心臓に向かって、


「ここだ。しね……」


 拳を叩きこんだ。少年の身体が、経年劣化した蛍光灯のように明滅。輪郭が、色が、表情が、少年が——、


「あり、え、ない……」


 シュウの右腕が、少年の胸を貫いていた。


 何が起こったのか。


 その顛末を講釈するなら、シュウは瞬刻の間に作戦を立案し、大木に向かって跳躍。その大木を折るように、上空へと更に跳躍。折れた大木が地面に落ち、その衝撃で舞い上がる土煙で相手を撹乱。

 次に、上空に飛び上がった軌道を、風魔法を行使して下方へと変更。透明になった少年に不意打ちをして、そこから生まれた隙で心臓を貫いた。


「てめぇみたいな奴と、昔戦ったことがあってな……姿は隠せても、お前の存在自体は消えてない。なら、後は言わずもがなだろ……」


 シュウは少年の胸から右腕を引き抜き、冷然と立ち上がった。

 もはや勝利は決した。後は、カスが醜態を晒して死ぬのを待つのみ。


「く、そ……ただ、で、は、死なないぞ……僕、は、ただ、の、せいぶつ、じゃ、ない……兄上の、おとう、と、なんだ……」


 少年は嫌悪も怒りもない目で見下げてくるシュウに、訥々とぼやいていく。見ることも聞くこともえなくなったシュウの瞳に、少年の姿はもうない。

 あるのはミレナの亡骸。彼女を村まで運んで、村民達に、クレイシアに謝り、そして、そして。


 ——それからどうする?


「ハハ……道連れだ」


 その言葉を聞いて、シュウは振り返った。だが少年の手が向いていたのは、ミレナの亡骸だ。


「しま——ッ!!」


 少年の手から光線が放たれる。

 死者にむちを打つ行動である。


 不意を突かれてしまったシュウは、少年の放った光線よりも早く、ミレナの亡骸に飛び込んだ。そこから彼女の亡骸を抱え込み、逃げようとしたが、現実は待ってはくれない。


「ッ!!」


 シュウはミレナの亡骸がこれ以上、傷付かないように光線から彼女を守った。


「ぁ、がぁぁ!!」


 光線はシュウの右腹部を切り裂き、霧散した。

 少年の道連れとは、シュウを直接狙っての道連れではなく、ミレナの亡骸を弄ぼうとすることでの道連れだったわけだ。

 致命傷確実。少年は満足した顔で息絶えた。


「グ——くぁッ!! クソ、が……」


 切り裂かれた右腹部から、噴水のように血が噴き出てくる。だが、シュウは自分の傷よりも先に、ミレナの亡骸に傷が無いかを検める。

 

 傷はない。一度目の攻撃で抉られた胸の穴以外には、どこにも、憤りを覚えるほど綺麗に、なに一つ無かった。

 それは、これ以上なにをしたとしても変わらない、無常な現実のみを突き付けていた。そして、それ故に空虚な凄寥せいりょうだけをシュウの胸臆に募らせていく。


 ぽつりぽつりと降り始める雨。それはいつか見た夢の中の映像と似ていて、全て無駄であったのだと示唆しているようだ。

 

「ごめん……そんな、俺は、こんな……どうして、何で、生き返ってくれ」


 ミレナの頬に、血塗れの手でシュウは触れる。

 生き返ってくれ、目を覚ましてくれ、声を聞かせてくれ。この期に及んでさえ、現実を受け入れることが出来ず、シュウはそうやって胸臆で叫び続ける。


 すると、シュウはミレナの頬が微かに動いたことに気付いた。思念が伝わったのだろうか。ミレナは目を弱々しく開き、


「しゅ、う……? ひどい、きず。いた、そう。わたし、の、さいごの、ちゆ、まほう……かけて、あげるね」


「ミレナ!? 生きて!? 待て! 俺なんかはどうでもいい!! こんな傷すぐに治る!! 先ずはお前の傷を!!」


 俺は死んでもいい。その思いで、シュウは無事であるのを演じる。

 すぐに治る筈がない深手であるのは、一目瞭然。それは、余喘よぜんを吐くミレナでさえも、理解できてしまうやせ我慢であった。


 ミレナはシュウの言葉を聞き留めることなく、その身体に振れ、治癒魔法を施す。傷が塞がり、出血が収まり、痛みが消えていく。


 何故、どうして俺から治すんだ。


 彼女の胸に開いた凄惨な穴とは裏腹に、シュウの身体から傷は一切合切なくなった。


「いい、わ。じぶ、んの、ことは、じぶん、が、いちばん、わかってる、から……あるひ、さまの、こえが、きこえない、の。しんかくが、もう、きのう、しないの」


 ミレナは事切れそうになりながら、シュウに分かって欲しいと言葉を紡ぐ。


 アルヒがミレナの身体に宿ることによって、彼女は世界最高峰の治癒魔法師になった。


 故に神核が機能しないという事は、ミレナはもう治癒魔法を使えない。

 それはもう彼女が——違う。そんなわけがない。まだミレナは助かる。助かるはずなんだ。最悪を考えるな。

 考える途中で、シュウは尚早しょうそうな自分に曲解だと言い聞かせた。


「馬鹿言うな!! 早く自分も治せ!!」


 ミレナは死んではいけない。彼女は優しくて、仲間思いで、聡明で、誰よりも幸せになるべき存在なのに。それなのに、『死』は異物で消えても構わないシュウではなく、生きるべきミレナに向けられている。


「てか、何で俺から治したんだ!? 先ずは自分からだろ!! なんで死んでもいい俺に、俺なんかに最後の——ッ!?」


「いい、の! それ、に、しんでもいい、なんて、いわ、な、いで……しんで、いいこと、なん、て、ないの。だから、いきて……わたしの、ぶんまで、おねがい」


「それは……でもだからって!!」


 おかしい。だっておかしいではないか。何が善因善果だ。何が悪因悪果だ。何が因果応報だ。

 報われるべきことをしてきた彼女に、この仕打ち。罪を犯し続けてきた自分には何もない。どうしてだ、逆ではないのか。それとも、これが自分への罰だというのか。ふざけるな、理不尽だ、許せない。お前はいつだってそうだ。


——なぁ運命よ、お前は今の俺の姿を見て笑っているのか。


 静観し、傍観し、無視し、見下し、蔑み、嘲り、見捨てて、お前は何がしたいんだ。なぁ運命。なぁ創造主。

 こんなものを見て何が楽しいんだ。こんなことに、何の意味があるんだ。


「もう、ばかね……ここは、すなおに、はいって、いうの、よ……? こども、なん、だから……でも、そんな、やさしい、あな、た、だから、すきに、なれたの、かな……?」


 翠の双眸から光が徐々に陰っていき、ミレナの身体から命の炎が失われていく。

 死の接近。その陰鬱いんうつさに、シュウの胸中は負の万感によってかき乱されていく。

 視界に映るパチパチと弾けている小さな光は、幻覚ではない。シュウが甚大じんだいな精神的苦痛を味わったことで起きたショック症状だ。


 三半規管が揺らされたように、視界が点滅する。


「しゅう、ここに、いて……てを、にぎって、いて、くれる?」


 今際の際であるにも関わらず、ミレナの顔は温色おんしょくであった。だがシュウには、それが死を受け入れる意思表明のように見えてしまう。

 どうして、抗ってくれ、跳ねのけてくれ、戻ってきてくれ。


 頼む、


「待ってくれ、そんな、そんなの」


 だが、シュウは彼女の手を自然に握っていた。


 それは体が別人に操作されているかのような倒錯とうさく。意味不明な自身の行動に、シュウは『何をしているんだ! 受け入れるな!』と、吐き気を催してしまう。

 何故なら、ミレナの手を取る行為は、彼女の死を受け入れる所作であるからだ。拒み、抗う事をやめて、潔く死を甘受しているからだ。


 何を他人事な。何を助けるか。


 誓ったのなら、助けなくてはならないのだ。助けて当然なのだ。

 だのに、なのに、それなのに、この男は——イエギク・シュウは、それを放棄して逃げているのだ。


「むら、を、すくって、くれ、て……ありがとう」


——ミレナの口から血が零れる。


 やめろ。それ以上は言わないでくれ。


「わたし、しんじゃうって、わかってる、のに、やり、のこしたことも、おおい、のに……いま、とっても、しあわせ、なの……」


——血が零れた唇が、ミレナが、破顔する。


 死ぬな。嘘だと言ってくれ。


「わたしを、ひとり、の、おんなのことして、せっして、くれたこと……」


——ミレナの左手が、シュウの肩を弱々しく掴む。


 いつものように、天真爛漫な姿を見せてくれ。


「わたしを、こんなにも、おもって、おくって、くれ、る、こと……」


——ミレナの身体が、顔が、シュウの顔に近づいていく。


 村に戻って、文字の読み書きの練習を手伝ってくれ。日が暮れるまで、村周辺の案内をしてくれ。また、ミレナお手製のおにぎりを食べさせてくれ。

 そうだ。今度、中央都に行ったら、花火を一緒に見よう。グレイたちと町中を旅しよう。

 

 だから、だからだからだからダカラダカラダカラ、モウイチド、


「いやを、いやで、さい、あくを、さいあくの、ままで、おわらせちゃいけないの」


——ミレナの右手が、シュウの頬に触れ、


「そんな、ミレ——」


——はかなく、そして短く。けれども、時間が止まったかのように長く感じられた、最後の口付けだった。


「私の、ファースト、キス。大好き、だよ……さようなら、シュウ」


「ぁぁ……ッ!!」


——青年の小さな痛哭つうこくが、声にならない嗄れた声が、降り注ぐ雨の音をかき消し、世界の消失とともに響き渡った。

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