第14話 摩耗した友情
「次元斬! はッ!!」
地を蹴りつけ、敵を狙う訳もなく、グレイは空中で剣を大振りした。
素人目でも理解できる愚行。だが、グレイにはその汚名を
空を切った瞬間、斬撃が次元を超えた衝撃波——光の斬撃となってリフに刃を向く。
中位の光魔法フラッシュの応用——フラッシュウェアによる余分な魔力消費を減らした技だ。グレイは稀有な光魔法師ではあるが、その素養は低い。故に、低いなりに編み出したのが次元斬だ。
速度は申し分ない。
「甘い!!」
しかし、リフは斬撃を見て驚きはしたものの、しなる蛇腹剣で相殺。勢いのままに反撃を繰り出す。
「クッ!」
対向のグレイは、串刺しになってもおかしくない蛇腹剣の切っ先を、自らの獲物で軌道を変えて攻撃を防いだ。
「驚きましたよ。光魔法の素養が皆無だった貴方が、斬撃を光線に変えて攻撃してくるとは」
「悪いが騎士団長という座に居ても驕ることは無い。俺は日々鍛錬をしているんだよ、剣も魔法もな」
軌道が変わった切っ先は、そのまま金切り音を奏でながら地面に突き刺さる。主であるリフが柄をくいッと内側に引けば、刺さった切っ先は彼の元に引き戻った。
「流石、と言っておきましょう。ですが、私とて自らの才能に
リフがそう
フラッシュウェア。この世界では、熱で相手を切り裂く危険な魔法である。蛇腹剣と組み合わされば、殺傷の力は推して知るべしだ。
「それがお前の奥の手か、リフ。蛇腹剣とフラッシュウェア。確かに危険だ。だが、俺はお前の闘い方を知っている。フラッシュウェアに使うオドの量は馬鹿には出来ない。先に魔力切れするのは、どっちだろうな?」
「ですねぇ。だが、それは一対一での話……」
「…………?」
突然の、リフの自信の現われにグレイは眉をひそめる。リフは服の中に手を入れると、中から一つの黒い球を取り出した。それから、その黒い球を地面に落とし、
「開門。出でよ我が眷属よ。貴方の力、私の為に使い果たしなさい」
落ちた黒い球から黒い水たまりが発生し、中から赤黒い人型の魔獣が這い出てきた。リフが予め用意していた、眷属を呼び起こす為の触媒だ。
「人型の、魔獣……?」
赤黒い人型の魔獣が顕現。その注目さえも作戦か、リフは蛇腹剣でグレイに襲い掛かる。
「クッ!?」
反射的に避け、グレイは蛇腹剣の後隙を狙って走る。だが、
「ウキキ! ヨヨエェ!!」
その狙いは魔獣が介在することで瓦解させられる。
蛇腹剣の短所を、魔獣が牽制して補う。厄介な戦術だ。気を抜けば、一気に勝敗が付いてしまう。
「ぬッ!! 騎士道に背くのかリフ!!」
「元より、私は裏切りの身! 寧ろ、この身が汚れる程度で望みが叶うのなら、私は進んでこの手を汚しましょうぞ!!」
「リフ! 貴様、何故そこまで!! クッ……ええい! 邪魔をするな!!」
狼のように、地を這いつくばりながら攻撃を仕掛けてくる魔獣。それをグレイは剣で攻撃を防ぎ、魔獣に剣を振るう。
「キシシシシ!」
人型であるだけで、やはり人ならざる生物の動き。木の枝や岩などの環境を駆使し、縦横無尽に動き回って死角を突いてくるのだ。重ねて、リフの蛇腹剣による追い込み攻撃には、経験を積んだグレイでも厳しくある。
「ミレナ様や村の為にも、そして、まだ日が浅くも、村の為に囮になってくれたシュウの為にも、俺は負けられない! 負けるわけにはいかんのだ!!」
「この場でも、貴方は他の者の心配ですか! なめられたものですね!! シャイン!」
シャイン——閃光がグレイの視界を奪い、蛇腹剣が彼の身体を切りつける。
運よく、リフが狙った場所とグレイが避けた方向が噛み合ったため、致命傷は回避できた。だが、避けたところを魔獣が鎧を貫いて、横っ腹を切り裂いていった。
「ウキキキキキ!」
腹を切り裂かれ、腰を落としそうになるグレイ。二対一という不利な状況。蛇腹剣と魔獣によるヒット&アウェイの攻撃が、着実にグレイを追い詰めていく。
蛇腹剣を避ければ魔獣に身体を裂かれ、魔獣に集中すれば蛇腹剣に身体を裂かれる。
それは既に、勝負と表現するのは難しく、一方的な
「ゥ、グ、クソ……」
次第にグレイの動きが鈍くなっていき、リフは止めを刺しに蛇腹剣をしならせた。
「勝負ありましたね!!」
グレイは蛇腹剣の切っ先を避けた。ただ完全には避けきれていない。致命傷を避けるだけで、攻撃の余波は食らっている。
憔悴している証拠だ。
「キキャキャ!!」
狙い通り、動きが鈍くなった所を、魔獣が
だが、鉤爪が接触する寸前、グレイは
「ぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!!」
「な、に!?」
魔獣を盾にして、リフに猛突進した。
グレイは憔悴していたのではなく、反撃の時を見計らっていたのだ。蛇腹剣の攻撃を完全に避けようとしなかったのは、回避後の魔獣に対応する為。
即ち、魔獣を盾にする為だった。
蛇腹剣の強みは奇想天外な攻撃方法にある。理解する余地も与えず、相手を切り裂き殺すことができるわけだ。
しかし、逆に言えば蛇腹剣は理解できていれば対応することが可能だ。通常の武器と違って、蛇腹剣の一撃の殺傷能力は低い。故に、魔獣を盾にしたグレイにとっては、おそるるに足らない訳だ。
「シマッ!?」
「リフ! お前の処罰は馴染みであり、家族であり、ライバルであり、そして! 友であった俺が直々に下す!!」
リフは引き戻した蛇腹剣でグレイを攻撃するが、魔獣が肉壁となって致命傷にはならない。
柄を引いて、リフは蛇腹剣を引き戻そうとしたが、魔獣の肉が障害となって抜けない。止む終えず、リフは蛇腹剣を引き抜くのを諦め、通常の魔法で対処しようとする。が、その前にグレイが彼の懐まで入り込んだ。
グレイは魔獣の突き刺さった剣を投げ捨て、
「ぬんッ!!」
「ぅグッ!?」
グレイは籠手を纏った左手で彼の右手を殴りつけた。
鈍い音がなり、リフは鈍痛に腰を落として
「勝負あったな、リフ。その手ではもう、剣は握れまい」
「だったら、何故今すぐ私を切らないのですか! 私は裏切り者なのですよ!!」
リフは右腕の痛みを堪えながら、グレイにそう反論した。
怒りと嘆きと後悔。彼の双眸は、糾弾してほしいと物語っている。叱責し、
「聞けリフ。俺は確かに、お前が裏切り、騎士道に反する行為を、騎士そのものを侮辱したことをまだ許してはいない」
「なら私にどうしろと? このまま生き恥を晒せというのですか!」
「違う!」
「違わない! 私は、僕は許せない。そうやって何もかもを許してしまう君を、王を! 強者を! 才に恵まれなかった騎士が死んだことを、それが仕方のないことだなんて言葉で片付ける強者が! 騎士は人を護るのが仕事だから、死んで当然だという民衆の無関心が許せなかった!! だから僕は裏切った!!」
左手を力強く振って、
グレイはそう捉えた。
「死んでいった騎士達が報われない世界が、彼らの死を容易に受け入れる強者が、彼らを護れなかった僕の
リフの言い分は、決して
裏切ったリフと面した時、グレイは彼が外道に落ちたのだと思っていた。
だが、今はどうだ。いつものリフだ。言い争って、喧嘩をして、いつの間にか仲が戻っていて、また喧嘩をして。今回はただ、それが大きくなっただけだ。
「強者は弱い者の気持ちを、死んでいった騎士の気持ちを知らないのだと……そうやって邪推した。死んでいった騎士が報われ、弱者が救済される世界にする、その手助けができるなら、
熱を孕んだ彼の言には、
「違うさ。邪推でも、矮小でも、僻者でもない。実際にそうだった。俺も、死んだ騎士のことは深く考えてはいなかった。弱い者が死に、強いものが生き残る。仕方のない事だと割り切って、俺は自分の研鑽と目の前の仕事にしか目を向けていなかった。他の上級騎士や最上級騎士もそうだろう。それは王も例外ではない。守られている民衆もだ……お前の義憤は、託けのそれではない」
強者は皆高みを目指し、それだけを目指して駆け上がっている。弱者はその強者に護られ、敬って生きている。
だが、志半ばで斃れた者はどうだ。
駆け上がれた者、護られている者の殆どが、志半ばで斃れた者を見ていない。見ていないからこそ、仕方のない事だと言えてしまう。何も感じない。
リフは頭がいいから、分かってしまったんだ。だから怒っている。
弱者が救済される世界にする手助け。弑することも辞さない。
悩み悶えて弱っていたリフにつけこみ、彼を裏切りへと引き込んだ教唆犯がいる。
許せない。そいつだけは、確実に報いを受けさせなければならない。
「だが、この裏切りだけは間違っている。お前がやっているのは、今生きている騎士を、死んで尚報われていない騎士達をも侮辱する行為だ。賊は、絶対に止めなくてはならない。だからこそ、お前を殺しはしないし、殺させはしない。リフ、戻ってこい」
——リフの胸裏へ……
あの時。夕日に包まれた丘の上で見た、まだ少年だったグレイと、今、真摯に向き合ってくれているグレイが重なる。
だが、もう二度と、あの時には戻れない。友達には。
「でも! 僕はグレイの隣に立つ資格はない! この身は、僕は……」
何故なら、
——僕は裏切者で、犯罪者で、騎士の顔に泥を塗った極悪人だからだ。
でも、許されるのなら戻りたい。
戻って、謝って、罪を背負って、もう一度やり直したい。
これが今の本音だ。
「わかってる。これから、お前は裏切り者の罪人として、見られるだろうし、騎士の称号も剥奪される。それは仕方のないことだ。
リフは、それでも君は許してくれるのかと、万感を乗せた眼差しでグレイを見上げる。
「頼む。リフ……」
グレイが、そっとリフに向けて手を差し出す。
恐る恐ると、逡巡はあった。躊躇いはあった。
それでも、リフが手を伸ばしたのはグレイとの熱く、濃く残った過去の記憶があるからだ。
子供の頃の幼さが残った、大人になり切れていない時に見た夢——互いに目指した、清く
——過去へ。
夕日に包まれた丘の上で、二人の少年が木剣で剣戟試合をしていた。
一人は子供ながらに、成人を迎えた少年にも引けを取らない
だからといったところか。身体が大きい少年が剣戟試合に勝つのは必定で、実際その通りであった。
『俺の勝だ! リフ!! ヒヒ!』
『また負けた。もぉ! グレイは強すぎるんだよ!』
体の大きい少年——グレイが、肉付きの悪い少年——リフの手を狙って木剣を撃ち落とした。落ちる木剣は、そのまま坂を下り落ちて、岩にぶつかって静止した。
負けたリフはお尻を地面に擦りながら滑落し、木剣に欠損がないか検める。
『僕、自身無くしちゃうな』
『何言ってんだよ! 俺の方が二つも年上なんだし、当たり前だろ! 才能じゃねぇ! 大人になったら、俺が負かされちまうかもしれねぇんだ』
丘下でぼやくリフにグレイは大きく息を吸って、励ましの言葉を掛けた。だが、その言葉は超然としている所為か、リフには嫌味に聴こえてしまったようだ。どうも、
『でもやっぱり悔しい……それに、明日グレイは中央都の騎士の家に招き入れられるんでしょ? だけど、僕には全くそんなのないし、やっぱり年なんじゃなくて才能がないだけなんだよ……』
不満の要因を、リフは
そう、何と言ってもグレイは明日の朝に、アルヒスト中央都の有名な騎士家系に引き取られるのだ。
先日、丘の上に観光目的で訪れた騎士の男が、グレイを見て養子に迎えると言ったのだ。
強い騎士を目指しているグレイにとって、願ったり叶ったりだった出来事。
ただ、リフは何もない。
『チゲェよ! 一つの事に囚われんなって、お前は俺にはない才能があるんだ! 一つのことに縛られるな!! 剣の強さだけじゃ、強くて凄い最優の騎士にはなれねぇ!! お前は器用だからな! すぐに追いつけるって!!』
夢は諦めるしかないと落ち込むリフに、グレイはそれでも
グレイにとっては騎士になることなどは通過点でしかなく、その先にある最優の騎士を目指しているのだ。そのグレイから『諦めるな』と鼓舞を受けた。
差し込めてくる希望。
僕も騎士に、凄い最優の騎士になれるのかな。
『そう、かな?』
『そうだよ!』
グレイがニッコリと笑う
だったら、目指したい。頑張りたい。諦めたくない。
『……うん、わかったよグレイ! 今はそうじゃなくても、大人になったら必ず、僕がグレイを越えてみせる!!』
『そうだ! 俺を越えてみせろ!! リフ!!!』
——現在に戻り、グレイの胸裏へ。
引き戻されたリフが照れくさそうに笑うと、引き戻したグレイも笑い返す。
リフはあの時も、グレイから差し出された手を取っていた。そこから、グレイが手を引いて、腰を降ろして拗ねていた彼を立ち上がらせたのだ。
大人になるにつれて、失いかけていた過去の記憶。摩耗した友情が、ここで照らし合わされたことによって、修復されていく。
それは誰もが持つ大切なものでありながら、値段が付けられない程の無類な友情だ。値段を付けようとすること自体が烏滸がましい、ありふれた物語だ。
掛買いの無い思い出なのだ。
弱者が救済される世界、か。
——お前はもう、とっくに俺を越えてたんだな……
かつてないほどに、二人の間には深い友情が——、
「あぁーあ、いけないよね。そいつの殺しは君に任せたのに、今だって絶好のチャンスだっていうのにさ、なに郷愁に浸ってんの? そういうの、物語の中だけでやってくれるかな? 現実で実際にやってるとか、マジでいってるの? それも男同士で……」
「レイキ殿! 何故ここに?」
結ばれるはずだったのに。
その掛買いの無い思い出を汚す存在が、大切な物を土足で踏み荒らすような悪が、野蛮人が、我が物顔で忽然とあらわれた。
見た目は司教服を着た端厳な老人だが、その見た目とは相容れないような稚拙な口調だ。
切り離した写真と写真を、無理矢理に繋ぎ合わせたような、そんな気持ちの悪い違和感と言っていい。
「誰だ?」
老人はリフのことを気に留めることなく、グレイの背後に回った。力の込められた腕には筋肉と血管が膨れ上がり、その姿は老人の腕のソレではない。
「まぁでも、僕は寛大な男だし、部下の
「アガァッ!?」
怪訝に思って振り返ったグレイの胸を、老人は生身の手で鎧ごと貫いた。
血肉が引き裂かれるような不快な音が、グレイの苦鳴と共に森を駆け巡る。
「ぐ、グレイ!! そんな……」
老人の卑しい笑みが、リフに最悪の二文字を突き付ける。リフの前で、目から生気が抜け、命を失っていくグレイ。
リフは右腕で斃れるグレイを支え、左腕で地面に落ちている蛇腹剣を掴み取る。
「き、貴様ァァァァ!!!」
乱暴に地を蹴りつけて、リフは獲物をしならせた。
利き腕ではないものの、洗練された技は遜色を生まない。蛇腹剣はひゅんと空を切り裂き、老人に向かって獰猛に切っ先を走らせた。
「ほんっと、ムカつくよね。いちいちうるさいし、目障りなんだよね。私情を仕事に持ち込むなよ……それでも、きみ……組織人なの?」
「ガぁぁ……か、くはぁッ!」
しかし、攻撃を受けたのはリフだった。
蛇腹剣の切っ先は確かに老人の胴体を貫いた。はずなのだが、リフが気づいた時には老人の姿は、既にそこにはなかった。
それどころか、蛇腹剣を持っていた左腕が切り落とされ、グレイと同様に、後ろから胸を貫かれていた。
「ディスガイズはこうやって使う事も出来るんだよ。君にも教えたでしょ?」
リフの胸から腕を引き抜く老人。吐血しながら、リフはグレイの横に倒れた。
「ごめん、ぐれ、い……」
リフが折れた腕でグレイの亡骸に手を伸ばす。でも、その手は届くことなく、リフは息絶えた。
二人の亡骸から出た血が重なり、飄々と吹く風が、虚しさを際立たせる。
「さて、僕ってやっぱり強くて堅実な男だ。裏切り者を見つけて始末する。最高じゃないか」
そう自賛しながら、老人は血で汚れた手をハンカチで拭きとった。
そして、二人の遺体を残したまま、森の中へと消えるのであった。
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