第15話 仕返し

 土の匂いと、身体の芯まで冷えそうな寒さ。この異世界で過ごしてきた中で、味わった事のない寒さだ。

 シュウは直ぐさま、自身が地下に囚われていることに気付いた。


「地下、か……」


 嗄れ切った声が出た。

 呼吸をするたびに、喉奥の乾いた肉に空気がこびりつくのが分かる。胃液が無くなったかのような、丹田たんでんの虚無感。分不相応の魔法を行使した所為だろう。

 オドの酷使。


『体内から生成されるオドを絞り出して魔法を行使するんだから……動くのに体力を使うのと同じで、魔法を使えば体力は消耗するの。シュウは未熟なんだし、使えてもゲイルが一回。ウィンドが三回程度かな。だから、過度な魔法使用は禁止ね』


 魔法の練習をしていた時、ミレナが言った助言だ。

 その報いが、今まさにシュウの体中を蝕んでいるのだ。睡眠を取り、充分な休息をとったはずなのに、身体は鉛のように重く、慣れないながらに傀儡くぐつを動かしているようだ。


 シュウは冷えたことで感覚を失いかけている指を動かし、手を床について、固い岩の壁に背中を預ける。それから、疲労しきっている身体を落ち着けるために深呼吸。


 暗い地下の中を歩き始める。

 グレイやクレイシア達は、刺客を退けられたであろうか。きっと大丈夫だ。ならば、連れ去られたミレナを見つけ出さなくては。

 恐らく、ミレナはこの地下のどこかにいるはずだ。敵の幹部がこの地下に居るのだ。ここは敵の仮拠点といったところだろう。


 ミレナを見つけ、助け出して村に戻る。そこから刺客を悉く斃して、ハッピーエンドだ。


 そう思う事が、気持ちを落ち着かせる行為だと理解していても、シュウは希望を無くさない。

 そうしなければ現状を、現実を見据えることができない。最悪を最悪だと認め、打開策を練る事をだ。


「先ずは、ここから抜け出さねぇと……あ?」


 壁伝いに進んでいたシュウの足に、石の無機物とは違う生き物らしき何かが当たった。

 下を見る。人だ。死体ではない。その証拠に息をしている。ぼろ雑巾のような土と泥にまみれた布の服。長時間着用し続けたであろうその服は、元の白色の服が茶色に変色してしまうほどに汚れていた。


「おい、寝てるとこ悪いが、ここが何処か訊いていい……マジ、かよ」


「ぁぁ……だぁ、あぁれ……?」


 薄暗く、目も慣れていない事が相まってか、シュウは人に近づくまで気付かなかった。恐らく少女だ。恐らくというのは、その見た目があまりにも惨い状態になっていたのが原因だ。


 手足は切り傷や殴打跡によって傷つき、酷い部分は内出血の跡がある。髪はほうきのように乱れていて、綺麗な金色も意味をなしていない。髪の間から垣間見える紅眼は、さんざっぱらに畏怖いふを孕んでいて、見るもの全てに慄いているようだ。

 彼女は立ち上がり、シュウと目を合わせて、


「きょ、うも、なぶるん、です、か……? なぐさみ、もの、に、する、ん、です、か……?」


 数秒の沈黙後、脳が音を言葉として受け止め、言葉を意味として解した。


「え……あ」


 少女の機械のような返答に、シュウは狼狽ろうばいしてしまった。

 体中の精力を愚鈍ぐどんな思考——脳へと巡らせ、シュウは初めて理解する。奴隷だ。

 生前の世界なら紙面での、この世界ならクウェルからの言葉として知っていた。その実態が、眼前にいるボロボロの少女だ。


 人としての尊厳などはなく、ただひたすらに玩具としてもてあそばれたであろう痕跡。それが、目の前にいる金髪の少女だ。

 世界の陰惨な部分を知った実感。惨い、可哀想という雑然とした感情が反射的に這い上がって来る。

 だが口にしてはいけない。少女にとって、それは傷口を広げるだけの偽善に過ぎない。いや、敵そのものだろう。


 何故なら、彼女にとっては世界そのものが敵であり、自身に近づく存在は等しく憎悪の対象でしかないからだ。

 厚志こうしではない、一時の同情などいらない。誰かに助けられる為に、生きているのではない。そんな言葉を掛けておいて、どうして、今まで助けてくれなかったの、と。

 故に機械的な言葉。故に言葉に乗せられた、泡沫の殺意。


「ち、違う。そうじゃない! 頼む。聞いてくれ、ここがどこで、誰が首謀者しゅぼうしゃなのか——」


「きゃは! おはようお兄さん! でもごめんね、それは教えられないの……」


 うす暗い空間に、差し込める明かり。最悪のタイミングだ。バラ色の髪の女に見つかってしまった。


「お前! ミレナを何処にやりやがった!」


「もぉ~そうやって自分の事じゃなくて、他人を優先しちゃうなんて……お兄さんって、やっぱり綺麗な顔して男らしいのね」


 シュウは女に額を触れられ、気絶させられたことを思い出す。

 今、体は動き辛くなっている。ここで手を出すのは得策ではない。


「まぁ、ちょっとくらいなら、教えてあげてもいいけどぉ~その前に……何アンタ? 奴隷の分際でさ、私の男に近づかないでくれる? 匂いが映るだろうが!! 虫唾むしずが走るんだよ! あ!!」


 女はシュウを横切ると、突然怒りを発露させ、奴隷の少女に平手打ちをした。少女は防ごうとせず、頬に平手打ちを食らい、壁に顔をぶつけて崩れ落ちる。

 少女のぶつかった壁には血が付き、傷つけた張本人の手に返り血が付いた。


 女は「汚ったな。マジ最悪だわ……」と言って、机に置いてあったタオルで血を拭きとった。


「お前たち、そいつの怪我治しといて、一応そいつ、あのカス男のお気に入り奴隷だからさ……さ、だぁーりん! 私がタケの実食べさせてあげるからぁ~そのゴミは放っておいて、こっちに行きましょ!」


 女は、後方で跪き、待機していた眷属に命令を送った。

 異を唱えず女に付き従う眷属の姿は、意識を失う前——頬に白い蛇の刺青を入れていた男が使役していた、人型の魔獣と似ている。が、決定的な差異がそこにはあった。


 それは体の構造が女性であるところだ。赤黒い男の魔獣とは真逆の、青白い人型の魔獣。服を着ていない為に見て分かるが、生殖器は存在していない。身体の構造だけが女という、妖異な存在だ。


「誰がお前の言う事なんざ!! うおッ!!」


 有無を言わせず、女はその華奢きゃしゃな手でもってシュウを、薄暗い空間から明るい空間に引っ張り出した。

 魔力を酷使し、憔悴状態のシュウとは無関係の腕の力。人一人の体重など意に介さない膂力りょりょくだ。


 女はシュウを壁に打ち付け、皿の上に置いてあった乾物かんぶつの実を、彼の口元に当てる。


「さ、食べて……そうしたら、魔力も回復するし、眷属の毒も抜けるし、何より私の虜になれるよ? ねぇ食べて?」


「誰が、食べて、やるか……」


 押し当ててくる乾物を、シュウは頭を動かしながら必死に遠ざけようとする。身体も動かそうとしたが、女に身体を動かす以上の力で抑え込まれ、身動きが取れない。

 華奢な体躯たいくとは裏腹に、凄まじい膂力はミレナに似ている。


「もう、イケずぅ……でも、逃げようとしたって無駄だよ? だってメルルはぁ~魔人の血を引く搾魔さくまのサキュバス。普通の人間を、こうやって押さえつけることなんて簡単なんだから、さぁ~だから食べちゃって!! えい!」


「——ぐッ!!」


 女に腹を平手で叩かれ、シュウの口が反射で開く。口が開いた一弾指の間に、女はシュウの口に乾物を押し込み、強制的に喉奥へと飲み込ませた。


 やられた。吐き出そうとしたが、焼け石に水。完全に嚥下えんげしてしまった。

 黒い羽と尻尾を揺らして、女は欣喜きんきの表情でシュウを見る。


 矢庭に、絶え難い程の浮遊感がシュウを襲った。それは、脳を殺しにかかるような甘美な堕落だった。

 手足が無くなったかのような感覚は、広大な海に放り出されたよう。溺れ、わらすがろうとしたところを、偶然通りかかった女から、救命用の浮き輪を渡されたような安堵と安泰。


 何もかもがどうでもよくなっていく。白熱する思考は、嘘であったかのように冷め、温柔な記憶達は、夢を見ていたように抹消されていく。


「ねぇ、気持ちいいでしょ?」


「…………」


 蠱惑こわくの声と暖かさ。

 顔や表情が、名前が、仕草が、匂いが、あらゆる者の存在が、希薄に、薄く、減耗げんもうしていく。失われていく。溶かされていく。醜悪で卑俗な蜜に埋め尽くされていく。


「お兄さんはメルルの従者」


「…………」

 

 そうだった。目の前にいる者が、自分にとって最愛の存在なのだ。だってそうでなければ、この気持ちは説明が付かない。


「メルルだけが、お兄さんの味方」


「…………」


 身体を蝕むほどの強い恋慕れんぼ

 この表情だ。この仕草だ。この匂いだ。自分にはこれが全てで、これにとっても自分が全てで。相思相愛。

 互いが互いを満たし合う、二つで一つの共依存。永久機関なのだ。その事実を反芻し続ける。


「メルルはお兄さんで、お兄さんはメルル……そう、私たちは最初から最後まで二つで一つなの。きゃは!」


「…………」


 染められていく染められていくそめられていくそめられていくソメラレテイクソメラレテイク。

 染めてそめられソメツクシテ。


「うるせぇよ……クソが」


 その渇望を完全に払拭して、シュウは女の胸に手を当てた。


「なに? 聴こえないよ? あ、もしかしてメルルの胸、触りたかっ——」


「ウィンド」


「え?」


 風魔法が女の身体を、心臓を、蠱惑を、欲望を、悪辣なる卑賎ひせんな存在を、切り裂いた。


「な、んで、メルルの、私の魅了が効いてないなんて、ありえ、ない」


「知るかよ。てめぇの最愛の席は、既に二つ埋まってんだ。それを侵すなんざ、卑俗なお前には、最初から、無理だったって話なだけだろうがよ……」


 血を吐き出しながら斃れた女に、シュウはそうぼやいた。


 シュウの全てが染め上げられなかったのは、果たして根性か、或いは——、


「眷属は、女が死んだら動きが止まったか……」


 やはり、操縦士ならぬ操獣士が息絶えると、動かなくなる仕組みなのだろう。魔獣は溶けてなくなった。タケの実を食べたことで、身体を容易に動かせるようになった。

 この僥倖ぎょうこうを物にしなければ。起死回生の一手を、敵にお見舞いしてやるのだ。


「ミレナを見つけなきゃな……」


 シュウは軽く深呼吸し、女がいた部屋から出ようとした。しかし、足を止めた。振り返り、 


「おい、大丈夫か?」


 シュウは明るい空間と薄暗い空間を隔てている布を引きちぎり、奴隷の少女に声を掛けた。


 ミレナの場所を訊くためだ。

 ついでに、助けてやらなくては。


 魔獣が少女に癒しの魔法を施したからだろうか。先刻、女に平手打ちされた頬と、口元の傷が塞がっている。


 シュウは少女を連れて行こうと、座っていた彼女の手を掴んで引っ張る。

 シュウに手を取られた少女は、力を借りることなく、自分自身で立ち上がった。そのまま顔を上げ、片手で自身の服の裾を掴んで彼を見る。


「ぇ……あの、私は、どう、すれ、ば……めい、れい、を……」


 紅の双眸が、命令を懇請こんせいしてくる。シュウは訳が分からず、


「命令? なんで今なんだ? とにかく、俺がここからお前を逃がしてやるから、ミレナの……つっても分からねぇか。緑色の髪の、ちっさいエルフを見なかったか?  もし、そいつの居場所を知ってるなら、教え——」


「めい! れいを! くだ、さい! わた、しは……ど、れい、なの、です」


 今まで、訥々とつとつと機械的な声で応じていた少女が、シュウの手を払って、初めて感情を見せる。

 その感情がシュウに対しての嘆きなのか、何もせず俯瞰ふかんしているだけの世界に対する激憤げきふんなのか。

 彼女との関係が薄いシュウには判断しかねる。


「ど、れいは、めい、れいが、なけれ、ば——」


「あぁ! もうわかった!」


 言葉尻を捕らえてきた少女に、シュウもやり返すように言葉尻を捕らえた。

 ムッとした表情で少女に詰め寄り、


「命令だな! 命令を与えればいいんだな!! じゃあ、あれだ! 俺にさっき言ったエルフの場所を教えろ! それで、教えてくれたら俺がお前を逃がす!」


「にげ、た、あと、はど、う、すれば?」


「逃げた後はお前の思うようにすればいい。お前を縛ってる奴らは俺が潰す。だからお前はもう奴隷じゃないし、一人の人間だ!」


「でも、それじゃあ、わ、たし、のそん、ざいい、ぎが……」


「そんなもん自分で見つけやがれ! 何もかも他人にばっかり頼ってんじゃねぇよ! てめぇで考えて、てめぇで行動しろ!」


 シュウは振り上げた手を勢いよく振り下ろして、当然ともいえる思考判断ができない少女をたしなめる。叱咤する。

 平然と奴隷を連れている者に激昂する。クソッたれた世界に。それを知らず、平然と生きていた自分に。


 虐待などを受ける被害者が、加害者から何も言わないように調教されているのはよくある話だ。

 それが加害者の故意かどうかは分かりかねるが、奸悪かんあくであることに変わりはないだろう。だが少なくとも、この問題は被害者側にも非がある。

 理由は至極単純。自分の環境を変えられるのは、自分しかいないからだ。周囲はきっかけを与えるだけに過ぎない。

 自分から変えようとせず、そのくせ、非を環境の所為にするなど、お頭が悪すぎる。


 環境は自分で変えてこそだ。


「てか、お前はもう命令なしに、人を憎むってのをやってんだろうが! そん時みたいにやりゃぁいいんだ! んな当たり前のこと言わせんな!」


 萎縮いしゅくした少女は恐怖のあまりに震撼しんかんし、囁くように「ごめんなさい」と、何度も連呼する。そんな少女にまた怒りを覚えて、シュウは彼女の手を取り、


「お前は馬鹿か! 何で、んな事も分からねぇんだ……何で、分からねぇって思い込んでやがるんだ……あぁもういい、俺の目を見ろ。どんな奴に見える? 聖人か? 正義の味方か? かっこいい王子様か……? ちげぇだろ?」


 シュウに無理矢理に合わされた目線を、少女は「こ、こわい、男の人……」と言って、下を向いて逸らした。


——言えたではないか。


 まだ慄然りつぜんとしているところは癪に触るが、それでも彼女が思う事を、言いたいように言えたのは事実だ。

 言えただけで充分。後は、シュウが訓蒙くんもうせずともやっていけるだろう。

 

「……それでいいんだよ。今やったみたいにしろ。お前が感じたことを、お前の言葉で、お前が思うように行動すればいいんだ。わかったな……?」


「はい……」


 言いたいことを言い切り、少女がそれを理解したのなら満足だ。シュウは少女の手を放し、


「じゃあさっそく、さっき言ったエルフの場所を知っていたら教えてくれないか? 後、この地下からの抜け出し方を……」


「その、エルフの人は、わかりません、が、あじん、のひとたちが、ろうや、に、しゅう、かん、されるのは、見ま、した……」


「本当か!?」と驚くシュウに、少女は小さく「はい」と返す。


「分かった。じゃあ、案内してくれ。地下からの抜け出し方は、亜人の人達を助けてから教えてくれ……」


 後ろに振り向いて移動の合図。対して、少女は一旦右手を出そうとしたが、元に戻し「ぁ、ぁ」と声を詰まらせる。何かわからず、シュウが振り返ると、少女は、


「わ、たし、足が、よくな、くて……」


「……? あぁ、わかった、背中貸してやる」


「ぁ、ぁの、ちが、くて、その……」


 シュウはおんぶを要求しているのだと思い、少女に屈んで背中を差し出す。そんな彼に、少女は挙動不審な行動を取った後、何を言おうか言うまいかと身体を固まらせた。

 そして、思索に終着点を見つけたのか、少女は深呼吸した後にシュウを見た。


「ち、を、吸わせて、もらえ、ま、せんか?」


「ち? なんてったって血なんか……」


「じつ、は、わたし、ヴぁん、ぱ、いあ、なんです」


「ヴァンパイア? ヴァンパイアってあの血を吸う?」


 突拍子もない要求に、納得がいくか、いかないかの理由だ。

 シュウは戸惑ってしまう。


「は、い、ちを、吸うと、きず、が、ちょっと、だけ、治る、のでいい、です、か?」

 

 血を吸う意味を説明しつつ、承諾前に腕を掴んでくる少女。


 シュウは斃れた女を指さして「あの女の血は?」と、勧めるが少女は「嫌です」と、首を振って即答した。

 この場で選り好みするのは、子供らしい。


 それにしても、血を吸って傷が治療されるというのは、異世界造詣ぞうけいが浅いシュウには理解に苦しむ所がある。

 だが、この状況下で嘘を吐く意味の無さと、そもそも論として、魔法が存在している世界で驚くほどのことではないのを加味して、シュウは「わ、分かった」としぶしぶ承諾した。


「では、はむっ、ちゅぅぅ~」


「何かこれ、力抜けるな……」


 ふにゃっとした顔で、少女はシュウの腕の血を吸っていく。

 そして、シュウはそれを見て驚愕した。


 彼女の言葉通り、擦り傷や内出血していた殴打跡が、化粧で覆い隠すように消失していくではないか。

 その様を見て、シュウは小さく「すげぇな」と感嘆の声を出した。


 少女はよだれを垂らしながら、きゅぱっと音を立て、シュウの腕から口を放す。それから、言い忘れていたかのように「あ、ご馳走様でした」と、頭を下げた。


 ぼさぼさの髪の間から見えた、ささやかなる笑顔は、少女の胸中を如実にしている。

 機械ではなく、理性の枷を外した本能が、確かにそこにはあった。


「吸血、には、催淫さいいん、作用がある、のですが、貴方は、効いていない、ご様子……」


「それ、血を吸う前に言えよ……まぁ効いてないもんは効いてないんだ。改めて、案内頼めるか?」


 呆れるシュウに地下の案内を頼まれ、少女は元気よく「はい!」と答えた。

 亜人の人達——村民が牢屋に収監され、ミレナの場所は依然分からず。一歩進んで二歩下がった状態だ。同じ地下に囚われていると思いたい。


 それにしても、訥弁とつべんだった彼女の言動。心なしか冗長じょうちょうさが無くなり、正常な話し方になっている。喉の傷が治ったのか、彼女の精神が安定してきたのか。

 確認している暇はない。


「じゃあ行くぞ」


「あ」と、声を出す少女の腕を掴んで、シュウは地下の中を進んでいく。迷宮とまではいかない迷路の巣窟そうくつを、少女の指示を頼りに右に曲がり、左に曲がって直進し、右に曲がり、牢屋が左に五つ、右に四つあるT字路の場所に辿り着いた。


「三人か……」


 牢屋の前には三人の見張り。


 シュウは後ろにいる少女に、掌を見せて止まれの合図。発言しようとした彼女に、シュウは自身の口元で指を立てて沈黙を示唆する。

 こくこくっと首を上下に動かす少女を余所目に、シュウは地面に落ちていた石ころを手に取り、


「————ッ!!」


 見張りの男に投擲とうてきした。


「な、なんだこの男は!? 侵入者か!?」


 手前に居た見張りの頭部に石ころが被弾。気を失った男の身体を掴み、そのまま盾に。中央にいた見張りが槍でシュウに攻撃を仕掛けるが、シュウは肉壁を使って攻撃を防ぐ。そのまま、槍が刺さり、引き抜けずに辛労している見張りの顎へと、蹴り上げを食らわせる。

 

 防御が間に合わなかった見張りは攻撃を無防備に食らい、顔面が天井に突き刺さった。

 一番奥にいた見張りは、怒りを顔に浮かべながら手元にオドを集中させ、魔法を行使しようとする。が、シュウは死んだ見張りの腰からナイフを奪い取り、敵の腕に向かって投げつけた。


「がぁッ!! ヒッ!?」


 シュウは激痛によって隙を見せた見張りの頭部を掴み、勢いのまま壁に叩きつけた。


 一瞬の出来事だ。


 殺しに躊躇はない——しないように心を殺しているシュウは殺戮兵器だ。

 心を無にすることで、精神ケアをしているシュウ。だが、その真実とは裏腹に、彼の血にまみれた姿を見て、牢屋の中にいた人々——村民は畏怖の一手だった。

 

 それもそのはず。彼らにとって、殺人など相容れない要素でしかない。故に、殺人を働いたシュウは、恐怖の対象でしかないのだ。


「あ、危ない!!」


「しねやぁぁぁぁぁ!! フレアァァ!!」


 唐突。少女が叫ぶと同時、曲がり角の陰から一人の敵が出てくる。気づくのが遅れたシュウは、咄嗟とっさに身構えた。

 反射的な防御態勢。しかし、その反射が却って、シュウを窮地へと陥れた。

 敵の掌には、人一人を凌駕りょうがする程の大きさの火球が、獲物を穿うがたんと膨張していく。


「——ッ!!」


 怒りに身を任せた敵の攻撃。防御態勢を取ってしまった所為で、射出前に敵を戦闘不能にするのは困難。そして後方には、モワティ村の村民達が収監されている牢屋がある。

 シュウはこの状況下を刹那的に俯瞰。防御態勢のまま身体を固めた。


 しかし、


「す、ストーン!!」


 予想外の助力により、それは杞憂きゆうに終わった。

 十を越える数の尖石が、火球を放とうとしていた敵の胴体を貫通したのだ。


 尖石が飛んできたのは、両手にオドを込め、前に突き出して構えていた少女からだった。

 シュウは呆然と彼女を見て、


「お前、なんで……?」


「え? なんでって、そ、それは……危なかったから」


 シュウは最悪、被弾覚悟で突進することを視野に入れていた。だが、少女が手を貸してくれたことで、傷一つなく事なきを得られた。

 それはありがたいことで、感謝を伝えるべきことだが、重要なのは、


「いや、違う。そうじゃなくて、お前……人を殺したのは初めて、だよな?」


「そ、それは、そう、ですけど」


 少女の肩を掴み、シュウは問い質すように揺らす。「あわあわ」と声に出す彼女は、要領が得られていない様子だ。

 それもその筈である。掛けられる言葉は、手助けしてくれた事への感謝であって、殺生の可否ではないからだ。

 それでも、シュウが少女に殺生の可否を問うたのは、感謝の言葉よりも疑問が先行したからにすぎない。疑問は疑念から派生し、疑念は無理解から生まれる。

 その無理解は、


「人を殺しちまったら、もう二度と戻れなくなるんだぞ!」


 自分はいい。そういった世界で生きてきたし、人を殺す覚悟をしたうえで殺人を犯してきた。

 だが、この少女はどうだ。覚悟をしたのか。いいや、していない。殺しに、やむを得ないという言い訳は通じない。


「そ、それを! 誰かの為とはいえ、人を殺した、貴方が言うんですか……?」


「だからって——!!」


「いいんです!!」

 

 肩を掴む手を振り払って、少女は怒火どかを外に吐き出した。

 シュウは彼女の怒火に気圧されてしまう。


「それに、私は、憎んでいるんです。ここの人……」


 そう言う途中で「いや」と挟み、少女は言葉を続けた。


「こいつらを殺したいくらいに、屈辱を、恥辱を、雪辱を、全て、晴らしてやりたいんです」


 少女の言葉には、明確な殺意が乗せられていた。

 先程の舌に乗せられた泡沫の殺意とは比べ物にはならない、純然たる殺意。溜まりに溜まった鬱憤うっぷんを吐く、瞬間だった。


 前髪の間から微かに見える紅眼は、転がっている死体をゴミ同然だと思っている目だ。怨恨えんこんが、炯然けいぜんと宿っている。


「情動で……いや、今は説得なんてしてる場合じゃねぇな」


 復讐の先には虚しい、空虚な何かしか残らない。だが、薫陶くんとうする時間が無いのが現状だ。

 ただし、一度助けると、同情したのなら最後までやり通さなければならない。ミレナと村民達を救い、安泰になったところで——、


 そう考えて、シュウはその行為が矛盾していることに気付いてしまった。思考の切り替えを挟み込み、


「おい。アンタら、モワティ村の連中だな?」


 九つの牢屋に収監されている村民達に声を掛けた。


「君は、ミレナ様が連れて来た青年の……」


「あぁ、そうだ。怯えてるとこ悪いが、聞いてくれ! 俺は今からミレナを助けに行く! アンタたちは、クレイシアさん! 彼女と一緒にここから出るんだ! 指揮は、クレイシアさんに任かせていいですか?」


 目移りさせながら話す中途、中央の牢屋に収監されている灰色の髪の女性——クレイシアを見つけたシュウは、彼女に声を掛けた。

 クレイシアに指揮を任せた理由は単純。村民達が自分に怯えているからだ。一番接点が深い彼女なら、任せられる。


「承知しましたイエギク様! ですが、この手枷と牢屋。魔法を中和する術式が編み込まれた魔法障壁なんです。私たちでは、どうすることも……」


「魔法障壁……わかりました!」


 魔法障壁。クレイシアの言葉から察するに、この牢屋は魔法が効かないらしい。

 確かに、魔法が使えるのなら、数センチ程度の鉄格子など容易に破壊できるはずだ。だが、現にそうなっていないということは、魔法が効かない証左である。


 村民達を牢屋から出すには、開錠用の鍵を探すか、力づくでこじ開けるしか方法はない。


「前者は接敵必須ひっす。後者は、行けるか。今の俺なら……」


 そう呟きながら鉄格子を掴み、牢屋の中を観察したシュウは違和感を覚えた。それは、


「そういや、グレイさんや他の騎士団の人達は……? ここにはいないのか?」


 グレイ達を含めた騎士が、一人もいないのだ。亜人の人達。なら彼らは——、


「駄目だ! 駄目なんだ!! もうお終いなんだ……グレイ殿も、リフ殿も、他の騎士団の皆さんも、私たちをかばって皆殺された……」


 グレイ達の行方を聞いたシュウに、亜人の男が恐慌きょうこう状態でとんでもないことを答えた。

 騎士団の死。衝撃の事実。村民達が生きているなら、騎士団の人々も生きていると思っていた。だが、現実は——、


「そんな、嘘だろ……」


 シュウは、鉄格子から手を降ろした。


 ここに居ないことと、村民の証言。

 それは、答え合わせが必要のない厳然たる事実。覆すことが出来ない証明は、何も知らなかったシュウに、絶望の二文字を突き付けるのだった。


「なんで俺たちがこんな目に合わなきゃいけないんだ!!」


「アルヒ様、どうかお助けを……」


「ふざけんな!」「お前のせいだ!!」「どうすりゃいいんだ!!」


 危殆化きたいかしていく村民達の精神。


 ぎりぎりの状態で、均衡を保っていた村民達の精神が壊れ始めていく。悪態、悲嘆、憎悪、懺悔ざんげ希求ききゅう。誰もが最悪な状況に嘆いている。

 「落ち着け!!」と諭そうとするシュウの声など、届きはしない。


 かといって、このまま静観すれば、仲間割れや喧嘩といった内部崩壊に陥ってしまう。

 いつも村民達を纏めているミレナがいれば、彼らを纏め上げてくれるだろうが。


 彼らを牢屋から出すより、ミレナを救出することを優先した方が良さそうだ。正気を失っている村民達が、何をするかは想像に難くない。


「皆! ここで待っててくれ!! 俺が敵からミレナを奪還——」


「責任転嫁に激昂げきこう挙句あげくの果てには叫ぶだけ……ほんと、馬鹿は見ていて呆れちゃうよ。君の苦労も報われないね」


 矢庭に、煩雑はんざつしたシュウ達を見て嫌悪の言葉を振りかざしたのは、上下に白の服を着ている金髪の少年だった。


「お前は……森に居た。な、ミレナ!?」


 そして、その少年の手には、ミレナが抱えられていた。ミレナの両手両足は手錠と足枷で縛られ、口は布で塞がれている。


 手錠を解こうとしたのだろうか。彼女の手には乾いた血の跡があった。


「うぅぅぅ!!……」


 必死に足をじたばたとさせ、ミレナは声にならない呻き声を上げる。


 助けてほしいと、呻き声をあげているのではない。それは何故か。

 遮二無二しゃにむにに暴れているミレナの瞳は恐怖のそれではなく、安心のそれだったからだ。

 シュウを含めた村民の安否を確認が出来て、安堵したのだ。


 ことここに至っても、彼女は自分自身よりも仲間の安否を優先している。仲間思いなことこの上ない姿勢だ。

 ならば自身をかえりみず、彼女を救ってこそ筋というもの。


「あの女から、君を従属させたって連絡が来ないし、外がうるさいからさぁ。こうやって見に来てみれば、案の定ってところだよね……全く、危険って言ったのにさ」


 幹部自らの巡回。何故、首魁しゅかいではなく幹部の少年がミレナを連れて巡回しているのか。

 理解の範疇に収まらないが、護衛対象の彼女がすぐ傍にいるのは事実だ。


 機を窺い、少年の虚を突いてミレナを奪い返す。奪い返し、刺客から村を護り切るのだ。


 そうしなければ、村民の人々に示しが付かなくなる。グレイやリフ達の死が報われない。

 目的を遂げれば、この世界は完全に消失してしまう。ならばせめて、消失する前は安らかに——いや、それは自分自身を着飾る美辞麗句びじれいくに過ぎない。


 ——本当は、本心は、ただ純粋に、ミレナを救いたいの一心だった。


 それは彼女を慮っての行動ではなく、シュウ自身が彼女を失うことを恐れていた故だ。

 失うと悲しくなる。子供が一人でいるのを寂しがるのと同じで、相手への心配や憂慮などは一切ない。

 身勝手な保身が全てで、我儘わがままで、自己愛で、エゴで、こんな状況でも自身のことしか考えられない自分に、吐き気が湧いてくる。


 こんなクズでも、偽善者でも、ミレナ達は親しく接してくれた。だから、その全てが無くなるのが怖い。失いたくない。奪わせたくない。

 無くしてしまえば何かが、自分の大切な何かが、決壊してしまいそうだから。


「てか、奴隷の分際でさ、反逆とかどういうつもりなの? リザベート……」


「ひっ————」


 葛藤するシュウとは別で、少年の登場に顔を曇らせる少女。リザベートと呼ばれた彼女は、少年に呼ばれると冷や汗を掻き、唇を戦慄わななかせた。


「ひっ、じゃないだろ? 僕があれだけ可愛がってやっていたのに、お前は僕の信頼を裏切ったんだ! これは罪だ! 罪はさぁ、痛みでもって贖わなきゃいけないよね!!」


「あ、あぁぁぁがぁぁ!!!」


 少年が手を横に走らせたと同時、リザベートの胸元が赤く光り、雷を発しながら彼女を苛んでいく。何かしらの強制力が彼女を抑止しているのだ。


 自由を奪い、権利を奪い、尊厳を奪い、彼女そのものの意志すらも奪っていく悪辣な行為。弾劾だんがいというには、少年の利己的すぎる思考判断だ。稚拙で公平性など微塵みじんもない、独りよがりな弾劾である。


「最っ低ね。アンタ」


 その稚拙な詭弁を並び立てる少年に、口の布を解いたミレナが、痺れを切らして一刀両断。長耳を逆立たせ、嫌悪を宿した瞳で睨み付けた。


「は? 何きみ? 自分の状況が分かってるの?」


 気持ちの良い熱弁を頓挫させられた少年は、埒外からの非難に心底、痛憤つうふんしたような顔になった。

 少年から理性の文字が消え、


「上からの命令で殺さないってだけで、本当ならすぐ殺してやるのに! 特別扱いされてるかもって勘違いして! いい気になるなよ!!」


 唾をまき散らし、逆上した少年はミレナを壁に叩きつけた。今まで、言葉遊びながらも論理的に話していた姿は完全に消失。

 その薄弱な外皮を突き破り、内包された奸悪な精神を呼び覚ました。


「女の分際で! ちびで貧相で! 沸点も低くて! 女の良さを何一つ持ってない無価値なカスの分際で!! この僕に!! この高貴な僕に盾突いてるんじゃないぞ!! 女ぁぁぁ!!!」


 少年は目を血走らせながら、倒れてうつぶせになるミレナの背中や腹を何度も蹴って、蹴りまくる。

 ミレナを人質に取られ、考えなしに近づけなかったシュウは「てっめぇぇ!!!」と、暴力を振るうカスに憤慨。手元にオドを集中させるカスの動きを、シュウは理解できない。

 怒りに身を任せて飛び出そうとした、その時。


「なッ!?」


 ぴりっと背筋に走る小さな痛み。シュウにとって身に覚えが多い、殺気と死の達観だ。


「消えちゃえ、いなくなっちゃえ」


 後方から感じるオドの席巻に、シュウは留まった。その発生源は、後ろで立ち尽くしていたリザベートだった。


「あ? なんだとリザベート? もう一度——!」


「死んじゃえ、死んじゃえぇぇぇぇぇ!!!」


 少年の言葉を、リザベートは殺意を奔出ほんしゅつさせて掻き消し、怒火の双眸で睨んだ。


 リザベートが見せた感情の発露。洞窟内が大きく振動し、彼女の周りにあるマナがオドで押し退けられていく。

 肌が慰撫いぶされる感覚が、第六感がシュウを突き動かす。


「まずい!!!」


 土砂が押し寄せた。

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