第16話 安堵の暇はなく

「大丈夫か、ミレナ?」


 シュウは土煙を振り払いながら、懐で抱きかかえているミレナにそう言った。彼女の華奢な体にかかっている埃を払い、綺麗な服の内側で顔を拭き、呼びかける。

 目を覚ましてくれと、安心させてくれと、声を聞かしてくれと、彼女の名を呼び続ける。


「……ぁ、あ、シュウ? ごめん心配かけちゃったわ……」


 掠れた声で、弱々しくも生命を感じさせる返答。この状況下でも、ミレナが答えてくれたことで、シュウの胸中は安堵によって溢れかえった。


「何言ってんだ。ミレナが謝ることなんてねぇよ。悪いのは、焦って過信して、敵に負けちまった俺が悪いんだ」


「もう、馬鹿ね。そうやって自分を卑下するのは禁止。わかった?」


 自身を叱責するシュウに、ミレナはしょうがないと言いたげに、彼の頬を力いっぱいに捻った。

 その捻られた痛みは、この異世界生活での日常を蘇らせていく。最初に会ったあの日。魔法の練習に付き合ってもらったあの日。馬車の中で文字の読み書きを教わったあの日。

 どれもが、今とは真逆の暖かい日常だった。


 熱を帯びた感情で胸中が満たされ、とめどなく笑みが込み上げてくる。釣られるようにミレナも安堵の笑顔を見せる。

 その笑顔が、声やしぐさが、擦り切れかけていたシュウの精神を崖際で留めた。


「そうだな……悪い、これからは気を付ける。手錠と足枷、外すぞ」


 抱えているミレナをシュウは地面に降ろし、その両手を拘束している手錠に触れる。

 鍵を持っていないかつ、探す時間が惜しいため、力尽くで外すのだ。


「そうね。さっきの牢屋に早く向かって、持ってる鍵でモワティ村の子達も助けないと……」


 その彼に、ミレナが鍵を持っている発言を食い込ませる。

 鍵を持っているのなら、鍵で外した方が時間もリスクも掛からない。そう思惟したシュウは、手錠から手を離し、


「なんだ。ミレナ、お前鍵持ってるのか?」


「え? うんうん……シュウが持ってるんじゃないの?」


「いや、持ってないぞ……」


 鍵を渡してくれと、手を出すシュウと、首を左右に振って持っていないことを主張するミレナ。

 シュウは思わず『あれ?』と、胸中で呆然とした声を出してしまう。因みに、ミレナも同じタイミングで『あれ?』と、心の中で声を出していた。


 どこか噛み合っているようで、噛み合っていない会話。そしてシュウは「あ、そういうことか」と、達観した。


「俺が手錠と足枷を外すって言ったから、鍵を持ってると思ったんだな……けど生憎鍵は持って無い」


「え!? じゃあどうやって手錠と足枷を外すの!? まさか、力尽くで!?」


 そのまさかである。固い地盤を削る程の力を身につけているのだ。まさしく、やってみなければわからない。否、


「やってやるさ」


 シュウはミレナに言い切った。


「え!? 嘘!? 無理よ! え!? 出来るの!?」


 吃驚きっきょうして二つの感情を発露するミレナに、シュウは「どっちだよ……」とツッコミを入れつつ、手錠を掴んで精神統一。 

 己の丹田——オドとは別の魔術中核から力を呼び起こし、血管を介して全身へと伝播させる。


「ミレナ、手の力抜け……」


 こくこくっと頷くミレナを目の端で捉え、シュウは固い手錠を横に伸ばすように広げていく。鉄が捻られる鈍い音が鳴り、そして、


「すっご! 本当に力尽くで外しちゃった!! シュウすごい!!」


 手錠をねじ切った。


 シュウは余韻を感じることなく、淡然たんぜんとミレナに「次は足だ」と言って、足枷を掴む。そして、手錠を外した時と同様に、精神統一を図った後、足枷をねじ切ってみせた。


「ありがとう助かったわ!」


 手錠と足枷を放り捨てて礼を述べるミレナに、シュウは「おう。これくらい任せろ」と謙遜して返す。


 結構な力を入れるつもりだったが、想像よりもその必要が無かったことには瓢箪ひょうたんからこまだ。

 魔術恐るべしや。


「歩けるか?」


「大丈夫! って言いたいところだけど、治癒魔法をかける時間が必要です。ちょっとだけ支えてくれる?」


 否定の選択肢はない。シュウは「あぁ」と頷き、ミレナの肩を掴んだ。ミレナは「ありがとう」と微笑み、自身の身体に手を当てる。

 すると、水色の淡い光が彼女の身体を包み込み、外傷を瞬時に治癒していった。


 限られた者にしかできない治癒魔法。その才覚たるや、まさに魔法と言うに相応しいだろう。

 

 治癒魔法によって完全復活を遂げたミレナは、シュウの手から体を起こす。払いきれていなかった服の埃を払い、両手で頬を二度叩く。そして、最後に「よし!」と気合を入れる声を上げた。

 長耳をぴんっと立たせて、周囲の状況確認。こうなれば、いつもの彼女だ。


「あの男はどうなったの?」


「死んだ、と思う。とにかく、他の皆が心配だ。牢屋に戻るぞ……」


「うん、そうね。行きましょ」


 ミレナとシュウは、牢屋に向かって歩き出す。

 土砂が押し寄せたのは、T字路の縦の部分だ。シュウは少年の横で横たわっていたミレナを掴んで、土砂が押し寄せる前に奥へと逃げ込んだ。


 T字路の右側は行き止まり。少し先には、左右に別れる道がある。

 シュウは牢屋に着く前の直進、右に別れ道があったのを思い出す。故に右に曲がり、もう一度右に曲がって進めば牢屋に着くはずだ。


 シュウが先導して、考えた通りに移動すると、


「あった。どうやら、皆無事の用だな……」


 牢屋だ。


「皆! 怪我はない!? 大丈夫!?」


「ミレナ様!! ご無事で本当によかったです!!」


 牢屋に向かって一目散に走っていくミレナ。彼女の健在に驚喜きょうきしたクレイシアが、鉄格子の前まで走り寄った。クレイシアに続いて村民達が「よかった」と、その顔に驚喜を湛えて鉄格子の前に集まる。


 シュウでさえも、ミレナが生きていることに欣喜きんきしたのだ。シュウ以上に付き合いが長い彼らの胸中は、筆舌に尽くしがたい喜びで満ち満ちているだろう。


 彼らの温和なやり取りを見て、再び笑みが零れる。本当によかったと思い、シュウはミレナの元まで歩いた。


「シュウ。土砂を押し寄せたのって、この子?」


「あぁ、確か、名前はリザベート。そいつがやってくれた」


 魔法を行使し、疲労で壁に背を預けているリザベート。あえいでいる彼女にシュウは指を差し、自然とミレナの視線も移る。

 

「そう、よかったわ。リザベートって呼んでいいのか分からないけど、ありがとう、助かったわ」


 初対面のリザベートに、ミレナは微笑んだ。リザベートは息を大きく吸い、少し遅らせて「いえ」と、謙虚に謝意を受け取る。


 ミレナは、素っ気ない態度のリザベートに嫣然えんぜんと笑って近づくと、手を差し出して握手を示唆。リザベートに「今は、嫌です」と、拒否されたミレナは悩まし気な顔で、


「ちょっと、隔たりが大きそうね。でも、貴方とも必ず仲良くなってみせるわ! 後で握手、しましょ!」 


 ふふ、と笑うミレナを、リザベートはスルー。何とも言えない空気になったが、それでも救われたのは事実だ。

 刺客を斃し、捕まったモワティ村の村民は目の前に居て、生きている。今は、この事実を噛み締めなければ。


 ただ一つ、憂思ゆうしを吐露するのなら、


「村の皆はいるようね……グレイたちは?」


 ——グレイ達のことを、ミレナにどう伝えるかだ。


 事後に安否確認するだけの、安心に満ちた言葉だった。

 牢屋の中に居るのはクレイシアを含めた村民達だけで、エルフであり年長者である彼女が気付かない訳が無い。自然の流れだ。

 当然、質問の趣意しゅいは生きているのか、死んでいるのかではない。何処にいるのか、である。


「……それは、悪いミレナ。グレイさん達は……」


「え? 悪いって、どういう、こと……だって、そんな……」


 暗然と言葉を濁して、グレイ含めた騎士団の死を示唆したシュウに、ミレナは焦燥を顔に浮かべながら、自身の服の胸部分を掴んで、目を下に逸らした。

 現実を受け止めきれない彼女を見て、シュウは恣意的に、答えを先延ばしにしてしまったことを後悔した。


 一拍の静寂。その刹那の時間がシュウには重く、胸を締め付けられるような時間になった。

 言葉を発することのできないシュウの喉奥は、胃液が逆流したかのような疼痛とうつうに苛まれていた。


 先送りにすればするほど、伝えるべき事実は凄惨なものへと変化してしまうものだ。

 借りた金額に付きまとう利子のように、それが重い事実であれば尚更である。


「ぁ……ミレナ、ごめん。グレイさん達は……殺された」


 シュウは訥々と、瞼を力なく閉じて懺悔ざんげを口にするように、ミレナに伝えなければならない事実を伝えた。

 仲間の死。例え、それが彼女を悲しませる結果になったとしても、伝えなければならない事だ。事実として受け止めてもらい、乗り越えてもらわなければならない壁だ。

 その壁さえも、叱咤激励しったげきれいされて乗り越えさせられた自分が言うのは、傲慢にも程があるのだろうが。


「…………う、そ……」


 大きな驚きでもなく、嘆き悲しむ訳でもない。瞬きせず、ただ一言。小さく口を開けて、放たれた言葉だった。

 ミレナは服から手を離し、掴んでいた手を力なく振り下ろす。


「ごめん! 不甲斐ない! 村を守るって、決めておいて! 俺は!!」

 

 膝を付き、拳を地面に叩きつけて、改悛を口にするシュウ。その彼と仲間の死の痛ましさに唇を引き結び、ミレナは握りこぶしに力を入れた。


 襲われることを知っておきながら、あまつさえ助言すら受けたのに、この失態を作り出した愚者がシュウだ。


「俺が悪いんだ。全部全部……俺が、俺が悪いんだ!」


 言葉にしてシュウは、自分自身が一番残酷で無責任なことをしたことに気付いた。

 忸怩じくじたる述懐じゅっかいだった。だが、それでもだ。本心とはいえ、それは相手の情に呼びかける言葉でしかない。助けてほしい、知ってほしい、同情してほしい。それがシュウがした行動の顛末だ。

 

 今の自分は唇を引き結び、万感を訴えるような顔をしているのだろう。なんて浅ましいのだろうか。なんて幼稚なのだろうか。なんて憎たらしいのだろうか。


 ——何が、乗り越えて貰わなければならない壁だ。


 そう思った矢先に、この醜態。自分が犯してしまった罪に、シュウは自分自身を赦せなくなる。

 

 創られた世界だから。自分が目標を達成し、いなくなれば消える世界だから。だから、始末が悪くてもいい。

 軽挙妄動けいきょもうどう。赦されざる所業である。


「——違うわ、シュウ」


 それは全てを赦し、全てを受け入れるような慈愛の言葉だった。顔を上げて、その発言者——ミレナを見た。


「それは絶対に違う。それなら私だって、勝手に動いて皆を危険に晒したのは事実。それが全部シュウが原因だなんて、私は言いたくないし、そんなこと言わせたくない!」


 先程まで悲しみや怒りに折れそうになっていた表情とは、相反するものだった。決然けつぜんとしたものだった。ミレナの瞳に暗い感情はなく、揺るぎない意志だけがあった。


「ミレナ……」


 シュウはミレナの名を呼びながら、背中を少しだけ上げた。


「私の方こそ、ごめんなさい。シュウの気も知らないで、私子供みたいに自分のことばっかり……村の皆も私が原因で巻き込んじゃったのに、ごめんなさい!」


 シュウや牢屋の中にいる村民達に、ミレナは平身低頭で許しをう。

 彼女はこう言ったのだ。自分もそうだと。変わりはしないのだと。シュウと同じく、現実に悲嘆する言葉であった。

 

 仲間を失い、嘆くことさえ許されないなど、無慈悲が過ぎる。

 だがシュウにとって、その嘆きさえも逃げの選択肢になっているのだ。例え、それが人として当たり前の行動だったとしても、それを当たり前だと認識し、弱さを享受することが彼にはできないのだ。

 そんな彼を見て、自分の事を棚に上げて、誰が責めさいなめるというのだろうか。


「私は、イエギク様を信じ切れていませんでした。馬車内で、私は自分自身に、もう彼は村に戻らないと、正当化して、言い訳して逃げたんです。それなのに、ミレナ様はイエギク様を追って……ミレナ様を護らなければならないのに、私は降りれなかった!」


 そう言って、クレイシアは鉄格子を強く握りしめた。彼女の顔は、シュウとミレナと同じ改悛かいしゅんの一色であった。


「イエギク様が村を護ろうと身を粉にしてくださったのに、ミレナ様をお守りしなければと、誓ったはずなのに、盾になると誓ったはずなのに……私は! 私は自分のやるべきことを、なげうったのです……罰を受けるべきは私です!!」


 馬車内での心境。本当にそうだったとしても、彼女が罪を認め告白したのなら、叱責することは出来ない。

 何故なら、自分達と何も変わらないからだ。


「それなら、私も!」「俺も!」「儂もじゃ!」


 自身の短慮を悔いたクレイシア。彼女に続くように村民達も、自らの過ちを愚かなものだったと認めていく。

 一人、また一人。その場にいた者達が順を追って、身を乗り出して悔悟を吐露していった。


 自分たちを蔑み、追い出した人間を許せない村民は大勢いる。少なからず人間であるシュウに、村を訪れてから数日の男に、全責任をなすり付ける者は村民の中にいたはずだ。

 

 だがそうなることはなく、彼らは自分が悪いと悔い改めたのだ。責められる道理はない。


「よかった……皆が貴方を悪者扱いせずに、一致団結して、こうやって思いを告げられた。私には過ぎた仲間だわ……当然シュウ、貴方もその一人! だから、グレイたちの分まで私たちが背負って生きていかなきゃ……そうしなきゃダメ」


 そう言って、ミレナはシュウに手を差し出した。


 エルフであるミレナは、他者の感情をぼんやりとだが感じ取ることが出来る。

 彼女は憎しみを村民達から感じ取り、その感情が誰に向けられているのか。最悪の状況を避けるために、彼らをまとめ上げたのである。


 彼らを知っているミレナだからこそ、成し得た功績なのだ。


 ミレナが傑物として認められている所以だ。


 シュウはミレナの手を取って、立ち上がった。


「わかった。ありがとう村の皆。クレイシアさん。それにミレナ……」


「うん、こちらこそありがとう。シュウ」


 落ち着きを取り戻した村民達。

 こうなれば安心だ。最悪の展開——絶望や怒りによって村民達が罵り合い、暴力沙汰になることを回避できたのは大きな進歩だ。もし仮に、恐れたことが起こり死傷者が出てしまえば、グレイたちが体を張って村民達を守ったことが無意味になってしまう。

 その結末を迎えず、命の尊さが汚されずに済んだことが、今はよい事だと思いたい。


「さ、皆を牢屋から出さなきゃね……シュウ」


「あぁ、任せろ」


 ミレナの言葉に背を押され、シュウは牢屋の前に立って鉄格子を掴んだ。その二人の言行に、前に出ていたクレイシアと村民は『まさか』と言いたげに後ろへ下がる。


 ミレナの手錠と足枷をねじ切った時と同様に、シュウは精神統一。力み踏ん張って、鉄格子を掴んだ腕を外側へ広げていく。

 鈍い音が地下に響き、目の前の光景を目視すると、


「すごい!! やったわシュウ!!」


 ミレナの快然かいぜんとした声が聴こえ、鉄格子に大きな隙間が出来ていた。


「これなら、他の牢屋も開けられそうだな……皆、下がっててくれ」


 残り九つの牢屋も開けて、シュウは村民達に出るよう指示。子供、老人、女性、男性の順番で牢屋から脱出。全ての牢屋から、全員が出たことを確認したクレイシアが、最後に牢屋から出てきた。

 シュウはクレイシアの手枷を外した。彼女以外は、村に帰ってからでいいだろう。


 後はここから抜け出すだけだ。抜け出すだけなのだが——、


「よかった、これで村の皆全員が助かるわ! ん、どうしたの?」


 下から覗いて様子を窺ってくるミレナに、冷静な判断ができるようになったシュウは「あ、いや……」と返す。次に、崩れ落ちた瓦礫——その先にある存在の生死を、確認するように見据え、


「あの男が本当に死んでいるのか、確認だ。念には念を入れたくてな」


 瓦礫がれきに近づいた。


 頑強な生物であっても、破壊の奔流ほんりゅうである土砂に巻き込まれれば死に至るだろう。普通の人間など紙同然に引き裂かれて絶命だ。

 だが、だがもし、何らかの方法で生存していたのなら、危険因子を見過すことになってしまう。気付いたのなら確かめるべきだ。

 この異世界ならあり得る。


「……わかった。私も手伝うわ。村の皆の誘導は……えっと」


「リザベートが、この地下からの抜け方を知っている。だよな?」


 シュウは振り向き、リザベートを呼ぶ。彼女は「はい……」と、小さく悄々しょうしょうと返事をした。

 魔力を使った直後で、疲れているのだろう。


「クレイシアさん、リザベート、少し体調が悪そうですし、彼女を支えながら、先頭を歩いて、皆を導いてもらえませんか?」


「わかりました。必ず、皆様を村まで届けてみせます」


 シュウはミレナ以外に村民達を誘導できるのはクレイシアだと思い、彼女に先導をを信任。彼女はその頼みを快諾で返した。


 流石、クレイシアさんだ。信任してよかった。


「クレイシア、皆を任せたわよ。私はシュウと一緒にあの男の確認に、ちょっとだけここに残るから」


「はい! お任せを! お二人とも、お気をつけて」


 ミレナからも信任されたクレイシアは頷いた後、村民達に「子供と老人を前に、二列になってください! 腕に自信のある方は殿しんがりを!」と言って、村民達の前を歩いて指示を出す。


 憔悴状態で保護される側であるはずの彼女だが、弱音を吐くことなく行動に移していく。

 その姿に魅せられた村民達は、統率の取れた潤滑な行動で動いていった。


「大丈夫そうだな……」


「そうね。なんたって、私が住む村だもの。当然だわ!」


「だな……さて、始めるか」


 ミレナに目で開始の合図を送り、シュウは彼女と一緒に土砂をかき分けていく。手を汚し、汚れた手で汗を拭き、頬に黒い泥の跡を残して、数十分の時間が流れてようやく、


「あった。あいつの腕だ」


 男の遺体——正確には右腕と流血の跡を発見した。

 片腕だけしか見つからなかったのは、土砂の波が凄烈せいれつであった証拠だろう。

 

「確実に……死んでるわね。ごめん、私、気持ち悪くて見ていられないわ……」


「もう見なくていいさ、確認したいものは確認できた。俺たちも戻るぞ」


「うん……」


 波に呑まれて圧死。身体のほとんどは土砂によってミンチになり、逃げようと手を伸ばした手だけが残った。と、いったところだろうか。

 凄惨な死の遂げ方ではあるが、それ相応の報いを受けたと考えればお釣りがくるほどだ。


 安堵の溜息とささやかな笑み。刺客を退けた事実が、シュウの胸中に欣幸きんこうを来訪させ、それが身体に形——脱力となって現れる。要するに、嬉しくて腰を抜かしてしまったのだ。

 寂しくはあるが、これで元の世界に帰れるのだ。腰も抜かしてしまうというもの。


「嬉しそうねシュウ」


「まぁ、な……人が死んでるのに笑えない話だ」


「そうね。でも、おかしいことなんてないわ。グレイたちは死んじゃって、それは悲しいけど……生きていられること、大勢が救われたことが、今はすごく嬉しいの。だから、私もシュウと同じだわ」


 ミレナは知らない別ベクトルの欣幸だが、シュウとて彼女達が救われたことは心から嬉しい。


 確かに人は死んだ。それでも生きていられることが嬉しいのは、おかしいことなのだろうか。喜び笑い合うことは、おかしいことなのだろうか。


——いいや、そんなはずがない。

 

 誰もが当たり前のように持っている感情だ。それがおかしいなど、間違っている。


「さぁて、皆が待ってるわ! 戻って治癒魔法に励まなきゃ!!」

 

 土で汚れた笑顔だった。でも、その笑顔は汚れを払拭するほどに綺麗であった。

 駆け抜けていくミレナの背中を見て、シュウも置いて行かれないように腰を上げ、早足に地下を進む。

 

 村民達の足跡と、ミレナのエルフの性質を頼りに地下を移動し、眩い太陽が目に映る。


 土臭さの無い地上に出れば、そこは朝日が昇り始めた薄暗い森の中だ。どうやら、モワティ村の近くのようだ。


 小鳥のさえずりに草木が風になびく音。鈴虫が鳴き止み、朝だと告げてくる生暖かい日光が、時間を掛けて広がっていく。長閑なひと時である。


 シュウはその朝の空気を肺一杯に吸い込み、深呼吸。走って村に向かったミレナを追いかける。


「ちょっと、遅いわよ」


 早足に駆けていったミレナが、木の裏で少し寂しそうに長耳を揺らして待っていた。


「悪い」


「やっぱ無し! 実はせっかちだったのを、反省していたところです」


「ミレナが反省とは、珍しいな……」


 ミレナのおふざけに、シュウもおふざけで返してみせる。諧謔かいぎゃくが言えるのなら、本当に大丈夫なのだろう。ミレナも、自分もだ。

 「なんか、うざい」と、頬を膨らませるミレナに笑って返し、彼女もくすっと口に手を当てて微笑んだ。


 それから静謐とした時間が少しだけ流れる。

 ミレナが一歩手前に出て、後ろで歩いているシュウを見つめた。


「聞いて欲しい事が……まって」


——その物柔らかなひと時に、水を指す存在が現れようとしていた。


 不自然に言葉を切り、シュウに掌を見せて静止の合図を送るミレナ。彼女の剣呑な顔つきを見て、シュウは胡乱気うろんげに周囲を見やった。

 長耳をピクピクと動かし、ミレナは森の機微を推し量ろうと意識を集中させる。


 気付き、


「後ろ! シュウ避けて!」


 シュウが振り向いたと同時、光の刃が飛んでくる。ミレナの掛け声のお陰で、シュウはその光の刃を間一髪で避けれた。


 新たな刺客、否。そこには死んだはずだった金髪の少年が、立っていた。今のに当たっていたら——考えたくもない。

 不覚。敵の接近に気付けないほど、自分は元の世界へ戻れることへの欣幸に、酔いしれていたのだ。


「ちッ! 邪魔しやがって……」


「お前、自分の右腕をフェイクに使いやがったのか!!」


「少し違うね。あれは思念体の腕だ。あの状況で見つかったら、危なかったからね。細工したのさ……瓦礫から抜け出すのに時間はかかったけど、まぁ、そのおかげで邪魔者はいなくなった」


 そう言いながら、少年は自分の腕を見せびらかす。確実に繋がっている。


「これで、飼い犬の邪魔も入らない。君を殺し、エルフを連れて勝利を収める。色々、手間はかかったが、何の問題もない……リザベートは後回しでいい」


 マナの席巻せっけん。淡い光が周囲の大気から発生し、その光子が青年の周囲に集まっていく。チリ紙アートが作られるように、一粒一粒の光子が光の塊となり、人の形に変化。変色。

 そうして完成したのは、もう一人の少年だった。


「何が、起こって……」


 何がどうなったのか、シュウは理解できない。少年がもう一人。幻覚。いや、まさか分身。


「まさか、光魔法の応用? 何をしたの!」


 更に魔法への造詣ぞうけいが深い彼女は、シュウよりも一つ上の段階まで理解したのだろう。持って行き場のない怒りを、表情や声に乗せて言い放った。


「そう、光魔法の応用、思念体さ。そう特別でもないよ。君の再生能力とは違ってね?」


「思念体……?」


 少年が勝ち誇ったように開示した情報を、シュウは疑問に思い口にした。その横から、ミレナがシュウの思考をさえぎるように、


「再生能力……? ふざけたこと言わないで!」


「ふざけてなどいないさ! 僕は君に事実を突き付けただけ! 理解できないのを勘違いして、僕に八つ当たりするんじゃない! まぁいいか。理解できないってのは得てしてある。あのクソ奴隷が邪魔した所為で回りくどくなったけど、再戦と行こうか!! 一方的な蹂躙って名の闘いをさぁ!!」


 裂帛れっぱくの声が合図となって、閃光が森を席巻する。

 光が離散したと同時、シュウとミレナの眼前に現れたのは、十を越える人だ。それも、少年と全く同じ存在の分身。誰が分身で、誰が本体なのか分からない。


 少年の総数は約二十。といっても、それは現状報告でしかない。何故なら、分身の背中や木々、岩の影といった場所から分身が現れ、現在進行形で増えていくからだ。


「何よこれ! どこまで増えていくの!?」

 

 眼前で起こる現象を見て、愚痴るミレナ。


 魔法によるものである為、決して無限ではないだろうが、数えるのが億劫おっくうになるほどに増殖するのは確かだ。

 もし、分身の一人一人に魔法を行使されれば一溜りもない。


「多分そうだろうな! だが先ずは、逃げるぞミレナ!!」


「なっ!? え、ちょっと!?」


 承諾を得ずに、シュウは地面に拳を叩きつけた。地盤が隆起し、土煙が周囲に立ち込める。

 シュウは傍で咳をしているミレナを掴み、お姫様抱っこ。土煙の中を走り出した。


 承諾を得る暇すらない状況。ミレナには、後に深甚しんじんな謝罪をするつもりだ。事ここに至っては彼女も理解してくれるだろう。


 負けて死ぬよりは遥かにましだ。


 ミレナを振り落とさないように、抱えている腕に意識を割きつつ、シュウは村とは逆方向へと疾走していく。

 敵の狙いはミレナ。モワティ村の村民に、手出しはさせない。即ち、山奥に逃げることで、少年の意識をこちらに向けるということだ。


「何て速さだ!? 人間なのかアイツ!? クソ! 追え! 見つけ次第、僕に知らせるんだ!!」


 針に糸を通すように、右往左往しながら獣道を疾走していくシュウ。彼を見て、少年は聳動しょうどうを口にしながら、分身たちに指示を出した。

 少年は歩いて、分身たちの後に続く。


 一方、村から意識を割くために逃げたシュウ達は——、


「待って、この坂飛び降りるのって、きゃぁぁぁ!!!!」


「しっかり掴まっとけ!! 絶対に手ぇ離すな!!」


「絶対に離さないし、離せるわけないってばァァァァ!!」


 崖から十メートル程の距離を跳躍。着地すれば足を滑らせないように、地面に踵を埋め込みながら滑り降りていく。履いた靴が削れ落ちて、足が剥き出しになる。そして、先日、刺客の男と闘った場所——崖下の河に不時着した。


 ミレナを守るように背中から落下したためか、衝撃で肺から空気が一気に抜け、視界が明滅する。胸と背中が押し潰され、内臓がミックスしたような感覚は、筆舌ひつぜつに尽くしがたい気持ち悪さだ。


「ぉえぁ! けほっ! けほっ! 大丈夫か?」


「大丈夫よ! それよりもシュウは無茶しすぎ!!」


「悪かった! でも危急だったんだ!! 分かってくれ!!」


 憤るミレナを、シュウは手荒い手法で言い聞かせる。「分かってくれ」などと、他人頼りの無責任な発言ではあるが、言葉選びなどしている時間が惜しい。

 

 河岸まで泳いだシュウは彼女を下ろして、呼吸を整えれば、


「配慮に欠けてんのは謝る。でも頼むミレナ。あの野郎をぶっ倒すには、お前の力が必要だ。だから、頼る前提で聞いてくれ!」


「わかったわよ。でも、無茶は禁止だから!」


「当然だ」


 服にしみ込んだ水を絞り取りながら、憂慮を言葉にするミレナ。水で重くなったシャツを脱ぎ捨て、シュウは即答した。


 あの破壊の奔流を受けてなお、生きている少年。もしかすれば、刺客の男以上の強さを兼ね備えているかもしれない。


「村の皆からは力を借りない。危険だからな……二人で奴を斃す」


 グレイ達が殺され、闘える者がいない今、まともに戦えるのは自分とミレナだけだ。ミレナの家政婦であり、護衛役でもあるクレイシアも戦えるかもしれないが、あの土砂から生き延び、分身を作り上げる存在を相手には期待できない。

 何より、気持ちがそれを許さない。


「そのためにミレナ……お前の力がどれほどなのか、知っておきたい」


 水魔法が適性属性とは聞いているが、寡聞かぶんなシュウには本当に想像でしか推し量れない。それこそ『魔法でドーン』といった想像と遜色ない。


「私の力……適性は水魔法で神位の魔法は使えないわ。最高位のイマージョンに、グレイシアは使えて一回づつ……あと、併合魔法のフィンブルってとこかしら」


「ちな、訊いていいか?」


「何を……あ、そうだったわね。シュウって魔法の知識がほとんどないんだもんね……イマージョンは大量の水を作って洪水を起こす魔法で、グレイシアは広い範囲を一瞬で凍らせる魔法よ」


「広さは?」


「広さ……そうね。全力でやって、ジェスパー領を包み込めるくらいはあっていいと思うわ」


 昨日へし折った木のすぐ傍まで会話しながら歩き、ずぶ濡れのミレナとシュウは背を預けた。


「結構広いな。併合魔法ってのは?」


「イマージョンで洪水を起こして、グレイシアで水ごと凍らせる。それが併合魔法のフィンブルよ……」


「マジかよ……水中に引き込めば一撃必殺じゃねぇか」


 波を作って敵を水の中に引き込み、逃げる暇も与えず相手を凍死させる。

 ミレナはいけしゃあしゃあと言ってみせたが、末恐ろしい魔法だ。正しく魔法を使わなければ、殺人など容易に出来てしまうだろう。


 とはいっても、その悪すらも塗りつぶす抑止力が存在しているからこそ、均衡きんこうが保たれていられるのだろうが。


「でも、本体じゃなく、相手は分身みたいなので襲ってくるはずだわ……その中で、特攻してくる分身ならまだしも、本体を狙うのは難しいかも」


「だろうな……だからそこをつく」


「——どういうこと?」


 藪から棒に、要領の得られない言葉を言ってみせるシュウ。聞いたミレナは、きょとんとしながら小首を傾げた。


「敵は分身を特攻させてくる。なら、後ろで好機を探してるのが本体だ」


 ミレナが言った通り、少年は分身を特攻させてくるはずだ。本体は確実に後ろにいる。そうでなければ、分身の意味を為さない。


 予想の逆を突いてくる可能性は、極めて低い。

 分身は年長者であるミレナが、知らなかった魔法だ。故に、多くの者が知らない魔法。故に、高位の魔法であるはずだ。

 その分身を作るために、多大な魔力を使ったのにも関わらず、返り討ちに合う可能性が高い本体が前線に出てくるのは、粗末が過ぎる。


「俺が囮になって、ミレナが死角から不意を突き、敵の本体にフィンブルを叩きこむ」


「そんなの上手くいくか分かんないでしょ? それに、シュウが囮っていうのは賛成できない」


「だからって、あの分身を前に、真っ向から戦っちゃ勝算は低いだろ。危険な役を誰かが担わなきゃ最悪、村民全員殺されちまうんだぞ」


「でも……危険なことを承知で、容認なんて私にはできない! これじゃああの時の二の舞よ! もっと安全かつ勝算の高い……」


 自分で言っておいて、ミレナは言葉尻を曇らせる。それが如何いかに難しい要求なのか、悟ったのだ。

 全て、憶測の域を脱していないのは事実だ。だが、一刻を争う状況で時間を作り出す術もなく、その中で知謀ちぼうを捻出する知能もないシュウには不可能だ。


「頼むミレナ」


 注視の圧力で、シュウはミレナに掌を見せる。手を取れと、俺に任せてくれと、双眸に決意を乗せて見やった。今度の囮は違う。

 その自信に満ち溢れたシュウを見て、


「わかった、わかったわよ! でも絶対に無理しちゃ駄目だから! そこは約束して!」

 

 シュウの戦略が一番現実的であると、身体に滴る水滴を不満と共に振り払ったミレナ。そうして彼女が手を取れば、もう何一つ心配することは無い。

 あとは勝利に向かっての一直線だ。


「わかってらぁ……」


 失敗をも恐れない精神が、二人を包み込む。

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